2007年12月31日月曜日

大晦日のおかいもの

今晩はシルベスター・ディナーにブイアベースを作るので海老と貝と白身のお魚を買いに、渋谷のフードショーに出かけた。渋谷の駅が空いている~、ああ、だから年末年始の東京は好きだ。


と、ところが、フードショーについたとたん、な、な、なんだ、この人ごみは!(自分のことは棚にあげ)おばさんの天国。自分の周りはすべて山道に生い茂る木々か雑草。かごが引っかかれば、グイと引っ張り、道がふさがっていたら押しのける。大声出したが勝ち、「えび一山!ぶり10切れ!早くしてっ!」。
私の後ろで若い女の子の声、「この際おばさんになるしかないわね~。」

戦いを終え、エネルギーを吸い取られ、へとへとになりながらも、とってもいいハマグリと海老と鱈をゲットして、家路に着きました。私も勝ち抜いたところをみると立派なおばさんなのでした。

言いたいことは、わかる

ディズニーシーに行った。エレクトリックトレインにのって、夕闇迫る東京湾を眺めていたときのこと。「向こうの岸が羽田だよね。それから、ほら、あそこ、あの真ん中へん、コシヒカリだ!」・・・あんまりそれっぽかったので、一瞬の聞き流しそうだったけど、それはきっと、海ボタルだよね。

2007年12月29日土曜日

ちりとてちん

久しぶりに自分のブログに戻ってきた。ただいま。今年こそはいろいろと心の旅を書き綴ろうと思ったのに、後2日で終わり・・・。

心を込めて継ぎはいだあの座布団、何をしても悪いほうに進む人生に慣れっこの女の子が、恋愛禁止のお達しの中、できうる精一杯の恋心の表現。わかる、わかる、この程度だったら”兄思いの妹”で済まされる範囲。しかも結果、いらないって言ったこのおザブ、大切な高座で使ってくれたし。ああ、それなのに、咲さんの含蓄ある言葉にうっかり乗せられて、師匠裏切って間で出た大勝負、冷た~い返事。慣れてます、私の人生こんなもの、でも、捨てるか?座布団!。そりゃ、怒るし、泣けてくる。

ま、人生オセロのようなもので、いい手を打つとパタパタパタとこまがひっくり返るもの。とは言え、照れる、今日の展開は。

寝床での二人の言い合い。
鐘が鳴って最後まで言いたいこと言えない、という展開だったのであろうが。・・・よう聞えました。みんなの前でやらないでほしいのだ。 
壁壊し、一回目のダンベル攻撃
おおっ、壁壊してる、照れる。誰もいないけど、師匠には聞えますよ、そんな大きな音上げたら。
2回目
まだ壊れないわけ?早くして!引っ張らないで、間が持たないじゃないの。師匠も起きてきちゃうから、ああ、照れる。
ほとんど壊れた
ああ!これでおわりか。次は壁に向かっておもむろに近寄る若狭か・・・、おっと、草々、助走の体制。体当たりか?いや、蹴った。
壁またぎ
ちょ、ちょっと、恥ずかしいってば、照れるって!!それじゃ、トム・クルーズよ。壁の向こうから告白してよ、ほら、カメラそんなにしっかり前から草々のこと写さないでって。
「お前が俺のふるさとだ!」
ああ、もうみてられませ~ん!いくら好きでもそれはないでしょう、そのセリフ、「お前が俺の座布団だ」よりはマシとは思うけど。

・・・で、その後この二人はどうなったんでしょう。いくらなんでも掃除しなくちゃね。いつもは2回見てるけど、冬休み中のワカの目が気になり一回しか見られなかった。(お昼の再放送でもう一回見ちゃったけど。)
ああ、赤面の展開でした。

2007年10月30日火曜日

バイリンガル 2 小学生低学年

いよいよ小学生に。ある日、学童の先生から「なんだか日本語がちょっと・・・」。ん~、そうは思ってはいたものの、他人から指摘されるとあせる。「夜、絵本とか読んであげるといいですよ。」「はあ、夜は父親が読んでいるんですが・・。」「だから、日本語で読んであげてください。」「・・・・・。」
何か腑に落ちない。

男の子を4人育てた友人に聞いた。友人曰く「読むのは何語でもいいのよ。要するに読んでもらうことによって、子供の頭の中で言葉のイメージが膨らみ、想像力が発達するわけ。それが大事なのよ。」
いや、溜飲が下がった。読み聞かせは言葉を教えるというよりも、子供の想像力を高めるのにいいというわけだ。それから毎晩のように父親は喜々として読み聞かせを続けた。毎晩30分から長いときは1時間、ほんとに根気があるなと感心しきり。

オリジナルが大事
ワカは起用に日・英を使い分け始めた。映画やTVなどは必ずオリジナルの言葉を選んで見る。たとえばドラえもんが英語で、シンプソンズが日本語で話しているとだめだそうである。こうしてかなりゆっくりした速度で日本語も英語も習得を始めた。

言葉使い
英語は同年齢の友達がいないので、父親曰く、純粋培養でしかもかなり大人びた口調らしい。
とはいえ、ケーブルテレビで若者言葉を真似してみたり、TVの禁止用語も映画から習得してきたり、それなりにスラングも理解している。彼の真面目な性格によるところもあるとは思うが、彼は日本語でも英語でも汚い言葉を口にしない所はえらい。

読み書き
週2回父親と音読している。父親が選んだペーパーバックを一冊@一月のペースで読んでいる。3年生からはディクテーションも始めた。これには難儀しているようである。ラテンやゲルマン系の言語は発音通りにスペルを綴ればいいのだが、英語はそうは行かないので時間がかかる。
日本語はというと、やはり彼にとっては”書き”が難しい。ありがたいことに、学校の宿題で毎日日記を書く。3年生くらいまでは毎回「書けない~。何を書いていいのかわからない~。」の苦やし涙。先生が毎日コメントを書いて戻してくれる。これはありがたい。

亀の歩ではあるが、毎日少しではあるけれど継続した努力がすこしづつ実を結び始めている、と感じる今日この頃。

2007年10月4日木曜日

ミーナの行進


読み終えたあとで、泣きそうになってしまった。 
私がこの少女達と同世代であったことや、その時代に父の仕事で芦屋の隣に住んでいたことだけが理由ではない。

もっと小さい頃の記憶は白黒ビデオのよう、でも子供から少女に代わる頃からの記憶は、だんだん天然色に変わっていく。自分というフィルターを通して世の中が見えてくるのだろう。そんな風にこの本を読んでいる間中頭の中で記憶に色を付けながら、私の72年がゆっくりと思い出されていた。

その時代は自分がそこに居たというのに、本当に遠い世界に行ってしまったこと。そういう意味では、過去の現実は物語となんら変わらないのかもしれない。そして今までそんな大切な思い出を、無造作にほっぽらかしてしまっていたこと。いろいろな記憶を拾って、つなぎ合わせて、自分のことを思い返すと、72年が私の最後の”子供”の時代だったのかな、という気がしてきた。そう思うと胸が締め付けられるようだ。そして私は自分の羽をどこで折ってしまったのだろう、とふと考えた。そんなことを思っていたら、なんだか泣きたくなってきた。挿絵(寺田順三)を見てもっと泣きたくなってきた。

ワカに幸せになってもらいたいばかりに、安全な線路を敷きかけていた私は、ふと気が付いた。大人になってから振り返って、”記憶が天然色になる時”に彼が豊かな人間関係を送ることが出来れば、きっと幸せな少年時代を迎えることができるのではないのかって。

2007年9月28日金曜日

どんど晴れも終わり

今週は最終週、なんともう半年経ってしまったのか・・・。”純情きらり”のようなときめきはなかったし、”きらり”真っ青の突っ込みどころ満載ではあったけれど、知り合いが出演していたこともあって、実は毎朝楽しみに見ていた。

今日の買収取りやめの条件などはまるで、江戸時代の大岡裁きじゃないんだから、って内容だったけど、完全に否定しきれない流れを含んでいるんです、これが。
以前仕事で、M&Aの場に何度か遭遇したことがあった。シビアな取引であるにもかかわらず、数字以外の感情的なところで、物事が動いたりはたまたこじれたりするものなのだなあ、と思ったことがある。ほら、あの”プリティーウーマン”みたいな場面がドラマティックではないんだけど、あるのだ。

外交だって商売だって、結局のところ人間の単純な感情の上で動いているのではないか。そう思うとこのストーリーの流れも決してバカには出来ないものがある。上に立つものの難しさだ、”信じる”ってことは。

2007年9月14日金曜日

バイリンガル その1

子供のバイリンガル教育について。

外国語の早期教育に関しては、母国語の発達が遅くなるとか、どちらも中途半端になるとか、早いうちに始めたほうが絶対よい云々。いろんなことを言う人がいる。はたして正解があるとも思えない。

ワカを何語で育てようと夫婦で話したことはない。生まれた瞬間から、自分達の母国語で勝手にワカに話しかけ始めた。加えて我が家は夫婦の共通語がどちらかの母国語ではない。要するに、三人の共通語はない。

ワカは10ヶ月から保育園に通い始めた。1歳半くらいから英語日本語ちゃんぽんで単語を話すようになってきた。日本語:デンシャ、ゴミシューシューシャ、ホイクエンなど、英語:Moon, Air plain, balloonなど。いずれにせよこの時期はまだ単語の羅列、何語で話しかけようが幼児らしく理解。テレタビーズ、トーマス、メイシー、セサミストリートなどを好んでよく見ていた。2歳過ぎからは保育園でいろいろ仕入れてきて、一気に日本語優勢。

英語が話せなくなるとあせりを感じた父親が、巻き返しを図るべく絵本の読み聞かせ攻撃。それにしてもがんばりましたオット。 自然に言葉を覚えるなんて大違い。常に間違いを訂正し、いつも言葉の意味を教え、努力を惜しまなかった。子供が言葉話を話すのは、家庭で親が話しかけてくれたから。特に一対一で対話をすることによって、言葉を覚える量が格段に違ってくる。話す言語が一つの場合はこともは勝手に言葉を覚えるのだと思ってしまうが、実は違うのだと気が付いた。

保育園のお友達には・・・
  • お父さんがアメリカ人でお母さんが日本人の女の子。お父さんが日本語を勉強していたので、家庭での共通語は日本語。この子は日本語のみ。
  • お父さん日本人、お母さん中国人の女の子。お母さんが日本語が達者だったので、この子も日本語のみ。
  • 両親がインド人の男の子。家族とは英語で話していたが、その後めきめき日本語が上達。
  • お父さんドイツ人、お母さん日本人の男の子。お母さんは日本語話せずお父さんと英語で会話、お父さん日本語話せるけどちょっとブロークン。うちの環境と似ている。お母さんといる時間が長いので日本語の方がしっくりくるらしいが、お父さんのドイツ語も理解している。
  • お父さん日本人、お母さんドイツ人、二人の共通語はフランス語。子供は日本語とドイツ語。

このようにどこの家庭もそれぞれ。子供は”思ったようには育たないが、育てたようにしか育たない”・・・。

2007年9月10日月曜日

自分で考えよう

今算数では、分度器や△定規で角度を勉強しているらしい。ワカは宿題見せに来た。直角三角形と正三角形の定規の角をいろんな形につないだり、重ねたりしてその角度を計算から求める問題。

それについてのワカの一言、 「コレ、頭使うんだよ。」
(・・・・・ん~、勉強って普通頭使うもんなんだけど・・・)

それにしても横で見てると、なんだか要領を得ない、じ、じれったい!お、教えたい!ついでに内角の和がどうとか、後で参考書買ってきてもっと沢山問題させるか、と考えが暴走する。そう、ここががまんのしどころ。教えられてもわかったような気がするだけで、じぶんで理解しなくちゃすぐ忘れる。わからないならわかるまで考えればいい。その意味ではワカの言ったことは正しいのだ。そうだ、自分で正解を見つけることが大切。わかるまで、あきらめずに頭を使えばよろしい。

池田晶子様


あなたは今、どこで何をしてるんでしょう。そして、何か答えは出たのでしょうか?

とにかく考えて考えて、そして普遍的な答えを探そうと努力を始めました。でも、凡人には難しいことです。毎日毎日ゆれています。言わなくていいことを言ったり、思ってもいないことを(実は思っているんでしょうね)やってしまったり。考えていることも、刻一刻と変化し、ひどいときは一周してくることもあります。
誰も引き戸の玄関には鍵をかけず、白黒のテレビでアトムを見て、ブルー・シャトウの替え歌歌って、満点の星、虫取り、カキ氷とスイカ、何も束縛されることのない夏休みを過ごした。遠藤周作や北杜夫の新刊やら、カーペンターズの新曲を楽しみにして、深夜放送で試験勉強をした。きっとあなたは私よりも数倍アカデミックな世界に生きていたんでしょうけど・・・。でも時代の何でもないそんな空気みたいな日々を思い出すと、同じ時代を生きた人がもういないと考えただけで、涙が出てきてしまいます。

この世を、捨てて言っちゃったんでしょうか。こんなに若いのに、綺麗なのに、さっさと次の次元へと進んで行ってしまった池田さん。

これから先、あなたの新しい声が聞けないことは本当に悲しい、でも、まだ読んでいないあなたの声をこれから少しずつ拾っていきます。きっと何か会話が出来ると思って。


2007年6月29日金曜日

千鳥が淵のおじさん

千鳥が淵、九段下より出口のベンチにお住まいのおじさん。この方、一般的に言うとホームレスというカテゴリーに入るのだろうが、ちょっと違う。身なりは清潔で、頭髪はちゃんと散髪、顔もきちんと髭が剃られ、そして自分の生活圏内(ベンチ数メートル四方)を綺麗に掃除している。季節外れの花が咲いていたので、よく見たら植え込みにおじさんがさした造花だった、インテリア(エクステリア?)も心がけてるようだ。そして、ラジオを聞いてるし、新聞を読んでいる。

おじさんは猫を飼っている、というか猫とおじさんは生活をともにしている。残り物ではなく、猫用缶詰やドライフードをちゃんともらっている。そのえさが目当てでよってくる野良ちゃんがいる。おじさんの猫と通いの猫の線引きは出来ている。

私はおじさんと目があうと会釈している。迷惑になるだろうから、声はかけないようにしている。おじさんは完全には世の中とのコミットメントを放棄しているわけではない。
まず、子供にやさしい。先日ワカ(王子改め)と一緒に散歩に行きおじさんの猫を見ていたら、迷惑そうな猫を羽交い絞めにして「ほら、なぜてごらん、噛まないよ」って触らせてくれました。 そしてまともに返事もしてくれる(ようだ)。私の同僚が酔っぱらった勢いで、おじさんのベンチに座り「どうして、ここにいるの?」と直球を投げたら、「それだけはカンベンして。」と言われたそうだ。

こんな台風の夜はどうして過ごすのだろう。

2007年6月13日水曜日

教育改革

我が家のワカ様(王子改め)はただいま小学生。巷ではそろそろ中学受験の話がちらほら、お友達も塾に通い始めた。クラスで80%の子供が中学受験をするらしい。
この先、確実に少なくなっていく子供の争奪戦は、おそらく塾に限ったことではなく、私立学校、おもちゃ業界・・・等等。

受験勉強は昔からあったし、まったくもってここの家庭の判断によるものであるから、云々言うつもりはなし。ただし、昔の中学受験と今のはその目的だの、意識だのが変わってしまっていることは確か。だからこそ、国は義務教育に、もっと一貫性を持つべき、ということを言いたい。「ゆとり教育」なんていうへんてこなネーミングをして、その結果も出ないうちに方針を変える。フラフラと方針を変更してもらいたくないのだ。考える力を育てたいのであればそうすればいいし、でもそんなものは基礎学力があってこそ、なんていうのも当たり前のこと。

先日カナダ、ブラジル、ドイツ、フランスとそれぞれ教育についてヒアリングする機会があった。日本の教育水準は、決して悲観するような状況にはない。しかし、大学に進む頃から日本以外の国の人たちが、どんどん自立し、判断力に磨きがかかってくる。

与えられることに慣れてしまった日本の子供達の自立は遠い。

2007年6月8日金曜日

たるの中から生まれた話


ついに再会。
少年少女学研文庫のテオドール・シュトルム”たるの中から生まれた話”。
子供の頃から大事にしていたのに、なぜかそういうものに限ってなくなってしまう。
大抵のことはどんどん忘れてしまうのに、この本はことあるごとに思い出し、どこへ行ってしまったのだろう、と時折思い出してはなんとも情けない気分に落ち込んでいた。
この日はこれといった目的もなくアマゾンを覗いていた。するとなんだか勝手に(としか言えない)私の指が”たるの中から生まれた話”と入力、サーチ。文庫本はある、でも学研文庫はタイトルは出ることがあってもいつも「売り切れ」。しかーし、なんと、なんと、白いドレスの女の子が発っているではないか!
まるで昔の友達に会ったような懐かしい感覚に包まれる。うれしい。
さてこれが高いか安いかという事には言及しないでおこう。この機会を逃してはまたいつ会えるか分からないのだ。”ショッピングカート”にも入れず”1クリックですぐ買う”をカチッとクリック。そして、3日後、九州の満遊書店さんから小さな包みが届く。いよいよご対面。封筒を開けると思いもよらない感動の世界が・・・。なんと懐かしい本の”匂い”!
ちょっと話はずれるが、本の匂いが好きで本屋に行くこともある。すると、尾篭な話であるが、トイレに(大きいほう)行きたくなる。図書館へ行ってもそう。しかし、しかし、これって私だけではないらしい。ネットを覗いて見ると、結構いる・・。
あきらめずに探し続けるのが肝心なのね、何事においても。

2007年5月21日月曜日

今日の世界規模のかわいい

日経さんまで写真入りで・・・、これがかわいいといわず、なにがかわいいというほどの癒し系。
みんな見たでしょ?手つなぎラッコ
おばさんたちのコメントやら笑い声、時折入るこどもの「写真撮った?」っていう声にまた癒される。
おじさんの「キュート」なんて声も聞えるし。

この子達、親子なのかな?と思ったら、メス(17歳)のニアクとオス(7歳)のミロのカップル。ニアクはアラスカでタンカー原油流出事故から救出されたと過去をもつ。どっちがどっちかよく分からないけど、勝手にクロっぽいほうをニアクと決めた。(ご存知だったら教えてください。)

 

2007年5月17日木曜日

集中

王子が携帯の着信音をもう少し大きくしたという。
どうして?と聞くと、
「歩いているときに、いろいろと集中しているんだよね~。」
「(いろいろ・・・?集中ってのは一点にするものだし)そう、何に集中してるの?」
「ポケモンのこととか、スターウォーズのこととか、いろいろとね。だから電話がかかってきてもすぐに気がつかないんだよね。」
・・・それって気が散ってるってことなんでは?車に轢かれないように気をつけてね。

2007年5月15日火曜日

ベルリン

昨日「ベルリン天使の歌」を久しぶりに見た。
1987年10月末、私はフランクフルトまでの片道航空券を片手に日本を発った。そしてシュトットガルト、マンハイムを経てベルリンに住み始めたのは1989年1月。まだもちろん誰もが10ヶ月後を予測だにせず、今世紀には壁はなくならないだろうと思っていた。

故意にほったらかしにされたようなポツダマープラッツ、壊れたままのゲデヒネス教会の横になんとなく時代遅れなオイロッパセンター、世界中の食材や消費財であふれかえったKDW、チェックポイント・チャーリー、そして壁、壁、壁。ベルリンではまだかの戦争は目の前で続いていた。そして国境を渡って訪れた東ドイツはもっと戦争の時代に近かったように思われた。ドレスデンはあちらこちら壊れたままだった。

閉鎖された空間で息苦しさを味わっていたベルリン市民。東と西の中間でゆっくりと進化した街のゆえに、ある種の居心地の良さを感じたのは、私が異邦人だったからだろう。今はポツダマープラッツや、冷え切っていた旧東ベルリン地区が街の中心として復活し、あの時のベルリンはもう、ない。そして今はその進化を加速させながら、また私達に新しい姿を見せてくれている。

しかし、あの60年にわたる人々の思いは今もそこかしこに漂っている。そしてベルリンは、この映画のようにそんな思いを静かに聴いてくれる”何か”が彷徨っている、そんな気持ちを持たせてくれる街なのだ。

2007年5月9日水曜日

サラリーマンNEO

楽しみにしていた”サラリーマンNEO”が始まった。
先週は睡魔に襲われ、いまひとつツボにはまらなかったが、今週は起きててよかった。
一番は”セクスィー部長 色香 恋次郎”、沢村 一樹さま~かな(ピンクの敬称付)、私テキには。
サラリーマン体操”がその次。(ピアノ /石渕 聡さんいけてたです。)
しかし、カウンセラー /スピリチュアル・生瀬 勝久さんも、大河内透/ベタベタ・田口 浩正さんも捨てがたい。

それにしてもカルロス・ゴーン社長は、とても楽しそうにお話なさっているが、この世界が果たしてお分かりなのだろうか。いや~、よくこの方をつれてきたものだ。知名度と真面目度とあのセサミのオスカーのような親しみのあるお顔(失礼!)が、すっぽりとあの得体の知れない出し物の間に納まっているから面白い。(突然ですが、ゴーン夫人のレバノンレストランはよいです。)

2007年5月7日月曜日

どんど晴れ

なんだか見てます。先週はリュ・シウォンの小声日本語が可愛かった。

夏美ちゃんがんばってますね。飲み込みが早いです。
女将が身を呈してお客様をかばった姿に感激、その次の日くらいにみんなが見ている前で同じことしちゃうもんだから・・・。(宮本さんにはまけないわよ~!!)もうちょっと修行してから、出してもいい技と思ったんだけどね。その姿に笑いをこらえ、いや、感心しながら恋人のところに走り去る、という難しい演技を要求されたシウォン君。とももすれば、うら若き乙女に火事場をまかせ走り去る情けない姿になるところを、さすが、宰相・柳成龍を先祖に持つ名家の生まれ、そつなくこなされた。・・ま、あそこでジュンソ君が夏美ちゃんをかばったら、話が別の方向に走っちゃうけどね。 実際のところ、なんども「ジュンソ様」って夏美ちゃんはお部屋に入っていくし、ジュンソ様は嫌がるわけでもなく、夏美ちゃんを前髪の後ろから流し目で見てるような気がしたし。

さて、場面は横浜、お母さん、せっかく酔っ払ったんだから一曲歌ってほしかった、「ひゅるる~、ひゅるりらら~~」。それにしても異様に腰の据わった演技の夏美の弟(神木隆之介君)、なんとなく浮いているような気がするのは私だけか?そしていまだにお父さん見てるとNHKであのセット、もしかしたら扉の向こうにディロンが座っているのではないかと・・。

今週はお父さんとお母さんが横浜の生活に疲れて老舗旅館にご招待フルムーン旅行、もとい、盛岡に挨拶に行くみたいだから、夏美ちゃんもっと張り切っちゃうかも。二人の部屋から何気に見えるところで、数ある植木の世話をやってたみたいだし。
楽しみなのだ。

2007年5月6日日曜日

Nora, the piano playing cat

これはすごいです。

ノラちゃん、ピアノ弾いてる。あの”スリコギ”お手手で!真剣です・・・。
即興曲はさながらサティの一本刀土俵入り、なんせ指が2本ですから・・(後ろ足入れて4本だけど)

ピアノを弾きながらたまに見せる、この弾き方で言いのかしらン?というあの表情が猫を超越してる。
ピアノが2台並んでいるところを見ると、このノラ嬢、ピアノの先生のお家のお嬢様と思われる。
いつも、尊敬する我がご主人様の後姿をずーっと見ていたに違いない。

これは、超かわいい。


2007年5月2日水曜日

SUNSHINE2057

”トレインスポッテイング”の監督ダニー・ボイルが撮ったSF映画。太陽の威力が衰えて地球滅亡を待つばかりの人類は、地上すべての核をかき集めて作った爆弾を太陽に投下して、もう一度太陽を再生しようとする。2度と失敗が許されないミッションを受けた8人のクルーが、核爆弾を搭載した宇宙船で太陽に向かって飛び立つ。その途中、ある信号を受信し少しずつ人間関係も計画にもずれが生じ始めてくる、というお話。

全編を流れる、グワ~ン、グワ~ン、キ~ン、キ~ンという宇宙船の機械音やら、サブリミナル効果がとてつもなく広い宇宙の孤独を感じさせる。宇宙船キャプテンの真田さんはすっきりとして落ち着きがあり、かっこよい。ミッシェル・ヨーさんもノーメイク(っぽいメイク?)で存在感ばっちり。主役のキリアン・マーフィーは、本来はマッチョであるはずの役を、植物的に透明な青い目で淡々と演じている。ハリウッドっだったら昔のハリソン・フォードとかブルース・ウイルスがやりそうな役なんだけどね。

究極の選択を迫られたとき人はどうするか、ってところを無理なく繋げている。そんな場面の繰り返しと言ってもいいかもしれない。すべての計画がずれ始めるはじめの選択を、民主主義(多数決)ではなく科学的根拠と可能性に基づいて物事を決めるわけだが、その後は個々でその時々に自分の倫理に従って決断を下していく。自分、集団、そして人類のどれを優先させるかという、いわば理性と感情のぶつかりあい。つらいのだ、実に。ストーリーも息詰まる展開だが、登場人物のス~、ハ~、ス~、ハ~というこれまた苦しそうな呼吸を聞いていると、こちらまでまで息苦しくなる。(”アビス”を見たときと同じくらい。)しかも有楽町スバル座は天井が低くいし。

それにしても。宇宙飛行士は偉い。知性と体力と精神力はもちろん夢とロマンと勇気が人並みではないのだろう。(・・あ、でもNASAですごい女性宇宙飛行士もいたけどね。)4月24日には20光年彼方に地球に似た惑星が発見されたとニュースにあった。私たちは孤独ではないのかもしれない。

2007年4月28日土曜日

ユーロ・・・

今月は、旅行に行ったときに使ったクレジットカードの決済の月である。明細、見るのがコワイ、とっても。 旅行中は太っ腹になってるし、どんぶりだし、ざるだし。

いつもは税関でいちいち現物を見せるのがメンドウで、メインの物しか免税手続きをしなかったけど、今回はしたのだ、しっかりと。なんたって消費税、日本の比ではな~い、フランス19.6%ドイツ19%デンマーク25%。プラ~スこのユーロ高

ん~、・・・それにしてもユーロよ、君はこの先どこまで伸びるのか。こうなったら我等も統一通貨で対抗するしかない。アジア諸国経済圏で”アジー”とか、環太平洋経済圏で”パシフィー”とかいかが?しか~し、その前にこの巨額債務どうにかしないと、どこの共同体にも入れてもらえないのだ。

2007年4月24日火曜日

親心

赤いちゃんちゃんこを着て、両耳にこれまた赤いリボンをつけたダックスフンドが、赤いリボンとは縁遠いお姿の(失礼!)おじさんと仲良くお散歩。足が短いし、あっちこっちちょろちょろするし、抱っこされたり、おろしてもらったりで、あんまり進まない。後ろを歩いていた私は追い越そうと、ちょっと早足。

ところがそのわんちゃん、私の前で通せんぼをしたかと思うと、横目で見ながら「ワン、ワン、ワン。」と吠えた。犬猫だけには人気があるとひそかに自負している私は、いわれのない言いがかりをつけられたようで、なんだかショック・・・。でも気を取り直し「はい、はい、はい」と、その子の泣き声にあわせて返事をしてやった。するとちょっと恐持ての飼い主のおじさん、突然裏声それも女言葉でで「ごめんなさいね~、ごめんなさいね~」と連発。どうもワンちゃんに成り代わり、私に謝っているようなのだ。
ん~、なんだかへんだけど、おじさんの方がワンちゃんよりもかわいく見えてしまったのである。

2007年4月23日月曜日

王子とピアノ

王子がピアノを習い始めて5年になる。男の子が生まれたら、ぜひともピアノを習って欲しかった。それにはこんなわけがアル。

今からン十年前のこと。子供の頃から父に連れられてラグビーを見に行っていた。毎年1月1日は秩父宮の大学選手権でお正月が開けた。わすれられないのは早稲田大学ラグビー部。日比野監督のもと、キャプテン石塚さん、植山さん、藤原さんなどが活躍したとき。自分の学校の校歌より”荒ぶる”がテーマーソングになっていたなあ。明治では松尾さんがいた。

そして自分ではラグビーは出来ないので(今は女子ラグビーもあるが、軟弱なもので・・・)社会人ラグビー部でマネージャーをすることに。練習の後、監督のお宅にみんなでおジャマしたある日。酔っ払ってあーだコーダとみんながクダを巻き始めた矢先、ムクつけき新入社員が何気にピアノを弾き始めたのだ。おい、みんな静かに、静かにしてって!あ、そこケンカやめて、歯軋りも止めて~。

これぞ”のだめ状態”のなかで私の目は完全にハート。そして私はそのとき決心した。
男の子が生まれたら絶対ピ・ア・ノ。よく考えてみたら、ラグビー部の酔っ払いの中でピアノを弾くために、習わせるっていうのもおかしな話ではあるが・・・。

とにもかくにも、王子は保育園のピアノ(か、弾いてくれたかわいい先生)に興味を持ち、なんと自分からやってみたいと言い出した。よ、よかった・・。そしてそれから一度もいやがることもなく、亀の歩でピアノを続けている。最近ではのだめちゃんにシンパシーを感じたようだし、電子オルガンでお友達とのアンサンブルなどもしながら、毎日楽しく練習している。これからものんびり、なが~く続けていって欲しい。残念ながら、今のところ団体スポーツにはなーんの興味も持っていないので、ラグビーのほうは望み薄ではあるが、いやいや、あきらめるのはまだ早いのだ。

ちなみにスポーツ大嫌い文科系外国夫は、私のこの”ピアノ目がハート”体験を知らない。ふふふ。

2007年4月19日木曜日

コメントの仕方

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2007年4月18日水曜日

私は箱入り娘でございます

我輩は猫であるついでに、実家の猫のことをすこし。今まで10匹ほど飼ってきた猫は、拾ってきたか勝手に上がりこんできたお方ばかり。先代はいつのまにか引っ越してきて、畳の上で息を引き取るまで我が家に22年いた。今いる子は10年前、近所の庭先で拾ってきた子。

お母さん猫に置き去りにされたところを拾ってきたのはいいが、小さな体にのみがいっぱい、元気がなくて自分でミルクも飲めない、目も目やにで開かなくなっている、もうだめかなと思いつつ、動物病院に連れて行くと、即入院。一週間後、ン十万円の領収書と一緒に我が家に戻ってきた。こういう過去が猫格に影響しているかどうかは定かではないが、ちょっと変わった子に育ってしまった。打てば響くような猫的反応がない。抱っこがキライ、ニャーと鳴かない(ぎぎぎぎぎ、げげげげげ、というような音を出すことはある)、怒りっぽいなどなど。

両親の家はマンションの2階、普通の猫ちゃんだったらなんでもない高さであるが、行動範囲はベランダどまりで絶対外に出ない。文字どうりの箱入り娘。日がな一日ごろごろして、それほど食べないのによっぽど運動量が足りないのだろう、ガーフィールドのようにぶくぶくになってしまった。ごろんと上向きに転がると耳さえなければアザラシ。夏になるとおなか周りの脂肪はおちるものの、そのぶん毛皮がだぶついて、走ると左右にプランプランゆれる。

”我輩”の哲学とまではいかないが、”私”なりに出来事を解釈しているむきはあるようだ。
先日の雷雨での出来事。ドド~ンという激しい雷の音で、あの抱っこ嫌いが父のひざの上に飛び乗り、顔をセーターの中に埋めてじっとしていたというから、相当怖かったのだろう。雷雨が過ぎると、おもむろに父のひざから飛び降り、こそ泥のように腰を低くした体勢で一目散にベランダへ。トイレもがまんしていたのかと同情しきり、まだ怖いだろうからすぐ入って来られるよう引き戸を少し開けておいた。

・・・いつまでたっても入ってこない。が、引き戸の隙間からその半身が見える。半身の片目で何気に家の中を見ているようだ。まだじっとしてるし。ん~、そして気がついた、雷が家の中で鳴っていたと勘違いしてるんじゃないか、と。「雷はお外でなってたのよ、おうちの中は大丈夫よ。」といっても微動だにしない(これで入ってきたらチンパンジーのアイちゃんもびっくりだけどね)。外の世界を知っている猫だったら、雨は外で降る、降ったら家に急いで帰る、って事くらい分かるだろうし、根性あったら稲妻もちゃんと目撃しているだろう。・・・かわいい&”ね子”には旅をさせよ、かな。

2007年4月17日火曜日

我輩は猫である

市川崑監督の「我輩は猫である」(1975)を見た。

配役はといいますと、
苦沙弥先生を仲代達矢、細君を波野九里子、姪の雪江に島田陽子。
迷亭は伊丹十三、寒月は岡本信人、独仙に前田武彦、東風に篠田三郎。
実業家金田に三波伸介(びっくりしちゃったな、もう~)、夫人鼻子に岡田茉莉子、娘富子に篠ヒロコ。
その他、二絃琴の師匠に緑魔子、おさんに上原ゆかり(ケペル先生)、中学校校長に岡田英次。
ちなみに我輩はティム(4才)、声は小倉一郎。
・・・うれしい・・・。 20世紀初頭を描いているのに、この配役ゆえに70年代を感じてしまうのだ。

バッハの曲をバックに、淡々と語られる本当の日本語と、陰影の美しい照明が印象的な映画だ。それぞれの個性を生かしきった配役、その役者が語る漱石の言葉の普遍性に、100年後を生きる私は不思議と安堵する。中でもとりわけ細君役の波野九里子さんが好きだ。彼女の立ち居振る舞いは動く絵画のよう。着物が普段着であった時代の着こなしはさすが、久しぶりに”着物で動いている人”を見た。梨園の血は侮れない。

猫達もなかなか、”我輩”はえんのしたというより、どこぞの大使公邸あたりから迷い出てきたような美猫。最後のシーンで間違いなく瓶に落っことされたに違いない。迫真の演技。車屋の黒は12歳のクロががんばって剥製のいたちを追いかけている。拍手~。

2007年4月11日水曜日

毎日のかわいい


ソメイヨシノが終わってしまった昨日の千鳥が淵には、まだところどころ花見客の宴の余韻が漂っている。そんな中、しだれ桜と木瓜が仲良く綺麗に咲いて、八重桜はつぼみを大きく膨らませていた。こんな日やさしい季節には外出組み合わせてお昼休みを取る。なんだかとっても得した気分。




いくら楽天家でも、それなりに毎日腹の立つこと、心配なこと、気のめいることはある。だから日々のちょっとした楽しみ、笑い、かわいいを書き溜めていけば、自分のポジティブ貯金になるかなと思い、ぽつぽつとブログを書き始めた。そして、時間に追われる毎日、楽しく送れるようにちょっと立ち止まって小さな努力をする。小さな親切、のんびり歩く、音楽を聴く、微笑んでみる・・・・ などなど。 そのひとつで、楽しみにしているのがほぼ日の”かわいいもの好きな人々”と”にわとりトシ子”さんのブログ。日常の何気ないものに向ける愛情にあふれたまなざしに心和む。お二人の”かわいい”の目の付け所がなんともいえず、いい。

この”かわいい”の定義が意外と難しい、と思う。万人に共通する”かわいい”も、それぞれ人によってツボの箇所が違うと思うのだ。たとえば”かわいい”の広義に当てはまるであろうアザラシのタマちゃん。私の場合は昔飼っていた”猫のマリちゃん”にその姿を重ねて楽しんでいた。(太った猫が転がってるとアザラシに似てるのだ。)それから、山下さんは”おじさん”が”かわいい”と思ったものを紹介しているが、おばさんにも十分かわいい。おじさんというよりも、世代に共通した”かわいいもの”があるんじゃかなぁ(それとも私がおじさん化しているのか。)

動物の赤ちゃんが”かわいい”のは、あんまりかわいくて思わず面倒見たくなってしまうから、なんて話しを聞いたことがある。”かわいい”は相手の感性を動かす、実はつよ~い受動的攻撃(?)パワーなのかもしれない。(・・・、パワーなくなっちゃったな~。)

2007年4月9日月曜日

Knut the ice bear

(Berlin Zoo HP)
これがベルリン動物園で生まれて人口保育されたクヌートちゃん。ミュンヘン滞在中、ニュースをみると必ずこの熊君が登場していた。日本におけるタマちゃんやヤガモ(古い!)騒動と似たようなものなのだが、そんなかる~いニュースもドイツ語で聞くとなにやら生物学の講義にでも出ているような、奥ふか~いニュースに聞こえる。

これは時事通信の記事:
「クヌートは昨年12月初めに生まれたが、母親が育児を放棄。飼育係の手で育てられたため、自然に戻れないとして一部から安楽死を求める声も上がっていた。しかし、3月23日に一般公開されてから、その愛らしい姿を求めて見物客が殺到、独メディアをにぎわしている。 ベルリン動物園は株式会社で、地元のベルリン・ブレーメン取引所に上場している。水族館入場権付きの同株式は3月下旬、一時2000ユーロ(約32万円)近辺を推移していたが、お茶の間にクヌートが流れると急騰し、3日の終値は4660ユーロ(約74万5600円)となった。」 

*「育児放棄」って言い方は正しいのかもしれないけど、私にはしっくりこない。「私だって、ヒロ~イお部屋に氷を敷き詰めていただいて、ふか~い海水のプールに若くて油ののったデリシャスなペンギンさんを浮かべていただければ子育てだっていたしますわ!」ってつぶやきが聞こえてきそう。*自然に戻れない」っていずれは自然に戻すつもりだったのか?*お茶の間にクヌートが流れると急騰し」っていうのもはしょりすぎ、「この熊かわいい!」「よし!10万買い!」とフランクルト取引所で証券マンがパソコンに向かう姿を想像してしまう。

日本にも、とべ動物園のピースちゃんが1999年に生まれて人口保育されている。テレビでその6年間のドキュメンタリーを見たが、飼育係さんがいかに苦労なさったかよくわかる。シロクマはほっとけば泳ぐようになるかというと、そんな簡単なものではないし、原因不明の癲癇の発作をおこしたり・・。とにかく献身的な飼育係りさんの姿と、それを慕うピースの姿には月並みな言い方だが、感動した。

 (Berlin Zoo HP)
この足の裏見て!ふわふわ~。たまりません、あ~かわいい~。これからもクヌート君そして飼育係の皆さん、元気で幸せに。

2007年4月6日金曜日

ナッハトツーク

ドイツ・ロマンチック鉄道

王子が夢にまで見た夜行電車。ミュンヘンからパリまでNZ260で移動した。ミュンヘン駅を20:56に出発してパリ西駅に6:58に到着する。21:00発7:00着にしないところが鉄道のこだわりなのか・・。出発前に日本からシャワーつき3人部屋(一等)を予約しておいた。頭の中ではオリエント急行列車の妄想が膨らみ、乗車前には期待で脈拍が速くなってくる。

わくわくしながら威勢良く乗り込むと・・・、せ、狭い・・。左側に3段ベット、真ん中に75センチほどのスペースを残して右側にシャワー室、トランクを三つおくと立っている場所が無い。私の妄想が1人歩きしすぎたかと思い外国夫を見ると、やはり同じ事を思ったらしく他の部屋やら車両を偵察に。そんな我々をよそに、王子は1人うれしさのあまり興奮を抑えきれず、上へ下へとオリの中のお猿さんのように動き回りあちこちチェックも抜かりない。

写真解説:DBホームページを開けると、メインがこの写真。ラグジュアリーな大人向けマーケットを狙っていると思われる。新婚旅行には見えない。フルムーンにしてはちと、若い。女の人が足を曲げているのはポーズではなく、伸ばすスペースが無いからであり、また男の人の右足はベットの上には乗っていないだろう。狭いから。それから、ロマンチック鉄道なんてものはありません。

狭いのでベットの上に座ることも出来ずねっころがっていたら、アットいうまに寝入ってしまった(そうだ)。以前のように国境で起こされることも無く、5時までぐっすり。車窓からは暗闇に広がる田園地帯のところどころに木々が見える。

そしてシャワーを浴びる。清潔なバスタオル、石鹸、などが完備。蛇口は洗面・シャワー兼用。グレーに見える丸いものが稼動式洗面器、これをトイレの方向に動かして左下にちらりと見えるカーテンを引くと左部分がシャワー室になる。電車の中なのに水圧水量とも十分。狭いけどね。(しつこい!)

さてドイツ人のおじさん、ぴったり6時に朝食を運んできた。このおじさん、チケットのチェックをしていたので車掌さんと思っていたら、朝食係りもしている。狭くてテーブルも無いので2段目のベットをかべに収納し1段目を椅子代わりにする。その作業もおじさんがする。2段目には私の私物が載りっぱなし、おじさんそれを下に下ろし始めた。「あ、おじさん、私、自分でするから、自分で・・・」時すでに遅し、おじさんの手には私のブXジャーが・・・。おじさん、「ウララ~(突然フランス語になる)パルドン、マダム。」といって外に出てしまった。あ、朝ごはん・・・!-横で笑い転げる夫と王子-。おじさん、ようやく10分ほどして戻ってきて、あわてベットを収納し、我々も無事朝ごはんにありつけた。車窓はすっかりパリ市街、そして予定時刻にパリ西駅に到着した。

狭かったけど、よく寝られたというのは、快適だったということだろう。ずっと寝ていたので車内の思い出らしい思い出はシャワーとドイツ人おじさんだけになってしまった。とはいえ、電車の旅はたとえその間寝ていたとしても、ゆったりと時間を感じさせてくれるところが大好きだ。

2007年4月5日木曜日

亀界のヨーダ

200歳を迎えた水族館の老スター-河南省

200歳の誕生日を迎えたウミガメのために、ささやかな誕生会が開かれた。花輪をかぶり背に金のブタを置いて、飼育係に歌を歌ってもらい心なしかうれしそうに見えるウミガメくん。(Record China)



私にはちょっと迷惑そうに見えるが、飼育係の愛情はよ~く伝わってくる。200歳というと、1807年生まれ、その年の出来事は、

  イェーナの戦い(フランスナポレオン軍VSプロイセン)
  ベートーヴェンの交響曲第4番が初演
  ポルトガルのブラガンサ王朝、ブラジルへと逃亡
  西蝦夷地を幕府直轄化、全蝦夷地が直轄化。函館奉行を廃止し松前奉行を置く
  
う~ん、さすが金の豚を乗せるだけある。しかし200年前から水族館があったということなのだろうか、さすが中国4000年の歴史なのだ。彼には飼育係がさぞかし短命に思えただろう。これからも元気で長生きをしてね。

2007年4月3日火曜日

ノイシュバンシュタイン城


10年ぶりのミュンヘン。滞在中名残雪が毎夜降った。朝起きると雪化粧、昼には解け、そしてまた翌朝雪化粧。「今まで、天気よかったのに。」と、友人は私に同情した。地球温暖化の話題になると、昨年は激しい豪雪で、たった一年暖かかったからって温暖化とは思えない、と言う。それほど激しい雪だったらしい。そうそう、88年に長期滞在した時、それまでの暖冬から一転、3月の声を聞くなり突然雪が降り始め、そのあまりの積もりように一人ぼっちの私は寒くて寂しい思いをしたことを思い出した。

さて、雪だからといって悪いことばかりではない。寒いと観光地が静かになる。そこでドイツ観光西の横綱、”ノイシュバンシュタイン城”に行く事に。今までなぜか行く機会に恵まれなかった、シンデレラ城。入城に2、3時間待ちは当たり前と聞いていたので、ドイツまで来て人ごみにまみれるのも・・、とは思いつつ、ああ、でもやっぱり遠くからでもいいので本物を見てみたいな、と密かに盛り上がっていた。我が家の王子にも盛り上がってもらうため「ほ~ら、このお城に行けるかもしれないよ。」と、出発前に”チキチキ・バンバン”のDVDを見せておいた。私はビスコンティで”ルードビッヒ”を復習なんて思ったものの、やっぱり、な、長い、意識が遠のく・・・。修行がたりんのだ。
Fuessenまでの街道沿いには、なんと”ロマンチック街道”と日本語で書かれた標識がいくつも・・・。そうやって念を押されると、普通の田舎道となんら変わらない街道も、「ああ、これがロマンチック街道か。」なんて思えてくるから私も単純だ。お城のふもとに到着すると、いや~、空いています!写真はふもとから撮ったもので、ここから20分くらい舗装された山道を歩いて行くとお城に到着。散策できる山道もあるが、雪に埋もれてしまって残念ながら登れなかった。それにしてもアウトバーンもない時代に、ミュンヘンからはるばるこんな遠くまで・・・。ただこの地が好きで建てちゃったって言うから、やっぱり普通の人(精神状態)じゃなかったっていうのは、誰に聞かずとも一目瞭然。
お城もさることながらそこからの眺めがこれまた格別。何一つ邪魔になる建物が無い。この辺がドイツの好きなところ。そしてこれもベルサイユと同じく、当時の財政破綻の原因になりながら現在は観光収入の目玉と言うから皮肉なもの。

2007年4月2日月曜日

マリー・アントワネット

(c) 2005 I Want Candy LLC.
ソフィア・コッポラの”マリー・アントワネット”はなかなかよい。フランスでは賛否両論あったそうだが、いずれにせよ外国人の作った映画には、とかくご当地の人はうるさいものではある。

全編英語なのはアメリカ映画だから仕方がない、日本人の私が見ても多少の違和感がある。が、その違和感が彼女がフランスに受け入れられなかった根本的な理由のひとつ-すなわち彼女の母国語-を感じさせ、かえってよい効果を生んでいるように思う。

そして他のS・コッポラの作品と同様、静かに流れる透明感のある映像と軽快な選曲。なかでもパリの仮面舞踏会でフェルゼンに出会った後、夜明けの町を馬車でベルサイユに帰っていくシーンと音楽には、かなり心高鳴るものがある。(ン十年前の夜明けのディスコ帰りを思い出すって?)あ、残念ながらオスカル様はいないんだけどね。                     

キャストはキルステン・ダンストが14歳のオーストリア人プリンセスから3児のフランス人クイーンを違和感なく演じていて○。ぽよよ~んとしたルイ16世、アントワネットは決して夫のことを悪くは思っていなかった、と思わせる雰囲気があり、これも○。この人、タリア・シャイア(エイドリア~ン)の息子でソフィアのいとこだそう。フェルゼンは北欧というより南欧の人って感じで(アイルランド人だからラテンではないんだけどね)、私個人的理由で△。ハンサムなのは認める。 ジュディ・デイビスは、そこはかとなく漂うユーモアがいい。

さて、現在のベルサイユ宮殿。パリからパンを求めてやってきた群衆を見たとき、アントワネットたちはさぞかし驚いたことだろうと思われるが、今はパリどころか世界中から集まる民衆でごった返している。朝から謁見(?)を求める長蛇の列、庭には電気カートが走り、宮廷内の協会には仏教徒まで訪れる。これで借金も帳消しなのでは・・・?

2007年3月16日金曜日

サウンド・オブ・ミュージック

来週ザルツブルグにいくので、サウンド・オブ・ミュージックをおさらいした。
これはオットの心の映画らしい。子供は1人で入場できないので、両親・おじ・おば総動員で何度も映画館通いしたとのこと。実は私にはこの映画、リアルタイムにはあまり印象に残ってない。眠れる森の美女(ディズニーのね)にはかなり溺れていたが。 あ、でもペギー葉山さんの「ドレミの歌」、オリバーの「ウンパッパ」と一緒になったドーナッツ版は親に買ってもらった。

さて今回はトラップ大佐にかなり反応。ああ・・正視できません、特にマリアにプロポーズするところなど、色っぽ過ぎます(照れてどうする)。歌って踊れる海軍大佐なんてそうめったにいるもんじゃないです。それと、男爵夫人。大佐との別れを受け入れる、引き際がいいです。うん、いつか参考にしたい。

さて、映画を見ながらぽんぽんセリフと歌が出てくる程観賞しているのは、うちのオットだけではない。1人で観賞するのに飽き足らなくなった方々、ついにコスプレで劇場に集まり大合唱を始めた。萌えてます。今ではもう終わってしまったらしいけれど、行ってみたかったのだ。

2007年1月24日水曜日

サリバン先生

久しぶりに映画の「奇跡の人」を見た。今回は今までになくサリバン先生に感情移入。
ヘレンが”物には名前がある”と分かるまでの”暗闇”程ではないにしろ、我が家の王子はなんだか自分の中の世界をゆうゆうと生きている。せかされて多少パニくる事はあるものの、あせるということがない。あわてるということもない。あまり競争心もない(ようだ)。他人が気にならない。怒ることもない。

まったくもって反対の性格の私から見ると、こんな性格になりたいなというお手本のよう。なのに、ついついゲキを飛ばしてしまう。サリバン先生だったらどうするだろう。あそこまで教育に信念を持つということに本当に頭が下がる思い。やはり教師はとても重要。第三者という他人の目をもって子供を教育するというのは、本当に大切なことだとつくづく思った次第。