2010年3月30日火曜日

ランチで贅沢


目黒区八雲にある「楳心果(ばいしんか)HIGASHIYA」という、日系二世のような名前の日本食屋さんでランチをした。かんばんが出ていないし、門構えが普通の(というか立派な)家なので(右の写真)、事前にネットでリサーチをしておかなければ見つけるのに苦労しただろう。大きな民家の庭をそのままにして、建物をリノベーションしている。ちょっとやそっとのリノーべーションじゃなくって、とっても直したと思う。
壁、床、梁、窓ガラス、かなりハイセンスで、とにかくいい(写真はタイトルをクリック)。夜は「八雲茶寮」と名を変えるらしく(・・・と思うが)、一見さんお断りのようだ。HPはIDとパスワードが必要で、その他大勢の私はEnterできず詳細不明。

さて、ランチは¥3150。おかずは少ないので若者には物足りないかもしれないけど、がっしり食べたければゴハンはお代わり自由。ゴハンはよく炊けていておいしい。おかずで一杯、お漬物で一杯。これでお腹は満たされるけれど、やっぱり甘いもので〆たい。追加料金で自慢の和菓子を注文。饅頭、練りきり、羊羹がそれぞれ3,4種類あってどれにしようかしばらく悩んで、練り切りにした。中に煮たふきのとうがちょっぴり入っていて、その苦味が餡の甘みと意外とあう。和菓子はお干菓子、生菓子とも持ち帰りができる。

食事の内容からいうとちょっと高めだけれど、とにかくエクステリア、インテリアとも素晴らしいので、プラス美空間でこの値段も納得。朝ご飯も食べられるらしいので、いつか行ってみよう。

2010年3月29日月曜日

ゲゲゲの女房

2003年、日経で水木しげるさんの”私の履歴書”が連載された。1ヶ月間その波乱万丈の人生を読むのが毎朝楽しみだった。特に印象的だったのはニューブリテン島での戦争の話。次から次へと襲う困難を潜り抜けまさに奇跡の連続。悲惨な経験の中で、いつも自身を忘れず、そして次元の高いユーモアをもち続ける(ご本人は真剣かも知れないけれど)水木さん。

しかし、私は「ゲゲゲの鬼太郎」がそんなに好きだったわけではない。なぜかというと妖怪どころか人間そのまんま、笑えるツボ満載のねずみ男(怪奇大学不潔学科卒)が、子供のころ本気で嫌いだった。なんで鬼太郎はあんなに胡散臭い人に、しかも、いっつもだまされるのか、そんでもってもっとなっとくかないのが、鬼太郎がすぐねずみ男を許してしまうこと。だから猫娘が出てくるといつも安心していた。子どもゆえにマンガというよりもっとナマナマしく見てたのかも。妖怪って人間の精神世界をデフォルメしたようなものだもの。

さて「ゲゲゲ・・・」の第一話、お見合いの年が昭和36年とあって、正直たまげた。なんだか街の風景がとっ~ても古く見える。私が生まれたのって、こんなに昔だったか・・・?

2010年3月26日金曜日

ウェルかめ

今日でオシマイ。慌しい出勤前にしばしのんびり化粧をしながら見ている朝ドラ。半年ごとに切り替わるので、季節の変わり目を感じさせてくれる。かめ子は編集、お母さんは民宿、お父さんはサーフィン、おじいちゃんは漁、わたる君はかめ、ガールフレンドはふぐ、山田君はロボット・・・。その他の登場人物も皆、自分の何かを持っていてそのタンジュンさ(?)が面白かった。誰も意地悪しないし、登場人物も死ななかったのもよかった。景色は奇麗で、いつかお遍路さんしてみたいなぁ。

ドラマや小説みたいに残念ながらこれが私の道!なんて私には無縁だけど、胸に手を当ててみると自分の好きなことは簡単に見えてくる。それを細々と続けて、それで毎日が楽しければよし!

来週からは「ゲゲゲの女房」、またまた楽しみ。

2010年3月25日木曜日

卒業式

冬に逆戻りの寒い朝。大きめのハンカチを用意して出かけた。一抹の寂しさもあるけれど、無事卒業できることが自分のことのように嬉しい。 さて、合唱曲も私のころとは違うし、式も”現代的”になっているのかなぁ、と思っていたら・・・。式自体はン十年前とほとんど変わっていなかった。今どきだなと思ったのは女の子の服装。2人をのぞいて、み~んな紺のブレザーにタータンチェックのスカート。私はベイシティローラーズが頭に浮かび、オットは「男の子も着ればスコットランドだ」だって。

いい意味で意外なこともあった。普段は影の薄い副校長先生、司会(式進行係?)がとっても堂に入って、その声も姿もまるで「鈴木史朗さん」のようだった。それからこどもたち。最近の子は体格が良くなっているけれども、その分動きが鈍い。運動会もしかり、だら~りだら~りと動く姿にちょビットイライラしていた。ところが今日は別人、ザザザっと起立、スススッと着席、ピキピキと歩き、カキッとお辞儀をしているではないか。やればできるのね。(副校長先生、こどもたち、ごめんなさい。)

さて、感動の波が来るか、来るかとハンカチを握りしめる私。卒業証書授与にも、期待していた(?)合唱にも一筋の涙どころか、ウルウルも来ない。で、あっけなく終了。ボーボーになるかと思ってたのに~。周りのお母さんたちも、「思ったよりあっけなかったわね~。」

帰り道、ワカがポツリ。「もう二度と小学校の日は戻ってこないんだよね。あんなに当たり前だったのに。それがとっても不思議なんだよね。」
楽しいこども時代を送ることができたかな?大きくなって幸せだったって思える日々だったかな?ちょっとはそのお手伝いができたかな?当たり前の幸せをかみしめながら、全てが終わった帰り道、じんわりと眼がしらが熱くなった。

2010年3月22日月曜日

NINE

ロブ・マーシャル監督。
フェリーニによる自伝的映画『8 1/2』を、1982年ブロードウェイでミュージカル化。主役のグイドを演じたラウル・ジュリアはこの舞台でメジャーになった。

才能豊かな女優達に驚かされる。★ぺネロぺ、難解な振り付けではないものの、柔軟性はもちろん、かなりしっかり踊りをしていないとつかめないポーズをばっちり決める。プラス、歌とあの美しい顔。★ ジュディ・ディンチ、フランス語訛の英語を操り、且つ腹のそこから歌う。いやはや、この人はすごい、ただのお局様ではない、貫禄勝ち。 ★ケイト・ハドソン、なんてキュート。実の父親から歌の才能は受け継いだのだろうけれど、あの踊り・・!★ファーギー、体重を増やしてどっしりと存在感。「キャバレー」の”Mein Herr”のような振り付けと小道具なので、その迫力満点の歌声はライザ・ミネリを髣髴とさせる(方向が違うけど)。そして、★マリオン・コティヤール。グイドとの冷めた関係をしっとりと歌った場面では、思わず泣かされてしまった。★ニコール・キッドマン、見せ場が少なかったかな。

グイド役のダニエル・デイ=ルイス、歌も歌えるのだ。しかし、イタリア語訛の英語を楽しそうに話すし、主役と言っても映画のミュージカル、彼にとってはカル~イ仕事だったかも。 一時期俳優業を休業して、靴屋になるためにイタリアで修行していたというのもイガイ。歌って靴を作れるアカデミー俳優というのは彼だけだろう。

私はマーシャル監督の前ミュージカル作品「シカゴ」よりも好きだ。ミュージカル好きでも、オットにはイマイチだったみたい。舞台だったらいいけれど、映画になってしまうとフェリーニの映画が脳裏をよぎるのか・・。比べちゃだめ、「8 1/2」にインスパイアーされた作品として、あくまでも踊りと歌を楽しむべし。残念なのは一曲終わるたび、劇場みたいに拍手できなかったことかな?

2010年3月21日日曜日

マイレージ・マイライフ

JUNO」のジェイソン・ライトマン監督

ライアン(ジョージ・クルーニー)は気が弱い経営者の代理として従業員にクビを言い渡す、というリストラを請け負う会社のプロ。彼の人生哲学は、バックパックに入らない荷物はいっさい背負わないこと。故郷の姉妹と連絡も取らず恋人もいない、結婚、子どもに興味なし。年間322日も出張する彼の家はまさしく旅、目標は航空会社のマイレージを1000万マイル貯めること。

自分では身軽だとおもっているライアン、知ってか知らずか仕事、家庭、世代などの問題をかなり抱え込んでいる。そんな現代の姿があちらこちらでぱらぱらと顔を出す。これが原因だ、何がテーマだ、と決め付けないところにこの映画のレンジの広さを感じる。そこがこの映画の何か物足りなさを感じさせる部分でもあるのだけれど。ロバート・アルトマンのように’ちゃんと’ばらばらだったら、見ているほうは一生懸命寄せ集め、何かを見つけようとがんばっちゃうんだけど。

見所は俳優陣。かっこいいけど垢抜けなくって、割り切っているようで暖かくって、頭の古いこどものようなライアンを演ずるジョージ・クルーニー、ハンサムだわ・・・。ナタリー役のアナ・ケンドリックは、「トワイライトシリーズ」での高校生の初々しさそのままに、頭の切れる、おしりの青い、傷つきやすい若者を好演。
アレックス役のヴェラ・ファーミガは、これじゃあクルーニー様でも一目で恋してしまうだろうといういい女っぷり。

アメリカでは本当にこんなふうに雇用を切っていくのだろうか、こんな仕事があるだけでオドロキ。雇用に関しては日本でも対岸の火事ではなくなっている。しかしスッパーンとクビを切られるようにびびったのは、自分に正直になったとたんスットーンと落とされる中年の純情。いろいろな経験から自己防衛をしまくっていたはずが、まさかの落とし穴にはまってしまう。傷つくなぁ、あれは。

映画の中には、あれこれたくさんの人生のかけらが散らばっていて、見る人のバックグラウンドで拾うかけらが違うと思う。「幸せな瞬間は、ひとりでなく誰かと分かち合いたい」、私はこの一言に大きく頷いた。

ダレン・シャン

『ダレン・シャン』(The Saga of Darren Shan)シリーズは、作家ダレン・シャン(自分の名前が主人公の名前)の児童向けのヴァンパイアのお話。ワカもこのシリーズを読んでいるそうで、楽しみにしていた。

ダレンは毒蜘蛛にかまれた親友を助けるために、ヴァンパイアのクレプスリーと半分ヴァンパイア(半分はまだ人間)になる、という取引をする。ヴァンパイアは人間の血は吸うけれど殺さない。仲間の増やし方も首筋にガブリ、では無く指先に傷をつけ。手を合わせて血を混ぜ合わせる、といった具合。一方ヴァンバニーズというグループは人間を殺さないという方法に異を唱え、ヴァンパイアと対立している。半ヴァンパイアになったダレンは、死んだフリをして人間世界から去り、クレプスリーが身をおいているシルク・ド・フリークというサーカスで生活を始める。

シルク・ド・フリークのオーナーであるミスター・トールを演じているのが、ケン・ワタナベ。背をたかーくして、頭をながーくして、迫力満点。ミスター・トールは、ヴァンパイアとバンパニーズの対立の中で100年間中立を保ってきたけれど、ダレンの出現で一団にも荒波が立ち始める。

このシリーズは外伝を入れると全13巻あるらしく、全部映画化するとなるとダレン役少年はトシが取れない・・・・。と、思ったら、なんとこの本ではヴァンパイアは10年に1才、半ヴァンパイアは5年に1才年をとるらしい。棺おけの中で寝る伝統はそのままだけど、十字架は怖がらない。

ワカ様曰く、本の内容と大分違っていて別のお話みたいだそう。でもアクションが(目に見えない速さなのだ、これが)たくさんあって、そこは面白かったって。私はセルマ・ハヤックがシルク・ド・フリーク団員の「美人預言髭女」で、フリーダ・カロの眉毛と口ひげどころではない、剛毛の髭ずらになったのがオモシロかった。それから、ウィリアム・デフォーもヴァンパイア役で出演していて、こちらはメイクしなくっても地で生ける。

2010年3月19日金曜日

ココニイルコト

長澤雅彦監督、2001年。

広告会社で働く相葉志乃(真中瞳)は、上司の奥さんから手切れ金を渡され、さらに大阪に異動の辞令。仕事も生活も投げやり、仕事場では着ぐるみ着せられて広告の撮影、いよいよキレて勤務中抜け出して競艇へ。どこかのおっちゃんの止める手を振り切り、手切れ金全額を一番人気のない番号にかけたら、それが大当たりしてしまう。しかし仕事で競艇場に来ていた同僚の前野悦朗(堺雅人)に見つかり、換金もせずその場を後にする。やる気なしの日々、接待で失言、お得意さんの機嫌を損ねそうになるが、前野が助け舟。それからも彼は志乃を飲みに誘ったり(志乃は怒ってしまうけど)、プラネタリウムに誘ったり(志乃は寝てしまうけど)、仕事では何気に背中を押したり。鋭い洞察力と笑顔で、「ええんとチャイますか」と悟ったように言いながら志乃に寄り添う。
しかし前野は心臓を病んでいて入院。手術を勧める志乃に「君が僕の貯金を全部競艇でかけて勝ったら、そのお金で手術する。」という。もちろん志乃はスッてしまう。
・・・この後はまだ見てない人もいるかもしれないから書かない。

志乃も前野も大人なんだけど、まるで高校生の初恋を見るようだ。いや、友情というのかもしれない。ん~、ちょと違う。確かに職場の中には、恋愛とも友情とも捉えられない、いろいろな関係が存在する。2人が若い男女だからといって、無理やり恋愛映画と見る必要もない。お互いに何も言わずに相手を思いやり、何かに気づき、気付かされる。ソウルメイトの物語としてみるのがいいのかな。

そして、この映画のもう一つの主役は大阪。ひょうひょうと動くカメラは、ウルサイ街を静かに、雑然とした街を整然と映し出す。新しいものにも、古いものにも、どこにでもあるものにも、そこに映る全てのものに大阪のにおいを感じさせる。大阪弁もいい。ドスを効かせるだけじゃなく、人を思いっきり和ませる大阪弁の単刀直入な優しさや面白さが好きだ。主人公の言葉足らずの標準語も、大阪ではいいボケになる。特典映像で笑福亭鶴瓶の演技と言えない名演技が見られる。大阪の上司山田役の中村育二がいい味。

誇張もないし、泣いてくださいというのもなく、かと言って物足りないわけでもない。後味のよい、さらりとした佳作。

2010年3月18日木曜日

旅立ちの日に

こどもを通じていろいろな出会いが生まれる。人や本や遊びやスポーツ、そして歌。私のころの卒業式は「仰げば尊し」、そして今の こどもたちは「旅立ちの日に」や「巣立ちの歌」を歌っている。

ワカが「旅立ちの日に」のピアノ伴奏をすることになって、うちで練習をしている。私も一緒に歌おうと思ったけど知らない歌なのでYoutubeで聞きいてみた。見ず知らずのこ どもたちの合唱を聞いているだけでウルウル。まっすぐに振り返らず飛び立っていくこどもたちに、万感の思いを込めて”若いこと”の美しさ強さを謳った歌詞と、清んだ青空のようなメロディー。

荒れていた中学校を、校長先生(作詞)と音楽の先生(作曲)が粘り強く合唱を通して立て直す。明るく生まれ変わった生徒たちへの贈り物として、この歌を作ったのが1991年。今ではその歌の輪が全国区に広がった。そういえばNTTのコマーシャルでSMAPも歌ってたなぁ。

先生、こどもたちは学校だけでなく親さえも置き去りにしてどんどん歩いて行っちゃうんですよ。来週の卒業式はボーボーかも。マスカラはウォータープルーフね。

作詞:小嶋 登 作曲:坂本 浩美

白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に こころふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず

勇気をつばさに込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して

懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあのとき
心通ったうれしさに 抱き合った日よ
みんなすぎたけれど 思い出強く抱いて

勇気をつばさに込めて希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して

今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に

2010年3月17日水曜日

変換間違い

小学校のお母さんたちとのある会合、となりのお母さんのかたまりから聞こえてきたのは、

母A 「今日、うちのこカイベンなの。」
私 「えっ?カイベンって・・・。」
(私の反応を素早く察知した)母B 「オベント買うことよ!。」
私 「あ~、そうよね、アハハ。」

さて、会が始まり、
母C 「では欠席の方のお手紙をダイベンさせていただきます。」
私 「ダイベン・・・」
母B 「”代読”のことよね。きっと。」

一度カイベンが誤変換されてしまった私には、ダイベンも同じ方向に変換されてしまったことを、母Bは気がついていたに違いない。

2010年3月16日火曜日

大統領の陰謀

アラン・J・パクラ監督、1976年。

リアルタイムで上映されたとき背伸びをして見に行ったけど、はっきり言ってストーリーにゼンゼンついていけなかった。 今見てもお恥ずかしいことに難しい。事件そのものの意味が、というよりも、70年代のアメリカにおいての社会や習慣や考え方が、あまりよく理解できていないからだと思う。

しかし久しぶりに見ると、映画としての素晴らしさにため息。映像技術や音に頼らない、映画という2Dの空間、俳優、光の明暗が巧みに記者たちの心理を映しだす。 山と積まれた貸出カードを一枚ずつめくる記者たちの頭上のカメラはどんどんどんどん上空に引いていき、ガランと広い図書館の全体を映し出す。壁にぶち当たった記者たちを映していたカメラはずずずっと後ろに引き、やがて上空からワシントンの夕闇の街を映し出す。情報源のディープスロートは、いつも無機質なガレージの暗闇の中で目元にだけ薄明かり。ただ一か所明るくしかも風通しの良いのはワシントンポストのオフィス。その中を記者たちは水を得た魚のように走り回る。

ロバート・レッドフォードは、大変頭の切れる上手な俳優だといまさらながらに思う。もう少し顔が悪かったらオスカーをもらっていたかもしれない。ダスティン・ホフマンは弾丸のようにしゃべりながら、指の先まで縦横無尽に動かし、興奮やいら立ちを表す。両者ともロングショットが多いだけに、大変な集中力だろう。この二人の記者に好感が持てるのは、ネットもなくCNNもないころ、足で証拠を取るジャーナリズムに対しての共感と、2人の名優の演技があったからだと思う。

2010年3月15日月曜日

シャーロック・ホームズ


ガイ・リッチー監督。魅力的な悪女は、いつの時代も”マドンナ”。

ロバート・ダウニー・Jrとジュード・ロウが出てるわけだから、私にとっては垂涎もの。薬物依存でとっても心配していたけれど、ロバート・D・Jrはここのところ肉体を張る役で完全復活。

ホームズとワトソンの掛け合い、どこかで見たなぁ、と思っていたらTVの”Dr.ハウス”。 Dr.ハウス自体、病気を事件と捉えてその謎を解くということで、”ホームズ”から名前をとって”ハウス”と名付けたらしいから、あながち関係ないとは言えないかも・・・。ハウスと違うのはホームズがマッチョなとこ。大爆発の中を命からがら逃げまくるホームズのスローモーションは見ごたえばっちり。あんまり迫力あるから、あれでも助かるのか、と感心した。

こどものころポプラ社の本で読んだシャーロック・ホームズとは全くの別物。だけど、あくまでも人間の頭の中のアナログ・コンピューターで事件解決、それがコロンボ世代にはやっぱりしっくり。あ、でも私はルパン派だったけど。

2010年3月9日火曜日

GLEE 第4話

負け続きのフットボールチームが相手を油断させるため、試合中に去年大ヒットしたBeyoncé の ”Single Ladies”で踊り出し(タイトルをクリック)、どうにか勝利を収める。



このSingle Ladies、黒のレオタードを着て腰をくねくね、で誰でもできるかというと大違い。単純な振付をココまで特別なものにもってくるには、筋肉のしなやかさや間接の柔らかさはもちろん、フツーの人がどんなにもがいても手に入らない手足の長さなど全てが揃っていないとならない。

ビヨンセに全く興味のなかったオットでさえ、その面白さについiTUNEsでダウンロードしてしまった。私も今日地下鉄の中で気がついたら「オッオッオッ~」って口づさんでいるのに気がついた。動画の世界ではかなりのパロディーが見られる。ブリトニーやキャメロンのBFだったジャスティン・ティンバーレイクも頑張っている。

というわけで、第3話のBust Your Windowsに続き、今週もまたまた楽しませてもらった。

2010年3月8日月曜日

カラオケ

生まれて初めてカラオケ屋さんというのに行った。さすが世の中は変わっていた。机の上に置いてあるポータブルゲーム機みたいなのに入力すると、画面に歌いたい歌がぱぱぱと現れる。ワカ~いころ、飲み屋にあるカラオケ装置は大かった。しかも電話帳のような歌全集から自分の歌いたい歌を探して、鉛筆で紙かなんかに書いて店員さんにわたしてた記憶がある。

システムにも隔世の感があったけど、何よりも歌!ぜ~んぜん聞いたことのない曲ばかり。試しに松任谷由実を見てみた。当然のことだけど、ユーミンだって新曲出しているので、ああ、知らない曲ばかり。「コブクロ」というのを聞いて、エコバックの話をしているのかと思ったり、「コウダクミ」を聞いて江沢民の話かと思ったり、「嵐」と聞いてさすが勘十郎とは言わないけれど、歌の方は一曲も知らない。新しい歌を知らないとは思っていたけれど、ココまで孤島に追いやられていたとは思わなかった。一緒に行った若いお母さんたちによると、知らないでいる方が難しいらしい。で、どこで曲を覚えるのか聞いてみたらTVで見るという。

そんな中、ひとり、ジュリーの歌で気を吐くお父さん。やっと知ってる曲が出た!と思いきや「ス・ト・リ・ッ・パー」って・・・。そんな曲もあったなぁ、と埃をかぶった記憶の片隅でかすかにメロディーがちらちら。新しい曲を覚えるのと同じくらい、この歌を覚えているお父さんに、びっくりした。今度は同世代で行ってみよっと。

2010年3月5日金曜日

制服の採寸

進学先の中学校で制服の採寸があり、昼間だったのでワカ1人で行かせていいかと聞くと、副校長先生に「お母様とご一緒のほうがよいでしょう。」と言われてしまった。中一のとき家庭科で堂々”2”を取った私が採寸について行っても、何の役にも立たないと思ったのだけれど。

私は中学高校と制服をデパートで注文したので、そんなもんなのかと思っていたら、今回行ったところは『制服屋』とでもいうのだろうか。制服やら関連グッズだけ扱っている。店内には端から端まで様々なサイズの制服のサンプルが、上から下までビッチリぶら下がっている。で、いまどき制服とは言わず「標準服」というらしい。試着のときとなりの中学の標準服を持ってきたので、待ったをかけるとボタンとネクタイが違うだけで他は一緒なんだって。要するに吊の上着を大量生産して、ボタンだけその中学のものをつける。ボタンやらネクタイが一番生産コストが高かったりして。このあたりの学校でガクランはすっかり影をひそめている(達彦さん思い出す)。

さてズボン
店員 「このウエストですと、あっという間にきつくなるかも知れません。」
ワカ (慌てて息を吸ってお腹をへこましながら)「これでも、ゆるゆる!」
店員 「あ、あ、そういうことじゃなくって、どんどん大人の体型になって腰骨ががっちりしてくるんですよ。」
ワカ (大きいのに履き替えて)「ずれそうだ。」
私 「君の想像の及ばない未来があるのよ。大きめのにしよう。」
ワカ 不満顔。

そしてシャツ
店員 「これは綿の割合を多くした新しい素材です。これは従来のもので、綿がすくなく・・・。」
ワカ 「見ているだけじゃわからないから、両方着る。」
私 「えっ?時間かかるし、見ただけで大体分かるから、こっちの新しい方にしよう。」
シャ~っとカーテンを閉めて着替え始めるワカ
ワカ 「新しい素材のほうは腕回りが大きすぎる。こっちの”安い方”が着やすい。」

値札まで見ていたのか・・。大人になったなぁ。なある、副校長先生の言っていることが分かった。小学生と思っていたら、ここにきて自分なりの判断を主張し始める。店員さんとこどもの意見の落とし所を、親が見てろって事だったのね。

てんやわんやで終わった採寸。でも、なんだか嬉しい、なぜだろう。自分が中学に上がるとき母親とデパートに採寸に行ったことやら、今は天国にいる祖母から学生カバンを贈られたことやら、いろいろ誇らしげだった12のころの気分がよみがえってきたからかな。とっても幸せな気分でお店を後にした。

2010年3月4日木曜日

ウェルかめ

勝之新君の教授を見て、なぜか目が釘付けになった。HPのあらすじで見たらなんと、あの赤色エレジーのあがた森魚さんではないか。・・・って個人的に知っているわけでもないんだけど、なんだか懐かしい。

今までもチョイ出ながら、黒島の歌うおばぁ(吉田妙子さん)、お遍路・小竹さん(絵沢萌子さん)、すだち農家のおばあちゃん(河東けいさん)、 座っているだけで演技のできる女優さんが見られて興味深い。
 
で、もうひとつ、道の駅の駅長さん(江良潤さん)って、なんだかマツケン、もちろん松ケンじゃなくって”踊る将軍様”、に似てると思うのは私だけだろうか。

2010年3月3日水曜日

女ざかり

ワカの小学校はとっても小規模でアットホーム。保護者、地域の方々がとても温かく見守ってくれて幸せな小学校生活を送ることができた。大感謝! しかし、アットホームなだけあって、卒業に際してのいろいろな行事、お手伝い、懇親会、PTA役員の仕事が津波のように襲ってくる。引き潮のときにちょろちょろと進学の用意なんぞを片づけたり。そんなときにに限って上司が東京マラソンに出場、応援に来てと懇願されちゃったり。会社で「なんだか忙しいのよ」とポロリと生ツイッターしたら、年上の同僚が一言。

「PTAだなんだって言っているうちが、女ざかりなのよ~!」

・・・・確かに、高齢出産の私はみょ~に納得したのだった。春なのに秋風が・・。

2010年3月1日月曜日

Face Book

さて、いまどきはブログよりもフェイスブックのほうが利用者が増えているそうだ。日本ではネットの世界はハンドルネームが多い(らしい)けど、アメリカでは実名が多い(らしい)。だから「あの人は今?」がフェイスブックでチャチャチャと出来てしまう。

うちのオットも去年から始めたのだけれど、これがすごい。オットは父親の転勤であちこち移動していたので、子どもの頃の友達とはいつの間にか連絡が付かなくなってしまった。しかしフェイスブックを始めてから、ゾクゾクと友人が連絡を取ってくるように。みんなが彼のことを捜し求めていた、というわけではなく、ひとりでも友達を見つけると、その友達のサイトから別の友達がオットのことを見つける、という具合。

私も引越しを繰り返していたので、子どもの頃の友達がほとんどいない。愛校心なんていうのも無いらしく、卒業した学校に住所変更の連絡もしていないから、行方不明者とは私のことだろう。日本人はあんまりしてないみたいだから効果ないかもしれないけど、オットの様子を見ていて、ちょっくら作ってみようかなと思い始めている。国内の友人探しは難しいかもしれないけど、外国にいたときの友達は見つけてくれるかも。さ、後は写真なんだけど、今の顔は載せても誰も認識してくれなさそうだから、20年くらい昔の写真でごまかしちゃおうかな?別にだましているわけじゃなくって、私とわかってもらうために、ね。