2011年10月31日月曜日

Happy Halloween!

かぼちゃは10月の中ごろ出回り始める。でも、包丁を入れるとアットいうまにカビが生えてしまうので、マジックで顔を描くだけにして飾っておく。ハロウィンの前の日に、オットがザックザックと中味をくり抜いて、目と口をサックサックと彫る。
マジックで顔を描いて
中味をくりぬいて目と口を彫る
ろうそくを灯してできあがり

2011年10月29日土曜日

ひとよ@世田谷シアタートラム

KAKUTA主催、桑原裕子作・演出。
片田舎のタクシー会社。経営者である父親の家庭内暴力から3人の子供を守るため、こはるは夫を車でひき殺してしまう。刑期を終えてしばらく旅をして15年くらいで家に帰ってくる、と言い残して出頭した。
あれから15年それぞれ30を超えた子供たち、長男は奥さんと別居中、次男は昔ヤンキーいまはプー太郎、長女は毎日飲み歩いている。そんなわけでタクシー会社は、親戚、友人、昔漁師であったという運転手堂本で回っている。そこへ約束通り帰ってくる、こはる。こはるの知り合いという得体の知れない”日本人”ヨシムラも、タクシー会社にいついてしまう。ぎこちないこはると子ども達。堂本の不可解な行動。

あらすじを読むとクライ。しかも登場人物は全員真面目。しかし実に”明るい”コメディーなのだ。これはひとえに脚本のミクロの部分の勝利。堂本の過去、子供たちの感情、こはるの叫び、ヨシムラの断髪がすべて絡み合うラスト、脚本のマクロの部分の勝利。またメリハリの効いた演技、キャスティングも成功。

否応なしに起きてしまったことをどうやって消化していくか。なかったことにできない「ひとよ」をもてあます人々。同じ時間を共有しながら、同じように受け取る人間はひとりもいない。しゃべっている言葉も不可解、国籍さえ不明のヨシムラ、彼は登場人物全員が抱える、どうしていいか分からない感情のメタファーか。このヨシナガ役の成清正紀さんがいい。大げさでなく、しかも印象深く、実に面白い。小春役の岡まゆみさんを始め全ての俳優が、飛び出さず、しかし個性豊かに重いテーマを愛情深く演じている。

こういう芝居を見ると母国語が日本語で本当によかったな、と思う。

2011年10月28日金曜日

カウボーイ & エイリアン  Cowboys & Aliens

原作はグラフィック・ノベル(コミック?)で、題名そのままカウボーイがエイリアンと戦う話。

あらすじは「べつに~」なんだけど、俳優、景色を実に美しく捉えた映像。乗馬とガンさばきは映画俳優にとって必須条件だろうが、それを上手にこなす俳優は、その人のオーラが馬や標的まで広がりをもち、さらに魅力倍増。良い振付を上手に踊るダンサーのようなものだ。腹が座り背筋が伸び、キビキビ動く人間を見るのは大変爽快。また舞台である荒地の茶色い景色も、いろいろなアングルから変化に富んだ表情で捉えられ、どこを切り取っても絵になる。

主役の記憶喪失カウボーイのジェイクをダニエル・グレイグ、コワモテの大佐をハリソン・フォード、優しいドクをサム・ロクウェル、と芸達者が集合。それら中心の役者が円熟の存在感を見せてくれるだけでなく、脇役やちょい役の人たちも隅々まで神経が行き届いている。ヒロインは、ドクターハウスのサーティーンことオリヴィア・ワイルド。あの人間離れした眼差しがエラ役に合っている。ジェイクとエラの見つめ合いは、ちょっと惚れっぽいジェームスボンドとボンドガールチックではあったが。

エイリアンは飛行、採掘、医療研究などなど、高等なテクノロジーを持つ。そして彼らの武器は、スターウーズで言うところの「フォース」を使って操る精神的に高度なもの。それなのに行動がかなり野蛮、且つ、原始的、彼らの文明とギャップありすぎ・・・。ま、侵略者とは言語道断の存在であろうから、徹底的にワルモノに描くほうがスッキリするのかしらん。

2011年10月26日水曜日

北 杜夫さん

初めて作家って素敵だなぁと思ったのは、北杜夫さんを読み始めてから。中学1年生のときお年玉叩いて買った”さびしい乞食”の単行本。


アメリカに乞食の修行に出かけた乞食業の若様は、”ジョン・ペン・レコード・コロリ・オモライ”と名乗り、「ライトレフトのジェントルマン、プリーズ ギブミイ サム マネー、アイム プア アンド ブラインド、 プリーズ ギブミイ サムマネー」と街頭に立った。


これ、「右や左の旦那様・・・」のフレーズだけど、この七五調が13才の女の子(あ、昔の私ね)にウケた。単行本は実家のどこかに積まれていると思う(もしかしたら既にbook1stに行ってしまったか)。あの茶色の表紙は脳裏にくっきりと焼き付いている。それから北氏の作品を読み始めた。


高校生のときは、井の頭線沿線にお住まいらしいと何かで読んで、事実も確認せず、それまで国鉄経由で通っていた通学路を京王線経由に変更し、もしかしたら電車でばったりお会いするかも、といざという時のために会話をシュミレーションした。躁うつ病のせいで、株で大損なさったとかで女性雑誌にもいろいろと登場され、それもちゃんと立ち読みした。北氏の影響でトーマス・マンも読み、文学少女もどきの私には難解でよく分からなかったけど、今思うと後の私のドイツ行きに影響を与えていたのかもしれない。


時は過ぎ、ワカも私のあの時の年に成長。本などめったに開かないのに「どくとるマンボウ航海記」は自ら買って楽しく読んでた。うれしいなぁ。


ありがとうございます、そして残された本に、これからもよろしく。
安らかに、お眠りください。

ランゴ   RANGO

ペットのカメレオン、色ではなく中身を変えながら一人芝居でキャラクター作りに熱心。カメレオン俳優ジョニー・デップ、家ではこうやってそこら中にあるもの使って、密かに役作りしてるのかしら・・・。で、カメレオン君、自らの演技にひとり悦に入っている最中、載せられていた車から水槽ごと砂漠に振り落とされる。

ネーチャーにはなじみのない箱入りカメレオン、西部劇そのままのうらぶれた街にどうにかたどり着く。そこの酒場で「ランゴ」(「ジャンゴ」でない)と名乗り、いい加減なことを言いまくり、すっかり信用した酔っぱらいたちからヒーローに祭り上げられる。そこへ猛禽類の王者、鷹の襲来。ランゴは偶然にも鷹をやっつけてしまったばかりに、街の長老亀から保安官を仰せつかることになる。ミッションは水の確保。街には銀行ならぬ「水行」があり、貯水タンクが尽きかけていた。週に一回の給水日にも蛇口からは一滴の水も出ない。乗りかかった船というよりもそこは変幻自在のカメレオン、ちやほやされて悪い気はせず、保安官になりきり、荒くれ共を引き連れて街に水を取り戻そうと荒野に出る。

マカロニウエスタンが好きな人にはいくつかツボがある。そしてランゴが啓示を受けるガンマン、キラキラ光る人型のトロフィーを持ち歩く・・・、誰がどう見てもあの人はあの大物。劇中の冗談やら水をめぐる政治問題などは大人向けの題材。かと言ってディープなジョークわからないおこちゃまは楽しめないかと言うと、枝葉末節を落としても十分OK。ただ、結構緻密な描写で動物たちが描かれているので、爬虫類やネズミとかが苦手な人はキモチ悪いかも。

モーションキャプチャーで動きを捉えており、擬人化というより人間そのものに見えてくる。ストリーテラーが4羽のカントリーふくろう。歌もよし、間も良し、耳からも楽しめる。ジョニー・デップ、絶好調。

2011年10月25日火曜日

稼働中の原発10/54、その後を思い描いてみる

ほんとーに電力不足かどうかは置いといて、省エネには賛成と節電計画に協力は惜しまなかったつもり。でもね、毎月の電気料金明細票を見ると、事故の後燃料費調整とかで毎月毎月ちびちび電気料金が上がっている。「東電に関する経営・財務調査委員会」の報告書では、過去10年間に電気料金6000億円取り過ぎの可能性を指摘されたのに。


そうして10月もそろそろ終わりに近づき、現在稼働中の原発はなんと10基。
北海道電力 泊3号 未定
東京電力 刈羽5号 2012年3月、6号 2012年4月     
関西電力 美浜2号 12月、高浜2号 11月、3号 2012年3月、大飯2号 11月
中国電力 島根2号 2012年1月
四国電力 伊方2号 2012年1月
九州電力 玄海1号 12月、4号 12月



このままで行くと電力不足になるのかと言うと、環境エネルギー政策研究所(ISEP)によると「原発を再稼動しなくても今冬と来夏の電力は足りる」(最新レポート)。


ちょっと(大分か?)気が早いけれど、運転停止後の原子力施設のことも考えよう。ドイツ西部にワンダーランド・カルカーという遊園地がある。 カルカー高速増殖炉は完成後に一度も運転することなく廃止となり、1995年にオランダの投資家が買収。その後テーマパークとして生まれ代わり、現在では年間約60万人が訪れているという。この、ユーモア!
遠くに見えるのは風力発電機かな?
増殖炉はメリーゴーランド   

2011年10月20日木曜日

ケーテ・コルヴィッツ Käthe Schmidt Kollwitz @ベルリン



昔よく行ったピザ屋さんの近くに大好きな場所がある。ケーテ・コルヴィッツ・ミュージアム。

ケーテ・コルヴィッツ(1967~1945)は帝政ドイツ、第一次世界大戦、ワイマール、ナチスドイツ、第二次世界大戦と、特に女性にとっては受難の時代を生きた芸術家である。戦争で多くの作品が失われてしまったが、素描、彫刻、彫塑、版画等が展示されている。公立ではなく、独立した私立の美術館だ。こじんまりとして、物静かな雰囲気が漂っている。

貧しい農村や労働階級で働く人々、女性達、子ども達、時代に翻弄され苦しい思いをした人々が沢山描かれている。無駄を剥ぎ取ったシンプルな彫刻や力強い輪郭で描かれた版画で表現された人々の姿には、胸を締め付けられる。彼女自身も第一次世界大戦で息子を失い、ナチス時代には弾圧を受ける。

第一次大戦の後に描かれた「戦争反対!」のポスターを見た時、それでも第二次大戦に向かっていった歴史を思い、なんとも言えない虚しさを感じた。同じ過ちを犯さないよう、母はいつの時代も平和の旗手でなくてはいけない。いつの時代も、どこの国でも、何がテーマでも。

美術館入口

庭の裏口

建物の裏庭

中庭に立つ彫刻

館内は撮影禁止。有名な作品をカードで見つけたので2点ほどご紹介。


ピエタ

ドイツの子供たちは飢えている!

2011年10月19日水曜日

キャプテンアメリカ・ザ・ファースト・アヴェンジャー  Captain America the First Abenger

こってり
マーベル作品のヒーローを一同に集めた「ジ・アベンジャーズ」が2012年公開される。「アベンジャーズ」を見るために、そのヒーローのひとりが主人公となる「キャプテンアメリカ」を見た。タイトルにはもちろん「アメリカ」、主人公の衣装や盾の模様は「星条旗」、ヒーローが軍隊で大活躍。こんなに全面にアメリカを出すと外国では苦戦するのではないかと、制作会社のマーベルスタジオ自らタイトルから「キャプテンアメリカ」を取ることを、各国の配給会社に提案したらしい。私も予告編をみてコテコテのアメリカヒーローに胸焼け気味だった。ところがあそこまで開き直っていると、もったいぶった正義感を見せられるよりかえって清々しい。同じアヴェンジャーズの一人「マイティ・ソー」より面白いと思った。

ヒーローが絶対勝つことは分かっているから、結果よりも過程をいかに見せるかだけど、超能力やスーパーテクノロジーを使うのではなく(ま、それもあったけど)、人間の「火事場のばか力」を駆使した戦いっぷりがいい。MIのトム・クルーズを少しバージョンアップさせたかんじの中超人ぶりが、人間味を感じさせてくれたのかも。

こっちもコワイ
レッドスカルことヒューゴ・ウィーヴィング

@プリシラ
主人公役のステーブ役クリス・エヴァンスの筋肉は見ごたえがある。敵役のレッドスカル役ヒューゴ・ウィーヴィングはすっごいワルもの、けど、赤い顔になるまではどうも「プリシラ」が頭を過ぎり・・・。あ、マトリックスの黒メガネもあったっけか。フィリップス大佐役トミー・リー・ジョーンズやアースキン博士役スタンリー・トゥッチの控えめな存在感は、映画を格上げしている。

第2次世界大戦が舞台なのでナチが悪者。主人公のスティーブは「ナチを殺すのではなく悪いひとが嫌いだ」と言う。アメリカに亡命したドイツ人科学者アースキン博士、日系アメリカ人でアメリカ軍に入隊したモリタ(あんまり出番ないけど)。うがった見方かもしれないけれど、怒りにまかせて戦争するわけじゃない、敵だった国の人全員が敵扱いはしてなかったんだよ、っていう配慮(or思惑?)が見て取れる。それともハリウッドでは第2次世界大戦は、すでに時代劇の世界になってしまったということか。

2011年10月18日火曜日

ジョブズ氏の制服

私は制服のある会社に勤めたことはないけれど、会社の制服って強制されているみたいで好感度ゼロだった。けれど、こんな見方もあるのかなと。やっぱり世界を旅して、心を開いてモノをみて、自分一人でも実行すればいいのだ。私の頭は硬い、硬い。
以下抜粋。ソース-->ココ


『それは1980年代はじめ。日本出張中のことだった。「なぜソニーの工場では全員同じ制服を着てるんだろう?」―不思議に思ったジョブズはソニーの盛田昭夫会長にその理由を尋ねてみた。すると会長はジョブズにこう答えた。
戦後はみんな服もロクに持っていなかった。だからソニーのような会社では社員になんか毎日仕事に着ていけるものを用意してやらなくてはならなかった。そのうち制服は会社独自のスタイルに発展していき、特にソニーのような会社では社員を会社に結びつけるものになったんですよ、と。それを聞いたジョブズは「そういう結びつきがアップルにも欲しいものだな、と思った」という。
スタイルにこだわりを持つソニーはあの著名デザイナーの三宅一生に社員の制服のデザインを任せていた。その制服はリップストップ(破れ止め加工)のナイロン製ジャケットで、袖のジッパーを外すとベストになる。ジョブズは早速イッセイ・ミヤケに電話をし、アップルにもいっちょベストをデザインしてくれやと頼んだ。
「それでいくつか見本を持ち帰って全社員集めて、どうだい、みんなでこのベスト着たら最高だろ、な、と提案したら、いや~ブーイングの嵐でたちまちステージ退場さ。あの案はみんなにえらい不評だった」
が、この一件で三宅と親交を得たジョブズは、それからもちょくちょく定期的に彼の元を訪ねるようになる。そして自分だけ制服作っちゃうのも悪くないな、と思うようになった。制服があった方が毎日便利だし(これはジョブズが言ってたこと)、制服を通して自分だけのスタイルを人に伝えることができる、というのがその理由だ。
「そこでイッセイが着ていた黒タートルネックの中から気に入ったものを選んで、僕用にいくつか作ってくれるよう頼んでみたんだ。そしたらイッセイのやつ百着も作ってくれちゃったのよ」
あまりの話に呆然と驚いていると、それに気付いたジョブズはクローゼットに山積みになってる黒タートルを見せてくれた。「あれを着てるのさ」とジョブズ。「な、あれだけありゃ一生間に合うだろ」
(ウォルター・アイザクソン著「Steve Jobs」収蔵。転載許可を得て掲載しました)』

2011年10月15日土曜日

バーレーンの日本語

ちょっと前の投稿だけど、ワカさまバカウケの動画。
バーレーンの緑の芝生にコーフンの関西弁が飛び交う。
「茂原まで自動車で。」 行ったから、「むっちゃ風邪ひいてん!」、だから、「冷房ボタン、勝手に押さないで。」そんなわけで「風呂入ってない、有馬」。
最後は電池切れのように終わる実況中継。泣かないように。

2011年10月14日金曜日

リミットレス   Limitless

ニューヨークに住む作家エディ・モーラ(ブラッドリー・クーパー)はダラダラとした生活の中、アイディアはあるはずなのに、一行も筆が進まない。恋人のリンディには三行半をつきつけられる。ある日、元妻の弟ヴァーノンに偶然再会、NZT-48という薬を試しにと一錠渡される。普段は20%しか使われていない人間の脳を100%活用させるらしい。はじめは訳の分からないモノに手を出すものか、と思っているが何しろ失うものもないどん底のエディ。エイヤっと飲んだところ、アットゆうまに効き目が現れる。頭の中がクリアーに整理され、まず足の踏み場もない不衛生な部屋をピカピカに整理整頓。そしてまたたく間に本まで書き上げてしまう。 

あまりの効力にNZTがまた欲しくなり、エディはヴァーノンを尋ねるが、エディがパシリに生かされているスキに何者かにヴァーノンは殺されてしまう。仰天しながらも隠してあったNZTと大金をものすごい推理力で見つけて盗み出す。薬を常用するようになったエディは、超人並みの記憶力で遊びも仕事もさっさとかたずけ、言動にも自信がみなぎり人格まで変わってしまったよう。投資にも手を出し金融界のドン、カール・ヴァン・ルーン(ロバート・デ・ニーロ)に気に入られ一躍時の寵児となる。しかし薬を飲み続けるうちに、彼の記憶は断片的に欠落し始める。不安にかられたエディはヴァーノンの残した手帳に載っていた薬の取引相手に片っ端から連絡を入れる。な、な、なんと、全員が死亡もしくは体調を崩して入院していることが発覚。それだけでなく、エディはプロの殺し屋に狙われ、街の高利貸しからもNZTをめぐり脅迫を受け始める。


「猿の惑星」もそうだけれど、脳を活性化させるバイオテクノロジーが目下の話題のようだ。薬が与える効果、視覚聴覚が冴え渡るシーンを効果的に使っているため、薬が手放せなくなる過程に納得できる。面白いのは麻薬と逆で、シラフの時はボロボロ、薬を飲むとピッカピカになるところ。

ぼろぼろな服用前
シャーキーンと服用後
思ったとおりの展開になるときもあれば、意表を突かれるシーンもあり。ロバート・デ・ニーロはいつもの顔で存在感有りすぎ、その割に意外感無しの役。もしかしたらもう一段影の薄い役者がしたほうがよかったか?私が期待しすぎかしら。エディ役のブラッドリー・クーパーはお酒の次は薬の過剰摂取、なかなか普通の人に戻れない。深刻になりすぎない彼のキャラクターが、キモチ悪いシーンもあるのに映画を重々しくせず、スッキリと見られる。

2011年10月13日木曜日

ピザ@ベルリン

もう10月も中旬だというのに、まだまだ続く夏休みのお話。
ドレスデンで2泊3日博物館と美術館を堪能して、次の目的地ベルリンまで電車で移動。ベルリンのメインステーションはもうZoologischer Garten駅ではなく、旧東ベルリンに立派な空港みたいなターミナル。

1988年から1989年までベルリンに滞在した時、友達(含むオット)とよく行ったピザ屋さんに行くことにした。最後にベルリンを訪れた7年前にはまだあったのだけど、Zoologischer Garten駅の周りはビルの建て替えが進んでいるし、クーダム沿いのお店もかなり変わっているので、まだピザ屋さんがあるかどうかちょっと心配だった。でもあった、ちゃんと。

お店の名前はPiccola Taorimina、うわ〜!外も中も全然変わっていない。店員さんは全員イタリア人。値段も20年以上変わってないのかも。ミニピザが1.10ユーロ、ミニと言ってもランチに2枚食べたら私には十分の大きさ。せっかくなので普通のピザを頼んだ。大きいけれど完食。
なによりも、ワカさまと一緒に行けて嬉しかった。

西ドイツ時代の目抜き通りクーダムと
ウーランド通り

その交差点にある映画館
シネマパリの横の道を行くと

電気が切れているけど
色がかわいい
この大きさ、おいしさで
4.8ユーロ
街の照明が暗くて
お店のサインがいい感じ

2011年10月12日水曜日

栗の渋皮煮

一日目の作業が終わって
1日目:鬼皮剥き。重曹茹で1回

今年は栗剥きハサミを購入。手加減が分からず、渋皮を傷つけそうなときは果物ナイフを併用しながらむいた。コツをつかむまでもうちょっとかかりそう。
虫が住んでいた栗が2つ。ごめんね~、せっかく寝てたのに・・・。

一回目の重曹茹ででは、石鹸が泡立ったようにアクがむくむく出る。鍋のお湯を捨てるのではなく、水を継ぎ足しながらゆで汁を替えるのがコツ。こうすると栗が割れない(らしい)。
ハサミで剥ききれなかった、栗の下の部分が帽子を脱ぐようにぽっかりとはずれる。

栗剥きに疲れて今日はここまで、綺麗な水に入れて一晩ねかす。

2日目:重曹茹で1回。煮出しは3回。シロップで3時間。

茹でる度に一日目と同じ要領で水を入れ替えて、そのたびに栗についている筋や硬い渋皮をひとつずつ丁寧に指で落としていく。栗剥きを含めて6回同じ栗の面倒をみるので、クリの「顔」を覚えてしまう。名前をつけたいくらいの気分になる。「ああ、君ね」ってな具合。

できあがり
朝から栗と向かい合うこと約4時間、オットが「栗と一緒だと静かだ」と褒めて(?)くれた。

一旦作業を中止して、「リミットレス」を見に行く。

映画のあとは寄り道しないで栗のもとへ。夕食を作りながら空いたレンジを使い、砂糖で最後の煮込み。シロップは砂糖と水の割合が1:1となっているレシピが多いけれど、1:0.4の割合にした。三温糖と白砂糖を半分ずつ使ってみた。お好みでブランデーや赤ワインを入れても美味しい。今回は酒なし。

一晩置いてからいよいよ試食。少々かため、でもあっさり煮上がったかな。

2011年10月9日日曜日

猿の惑星:創世記   Rise of the Planet of the Apes

科学者のウィル(ジェームス・フランコ)は製薬会社でアルツハイマー治療薬を開発中新薬を投与された一匹のメスのチンパンジーは瞳が緑に変化、そして脳に変化が起こり高い知能を持つようになる。人間での臨床実験を目の前に、アクシデントからそのチンパンジーは駆除され実験は中止。ウィルはその赤ちゃんチンパンジー、シーザーを家で預かることになる。シーザーは生まれながらに緑の瞳と知能を母親から譲り受けていた。それだけでなく、人間と同じような感情まで発達を始める。
 ウィルの父チャールズ(ジョン・リスゴー)のアルツハイマーは悪化の一途をたどる。見に見かねたウィルは会社から無断で持ち出した新薬を投与。チャールズの病状は劇的に改善に向かうが、やがて新薬に抗体ができまた病状が悪化、隣家とトラブルを起してしまう。それを助けようとしたシーザーは、隣人に噛み付いてしまい、霊長類の動物施設に入れられてしまう。一方、ウィルは先に開発した新薬には長期の効果が期待できないことを知り、さらに一段階上の新薬を開発を試みる。第一作、なぜ300年の間に「猿の惑星」になってしまったのか、その創世記を描いている。



(ここから先はネタバレのツッコミ)
研究所のチンパンジーが赤ちゃん生んだのに気がつかないってことあるのか。いくら怒ったチンパンジーでも、研究所の建物のガラスを体当たりで破壊できるかなぁ。脳が変化しただけなので姿形はチンパンジーのまま、チャールトンヘストンが戻ってくるまで300年の間に洋服着用の直立歩行まで進化するのか。隣のお父さんはパイロットにしては短気だ。スリザリンから動物施設に移ってきたドラコのチンパンジーいじめは、ホグワーツでの鬱憤バラシか。新薬を吸引してしまった人を簡単に家に返し、本人もウイルス感染してるのに歩き回るし。警察のヘリコプターに製薬会社の社長が一緒に乗って、さる退治にでかけるか。初めて話す言葉が「No~~~!」。誰か「I am your father」って言った?

と突っ込んでばかりいたら、オットに「映画なんだから」と、たしなめられる。なんでもアメリカではシリーズ作品中一番のヒットを飛ばしているという。
そして日本は大分県、高崎山自然動物園でさると一緒に映画鑑賞が行われたそうだ。猿と一緒に”猿の惑星”鑑賞、妙な臨場感」。”妙な臨場感”ていうとこ、ウケた。


ブツブツ言っているけれど、ジェームス・フランコは素敵。

2011年10月8日土曜日

Viva la Beat

コールドプレイのViva la VidaとマイケルジャクソンのBeat Itのマッシュアップ。
この投稿者、頭の中で二つの曲がマッチした時はうれしかっただろうなぁ。
a-ha、U2、ケイティ・ペリーの曲とマッシュアップしたのもあり。

2011年10月7日金曜日

ステイフレンズ   Friends with Benefits

PG12なので親が一緒であれば中学生も可だけれど、ワカ抜きでオットと2人で見にいった。感想としては、中学生には時期尚早、けど、「夫婦50割」には時すでに遅し、という内容である。ジャスティン・ティンバーレイクとミラ・クニスの息がバッチリ合っていて、掛け合いが漫才コンビのようだ。


ミラ・クニスは、TV番組「ザッツ70’sショー」ではおかしなことを言う普通の子というイメージだった。最近「ブラックスワン」で実は綺麗な人だったのだ、と気がついたのだけど(ごめん)、今回はもっとキラキラしている。軽いハスキーな声がチャーミング。ジャスティンは好青年。ジャスティンの会社の同僚にウディ・ハレルソンがゲイの役で出演、変に存在感を振りまいている。マシ・オカ君もちらりと登場。


好きだったのはフラッシュモブのシーン。フラッシュモブ(Flash mob)とはインタネーット、特にEメールを介して不特定多数の人間が公共の場に突如集合し、目的を達成すると即座に解散する行為。どこからどこまでが参加者か見物人か分からないので、その広がり方が面白い。
映画の中ではタイムズスクエアとセントラルステーションの2箇所でフラッシュモブが出てくる。セントラルステーションではフィッシャーキングの集団ダンスのシーンを思い出すが、あれは空想の中の出来事。リアルでそのへんの人が踊りだすなんて、その場に居合わせたら鳥肌が立ちそう。

2011年10月6日木曜日

Erich Kästner Museum @ ドレスデン

 「二人のロッテ」や「エミール」シリーズで、日本でもよく知られているエーリッヒ・ケストナーはドレスデンの新市街で生まれた。彼の生家ではないけれど、子供の頃によく訪れた親戚の家だったところに、生誕101年を祝って可愛い庭に囲まれたこじんまりとしたミュージアムが建てられた。

私達が訪れた日は、なんとも残念なことにイベントのために閉館。でも優しいお姉さんが、図書館と庭にはどうぞ、と入れてくれた。

ミュージアムの看板
ケストナーは父親がユダヤ系ドイツ人であったが、ナチの時代、自分の本を焚書されても2度逮捕されても、ドイツ人として誇りをもち亡命しなかった。絶大な人気にナチも手出しできなかったという。ドイツ東西分断後は東ドイツになったドレスデンに母を残し、ミュンヘンに移住。母はナチに抵抗し続けたケストナーを称えた東ドイツ政府に手厚く保護されたそうだ。ケストナーはドイツ統一を見ることなく1974年に亡くなる。

「飛ぶ教室」の中に『愚か者の勇気は野蛮なだけであり、勇気のない賢さは屁にもならない』というくだりがある。賢いひとは見ているだけでなく、勇気をもって発言するべきだという、ここにも勇気を貫いた作家の言葉が、時を超えて私の目頭を熱くする。彼の言わんとしていることもさることながら、原文のシンプルな文体そのものにも心底憧れる。

”Mut ohne Klugheit ist Unfug; und Klugheit ohne Mut ist Quatsch ! ”
Mutは勇気、Klugheitは賢さ、ohneは英語でいうところのwithout。「賢さのない勇気」、「勇気のない賢さ」と順番を逆に並べて、「究極の選択」方式で並列している。Unfugは野蛮というネガティブな意味。Quatschは訳すのがちょっと難しいけれど、例えば「信じられない!」とか「バカバカしい!」とか「嘘っぱち!」とか、ネガティブを通り越してそのものの存在を否定するような単語。前の文章<後の文章と、比較級を使わなくても思いが言葉によってクレッシェントされてゆく、この「音感」が大好きだ。
もちろん、日本語訳もさすがである。特に「屁にもならない」これは秀逸。(訳者がわからない・・・)

ミュージアムの壁に腰掛けて
通りを見渡すケストナーの像


良い社会を作るためには、良い教育をしなくてはならないと説いたケストナー。

"Wer an die Zukunft glaubt,
glaubt an die Jugend. 
Wer an die Jugend glaubt, 
glaubt an die Erziehung.
Wer an die Erziehung glaubt,
glaubt an Sinn und Wert der Vorbilder."

「未来を信じる者は、若者を信じる。若者を信じるものは、教育を信じる。そして教育を信じる者は、垂範者の意義や価値を信じるのだ。」と訳してみた。
この三段論法、親としてしっかり胸に刻まねば。

2011年10月5日水曜日

I don't know if your new friend can come in...

君の新しい友達、おうちに入れていいかどうか・・・。

元ネタ--->ココ

おいしいご飯があるよ、とか言ってつれてきちゃったのかな。

2011年10月4日火曜日

日本版 緑の党

2011年10月3日 東京新聞/朝刊

脱原発掲げ「緑の党」  中沢新一氏ら来月にも


人類学者で明治大学野生の科学研究所長の中沢新一氏(61)らが「緑の党」(仮称)を十一月にも立ち上げることが分かった。中沢氏が本紙のインタビューに応じ、語った。脱原発を綱領の柱に掲げ、東日本大震災後の日本の転換を目指す運動を展開。欧米の「緑の党」との連携を図る。
「緑の党」には有識者のほか、里山保全や地域通貨の創設などに取り組む市民団体メンバーらが参加。正式な名称や具体的な活動内容は今後詰めるが、最初は正式な政党の形態はとらず、創刊予定の雑誌や、インターネットなどを使って全国のネットワークづくりを進める予定。
エネルギーでは太陽光やバイオマスだけでなく、植物の光合成の仕組みを応用した発電などの提言を検討。他の政策課題でも、成長を前提とした経済から脱して、有機野菜中心の食生活や自動車に依存しない生活を目指し、情報発信する。
中沢氏は「震災後の日本は政治が貧弱化している。生き方の根底を大きく変えるネットワークをつくるのは今しかない」と「結党」理由を説明している。
当面は国政選挙には直接かかわらず、中沢氏も「立候補するというと従来の既成概念が先行してしまう」と自身の出馬に否定的だが、将来候補者を支援、擁立することも「有力な選択肢」としている。原発のある自治体と連携、住民投票を行う運動にも取り組む。
欧米では一九七〇年代以降、反戦や反原発を掲げる「緑の党」という名の政党が誕生。ドイツでは一九九八年に連立政権入りし閣僚ポストを得たほか、福島の原発事故後も、脱原発を掲げて支持を広げている。
******************
4月頃、中沢氏等による「緑の党」立ち上げの記事を読み、その後どうなっているのか気になっていたけれど、いよいよ。
”生き方の根本を大きく変えるネットワーク”。これには大きく頷く。国から幸福GDPの指標を与えられても困る。政府が考える”平均世帯”などというものはもう存在していないのだ。自分たちが主体で考える、何かを変えてもらうのではなく自分たちが変わること。
”当面は国政選挙には直接かかわらず・・・”。この方針にも賛成。正直な話、福島の事故後、ドイツの「緑の党」の姿には違和感があったからだ。とはいえ、中村敦夫氏代表の「緑の会議」は2004年参院選で全員落選、日本では政党すら育たなかったのだから、あまり他国の文句を言うのはやめとこ。
誰かの支持や方針でメダカのように動くのではなく、また、メディアの作り出した空気に流されるのではなく、まず、ひとりひとりが意思を持つ。グローバルに考えるのも大切、でも私のようなフツーの人にも一本の木を大切にする、ゴミを出さない、そんな足元を見ながらの活動ができる。反対するのではなく、生産的に物事を考える。そんな国民の声がたーくさん集まれば、政治家だって無視できなくなる。「受動的平和的圧力団体」そんなイメージをもったのだけど。早くHP見てみたい。