2011年2月28日月曜日

英国王のスピーチ King's Speech

こんなシーンはないけれど、三人の性格が良く出ている

とにかく俳優陣だけでも観た甲斐があるというもの。コリン・ファースとジェフリー・ラッシュが水を得た魚のように演じている。ヘレナ=ボエム・カーターも久しぶりに”普通の人間役”に戻って安心した。ガイ・ピアーズも好演。

主人公ジョージ6世の父ジョージ5世が「昔は王の仕事だけをしていればよかったけれども、今は国民のご機嫌をとる”役者”の仕事もしなければならない」と言う。 原稿を読むことで仕事がこなせるのであれば簡単そうであるけれども、英国王といえば、当時なんと世界人口の4分の一を治めてていたイギリス連邦王国の元首である。たまたまその王家に生まれたということで向き不向き関係なく”職業”が決まり、話したこともない庶民を思いまつりごとを行うなど簡単なことではない。自覚があれば。王室に生まれたが故の幼児期のつらい体験、自分の責務の重さを真剣に考えるジョージ6世の不安は、吃音という形になってまとわりつく。

仲のいいご夫妻をみているのが気持ちいい
努力の甲斐あって、ドイツとの開戦のスピーチを無事終える国王。スピーチの内容は非難されるべきことはない。しかし、これからたくさんの人が戦争で死んでいくことになるスピーチに対して、晴々と「おめでとうございます」の声。当時は当然のように世界中が自国のリーダーの声に従っていたとはいえ、親世代の第二次世界大戦の話。大変複雑な心境になってしまった。この映画は、昔の王様とある庶民の「おとぎ話」として見るのがいいのかもしれない。 そして思った。スピーチは内容云々以前に、「誰が話すか」が大切なのだなぁ。

2011年2月24日木曜日

南へ 

劇場に張ってあったポスター
池袋の芸術劇場で野田マップ第16回公演「南へ」を観てきた。

無事山の観測所に南のりへい(妻夫木聡)が研究員としてあらわれる。そこには星野仙一が大好きな所長の里長(渡辺いっけい)、自殺未遂の女あまね(蒼井優)、2人の署員、旅館の三つ子姉妹。あまねは「自分の分身」に監視されるうそつき。そのうそつき少女あまねに南は「無事山の噴火を予知するものは狼少年だ」とうそつき呼ばわりされる。あまねの作り話を軸に、舞台は現代と過去(宝永時代)の無事山噴火が交錯する。

神の不在を説いた野田秀樹の舞台はもう一歩踏み込んで、天皇制までに達している。 人間の神格化が引き起こす社会現象に自分の意に沿った結末でなければ真剣に話を聞かないメディアが介在。自分のIDさえ不確かで、はっきりものが言えない(考えられない)国民が飲み込まれていく。

・・・というような内容と解釈したけれど、やっぱこれ以上私には説明が難しいので、ここから読売新聞2月22日より引用。
(里長の役を)野田は、「戦後民主主義社会を、テレビでプロ野球観戦をしながら生きてきた中間管理職的な人間」と表現する。そんな「典型的日本人」への痛烈な批判が、この作品を貫く。
「キリスト教、イスラム教には、神という絶対の存在がいる。日本では空白のポスト。だからオウムが現れる」と野田。神の不在は戦後に始まる、と考える。「日本人は戦争に負けて何も語らなかった。ドイツ人はナチスの罪を語った。その違いは何か。教会で懺悔(ざんげ)できる彼らと、神のいない我々との差なのか」と、厳しく問いかける。だが、作品は結論を提示しない。

言われてみればそういうことだったのかと思う。ああ、難解。

キル」の時は必死に見えていた妻夫木君はかなり成長。あのときは体調が悪かったのかな。何より”華”を感じた、がんばれ。道理(みちすじ)役のチョウ・ソンハ君は劇場の隅々まで通る声で大活躍。高田聖子さんは貫禄の面白さ。何よりも驚いたのは蒼井優さんで、しなやかな体と力いっぱいのセリフ回しで将来有望。妃のお毒見役藤木孝さんは今まで見たことないくらいすごかった。デラックス松子など足元にも及ばない。黒田育世さんの群衆の振付は、二つの時代が切り替わる場面を幻想的に作り上げている。野田さんは冒頭から毎度のことながら、誰よりもハイパワーが炸裂。ああやってみんなを引っ張り上げるのだ。

2011年2月23日水曜日

猫とフウセン

うっとおしいし、ちょっと腹が立つし、その気になれば爪でパチンよ!でも、飼い主様が喜んでくれるから・・・、って感じかな?
にわとりが卵産むのは知ってたけど、猫がフウセン産むのは知らなかった。

2011年2月20日日曜日

ヒア・アフター HEREAFTER

クリント・イーストウッド監督、スティーヴン・スピルバーグ製作。

<パリ>ジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、恋人と東南アジアでのバカンス中津波に襲われ、九死に一 生を得る。その時見た不思議な光景(ビジョン)いわゆる臨死体験が頭から離れず、周りの人間が誰も理解を示さない中、それが何であるかつきとめようとする。
<サンフランシスコ>ジョージ(マット・デイモン)は人に触れると、その人が会いたい死者の声が聞こえる。兄はジョージの霊能力を「才能」と言うが本人には「呪い」としか思えない。霊能者としての過去を伏せ、工場で静かに働いている。
<ロンドン>保護観察中の母子家庭で、お互いに助け合いながら暮らす双子の少年ジェイソンとマーカス。ある日交通事故で兄ジェイ ソンがこの世を去ってしまう。母はもともと薬物中毒で、事故のショックも伴い治療の施設に入所することになり、1人残されたマーカスは里親にあづけられることになる。子どもには過酷すぎる孤独の中、兄と話したい一心で霊能者を訪ね歩く。
その3人が何かに引き寄せられるようにロンドンで出会い・・・。
 
クリント・イーストウッドの題材としては「?」だったけど、スピルバーグ制作と聞いて、なある・・・。”スピルバーグのスピリチュアルもの”かと、見る前は少々懐疑的だった。でも心配は無用、スピルバーグが本当は作りたくっても作れなかったものを、イーストウッドがさらりと作り上げたといった感じ。「死者と話ができるのに、死者がどこへ行くのかわからない」、あくまでも謙虚だ。いつものことだけど彼の映画は、あまりゴタクを並べずに、自分の視点で静かに見るのがいい。

イーストウッドの映画が本当にすごいと思うのは、初めの数秒で登場人物のすべてを映し出すところだ。映画は接点のない3人のストーリーがオムニバスのように進むので、それぞれが出会う事件まで長い時間は割いていない。しかし、双子が冒頭に写真撮影をしているシーンだけで、私たちはすぐさま兄弟の絆を見てとり、マーカスと兄を亡くす痛みを共有する。津波にながされるマリーの瞳は、私たちをマリーのビジョンに引き込む。彼女になぜ変化がおきたのか、それはそれは激しい津波のシーンで十分納得できる。顔がミニマムにしか動かないマット・デイモン(やっぱり好きだわ~♡)が1人で食事をしているだけで、その果てしなく広がる孤独感がひしひしと伝わってくる。彼らがなぜ「ヒア・アフター」を追い求め、または払いのけようとするのかが、短い時間で十分に理解できるのだ。

「死後の世界」がどうとかではなく、「死」があるからこそ人間は生きる意味を必死で考える。生きている人であれ、死者であれ、誰の声を聞くかは自分次第。その今ここにある「生」を描いている映画、だと思う。ラフマニノフが一緒になって泣かせてくれる、ホント・・・。
セシル・ド・フランス。オットはマットデイモンがうらやましいって

2011年2月18日金曜日

コアラ

工事現場で一休み、日比谷公園のビジネスマン、着ぐるみバイトの休憩中。
リンゴの後はお腹のポッケからたばこが出てきそう。
一週間お疲れ様。

2011年2月16日水曜日

マッドメン MAD MEN

みなさん、きちっとしてます
BSフジでの放送は真夜中過ぎて見られなかった。AXNが満を持して放送開始と言っているけど、TVはある意味生ものだから・・・。とにかく見られて良かった。

Mad MenとはNYの大手広告代理店が集まっているマディソン・アヴェニュー(Madison Avenue)の広告マンを指す。1960年代の社会が緻密に描かれており、その映像はTV番組というより映画のよう。生活習慣こそ違え、あの頃の雰囲気が色濃く映しだされ、アメリカ人でなくてもノスタルジーを感じる。サマンサのダーリンとラリーが底抜けに明るい広告マンであれば、こちらは真面目で暗い広告マン。主役ドンはジョン・ハム。「The Town」でしつこくベンアフレックを追いかけまわしたFBI役。きりりと引き締まったわけありの面持ちが渋い。

今思うと不思議な時代だ。男、女、白人、黒人はそれぞれの役割があり、その枠の中で動いている。礼儀、秩序が保たれているかと思いきや、喫煙、人種差別、女性蔑視等が当然のごとく日常にある。しかし、たばこの害を社会が認識し始め、女性も家庭以外の世界に進出し、時代の変化は見え始めている。私、まさしくこの時代に生まれたわけだけど、改めてビジュアルに60時代を振り返ると、子どものころにクラーク・ゲーブルの映画を見たとき感じたような、隔世の感がある。

AXNのクイズに答えるとMAD MENバービー人形が当たる
ファッションも見ごたえばっちり。公の場では男子は髪をなでつけ真っ白なピシッとしたワイシャツを着て、女子は髪を結いあげ、ワンピースをピッチリと着こなしている。そういえば私たちの母は、デパートや子どもの学校に行くときでさえきっちりとおめかししていた。今はドレスコードがどんどん緩やかになり、カジュアルとフォーマルの境目が曖昧。1万円のスーツと10万円のブランドカジュアルでは後者の方がステータスがあったりする。世の中の価値観の多様化には息つく暇もない。自由がなさそうに見える60年代のルールのほうが簡単に思える私は、やっぱり昔の人なのか。

2011年2月14日月曜日

ウォール・ストリート Wall Street

ジェイコブ、ブレトン、ゲッコーのガチンコ
オリバー・ストーン監督が、87年に発表した『ウォール街』の続編。
ウォール街の金融マン、ジェイコブ・ムーア(シャイア・ラブーフ)の会社が金融業界の風評がもとで破綻、ジェイコブのメンターでもあった経営者のルー(フランク・ランジェラ)は自殺。そんな時、ジェイコブの婚約者ウィニーの父ゲッコー(マイケル・ダグラス)はインサイダー取引での長い懲役を終えて出所し、執筆や講演活動を始めていた。ウィニーは父の強欲が災いし、母も兄も失ったとゲッコーと会うことを拒む。
しかし密にゲッコーに近ずいたジェイコブは、会社の倒産に金融業界で幅を利かせるブレトン(ジョシュ・ブローリン)が関わっていることをゲッコーからにおわされる。ジェイコブはルーの復讐とばかりブレントンの投資案件に風評を流し、まんまとダメージを与える。しかし図らずもこの戦術がブレトンに気に入られ、ジェイコブは仕事のオファーを受ける。ゲッコーの助言、戦略に基づき、ブレトンのもとで働き始めるジェイコブ。ゲッコー、ジェイコブ、ブレトンの思惑が交差する中、巨額の資金が動く。

 苦み走ったマイケル・ダグラスの口からは低音を響かせながら、キャッチフレーズになりそうなキメ言葉が続々登場。 (予告編↓参照)。
ウォール街の変遷についていけないルー役フランク・ランジェラがいぶし銀の演技。いつまでもしたたかに生き延びるジュール役イーライ・ウォラック(1915年生まれ!)になると、さらにその上手。スーザン・サランドンはチョイ役だけど、お金に翻弄される中年女性を好演。そしてブレトン役のジョシュ・ブローリンはいい。彼はいろいろな顔を見せてくれるけど、今回はピアース・ブロスナンとニック・ノルティを足して2で割り、ちょっと四角く押し固めたような顔で登場。金融業界のコインの裏と表をうまく体現している。

ゲッコー、ジェイコブ、ブレトンの勝敗がつくまではそれなりに楽しめるストーリー。しかしエンディングがマズイ。あそこまで念を押されなくても、言いたいことはわかる。・・・わからない人がいるから、こういう終わり方をするのも必要なのかなぁ。

2011年2月13日日曜日

2月のパン教室

堂々とした焼きあがり
この3カ月は復習のため一度習ったパンをもう一度焼いた。粉ものにとんと縁のなかった私、せっかく習っても試食とともにかなりの部分が忘却の彼方に行ってしまう。

パンの成形はバラエティーに富んでいる。レーズンパンはレーズンをパン生地に放りこんで、ヘラで混ぜているのかと思いきや、そんな簡単なものではなかった。ちゃんと生地をのばしてその上にレーズンを載せて、生地をパタパタと畳み、その上にレーズンをまた乗せ、また折りたたみ、と丁寧に作っていく。

写真のシナモンロールはまず生地を四角く伸ばす。ところがそう簡単には四角くならないのだ。しかも強く伸ばそうとすると生地が反動で縮む。どうにか伸ばしたらレーズンとシナモンとカスタードを塗り、くるくると卒業証書のように丸め棒状にする。端をくっつけてまるくリースのようにしたら、ハサミで切りこみを入れる。

今回とっても嬉しかったのは豆大福。岡野栄泉で並んで買うものと思っていたが、自宅でも作れるのだ。柔らかい生地に、少々歯ごたえのある薄い塩味の豆、上品な小倉あんが・・・・♡。

この日は雪が降っていたので、雪見大福

2011年2月10日木曜日

glee@NHK

4月からNHKBSで「glee」が始まる。
高校のグリークラブの青春物語、と言ってしまえばそれはそうなのだけど、一番笑わされたり考えさせられたりするのは、同性愛者、黒人、アジア人、身体障害者、ユダヤ人へのブラックユーモアをはじめ、教育者としてあるまじき行為をする女王様のような教師、いじめ、妊娠、などなど。だから「NHKが?」とちょっと意外だった。吹き替えだったら(残念だけど)、多少マイルドになっているかもしれない。

とはいえ、まさか歌まで吹き替えはしないだろうから、この番組の一番の見どころ聞きどころは大丈夫だろう。70年代の懐かしのナンバーも続々登場するから、広範囲の年齢層で楽しめること間違いなし!

先日のゴールデングローブ賞では ミュージカル/コメディ・シリーズ部門で作品賞を含む3冠達成。
スー・シルベスター役ジェーン・リンチ(中央段中央の上の人)が助演女優賞を、カート役のクリス・コルファー(一番下の段中央)が、助演男優賞。

第1シーズンではゲストもすごい。ブロードウェイのクリスティン・チェノウェス(プッシング・デイジー)、イディナ・メンデス(魔法にかけられて)がこれでもかとディープに濃く歌いあげ、ニール・パトリック・ハリス(天才少年ドギー・ハウザー)も「ドゥリーム・オン」を絶唱。私のお気に入りジョナサン・グロフ、口角泡を飛ばしながらの熱唱には目が釘付け。オリビア・ニュートン・ジョンも出ます。

アメリカでは第2シーズンでグウィネス・パルトローが飛ばしているらしい。スーザン・ボイルも出演予定だとか。(「glee」勝手に応援団長 Angelaでした~!)

2011年2月9日水曜日

お干菓子

お友達に頂いた鶴屋吉信の干支のお干菓子。食べるのがかわいそうだけど、賞味期限が今日までなのでお腹に入る前に写真を一枚。
うさぎは体長3センチ、梅は直径1センチ   

子どものころ「ひよこ」を頂いたときは、かわいそうでなかなか食べられなかった。頭から食べようか、しっぽから食べようか、はたまた皮を剥いてしまってわからないようにして・・・といろいろ考える。いまだに顔の付いている食べ物は、口に入れる時一瞬ひるむ。これはちっちゃいからひと思い。

2011年2月7日月曜日

ザ・タウン The Town

ワルモノ4人組
ボストンのチャールズタウンに生まれ育ったダグ(ベン・アフレック)、母は行方不明、父は監獄にいる。アイスホッケー選手の道をあきらめ、幼なじみと銀行強盗を繰り返す。あるとき周到な準備をしたにもかかわらず、やむを得ず一時的に銀行のマネージャーのクレアを人質に取って逃走することに。強盗はしても殺人はしないオキテだから人質クレアを解放、しかし彼女とは同じ街の住人だったことから、自分たちの正体に気づかれたかもしれないと不安がよぎる。銀行に押し入った時、クレアに一目ぼれしてしまったダグは、仲間には探りを入れるためと言いつつ彼女を見張る。そんな状況に限って偶然クレアが声をかけてくる。FBIはダグのグループへの包囲網を狭めてくる一方、ダグはできることなら足を洗ってク レアと新たな人生に踏み出したいと思うようになる。そこに元締めの花屋・ファーギー(ピート・ボルスウェイト)が非情な圧力をかけてくる。

ベン・アフレック監督作品。評判は上々、批評家も軒並み好意的。私にとっては例えば、「LAコンフィデンシャル」や「ユージュアル・サスペクト」のような作品で、一緒に「これはいい!」と言えない、なぜだか考えた。

「ローマの休日」なぜ王女様が新聞記者に恋したのか、グレゴリー・ペックだから。「ノッティングヒル」でなぜジュリア・ロバーツが古本屋の店主に恋をしたのか、ヒュー・グラントだから。例えが今一つだけど、言いたいのは、クレアがダグに惹かれた場面にケミカルリアクションを感じなかったのね。ベン・アフレック君はどんな恰好をしていても、なぜか”大会社のサラリーマン”に見えてしまうのだ。ま、これも好みの問題かな。銀行強盗自体はとってもハマっていると思うし、彼がクレアに一目ぼれのシーンもいいから。

監督としては、どのキャラクターも大切にし、ストーリーの要として丁寧に扱っている。これが遺作になったピート・ボルスウェイトや、クリスタ役のブレイク・ライブリーなどは素晴らしい。途中で出てくるなんとなくポエムっぽくて恥しいクレアのセリフも、しっかりと最後に映像の中で生かされている。

悪の中の善、その善を理解しない善との戦いが、観客を悲しませない形で終わるのは、うれしい。

2011年2月6日日曜日

半世紀

庭に東京タワーが立っているよう
誕生日に家族を芝の「うかい」に招待した。

以前、海外からのお客さんとご一緒して、もう一度機会があったら行ってみたいと思っていた。外門、小道、中門と進むと、その先には日本庭園がある。立派な木が何本も植わっているので、昔どこかのお屋敷だったかと思いきや、なんとボウリング場の跡地。やったなぁ、昔、ここでボーリング。

お部屋からの眺め
建物は山形古民家から移築した柱や梁、秋田の酒蔵から持ってきた古い酒造りの樽等、ちょっとした博物館。仲居さんがあれこれ説明してくれるし、わたしたちの質問に答えてくれるので、お部屋にたどり着くまで10分ほどかかる。
 
今回は2回のお部屋。中庭が一望に見渡せる。丸々と太ったスズメが葉を落としたザクロの木にちょこんと座っている。

お料理は豆腐料理を中心に8品。器や盛り付けが目に鮮やか。帰りには仲居さんが撮ってくれた写真とバラの花一輪を土産に頂いてしまった。誕生日と言って予約したからかな。

家族だけではなくいろんな人に助けられてここまでやってきたのだと、 つくづく有難い幸運に感謝。

エントランスにはお雛様

2011年2月3日木曜日

節分

九段は靖国神社前にある宝来屋さん。
どら焼きがとっても美味しい。季節の和菓子を見るのも楽しみ。
節分のおも菓子が、あんまりかわいいので買ってきた。
鬼。
お店の人、「プードルに間違えられるんです」
もしかしたら一つ目で、黄色いのはキバかもしれない
逆さだったらごめんなさい!


升に入ったおまめ
今年も福が沢山来ますように。