2012年6月14日木曜日

使われなかったバックアップシステム「PBS」

初めてと言っていいほど納得のいく記事、「福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者」のパート2を心待ちにしていたが、ERSS(緊急時対策支援システム)/SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)についての考察が掲載されたので是非合わせて読んでいただきたい。


しかし、誰がどこでこのような質問をぶつければいいのだろう・・・。シロウトがあれこれ言っても原子力は難しすぎ、質疑応答にならないだろう。是非「専門家」の方に立ち上がっていただきたいものだ。


>> 使われなかったバックアップシステム「PBS」 


 

2012年6月8日金曜日

人間―なぜ特別か?

毎朝「ダーウィンが来た」のショート版「あにまるワンだ~」を見ているのだけれど、これがとてもオモシロイ。本能と片付けてしまうには余りにもカシコすぎる動物の進化に、毎朝びっくりしたり笑ったり。
そんなこともあり、東京大学名誉教授の和田昭允さんが書かれた日経夕刊のコラム、「明日への話題」(6月7日)を大変興味深く、感じ入りながら読んだ。

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 生物は”単なる物体”ではない。40億年の進化が育てた”特別な物体”で、地球環境を生き抜く知恵(遺伝情報)の塊である。
 では同じ生物でも、人間だけはなぜ特別か?構造の違いなどを言い出したらキリがないが、そんなのは程度問題に過ぎない。決定的な違いは、「世代間の情報伝達」が人間だけ”複雑”になっているのだ。これは”ヒト能の特異能力”の結果だが、その複線構造こそが人類の未来を覆う暗雲だ、という私の杞憂?を聞いていただきたい。


 生物は、親から子への情報伝達を40億年間、遺伝という”単線”にひたすら頼ってきた。ところが人類はもう一本「記録と教育」という強力な情報伝達ラインを発明し、知識を子々孫々に伝える。つまり伝達ラインをダブルにしたのだ。しかし世の中万事、ダブルスタンダードになるとロクなことはない。
 2本の経路が独立ならよかったのだが、伏線を使う近代科学文明は、地球環境を変え、また、遺伝情報の書き換え(遺伝子操作)もする。これで人類は、2本路線間に”強い干渉”を複雑に持ち込んでしまった。


 この両者の情報伝達の速さと量の圧倒的な違いが、冒頭の”暗雲”だ。なぜなら遺伝情報だけに頼る生物は、環境変化への順応が遅い。片や人口情報は、記録と教育にハイテク技術が拍車をかける形で、モノ・コトをめまぐるしく変える。生命進化は、その無定見な鑑賞の圧倒的な量と速さにとてもついていけず、破滅の道に向かう。


 この破局から人類を救えるのは”教育の全力投球”しかない。初等教育から全教科で、総合的に「近代科学文明の知恵と責任で地球を救おう」と条理を尽くして教えよう。これが暗雲を払う唯一で無二の道だ。

2012年6月6日水曜日

運動会

大縄跳び
Canon Kiss x3
0才の保育園から始まって今回で15回目の運動会。PTAのお仕事もあったので、義務教育最後の運動会に行ってきた。

1学年60人ほどのこじんま~りした穏やかな中学校。オットはワカの小学校で初めて日本の運動会を見たとき、軍隊のようで驚いたらしいが、私が育った時代に比べると集団行動はかなりユルイ。しかし競技に入るとなかなか。小学校の5、6年生にもなると、やる気がなかったり、恥ずかしがったりする子がちらほら出てくるが、中学校ではそういう子がゼンゼンいない。

3年生恒例、大縄跳びは始まる前からみんな掛け声上げてやる気マンマン。30人が一緒にジャンプするとドライアイスのように砂煙がもくもくと上がる。練習よりもかなり沢山飛べたらしく、みんな大喜び。思春期特有(特に男子)、両親に反応が無くなったと言う話をよく聞くようになったけど、どの子も勝つと素直に喜んでみんなでハイタッチ。外の世界で順調に成長している。

白線引き
iphone
運動が得意そうに見えなかった(ごめん!)ワカも、ベビーファットが落ちて、身長が伸びて、体力を付けて、見違えるようにたくましく走っている。保育園の運動会、ロープのかわりにゴールで待つ私をめがけて、テテテテと走ってきたあのちっちゃかったわが子はどこに行っちゃったんだろう・・・。

校庭の砂と白線を見ると、自分の子供のころの運動会なんぞも思い出す。目の前には生命力いっぱいの若者。過去と未来が重なり合って、疲れたけどもいい一日だったワ。




2012年6月2日土曜日

原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために

1年もすれば又何もなかったように原発が稼働しているのかと危惧していたが、今回ばかりはそうはいかなかったようだ。遅ればせながらも興味を持ち続けているといろいろな記事に出会う。この本が出版されたのは2007年。
松野さんは原発の危険を熟知し、福島のような事故が起きることを予見していた。それをちゃんと指摘していたという。しかし、周囲の人たちは聞く耳を持たなかった。「私の言うことは誰も聞いてくれませんでした。誰も聞いてくれないので、家で妻に話しました。しかし妻にもうるさがられる。『私の代わりにハンガーにかけたセーターにでも話していなさい』と言うのです」


こういう松野さんのような人が一人もいないのかと、そこまで原発事故が起こらないとみんな信じきっていたのかとシロウトの私でも困惑した。が、この記事を読むと、しっかりとした危機管理をもち仕事をしていた方がいたのだと、一条の光を見たような気がした。


ふくしま第一原発事故を予見していた電力会社技術者---->JP Press


日本が今でこそお手本となる時なのに・・・。