2013年3月22日金曜日

渋谷駅狂騒曲

銀座線の階段付近から振り返る
3月16日、東横線渋谷駅が地下に潜り副都心線とつながった。
地上の渋谷駅が最後となる15日は、それはもう激しい人、人、人。私も通勤通学でン十年お世話になっただけに、当たり前の風景がなくなってしまうことの寂しさは否めない。鉄道ファンだけでなく、渋谷駅を最後に一目みようという人たちが立ち寄っていたのだろう。

東横線はほとんど高架を走っているのだけれど、私の住んでいる辺りにはいくつか踏切がある。電車を近くで撮影できる格好のスポットらしく、15日が近づくと近所の踏切には、脚立と立派な望遠レンズのついたカメラを持つファンの人垣。安全確認のためか、15日はその全部の踏切に東急の人たちが立っていた。

プラットホームはカーブしていたので、
こーんな広い隙間があった
たまに人が落ちたらしい
渋谷代官山間が地下化されることにより、車窓からの景色が見られなくのが残念だ。代官山を過ぎた辺りからの風景を、たとえば「混んだ電車から降りられる」という安心、「乗り換えの階段が結構長い」という憂鬱さ、そんな気持ちでながめていた。学生時代、読んでいた文庫本やら試験勉強のプリントをカバンにしまい外を見ると、銀扇閣という2階建て簡易宿(?)が見えて犬が2匹遊んでいた。社会人になりたての頃、ウォークマンを聞きながら車窓を眺めると、ビリージョエルの歌と渋谷の町が意外や意外、マッチしていてちょっと嬉しかった。ひっそりとした同潤会アパートが消え代官山アドレスがニョッキリ、でも本多記念教会はそこにあるし、大きな都営アパートやJRをまたぐ陸橋も昔から変わらない。JR山手線の上を走る辺りでガガガガ~とカーブを切り、ゆっくりした速度で並木橋を超えると「さあ、渋谷ダワ!」と感じた。

晴れの日も、雨の日も、風の日も、毎日毎日何も考えずにぼーっと眺めた車窓からの風景は、意外と脳裏に残っているものだ。 はっきり言ってお世辞にも綺麗な景色とは言い難かったけれど、紛れもなく私の一日の始まりと終わりをを縁どっていた風景だった。

15日は名残を惜しむ人たちでなかなか駅を閉めることができなかったらしいが、駅長が登場して敬礼をすると収まったらしい。駅長さんはエライ。そして代官山の線路接続工事がなんと4時間で完璧に終了し、翌日からは当たり前のように東横線はトンネルの中に飲み込まれていった。

一区切りは着いたものの、新しい駅の乗り換えになれるにはちょっと時間がかかりそうだ。銀座線渋谷駅の移動、埼京線ホームの移動、東横のれん街の引越し、高層ビルの建設、まだまだ渋谷狂騒曲は続いていく。

2013年3月13日水曜日

旅立ちの春

ワカの高校受験が終わり、なんと3月も既に半ば。進学先も決まりほっと一息、来週は義務教育最後の卒業式。思い起こせば産婦人科の先生と助産婦さん、保育園の保育士さん、小学校と学童保育の先生、ピアノの先生、中学校の先生、塾の先生と、なんと多くの人たちに見守られながら大きくなってきたことか。地域の皆さんに育てられて、無事に義務教育を終えることができた。感謝、感謝である。

そして、そんな春の一日、ワカの小さな友達との別れがあった。ワカが私のお腹にいた春の日、近所で野良猫が赤ちゃんを産んだ。ある日母猫はいなくなり、一匹だけ子猫がおいてけぼりされていた。子猫の頭の上の電線にはカラスが「カ~!」。見るに見かねて母が拾ってきたのがミミちゃん。ワカと同い年15歳のミミちゃんは、名前と同じ3月3日の夜、静かに眠りについた。

一週間ほど前から食べ物を受付なくなり、それでもよしよしするとゴロゴロと喉を鳴らし、決して辛い顔を見せない。何度も猫ちゃんを看取ってきたけれど、その度に動物の安らかで静寂な最後には尊敬の念さえ覚える。まるで木の葉が落ちるように自然の一部となり、人間もこのように落ち着いて、美しく最後を迎えられるのだろうかと。

「何も心配いらないよ」と言うように、仲良しで大好きなワカの新たな旅立ちを見届け、静かに行ってしまった。たくさんの思い出を本当にありがとう。ミミちゃんは古い毛皮を脱ぎ捨てて、今頃、新しい毛皮を探していることだろう。また生まれてきたらうちにおいでよね。それまでちょっとの間だけさようなら。