2010年10月28日木曜日

ハムスターはかわいい

大好きなものをなんでもほっぺに入れてしまうけど、これは無理。どうにか噛み切って持ち去りたいけど・・・。
あんまりおかしくって、涙でる。

 



こちらはその2
耳掻きが大好きなハムスター

2010年10月27日水曜日

朝の連ドラとお好み焼き

大家さん(おばあちゃん)役の藤 純子(ふじ じゅんこ)⇒寺島 純子(てらしま じゅんこ)⇒富司 純子さん(ふじ すみこ)がステキ。現在は”ふじすみこ”さんとなっているのをゼンゼン知らなかった。日本の食材でお料理をして、姿勢よく食事しているシーンが見ていて気持ちいい。

そして、中村玉緒さんの語り。秘密にしていたあかりと大家さんの血縁関係が他の下宿人にばれたとき。「あ”あ”~!」というドスの利いた声。一瞬ふじさんの声かと思ったけれど、口をあけてない。中村さんの声だった。

そして、そして、劇中の音楽がなかなか。メロディーがいいし、効果的に出しゃばらずに大阪弁の世界をマイルドにしている。

さて、あかりのお好み焼きの焼き方はわたしが小さいころ駄菓子屋で食べたのとおんなじ!でも尾道ではなくって、名古屋。祖母が名古屋に住んでいて、行った時は必ず10円持って駄菓子屋に食べに行った。

焼き方は一緒だけど違うのはソース。とろみのないシャビシャビのソース(確か「コーミソース」)。お好み焼きに刷毛で塗るとソースがしっとり生地に浸みていく。名古屋風お好み焼きというのがあるのかどうか知らない。近所に3軒ほどあった駄菓子屋が皆同じ焼き方をしていたので、少なくとも60年代の名古屋の駄菓子屋では尾道とおんなじ焼き方をしていたのではないかなぁ。食べたくなってきた。

2010年10月25日月曜日

夏もち~かづく・・

あ~、かわいい。猫の幼稚園があったらこうやってあそぶんだろうなぁ。
優しいおでこパチン、もかわいい。

2010年10月24日日曜日

長距離恋愛 彼女の決断

原題は『GOING THE DISTANCE』・・・。

いろいろあって30歳のエリン(ドリュー・バリモア)は、大手新聞社で研修するためニューヨークに来ている。そこでレコード会社に務めるギャレット(ジャスティン・ロング)に出会い、2人は軽い気持ちでエリンの研修期間中限定の付き合いを始める。いよいよエリンがサンフランシスコに帰るとなると、今まで恋愛にのらりくらりだったギャレットは彼女とこのまま別れられない。それはエリンも同じ。そして電話やスカイプや行ったり来たりの遠距離恋愛が始まる。エリンはニューヨークでギャレットはサンフランシスコで職を探すけれど、なかなかうまくいかない。 恋愛の間にあるものは距離だけではないようだ。仕事か恋愛か、永遠のテーマ。

ドリュー・バリモアが大好きなオットが、ワカ抜きで見に行こうと2人で出かけた。なある、明るい下ネタ満載、最近で言ったら「40歳の童貞男」みたいな。私生活ではドリューとジャスティンは一度は別れたけれどこのたび復活したらしい。ドリューがプロデュースしてるから、彼女が彼を呼んだのかな?セントラルパークでのエリンとギャレットのデートシーンは、2人がじゃれあっているのを監督がこっそり撮影したとのこと。・・・恋愛と仕事を両方手に入れたのは、ドリュー・バリモアだったのね。

10代から凡人の何倍もの人生を通り過ごしてきた、とは思えない屈託のないドリューの笑顔。35歳の女性には失礼かもしれないけれど、ホントにかわいい。

2010年10月20日水曜日

働き者の犬

「ご主人さま、ご主人さま、お呼びですか?」
「呼んでない」
「ええっ? 空耳ですか?テレビでもつけましょうか、ビデオの方がいいですか?」
「リモコンがあるからいい。」
「いえいえ、わたくしが!ご主人さま、ほかに何かありませんか?」
「(何にもないけどしょうがないから)背中がカユイ」
「ご主人さま~!ではおメシものからまずっ!」

一服もられたか、催眠術かけられたかのような、激しいハリキリ方。
わんちゃんは人間と違って反抗期がないからなぁ。 

2010年10月19日火曜日

よみがえるニオイ

今日、担任の先生の雷が落ちたとワカ様。
清掃時間に当番ではない生徒がずっと教室でふざけていたそうだ。今どきの男子はどんなふざけ方をするのか興味があったので聞いてみた。ファブリーズを教室で放射しまくっていたらしい。新型インフルエンザ対策で消毒液が置かれたのは知っていたけれど、ティーンエイジャーの匂い対策までしているのか?!そんなに教室って臭いの?と聞いたら教室備付けのものではないって。あ~、びっくりした。

では誰の持ち物かと言うと、剣道部員だとか。なある・・。
そういえば私が中学生の時、剣道部員の子が見せてくれた腕は青あざだらけ。びっくりしていると「もっとタイヘン」と言ってかぶせてくれたお面。ホントにすごかった。思いもよらぬ困難に耐え忍ぶ根性に恐れ入った。
忘れていたあの日の教室での匂いがプ~ンとよみがえる。

2010年10月18日月曜日

ブロンド少女は過激に美しく

マノエル・デ・オリヴェイラ監督100歳のときの作品。

冒頭から100歳の時間の流れはすごい。カメラは電車の中の20人ほどの乗客を正面から律儀に映している。車掌さんが検札をしている。一人ひとり丁寧にゆっくりと切符を見て、ぱちんとはさみを入れ、「ボンボヤージ」と挨拶をしている。64分の作品なのに映っている乗客全ての検札風景が続く。
その後も童話の本のページをめくるようにポツポツと物語が進む。

昔々あるところに、働き者で正直な若者がおりました。
ある日、エキゾチックな扇を持った美しい娘に恋をしました。
彼の雇い主である叔父さんに、結婚の許しを求めました。
しかし、叔父さんは結婚するならクビだと、若者を追い出してしまいます。
理由は良く分かりません。
仕事がなくては結婚を申し込むことは出来ません。
若者は仕事を探しましたが、誰も雇ってくれません。
やっと見つけた仕事は遠い土地での過酷な労働、
それでも娘のために故郷を後にします。

人々の会話も街の風景も何10年も前に時が止まったよう。単純で最小限の大真面目な会話は不自然だったけれど、時に唐突でそれにユーモアを感じる。後で調べてみたら、原作となったポルトガルの文豪エサ・デ・ケイロス1873年の小説の言葉を、ひとつも変えずに映画化したそうだ。そのセリフゆえか人間が植物のようだ。

どちらかというとリスボンの街や建物の方が表情豊か。何気ない風景を絵画のように切り取り、光や風で静物がみずみずしく変化する。また静止したアンシンメトリーな映像に、不思議な安心感が漂う。100歳になるとこんなに美しいミニマルな世界が見えるようになるのか。いや、見えるようになるような生き方が必要なのだろう。

若者のすったもんだの恋愛の一部始終が、あっけなくパタンと幕を落とし、最後は走り行く電車をカメラは捕らえる。画面の電車を見送るうちに、冒頭の助長された車掌の検札シーンを思い出した。主人公の心情を映す映像の完成されたリズムにマイスターの仕事を見た。

しかし、あの羽毛のついたウチワ、もうちっと良いものなかったか。これも原作のままなのかしら。

今年102歳になる監督はまだ創作を続けている。

2010年10月17日日曜日

くるみ割り人形 オーストラリアバレエ団

東京文化会館でオーストラリアバレエ団の「くるみ割り人形」を観た。1992年にバレエ団の30周年記念に際してグレアム・マーフィーが振付けた作品で、振り付けは勿論ストーリーも古典とはまったく違う。

第1幕は1950年代のメルボルン、クリスマス・イブ。
年老いたロシア人バレリーナのクララがラジオをつけると、くるみ割り人形の曲が流れ始めかつての舞台での思い出がよみがえる。そのラジオの音にかぶさるようにオーケストラの演奏が始まる。私の座っていた2階席からこのオーケストラの導入がよく見え、舞台裏をみているような面白さ。クララの家には友人が集まり、かつてのクララが映写機で映し出されると、老いた体で踊り出すクララ。疲れて横たわる彼女に、過去の悲劇的な思い出が切れ切れに襲い掛かってくる。

代2幕はクララ(ルシンダ・ダン)のバレエ人生。帝室バレエスクールで学び、バレリーナとして成功したクララは皇帝舞踏会に呼ばれるまでに。「金平糖の踊り」で大喝采を浴び踊り手として成功し、若い将校(ロバート・カラン)との恋で幸せだった日々を、ロシア革命の波が襲う。恋人は戦地で死に、心を閉ざしたクララはバレエ・リュス(パリを中心としたバレエ団)に加わり、思い出を振り切るように故郷ロシアを後にする。公演で世界中を回りオーストラリアに渡ったとき、またもや戦争が始まり異国にとどまらざるを得なくなる。

第1幕に登場するクララの友人達はお年寄りばかり。お年寄りのフリをしたダンサーではなく本当に年取ったダンサー達なのだ。これで1幕が終わるのかしら、とちょっとあれれ・・。しかしだんだんその年をとった肉体に、かつては第一線で活躍していたダンサーのオーラが見えてくる。体力が必要な技を楽しむだけではない、新しいバレエの姿を見たようでなかなか興味深かった。

第2幕での皇帝舞踏会での衣装には目を見張る。ルシンダ・ダンの素晴らしい金平糖。
そしてクララの恋人役、ロバート・カランのなんとしなやかな力強さ!高度で大変そうなリフトの連続にもかかわらず、まるで重力を感じさせない。うなった。スクリーンに映し出されたロシア革命や世界大戦とチャイコフスキーの曲が見事に重なり合い、戦争の場面にはこみ上げるもので涙目になってしまった。

皮肉な面白さを感じたのは「中国の踊り」。古典では跳躍や早いステップでアクロバティックな振り付けが楽しみな場面。しかし、ここでは薄暗い照明の中、大勢のダンサーがただゆったりと太極拳をし、曲だけが明るく忙しく動き回る。終わった後「ブ~」という声が上がったけれど、政治で抑圧された民衆の鬱屈された動きを感じ、振付家の芸術に対する心を垣間見たような気がした。

オーストラリアのバレエは初めて観たが、ダンサーは主役もコールドもヨーロッパと比べて、伸びやかで躍動感がある。振り付けは大胆なパとフォーメーションが大変美しく組み合わされ、かつクラシックバレエに忠実であり古典好きをも裏切らない。そしてロシアの歴史をひとりの踊り手を通して描いた感動的な台本。チャイコフスキーの名曲が遠いオーストラリアと出会う必然と偶然に心を動かされる。

マシュー・ボーンの「白鳥の湖」を観た時と同様、今回もチャイコフスキーという作曲家の偉大さをつくづく思い知らされた。もしチャイコフスキーがいなかったら、バレエとはどんなものになっていたのだろうと思う。

2010年10月15日金曜日

お・も・い~こんだぁら・・

トム・アンド・ジェリーかバックス・バニーでも見ているような・・。



上に引っ張られて太ももから覗く短パンの日焼けの跡がセクシーだけど、ズボンが思いっきり食い込んでるし・・・。しかしこうも頑張って、たとえば背中に乗れたとしても、いったい何をしようとしていたのかしら。
一番冷静なのがぞうさん。動かないように気を使っているけどそのあほらしさを横目で見ながら、「何だって初めからやり直さないの?」としっぽで訴えてる。
後ろで見ている仲間のぞうさんの笑い声が聞こえてきそう。

2010年10月5日火曜日

栗の渋皮煮

栗の渋皮煮は簡単だけど、時間と手間はたっぷりかかる。
美味しく煮えた甘~い栗をほおばりながら、渋皮煮ののんびり料理はまるでロシア民謡の「一週間」のようだと思った。
日曜日に市場に出かけ 
栗を一キロ買ってきた
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー
月曜日は何にもせずに
火曜日に水に浸す
水曜日に鬼皮を剥き
木曜日に何回も煮て
金曜日は味をしみ込ませ
土曜日は食べてばかり
恋人よこれが私の一週間の仕事です
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー

ちょっと字余りだけど。日曜日はスーパーとかじゃなくって市場にでかけた。青山国連大学前のファーマーズマーケット。いい栗だった。もう一回作ってお正月用に冷凍しようかな。

2010年10月4日月曜日

シングルマン

グッチのデザイナーとして有名なトム・フォードの初監督作品。

ジョージ(コリン・ファース)は、8ヶ月前に16年間共に暮らしたパートナーのジムを事故で失った。ジムの両親は彼の死をジョージに伝えず、いとこが独断で連絡してきてくれたものの葬儀にも参列できなかった。1962年11月30日、ジョージは自殺を決意し準備を着々と整えていく。しかし、いざ死を目の前にすると、日常のすべてが違ったものに感じられ戸惑いを覚える。メイドの心こもった家事、秘書のヘアースタイル、ウルサイだけだった近所の少女の愛らしさ、目を上げればすぐそこにいる美しい青年、暮れゆく空の色。そして準備万端いよいよという時に、教え子ケニー(ニコラス・ホルト)がジョージに不思議なアプローチを送ってくる。

ジョージが些細な美しさに目覚めるたびに、モノクロ風の抑えた色から鮮やかな色へと画面が変化する。登場人物の服装、建築や家の中の家具小道具、隅々まで神経が行き届いている。とても美しい映画なのだけど、もう少しざっくり感があった方がその美しさが際立ったのではないかと思う次第。メタファーの捉え方も小じんまりし過ぎていて、かと言ってフランス映画のようなさりげなさもない。

だったらキライかと言われたらそうでもない。登場人物が皆美しい。老若男女、美しく洋服を着こなし、化粧をし、ジュエリーを身につけ、その人々の姿からは場所をわきまえた礼節を感じる。そういう時代だったということなのだろうけれど。Desentな映像からは、角度を変えて見渡せば世界は美しいもので埋め尽くされている、ということが伝わってくる。その”美”は目に見える世界だけにとどまらず、時間の過ごし方、モノの考え方、読書と精神的なところにいたるまで満ち溢れている。

また、ジョージの友人であるチャーリー(ジュリアンナ・ムーア)を通して、老けていく人生の在り方が丁寧に描かれている。同性愛者の悲哀や愛する者を亡くした悲しみに目がいきがちだけれど、そう若くはない人へのまだまだ続く日々の生き方へのメッセージを感じた。

さて、教え子ケニー。その青い目は、ジョージの心の底を何もかも見抜いていそうだ。いや、どっこいゼンゼンわかってないかもしれない。そんな2人のダイアローグと見つめあいが興味深い。彼のイノセン トな美しさはかなり印象に残る、というよりも初めて見たような気がしない。彼がそこにいたら「どこかであったことありますか」ってナンパするみたいなことを聞いてしまいそうな、ケニー役のニコラス・ホルト。家に帰って調べてみたら、な、な、なんと、「アバウト・ア・ボーイ」のマーカス少年なのだ。さえない少年の役柄ということ もあったけれど、こういう化け方もあるのだなぁとうれしい驚きである。若き日のヒューグラントもびっくり。 

左がまだかわいい青虫だった2002年のニコラス君、右が羽化した後。