2010年10月4日月曜日

シングルマン

グッチのデザイナーとして有名なトム・フォードの初監督作品。

ジョージ(コリン・ファース)は、8ヶ月前に16年間共に暮らしたパートナーのジムを事故で失った。ジムの両親は彼の死をジョージに伝えず、いとこが独断で連絡してきてくれたものの葬儀にも参列できなかった。1962年11月30日、ジョージは自殺を決意し準備を着々と整えていく。しかし、いざ死を目の前にすると、日常のすべてが違ったものに感じられ戸惑いを覚える。メイドの心こもった家事、秘書のヘアースタイル、ウルサイだけだった近所の少女の愛らしさ、目を上げればすぐそこにいる美しい青年、暮れゆく空の色。そして準備万端いよいよという時に、教え子ケニー(ニコラス・ホルト)がジョージに不思議なアプローチを送ってくる。

ジョージが些細な美しさに目覚めるたびに、モノクロ風の抑えた色から鮮やかな色へと画面が変化する。登場人物の服装、建築や家の中の家具小道具、隅々まで神経が行き届いている。とても美しい映画なのだけど、もう少しざっくり感があった方がその美しさが際立ったのではないかと思う次第。メタファーの捉え方も小じんまりし過ぎていて、かと言ってフランス映画のようなさりげなさもない。

だったらキライかと言われたらそうでもない。登場人物が皆美しい。老若男女、美しく洋服を着こなし、化粧をし、ジュエリーを身につけ、その人々の姿からは場所をわきまえた礼節を感じる。そういう時代だったということなのだろうけれど。Desentな映像からは、角度を変えて見渡せば世界は美しいもので埋め尽くされている、ということが伝わってくる。その”美”は目に見える世界だけにとどまらず、時間の過ごし方、モノの考え方、読書と精神的なところにいたるまで満ち溢れている。

また、ジョージの友人であるチャーリー(ジュリアンナ・ムーア)を通して、老けていく人生の在り方が丁寧に描かれている。同性愛者の悲哀や愛する者を亡くした悲しみに目がいきがちだけれど、そう若くはない人へのまだまだ続く日々の生き方へのメッセージを感じた。

さて、教え子ケニー。その青い目は、ジョージの心の底を何もかも見抜いていそうだ。いや、どっこいゼンゼンわかってないかもしれない。そんな2人のダイアローグと見つめあいが興味深い。彼のイノセン トな美しさはかなり印象に残る、というよりも初めて見たような気がしない。彼がそこにいたら「どこかであったことありますか」ってナンパするみたいなことを聞いてしまいそうな、ケニー役のニコラス・ホルト。家に帰って調べてみたら、な、な、なんと、「アバウト・ア・ボーイ」のマーカス少年なのだ。さえない少年の役柄ということ もあったけれど、こういう化け方もあるのだなぁとうれしい驚きである。若き日のヒューグラントもびっくり。 

左がまだかわいい青虫だった2002年のニコラス君、右が羽化した後。

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