アラン・J・パクラ監督、1976年。
リアルタイムで上映されたとき背伸びをして見に行ったけど、はっきり言ってストーリーにゼンゼンついていけなかった。 今見てもお恥ずかしいことに難しい。事件そのものの意味が、というよりも、70年代のアメリカにおいての社会や習慣や考え方が、あまりよく理解できていないからだと思う。
しかし久しぶりに見ると、映画としての素晴らしさにため息。映像技術や音に頼らない、映画という2Dの空間、俳優、光の明暗が巧みに記者たちの心理を映しだす。 山と積まれた貸出カードを一枚ずつめくる記者たちの頭上のカメラはどんどんどんどん上空に引いていき、ガランと広い図書館の全体を映し出す。壁にぶち当たった記者たちを映していたカメラはずずずっと後ろに引き、やがて上空からワシントンの夕闇の街を映し出す。情報源のディープスロートは、いつも無機質なガレージの暗闇の中で目元にだけ薄明かり。ただ一か所明るくしかも風通しの良いのはワシントンポストのオフィス。その中を記者たちは水を得た魚のように走り回る。
ロバート・レッドフォードは、大変頭の切れる上手な俳優だといまさらながらに思う。もう少し顔が悪かったらオスカーをもらっていたかもしれない。ダスティン・ホフマンは弾丸のようにしゃべりながら、指の先まで縦横無尽に動かし、興奮やいら立ちを表す。両者ともロングショットが多いだけに、大変な集中力だろう。この二人の記者に好感が持てるのは、ネットもなくCNNもないころ、足で証拠を取るジャーナリズムに対しての共感と、2人の名優の演技があったからだと思う。
私もずいぶん前に見てよく憶えていないというより
返信削除ちゃんとわかっていないのです。
先日TVで放映していたので録画しようと思っていたのですが、し忘れてしまい....
近いうちに観てみたいなと思っています。
レッドッフォードは画家志望だったんですってね!
「リバーランズ・スルー・イット」の映像はため息が出るほどきれいでした。
エリリンさん、
返信削除「リバー・・・」は美しい映画でしたね。それに彼の監督作品の登場人物は皆とても美しい。ブラピは若き日のボブ様(「追憶」やら「華麗なるギャツビー」など)を彷彿とさせていました。
画家志望、あぁ、そういえば・・・、愛読紙”スクリーン”で読んだこと思い出しました。天は二物も三物も与えるのですね。楽しいですね~、こういう話題。ありがとうございまっす。