2010年3月21日日曜日

マイレージ・マイライフ

JUNO」のジェイソン・ライトマン監督

ライアン(ジョージ・クルーニー)は気が弱い経営者の代理として従業員にクビを言い渡す、というリストラを請け負う会社のプロ。彼の人生哲学は、バックパックに入らない荷物はいっさい背負わないこと。故郷の姉妹と連絡も取らず恋人もいない、結婚、子どもに興味なし。年間322日も出張する彼の家はまさしく旅、目標は航空会社のマイレージを1000万マイル貯めること。

自分では身軽だとおもっているライアン、知ってか知らずか仕事、家庭、世代などの問題をかなり抱え込んでいる。そんな現代の姿があちらこちらでぱらぱらと顔を出す。これが原因だ、何がテーマだ、と決め付けないところにこの映画のレンジの広さを感じる。そこがこの映画の何か物足りなさを感じさせる部分でもあるのだけれど。ロバート・アルトマンのように’ちゃんと’ばらばらだったら、見ているほうは一生懸命寄せ集め、何かを見つけようとがんばっちゃうんだけど。

見所は俳優陣。かっこいいけど垢抜けなくって、割り切っているようで暖かくって、頭の古いこどものようなライアンを演ずるジョージ・クルーニー、ハンサムだわ・・・。ナタリー役のアナ・ケンドリックは、「トワイライトシリーズ」での高校生の初々しさそのままに、頭の切れる、おしりの青い、傷つきやすい若者を好演。
アレックス役のヴェラ・ファーミガは、これじゃあクルーニー様でも一目で恋してしまうだろうといういい女っぷり。

アメリカでは本当にこんなふうに雇用を切っていくのだろうか、こんな仕事があるだけでオドロキ。雇用に関しては日本でも対岸の火事ではなくなっている。しかしスッパーンとクビを切られるようにびびったのは、自分に正直になったとたんスットーンと落とされる中年の純情。いろいろな経験から自己防衛をしまくっていたはずが、まさかの落とし穴にはまってしまう。傷つくなぁ、あれは。

映画の中には、あれこれたくさんの人生のかけらが散らばっていて、見る人のバックグラウンドで拾うかけらが違うと思う。「幸せな瞬間は、ひとりでなく誰かと分かち合いたい」、私はこの一言に大きく頷いた。

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