2007年4月17日火曜日

我輩は猫である

市川崑監督の「我輩は猫である」(1975)を見た。

配役はといいますと、
苦沙弥先生を仲代達矢、細君を波野九里子、姪の雪江に島田陽子。
迷亭は伊丹十三、寒月は岡本信人、独仙に前田武彦、東風に篠田三郎。
実業家金田に三波伸介(びっくりしちゃったな、もう~)、夫人鼻子に岡田茉莉子、娘富子に篠ヒロコ。
その他、二絃琴の師匠に緑魔子、おさんに上原ゆかり(ケペル先生)、中学校校長に岡田英次。
ちなみに我輩はティム(4才)、声は小倉一郎。
・・・うれしい・・・。 20世紀初頭を描いているのに、この配役ゆえに70年代を感じてしまうのだ。

バッハの曲をバックに、淡々と語られる本当の日本語と、陰影の美しい照明が印象的な映画だ。それぞれの個性を生かしきった配役、その役者が語る漱石の言葉の普遍性に、100年後を生きる私は不思議と安堵する。中でもとりわけ細君役の波野九里子さんが好きだ。彼女の立ち居振る舞いは動く絵画のよう。着物が普段着であった時代の着こなしはさすが、久しぶりに”着物で動いている人”を見た。梨園の血は侮れない。

猫達もなかなか、”我輩”はえんのしたというより、どこぞの大使公邸あたりから迷い出てきたような美猫。最後のシーンで間違いなく瓶に落っことされたに違いない。迫真の演技。車屋の黒は12歳のクロががんばって剥製のいたちを追いかけている。拍手~。

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