2007年4月18日水曜日

私は箱入り娘でございます

我輩は猫であるついでに、実家の猫のことをすこし。今まで10匹ほど飼ってきた猫は、拾ってきたか勝手に上がりこんできたお方ばかり。先代はいつのまにか引っ越してきて、畳の上で息を引き取るまで我が家に22年いた。今いる子は10年前、近所の庭先で拾ってきた子。

お母さん猫に置き去りにされたところを拾ってきたのはいいが、小さな体にのみがいっぱい、元気がなくて自分でミルクも飲めない、目も目やにで開かなくなっている、もうだめかなと思いつつ、動物病院に連れて行くと、即入院。一週間後、ン十万円の領収書と一緒に我が家に戻ってきた。こういう過去が猫格に影響しているかどうかは定かではないが、ちょっと変わった子に育ってしまった。打てば響くような猫的反応がない。抱っこがキライ、ニャーと鳴かない(ぎぎぎぎぎ、げげげげげ、というような音を出すことはある)、怒りっぽいなどなど。

両親の家はマンションの2階、普通の猫ちゃんだったらなんでもない高さであるが、行動範囲はベランダどまりで絶対外に出ない。文字どうりの箱入り娘。日がな一日ごろごろして、それほど食べないのによっぽど運動量が足りないのだろう、ガーフィールドのようにぶくぶくになってしまった。ごろんと上向きに転がると耳さえなければアザラシ。夏になるとおなか周りの脂肪はおちるものの、そのぶん毛皮がだぶついて、走ると左右にプランプランゆれる。

”我輩”の哲学とまではいかないが、”私”なりに出来事を解釈しているむきはあるようだ。
先日の雷雨での出来事。ドド~ンという激しい雷の音で、あの抱っこ嫌いが父のひざの上に飛び乗り、顔をセーターの中に埋めてじっとしていたというから、相当怖かったのだろう。雷雨が過ぎると、おもむろに父のひざから飛び降り、こそ泥のように腰を低くした体勢で一目散にベランダへ。トイレもがまんしていたのかと同情しきり、まだ怖いだろうからすぐ入って来られるよう引き戸を少し開けておいた。

・・・いつまでたっても入ってこない。が、引き戸の隙間からその半身が見える。半身の片目で何気に家の中を見ているようだ。まだじっとしてるし。ん~、そして気がついた、雷が家の中で鳴っていたと勘違いしてるんじゃないか、と。「雷はお外でなってたのよ、おうちの中は大丈夫よ。」といっても微動だにしない(これで入ってきたらチンパンジーのアイちゃんもびっくりだけどね)。外の世界を知っている猫だったら、雨は外で降る、降ったら家に急いで帰る、って事くらい分かるだろうし、根性あったら稲妻もちゃんと目撃しているだろう。・・・かわいい&”ね子”には旅をさせよ、かな。

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