昨日「ベルリン天使の歌」を久しぶりに見た。
1987年10月末、私はフランクフルトまでの片道航空券を片手に日本を発った。そしてシュトットガルト、マンハイムを経てベルリンに住み始めたのは1989年1月。まだもちろん誰もが10ヶ月後を予測だにせず、今世紀には壁はなくならないだろうと思っていた。
故意にほったらかしにされたようなポツダマープラッツ、壊れたままのゲデヒネス教会の横になんとなく時代遅れなオイロッパセンター、世界中の食材や消費財であふれかえったKDW、チェックポイント・チャーリー、そして壁、壁、壁。ベルリンではまだかの戦争は目の前で続いていた。そして国境を渡って訪れた東ドイツはもっと戦争の時代に近かったように思われた。ドレスデンはあちらこちら壊れたままだった。
閉鎖された空間で息苦しさを味わっていたベルリン市民。東と西の中間でゆっくりと進化した街のゆえに、ある種の居心地の良さを感じたのは、私が異邦人だったからだろう。今はポツダマープラッツや、冷え切っていた旧東ベルリン地区が街の中心として復活し、あの時のベルリンはもう、ない。そして今はその進化を加速させながら、また私達に新しい姿を見せてくれている。
しかし、あの60年にわたる人々の思いは今もそこかしこに漂っている。そしてベルリンは、この映画のようにそんな思いを静かに聴いてくれる”何か”が彷徨っている、そんな気持ちを持たせてくれる街なのだ。
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