2012年12月14日金曜日

もうすぐ選挙

政治の話はしたくないけれど・・・。

未来は過去の(老人の)成功体験の中にあるのではなく、若者の日々の生活の中にこそあるのではないか。

若者が夢を持てる社会なんていうのは老人の戯言で、実際自分が若い時は時代がどうであれ、将来への不安やら期待がいつも頭の中で交錯していた。夢なんて果てしないもので、到達するたびにまた新しい夢を見始める。でもそれが夢であるなんて言えるのは年をとってから。その時は一つ一つ階段を上がっている実感しかない。その若者の登っている階段は、過去の成功に縛られる老人からあてがわれるエスカレーターであってはいけないのだ。

一夜にして天地がひっくり返る革命ではなく、長い長い時間をかけて変わっていく革命もある。壊れなければ見えてこなかった現実だってあるはずで、ロールモデルのなくなった、言い換えればロールモデルにならなくてはいけないこの国は、過去に戻るのではなく前を見て進むべきだ。

全てが解決する魔法の杖などあるわけがない。それでもあの大震災を通して私なりに人生を考え直した。後戻りだけはしたくない。

必ず投票に行こう!

2012年12月10日月曜日

パエリアができるまで

妹とワカの誕生日は一日違い。妹はワカが生まれた当初一緒くたにされる(正しくはワカの誕生日に併合される)であろうと、別々に誕生日会を開いていたけれど、案の定何年か経ち合同になってしまった。昨年は両親の家だったので、今年は我が家で開催することにした。クリスマスにも家族で集まるので料理がかぶらないようにいろいろ考えて、パエリアを作ってみようと思いたった。しか~し6人分のパエリアを作れる、大きなフライパンがない。これを機会に、フライパンを新調しようと思い立つ。

我が家ではクリステルという鍋で、ごはん炊き、炒め物、蒸し物、煮物、全て済ませてしまっている。取っ手が外れるのでオーブンのなかにも入るし、食卓にもそのまま出せるし、収納も場所を取らない。ケーキ型にもなる(作ったことないけど・・・)。あれこれ調べているうちに、そのクリステルのノンスティックフライパンがパエリア用によさそうだ。

おいしく焦げ目がつくのに、後始末も簡単
お料理の腕も素晴らしいパンの先生に付き合ってもらって、代官山にあるクリステルのお店に行ってみた。ネットでは見逃していたのか、34センチのだ円型のノンスティックフライパンがある。6人分でも充分いけそうだ。ちょっと値段は張るけれど、こういうものは、普通のフライパンとしてもパエリア用としてもOKだし、丁寧に扱えば半永久的に使えるわけで、無駄遣いではない。先生の「これ、いいわ」に背中を押されて、お買い上げ~。

さて、早速クリステルのクックブックを参考に、パエリアを作ってみた、が、オットからダメ出し。レシピではなくて食材の選び方が良くなかったようで、確かに美味しくなかったわい。それに、新しい調理器具を使っての時間や火加減はすぐには慣れないものだ。
誕生会当日は朝からちゃんとできるかどうか心配で、早起きしてしまった。まずはネタ、渋谷のフードショーでいいエビ、あさり、ムール貝を手に入れることはできた。オットにサフランも買ってもらった(タ、タカイ・・・)。フライパンも鎮座ましまし、役者は揃った。

失敗の後、ネットでいろいろ見比べて美味しそうなレシピを選び、少々アレンジしてみることにした。特にスープつくりに力を入れた。一生懸命作っていたら、料理しただけでお腹がいっぱいになっちゃった。ほっとしてつかれちゃって料理を味わうどころではなく、どんな味をしていたかもあんまり覚えてない。でも、オットも他の家族も「美味しい!」って。私の感想としては、お米はもうちょっとパラパラ感が欲しかったかな。いずれにせよ、何はなくとも、みんな喜んでくれて、めでたし、めでたし。

2012年11月27日火曜日

散歩の季節

三連休最後の日曜日は半日のんびり散歩した。
出発は表参道。
まずNicolai Bergmann Cafeで、花に囲まれながらお昼ご飯。美味しい食事は、お腹をいっぱいにして頭を空っぽにしてくれる。そして青山通りに出てお店を見ながら外苑前まで。銀座線だと一駅分。
伊藤忠前にあるカッシーナが15周年記念。そのお知らせのハガキを持っていったら、何かイイモノをプレゼントしてくれるということで寄ってみた。イイモノは可愛らしいクッキーだった。

銀杏の絨毯
そして、カッシーナからは目と鼻の先にある絵画館前の銀杏並木へ。今、「いちょう祭り」の真っ最中。ここは周りに景色を遮る高層建築物が無い。だから銀杏が一番大きい。高い高い空にピーンと背筋を伸ばす銀杏はいつ見てもいい。この日は快晴、雲一つない。
もっとすごい人出だと思っていたけれど、それほどでもなかった。まだ真っ黄色にはちょっと早いからかしら、もう一週間くらいかな。で、外苑前の銀杏というと、やっぱり焼き芋(私だけか・・)。さっきお昼食べたばっかりだし、香りだけで我慢。
1本だけ私みたいだとオット。どう言う意味か?

















外苑前からは静かな青山墓地を通り抜け、六本木ミッドタウンへ。大江戸線で一駅の距離。青山墓地のいいところは人気が少なくて緑が多い。そして低木の紅葉が楽しめる。楓の赤などはそれはそれは鮮やかだ。春の桜もえらくきれいだけど、やっぱりお墓の土壌は栄養たっぷり、肥えているのかなぁ、ぎょぎょっ・・・。さて、ミッドタウンに来たのはサントリー美術館で開催中の「森と湖の国フィンランド・デザイン」展を観るため。大好きなフィンランドのガラス製品が所狭しと並んでいる。天国だ。19世紀から続く時代を超えた普遍的なデザイン。究極のシンプルさとは誰も真似のできない角度、大きさ、色をたたえていて、簡単であればあるほど真似ができない。今も定番としてお店で買えるデザインが沢山ある。これからもちょっとずつコレクションしていこう。

最後は六本木ミッドタウンからテレ朝通りを抜けて広尾のナショナルスーパーまで。日比谷線に乗れば一駅。オットはこのスーパーの大ファン。手に入りにくい洋野菜や輸入加工食品が、比較的リーズナブルなお値段で手に入る。魚介類もいいのよ。あさりのお買い上げで、夜はワイン蒸しだ~。

地下鉄だと、表参道から外苑前(銀座線)、青山一丁目から六本木(大江戸線)、六本木から広尾(日比谷線)を散歩したことになる。これだけ歩くと結構疲れるけれど、空気はひんやりとしているからいい気持ち。
これからしばらく散歩が楽しめる。

2012年11月20日火曜日

アルゴ    ARGO

1979年11月4日、イラン革命真っ最中、アメリカ大使館に暴徒化したイラン法学校の学生らがあれよあれよと言う間に乱入してくる。大使館員は慌てて大使館員名簿やら機密情報などを、片っ端からシュレッダーにかけたり焼却したり。そんな混乱の中6人の大使館員は大使館を脱出したはいいものの、あちこちの同盟国に断られた挙句、カナダ大使の私邸に匿われる。(残った52人の大使館員は人質となり、結果的に444日拘束されることになる。)

人質を盾にホメイニ師らのイラン新政府は、アメリカ政府に「癌の治療のため」アメリカに滞在中の前国王パーレビの引き渡しを要求する。街頭にはクレーンに吊るされた死刑囚、むくつけき男衆のデモ隊、その中にはブブカをかぶり銃を持った怒りに震える母親の姿も見られる。とにかく街中に抑えようのない怒りが渦巻いているのがコワイ。大使館のシュレッダーにかけられた書類は現地の子供たちがジクソーパズルのようにつなぎ合わせる人海戦術で、次々に復元されていく(すごい・・・)。名簿が復元されれば脱出した6名の存在が明らかになり、捕まれば処刑されてしまう。

アメリカでは人質奪還を幾度となく成功させてきたCIAのトニー・メンデス(ベン・アフレック)が国務省の会議に呼ばれていた。八方手詰まり感が漂う中、ふと、6人を映画のロケに来たカナダの映画クルーに見せかけて出国させるという作戦を思いつく。彼はあくまでも真面目である。トニーは特殊メイクのジョン・チェンバース(ジョン・グッドマン)に相談。太っ腹なジョンはハリウッドの大物プロデューサーのレスター(アラン・アーキン)に協力を求める。レスターもすっかり乗り気、映画より面白そうだと思っている様子。イランがロケ地になりそうな見るからにダメダメ脚本『アルゴ』を選び出し、どうせ偽物とハッタリだらけのハリウッド、スポンサーはCIA、怖いものなし。堂々と事務所を立ち上げ、大々的な記者発表を開き、イラン側に作戦だと気づかれないように既成事実を作り上げていく。

1980年1月25日、トニーはカナダ人プロデューサとしてイランに入国、文化・イスラム指導省で撮影許可をもらうことに成功。カナダ大使公邸に潜伏中の6人に計画を持ちかけるが、そんな怪しげな計画に乗れないと反対する職員もいる。しかし、国に(別居しているものの)家族を残し、自らの命をも賭けるトニーに全てを託し、カナダの撮影クルーに化けることを全員が承諾。

いよいよ作戦開始というとき、アメリカ本国から軍による人質奪還作戦への変更を告げられる、すなわち映画クルー作戦は中止。航空券は取り消され、ハリウッドの事務所は閉鎖を告げられるものの、現地の事情をよく知るトニーには映画クルー作戦しか脱出の道は見えてこない。トニーは独断で6人を自分の計画通り出国させると上司に宣言する。そこから始まる手に汗握る脱出劇・・・。

ベン・アフレック、「ザ・タウン」では彼にいちゃもんつけちゃったけど、今回は良い、良い。俳優としてだけでなく、監督としてもあっぱれ。クライマックスはかなり脚色をしているとは思うけれど、映画はこうでなくてはいけない。時代だけではなく、映画自体のつくり方もあの時代風で好感度大。

プロフェッショナルが最大限にそのスキルを発揮し、いかに相手の仕事に敬意を払うか。映画人は映画人として、大使は大使として、メイドはメイドとして、仕事に忠実であること。そのあたりが見ていて爽快だ。事の発端には一言では語れない歴史があるけれど、どちらの国が良い悪いではなく、娯楽映画として割り切って見るのはどうだろう。

この映画を見ると「日本の嫌われ方」なんて、比べ物にならないわ・・・。外交って本当に大変。

2012年11月19日月曜日

豆乳でアレルギー

脇の下の両脇とでもいいましょうか、腕の付け根の前側と後ろ側とでもいいましょうか、蕁麻疹が出始めた。一旦赤みが引いたと思っても、またひょっこりと現れる。1ヶ月程経っても治らないので、さすがに皮膚科に行こうかと思っていた矢先、ふと頭をよぎった・・・。以前会社の健康診断で、背中の湿疹を見た内科の先生から、「花粉症が皮膚に出る人もいるんですよね。」と言われたこと。その湿疹はシャンプーとリンスが原因で、石鹸シャンプーとクエン酸リンスに変えてからはすっかり治ってしまった。

で、花粉症の湿疹についてあれこれ調べてみると、豆乳とカバノキ科の花粉がヒット。このふたつはアレルゲンと構造がよく似ていて、かゆみを伴ったりひどい時はアナキフラシーを起こしたりすることがあるという記事を見つけた。実はお年頃の私には良い、と言われているイソブラボンが豊富な豆乳を飲んでいた。小腹がすいた時に現れるヤクルトさんはとってもありがたく、コーヒー味の豆乳は美味しくて月曜日から金曜日まで毎日せっせと飲んでいたのだ。半信半疑で豆乳をやめてみると、数日のうちに湿疹はどんどん小さくなり、一週間後にはほとんど消えてしまった。

病院で検査したわけではないから、カバノキ科の花粉アレルギーかどうかは解らないけれど、私としては湿疹が収まればそれで一件落着。子供の頃から蕁麻疹やら喘息やらでアレルギー体質なのは知ってたけど、まさか豆乳でね~!大好きな豆腐や納豆は問題なくって本当に良かった。何かを特別に摂取するのではなく、まんべんなく栄養を取る大切さをしみじみと感じる秋であった。

2012年11月6日火曜日

お休み中に観た映画

秋の夜長は、映画鑑賞。ブログは休んでいたけれど、映画はちょろちょろと見ていた。でも感想を書いていなかったので、あっという間に忘却の彼方。ほんとのところ、書いておいても忘れてしまう、古い映画はよくおぼえているのにね。それでもないよりはマシ、と乾いた雑巾を絞るが如く記憶を辿り、一言コメントを綴ってみた。皆様の一言コメ、大歓迎。

劇場:
スノー・ホワイト: 美しいのはお母さんのシャーリーズ・セロン

アメイジング・スパイダーマン: PPは寝ぼけ顔のトビー・マクガイアよりもアンドリュー・ガーフィールドのほうに一票

メン・イン・ブラック: トミー・リー・ジョーンズお年のためほとんど出番なし

幸せへのキセキ: 予告で十分かと思ったが、日経で☆4つだったので見に行ったら、やっぱり「予告そのまんま」だった

ワン・デイ: ワカさま、アン・ハサウェイに憧れる

ダークナイト・ライジング: 痛そうな場面満載だけれど、俳優陣がいいし、見ごたえあり

トータル・リコール: シュワちゃんのよりもいい

アヴェンジャーズ: 凄い音だった

ディクテーター: ここまで落としても、まだ哲学があるサシャ・バロン・コーエン

テイク・ディス・ワルツ: カナダっぽい映画

プロメテウス: 「エイリアン」を見てからどうぞ

ロック・オブ・エイジズ: トムのタメが長い

ボーン・レガシー: マッド・デイモンいなくてちょっとさみしいが、これはこれでOK

エージェント・マロリー: ソダーバーグらしい佳作、ヒロインがかっこいい

ロラックスおじさん: 資本主義に対する批判、こどもがみてもそれなりにたのしくて、ストライクゾーン広し

ハンガーゲーム: アメリカン・アイドル見ていると楽しみ倍増よ

危険なメソッド: クローネンバーグの恐怖、今回はキーラ・ナイトレイのアゴ...!


ケーブルTVでまったりと邦画も鑑賞。どれも良かった。特に岡本喜八監督の「独立愚連隊」は最高。「市川崑物語」は岩井監督と年齢が近いせいか、テロップ(監督の感想)にいちいち頷く。「暖流」の根上淳はかなりの美男でおどろいた。ペギー葉山のダーリンがオーストリア人のクオーターだったとは。

岩井俊二監督特集: 四月物語市川崑物語花とアリス

日本沈没

犬神家の一族(2006)

中村登監督:紀の川暖流 (1957年度版)

独立愚連隊(岡本喜八)

2012年11月2日金曜日

日野原重明先生と昇地三郎先生

言わずと知れた御年101才で現役の医師、日野原重明先生。先生のご自宅が近いので街中でお見かけすることがある。とても小さい方なのに、「何かが近づいてきた」、とそちらの方に目を向けると日野原先生。オーラ出まくり。

その先生がFacebookで「スマートシニア全員集合」というアカウントを作られ、Siriを使いこなし、毎日Facebookをアップしていらっしゃる。その言葉にずっしりと重みを感じる私。

11月2日の言葉をご紹介。
おはようございます。日野原重明です。
「幸運は備えある人のもとに訪れます。」
☆セレンディピティをつかまえましょう☆
全身に感度の高いアンテナを張り巡らせて、瞬時のひらめきを受け入れる態勢を作りましょう。セレンディピティ=運を引き込む能力は、それを受け入れる準備のある人のもとに前触れなく訪れます。


そして日野原先生よりもさらに年上、御年106歳の昇地三郎先生。公共交通機関を利用して世界一周した最高齢者でギネス登録されている。ただ飛行機に乗るだけではなく、学会に参加なさるというからスゴイ。健康で気をつけているのは食事の際によく噛むこと。2歳の時に母親に言われてから104年間その教えを守り続けているという。スゴすぎる。「お母さんの言うことを100年以上守って、親孝行が出来たと思う」とおっしゃっている。

ここで、ふと思った。もしかしたら幼い三郎くんのお母さんは言ったことを覚えていないかもしれない・・・。親が言った何気ない一言をなぜかよく覚えて、大きくなってから親に聞くと「そんなこと、言ったかしら」と言われたことがある。決して三郎くんの思いに水を差すわけではなくって、親の一言はそれだけ影響力があるということ。だから親となった我が身を振り返るとちょっとコワイ。私はワカに何を言ったのか・・・。いづれにせよ「健康は家庭が基本」と強く思った次第。

昇地先生はおっしゃる「99歳までは助走、100歳からは本番」。お二人とも人生+戦争などもっと大変な世の中で、日々突っ走ってこられたことと思う。日野原先生も昇地先生もとても可愛らしい笑顔をなさっている。そしておしゃれ!(昇地先生の趣味はおしゃれとか!) 

100才の肉体がどんなものなのかゼンゼン想像がつかないけれど、少なくとも今の私の年で疲れたとか、めんどくさいとか言ってられないわ。
今日も明るくいくもんね!

2012年10月24日水曜日

高校進学相談会

秋も深まり、そろそろワカの高校志望校を中学校に提出しなければならない時期になった。オヨヨ。

都立高校は私の子どもの頃あった学校群制度がなくなり久しいが、都内全域OKってことは大島でも新島でも?とワクワクしたりして。そんなことで、選択肢は広がったけれど、受験できる高校は一校のみの一発勝負は昔と変わらず、私立の併願校は必要。その私立高校がこれまた沢山ある。その上昔とはかなり様相が変わってしまって、私の記憶なんぞなんの役にも立たない。1時間以内での通学圏を拾っただけでも結構な数で、全部を見学する気力も体力もない。結局、一日でガガガっと話の聞ける合同説明会「東京私立高校進学相談会」というのに行ってみた。

うすうす想像はしていたけれど、会場に来てその光景に、たまげた。私の頭の中の「教育」というイメージからは程遠く、まさしくこれは展示会の商談会・・・。女子校や男子校は共学に変わり、制服が変わり、校名まで変わり、”企業”イメージがすっかり変わってしまった学校が少なからずある。どこも一様に「特進」とか「進学」コースを設け、大学進学実績をアピールする。ある学校は「放課後に塾の講師を招いて補講をするので、予備校に行く必要はありません!」と胸をはる。ア、あの~、もしもし…? で、相談が終わるともれなく”粗品”。なんだか「3年満期」、「元本補償なし」の投資ファンドの説明を受けたような。

「私立高校は親同伴で行ってください。真剣さが伝わります。」と中学の先生に驚かされ(たように聞こえた)、内心「一人で学校訪問する子どものほうが自立しているじゃないの~」と斜に構えていた私。しかし、別の意味で、15の子どもにはとても手に負えない世界、ということが何となく分かった週末だった。世の中の親のニーズに合わせているのかなぁ。そんなに絵に描いたように物事が運ぶわけないし、そもそも学校に行くのは親じゃなくって子ども本人だし、勉強するもしないも本人次第だと思うのは甘いのかなぁ。

そして、落ち着かない空気が漂いながらも、人生なんとかなるわいなモードの我が家であった。

2012年10月8日月曜日

村上春樹「魂が行き来する道筋 」

まだ読んでいない方に・・・
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 尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はまだわからない。だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。
 この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。
 僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。
 たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。
 このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた。文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。
 今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。
 国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。
 僕は『ねじまき鳥クロニクル』という小説の中で、一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈(しれつ)な戦争だった。日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬莢(やっきょう)や遺品がいまだに散らばる茫漠(ぼうばく)たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。
 最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。
 安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲(にじ)むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。

2012年10月1日月曜日

夕焼け

秋の日は釣瓶落とし。
日が短くなるのと同時に、秋の気配を感じるのは夕焼けの空の色。
秋の夕暮れは本当にきれい。今年は暑くなるのが遅くて、残暑が長引いて、今日も台風一過で夏日となる。でも、毎朝通勤で同じ時間に歩く道、強い日差しで避けて歩いていた歩道が、建物の影に。まだ夏の暑さが残っていても今日からもう10月、太陽は低く、もとい、地球はちゃんと公転している。

2週間ほど前の帰宅途中、まだ残暑が厳しいころだったけれど、秋の空らしい素敵な光景が出迎えてくれた。西に広がる夕日の美しさに見とれていたら、行き交う人が立ち止まって東の空を見上げている。振り返って見てみると、皇居にこんもりと茂った木の上に、半弦の虹が!
iphone3Gの写真はなんとなくぼやけた感じだけれど、それも、いい。

季節の変わり目、冬から春はウキウキするのに、夏から秋はどんなに暑さにうんざりしててもなんとなしサミシイ。来週の連休は衣替えをしよう。


2012年9月28日金曜日

パスタ

お湯を沸かしたりパスタを茹でている間に、具の下ごしらえ&サラダが作れてしまうパスタは、とっても重宝なメニュー。しかも料理は鍋一つで済ませてしまえるので、調理用具の洗い物も少ない。
以下は簡単で美味しかったと思ったもの。
あ、ニョッキだけはじゃがいもをゆでて、潰して、粉と混ぜなくてはいけないので、30分ってわけにはいかないか。

コンキリエ:エビとあさりを白ワインで
フジリ:クアトロフロマージュソースと赤胡椒


ニョッキ:ゴルゴンゾーラソース

ファルファレ(ゼブラ):トマトとルッコラとオリーブ

2012年9月24日月曜日

バグズ・ライフ

水曜日の夜のこと。帰宅してカバンを持ったまま台所で郵便物やらチラシやらをパラパラ見ていたら、胸元がチクッとした。ヒョイと見るとブラウスの下に1センチ半くらいのコガネムシ(だと思うけど)が一匹。考えもなくそばにいたオットに「虫さんが!」と言ってしまった。あっと、思ったときは時すでに遅し、虫が屋内にいることが許せないオット、両手はカバンと郵便物でふさがっている私の胸元から、キッチンペーパーでささっと虫をつまみ、くるくると丸めて、そのままゴミ箱に捨ててしまった。しかも生ゴミ用の。南無阿弥陀仏。



そして、翌日は当たり前だけど木曜日、その次は当たり前だけど金曜日。晩ご飯を食べて、片付けも終わって、台所で一息ついていた時だ。



カタ、カタ。

雨でも降ってきたか?

カタ、カタ、カタ。



「あ、ゴミ箱だ!」と、蓋を開けると、やっぱり。なんとあのコガネムシ!実は可愛そうだと思った割にはす~っかり忘れてしまっていたのだが、無意識下の罪悪感がゴミ箱と虫を脳みそでつなげたのだろう。「今度こそは外に逃がしてあげるわよ!」満身創痍(?)の虫くんを大事につまんで外の植木にのっけると、名残惜しそうに、というよりか、放心状態というべきか、しばらく枝に張り付いたまま動かないでいた。



自慢(言い訳?)じゃないけれど、我が家の生ゴミはとっても少ない。とはいえ木金の2日分だ。せっかく這い上がって来たところに、ドサリとゴミが入れられ、また這い上がりの繰り返し、さぞや苦難の道のりを・・・。コガネムシの寿命がどれくらいだか知らないけれど、2日も閉じ込められてたなんて。ディズニーの「バグズ・ライフ」の音楽が頭に響く。



この物語のはじめに、まず、一体いつどこで私に飛びついたのか。だいたい虫がブラウスの中に入ったら普通は気がつくだろうに・・・。

2012年9月13日木曜日

FacebookとBlog

6月に最後の書き込みをして、なんと3ヶ月があっという間にすぎてしまった。
どうやって投稿するのか忘れてしまうのではないかと・・・。
公私に渡りなんだかんだと役が回ってきた年でもあって、気持ちに余裕がなかったのもあるけれど、一番の原因はフェイスブック上の友達が増えたこと。「いいね!」とかやっているとあっという間に時間が過ぎてしまう。「久しぶりに会おっか!」と外に出ることも増えた。

はじめはブログで書いた記事をFBにリンクさせていた友人も、何人かはFBにダイレクトに書き込むようになった。確かにFBの方が手軽。何よりもiphoneから簡単に投稿できる。ブログは携帯からは思うように投稿できない、隙間時間にささっというわけにいかないのだ。

とはいえ、FBはほとんどツィート状態、ながなが(ねちねち?)と映画の感想やら世の中の話題は書けない。ずっと前に書いた記事を見て、自分の頭の中を覗くにはやっぱりブログがいい。ここ1,2ヶ月であれこれお役御免になるので、秋の夜長、またぼちぼち、ねちねち書き始めてみようかと思っている。


あきざくらさん、コメントありがとうございます。元気で~す!!
エリリンさんのコメントにもお返事差し上げてなかったようでm(_ _)m!!




2012年6月14日木曜日

使われなかったバックアップシステム「PBS」

初めてと言っていいほど納得のいく記事、「福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者」のパート2を心待ちにしていたが、ERSS(緊急時対策支援システム)/SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)についての考察が掲載されたので是非合わせて読んでいただきたい。


しかし、誰がどこでこのような質問をぶつければいいのだろう・・・。シロウトがあれこれ言っても原子力は難しすぎ、質疑応答にならないだろう。是非「専門家」の方に立ち上がっていただきたいものだ。


>> 使われなかったバックアップシステム「PBS」 


 

2012年6月8日金曜日

人間―なぜ特別か?

毎朝「ダーウィンが来た」のショート版「あにまるワンだ~」を見ているのだけれど、これがとてもオモシロイ。本能と片付けてしまうには余りにもカシコすぎる動物の進化に、毎朝びっくりしたり笑ったり。
そんなこともあり、東京大学名誉教授の和田昭允さんが書かれた日経夕刊のコラム、「明日への話題」(6月7日)を大変興味深く、感じ入りながら読んだ。

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 生物は”単なる物体”ではない。40億年の進化が育てた”特別な物体”で、地球環境を生き抜く知恵(遺伝情報)の塊である。
 では同じ生物でも、人間だけはなぜ特別か?構造の違いなどを言い出したらキリがないが、そんなのは程度問題に過ぎない。決定的な違いは、「世代間の情報伝達」が人間だけ”複雑”になっているのだ。これは”ヒト能の特異能力”の結果だが、その複線構造こそが人類の未来を覆う暗雲だ、という私の杞憂?を聞いていただきたい。


 生物は、親から子への情報伝達を40億年間、遺伝という”単線”にひたすら頼ってきた。ところが人類はもう一本「記録と教育」という強力な情報伝達ラインを発明し、知識を子々孫々に伝える。つまり伝達ラインをダブルにしたのだ。しかし世の中万事、ダブルスタンダードになるとロクなことはない。
 2本の経路が独立ならよかったのだが、伏線を使う近代科学文明は、地球環境を変え、また、遺伝情報の書き換え(遺伝子操作)もする。これで人類は、2本路線間に”強い干渉”を複雑に持ち込んでしまった。


 この両者の情報伝達の速さと量の圧倒的な違いが、冒頭の”暗雲”だ。なぜなら遺伝情報だけに頼る生物は、環境変化への順応が遅い。片や人口情報は、記録と教育にハイテク技術が拍車をかける形で、モノ・コトをめまぐるしく変える。生命進化は、その無定見な鑑賞の圧倒的な量と速さにとてもついていけず、破滅の道に向かう。


 この破局から人類を救えるのは”教育の全力投球”しかない。初等教育から全教科で、総合的に「近代科学文明の知恵と責任で地球を救おう」と条理を尽くして教えよう。これが暗雲を払う唯一で無二の道だ。

2012年6月6日水曜日

運動会

大縄跳び
Canon Kiss x3
0才の保育園から始まって今回で15回目の運動会。PTAのお仕事もあったので、義務教育最後の運動会に行ってきた。

1学年60人ほどのこじんま~りした穏やかな中学校。オットはワカの小学校で初めて日本の運動会を見たとき、軍隊のようで驚いたらしいが、私が育った時代に比べると集団行動はかなりユルイ。しかし競技に入るとなかなか。小学校の5、6年生にもなると、やる気がなかったり、恥ずかしがったりする子がちらほら出てくるが、中学校ではそういう子がゼンゼンいない。

3年生恒例、大縄跳びは始まる前からみんな掛け声上げてやる気マンマン。30人が一緒にジャンプするとドライアイスのように砂煙がもくもくと上がる。練習よりもかなり沢山飛べたらしく、みんな大喜び。思春期特有(特に男子)、両親に反応が無くなったと言う話をよく聞くようになったけど、どの子も勝つと素直に喜んでみんなでハイタッチ。外の世界で順調に成長している。

白線引き
iphone
運動が得意そうに見えなかった(ごめん!)ワカも、ベビーファットが落ちて、身長が伸びて、体力を付けて、見違えるようにたくましく走っている。保育園の運動会、ロープのかわりにゴールで待つ私をめがけて、テテテテと走ってきたあのちっちゃかったわが子はどこに行っちゃったんだろう・・・。

校庭の砂と白線を見ると、自分の子供のころの運動会なんぞも思い出す。目の前には生命力いっぱいの若者。過去と未来が重なり合って、疲れたけどもいい一日だったワ。




2012年6月2日土曜日

原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために

1年もすれば又何もなかったように原発が稼働しているのかと危惧していたが、今回ばかりはそうはいかなかったようだ。遅ればせながらも興味を持ち続けているといろいろな記事に出会う。この本が出版されたのは2007年。
松野さんは原発の危険を熟知し、福島のような事故が起きることを予見していた。それをちゃんと指摘していたという。しかし、周囲の人たちは聞く耳を持たなかった。「私の言うことは誰も聞いてくれませんでした。誰も聞いてくれないので、家で妻に話しました。しかし妻にもうるさがられる。『私の代わりにハンガーにかけたセーターにでも話していなさい』と言うのです」


こういう松野さんのような人が一人もいないのかと、そこまで原発事故が起こらないとみんな信じきっていたのかとシロウトの私でも困惑した。が、この記事を読むと、しっかりとした危機管理をもち仕事をしていた方がいたのだと、一条の光を見たような気がした。


ふくしま第一原発事故を予見していた電力会社技術者---->JP Press


日本が今でこそお手本となる時なのに・・・。

2012年5月23日水曜日

ダークシャドウ Dark Schadows

1966年から5年間アメリカで放映されていた昼メロのリメイク。多分これを見ていたらもっと突っ込めたのかもしれない。メロドラマでもなくパロディーでもなく、両足踏み込めずに終わってしまった。
ティム・バートンの過去作はもとより、「キャリー」、「ローズ家の戦争」、「Deth Becomes Her」などなど、”どこかで見た映画”感が漂う。もちろんこれらの映画はオリジナルTVシリーズよりも後に作られているけれど。

細かいことを言うと独立戦争のころに埋められて200年ぶりに世の中に出てきたワリには、すんなーりとアメリカに溶け込むバーバナス(ジョニー・デップ)。適当に作っているわけではないのだろうけれど、どうしても18世紀から1970年を見たのでは無く、21世紀から40年前を見る視線になってしまい、この「エドウッド」風なところがペラリ~ンとした印象を与えるのか。

主人公のバーバナスが無機的過ぎちゃって、あの美しいアンジェリーク(エヴァ・グリーン)がガンガンに頑張っても、なんだか暖簾に腕押し、糠に釘。もうひとひねり欲しかったけれど、エドワード・シザーハンズから主人公はずーっとこのままだから、これはこれでいいのかな。

・・・もんくばっかりだけど、部分的に面白いところもあった。特に「ある愛の詩」のジョークと「Alice woman」には大笑い。


2012年5月22日火曜日

ファミリー・ツリー The Descendants

舞台はハワイ。
穏やかな風景とは裏腹に、マット(ジョージ・クルーニー)はもんもんとしている。妻は事故で死を待つばかりの昏睡状態、長女はドラッグでラリっているし、次女はわからんちん。そして一族の間には「先祖代々の広大な土地を誰に売却するか」という大金がかかった大問題が横たわる。そんな時に追い打ちをかけるように、妻が離婚して、不倫相手と一緒になろうとしていたということを知る。全ての難題がドドドと怒涛の用に押し寄せる。・・・こう書くとドラマチックに聞こえるのだけれど、ぜんぜん悲惨ではない。それどころか終始、ハワイの自然と優しいそよ風に顔を撫でられているような映画だ。

ジョージ・クルーニーのライトなコメディーは最高。長女役のシャイリーン・ウッドリーと次女役のアマラ・ミラーには驚きっぱなし。長女のボーイフレンド役のシドを演じたニック・クロースはいい味出している。マットの義父役ロバート・フォスターは相変わらずシブイ。妻の不倫相手の妻を演じたジュディ・グリア、出番は短いし線は細いのに強烈な印象を残す。そして妻役パトリシア・ヘイスティ、ずっとベットに寝たきり、しかしそのコンスイの演技がスゴイ・・・。


全ての難題の根っこは全部どこかでつながっている。解決を先延ばしにせず、面と向き合う、辛いけど。で、それが終わったら、スッキリと未来に向いて行動する。原題は"The Descendants"(子孫)、Ancestor (祖先)ではないのだ。
「こうなんだよな~」、と泣き笑いで納得してしまうとっても素敵なお話だ。

2012年5月21日月曜日

金環日蝕

妹が撮った太陽の指輪
今日は金環蝕。NHKのリポーターは朝からハイテンション。7時過ぎに表に出て、雲を心配しながら朝の空を見上げる。(良くないかもしれないけれど)雲のおかげで裸眼で見えた。メガネを通して見た赤い太陽も綺麗だったな。この太陽の恵みを受けながら地球はずっと生きてきた。


19日、朝日”フロントランナー”飯田哲也さん。『原発不要は当り前の声が広がるのはいいが、「俺の方が正しくて再稼働反対・即時停止が大原則、10〜20年以内に穏やかに廃炉なんて言うのは実は原発支持派だと敵視する人が結構いる。違う意見は認めないのは、形を変えた原子力ムラと同じ。いろんなやり方や意見を認め協力するネットワーク型の運動であって欲しい』。・・・ほんとにそう思う。

昔、金環蝕を見た人たちに思いを馳せながら、おっきななが~い目で子々孫々のことも考えてみたい。

2012年5月11日金曜日

2012年5月8日火曜日

スーパームーン

6日のお月さまは地球に最も接近する時と満月が重なる「スーパームーン」。
 NASAによると、この夜の月は通常の満月に比べ、大きさが14%、明るさが30%増して見えたとのこと。で、9時半頃外に出た。確かにとってもきれいなお月さま、でも特別大きいとも思わなかった。
そして、せっかくなのでCANON Kissx3で撮影してみる事に。
55-250mm, F8, 1/320,ISO200
残念ながらこのブログには写真拡大の機能がなく、またPCで拡大した写真もupできなかった。PCで拡大すると、月の表面の凸凹まで見える。カメラってスゴイ・・・。
5月21日はこのお月さまが太陽に入り込み、素敵な天体ショーを見せてくれるはず。てるてる坊主つくろうか。

2012年5月6日日曜日

迪化街 (ディーホァジェ)@台北

台北の問屋街で布地、乾物、木の実、お茶などが店頭に並ぶ。小売りもしてくれて買い物ももちろん楽しいのだけれど、19世紀から20世紀にかけて立てられた建物がとても素敵。上も向いて歩こう。













2012年5月5日土曜日

アーティスト The Artist

映画は無声からトーキーへ、そんな時代のジョージとペピーという俳優の物語。ジョージは新しいものと古いもの、また、娯楽と芸術の狭間で苦しむ。タイトルは”The Artist”、これが肝心。アーティストはきっと誰もがこのような孤独との戦いを続けているのだろう。だんだんと落ちぶれていくジョージを影で支えるペピー。彼女のジョージへの思いは恋心だけでなく、彼の才能を信じる同じ俳優としての目線。

無声映画に敬意をはらいつつも、「無声」を映画人が抱える芸術と娯楽の間のジレンマとして描き、さらに過信と情熱を「無声時代のオーバーアクティング」として描く。芸術家の成長を映画の技法を借りてつくりあげた、じつにカシコイ映画なのだ。ハリウッドが許されればやってみたかったであろう映画、それをフランスがやってしまった。

スコセッシ監督の「ヒューゴ」はアメリカ人がフランスを描き、最新の3D技術を使って撮影するという全く逆をいったけれど、2011年にこの2作が作られたのは興味深い。お互いの国の映画人に対する敬愛の念をひしひしと感じる。今年のアカデミー賞授賞式を見ていて思わず微笑んだ監督の言葉、「世界の3人の人にお礼を言いたい。ビリー・ワイルダーとビリー・ワイルダーとビリー・ワイルダー」。

主役のジャン・デュジャルダンは演技だけでなく踊りもイケる、あの笑い顔や体型がどことなくジーン・ケリーに似ているような。ベレニス・ベジョはとってもチャーミング、監督は妻の魅力を熟知している。

2012年5月3日木曜日

龍山寺@台北

台北随一のパワースポットと言われる龍山寺(ロンシャンスー)に行ってきた。モクモクのお線香の中、老若男女みな一生懸命に願い事をしている。神様が誰のお願いごとか分かるように、お祈りの前に住所氏名を唱える事が肝心との事。辰年に訪れる事ができてよかったわ。
入り口

龍が沢山

石を彫って作っている柱

物語が聞こえてきそう

お祈りする人たち

龍を追いかける鳳凰

軒下もきれいな彫刻

こちらでもいちゃもんをつけられる龍

2012年5月2日水曜日

台北旅行

「どこか行きたいね」とパン教室で話をして、それからトントントンと話が進み、先生と生徒の計4人で台北に行ってきた。フライトとホテルと現地空港ホテル間送迎付き、台北2泊3日、自由行動の春のバーゲンツアー。友人のひとりは仕事で何十回も台北に来ているというので、右も左も分からぬその他3人はおんぶに抱っこ、何を見ても新鮮で面白い。お陰様で短い滞在を大変有意義に過ごすことが出来た。

羽田は本当に便利、台北の松山空港も中心に近い近い。台北到着までの時間は新幹線ひかりで大阪に行くのとそれほど変わらない。空港を出て迎えの車が来るまでの間、少し重たい空気の中に大きく伸びた南国の木々や少々くすんだコンクリートの建物を眺めていたら、なくなった祖母が「台湾は足袋がいらないそうよ(それくらい暖かい)」と、行ってみたそうだったことをおもいだし、ジワッときてしまった。おばあちゃん、私、来たよ!

4月中旬の台北は日中25度を超え、半袖一枚、サンダルでOK。人口密度は世界で2番目に高いと言う事だけれど、街路樹や公園の緑が青々としてそれほど窮屈さを感じない。街を歩くとどこか懐かしい。雑然としているけれど活気がある、私が子どもの頃に東京のあちこちで見かけたような懐かしい感覚。台湾の人たちはとても親切で、英語より日本語が通じる。スゴく上手な人もいるし、カタコトの日本語を使って一生懸命話してくれる人もいる。誰もがニコニコとほんとうに親切なのだ。そして、なんと言っても食べ物!どこで何を食べてもホントーに美味しい。だから品数沢山食べられるように、最低でも4人で行った方がいいかな。

交通手段はタクシー。初乗り70元(200円位)、短時間に4人で移動するには大変便利。運転手さんには、行先を書いた紙で筆談。運転手さんも総じてとても親切で、ランドマークが現れると、「ここはナントカ!」(と言っていると思う)中国語で観光案内をしてくれる。言葉が分からなくても、相手の好意は通じるものよね。

到着した日の夜は現地に住む会社の元上司夫妻がレストランに連れていってくれた。テーブルにあふれんばかりのお皿が並ぶ。私は、人生初の北京ダックを食した。クレープのような皮に、薄く切った北京ダックとねぎとみそをのせ、くるくると巻いて食べる。とっても、とっても、美味しかった。

中山駅そばにある北京ダックで有名なお店
天厨菜館
カメラを向けたので恥ずかしそうなおじさま
こんがりと飴色に焼けた
北京ダック

2012年4月30日月曜日

裏切りのサーカス  Tinker Tailor Soldier Spy

原作は元英諜報部員、ジョン・ル・カレ。ヒタヒタと押し寄せる姿なき敵との戦いが、大英帝国の黄昏を背景に渋く描かれている。携帯もコンピューターもない電話と電報の時代、ノスタルジーを強烈に感じる。ほんの少し前の話なのにまるで時代劇の様相。そりゃ、とっても便利な世の中になったけれど・・、私はアナログ世界の人間だワ、とつくづく思う。

冒頭からシーンがあちこちに飛び、オヨヨと思いながらちょっとがんばって画面を追っていた。しかし、話がすすむにつれ、一見バラバラに見えるシーンの展開、実はとても計算されていることに気付く。話が行き詰まると遅いテンポ、しかし解決となると軽快なリズム、と、エッセンスを上手につなぎ合わせ大変カシコイ編集。何よりも人間が情報媒体の主役であった時代のスパイ活動だ、先端技術でケムにまかれるようなこともなく、これほどわかりやすい話もないと思った。そして硬派なだけではない、奪われてしまったライターのメタファー、リッキー・ターとイリーナの化学反応、最後に流れる「ラ・メール」、実は結構なロマンス映画でもある。

あのシド・チャリスを演じたゲイリーは、本当にオールドマンになってしまった。彼のような顔の筋肉一つ一つが動かせるような役者が、表情を動かさないというのも大変なことだろう。やる気がなさそうでありそうで、ジョワッっと核心に迫るあの意気込みを全身で演じている。私はリッキー・ターを演じたトム・ハーディがよかったかな。いづれにせよ、英国では俳優がヨリドリミドリという感じ。

2012年4月20日金曜日

英雄の証明   Coriolanus

冒頭、廃れた街の中に軍隊と群集、迫力ある顔の俳優がなんだか古めかしい言葉で仰々しくセリフを言う。ちゃんと下調べしていなかったのでなんだろうと思っているうちに、すぐにシェイクスピアであることが分かった。悲劇「コリオレイナス」(ゼンゼン知らなかった)を、レイフ・ファインズ”監督”がローマ時代を現代に置き換えて映画化。

中世の芝居がかったセリフ(芝居だからしょうがないのだけれど)が、今の社会にそのまんま通じるシェイクスピアの普遍性に今更ながら感服。邦題からみて「英雄とはどうあるべきか」がテーマなのだろうけれど、コリオレイナスを取り巻く政治のあり方、政治の事務方や民衆のエゴイズムの描き方に興味が持てた。私自身、無関心であることへの罪を感じる今日このごろだけれど、一方で、衆愚政治も困ったものだなぁ、と。この地味な(?)作品をテーマに、現代の問題を鋭く見つめたレイフ・ファインズの慧眼に拍手。

舞台俳優であるラルフ・ファインズの怪演には驚くばかり。また、老いてなお美しいヴァネッサ・レッドグレイヴの凛とした姿は必見。イギリスの俳優は本当にステキだ。

2012年4月19日木曜日

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙   The Iron Lady

メリル・ストリープを鑑賞しに行ったという感じ。マーガレット・サッチャー氏ご本人はもちろんテレビでしか見たことはないけれど、M・ストリープのサッチャー氏はどこを見てもどこから見ても聞いても”らしい”のである。もちろん一目でストリープだということは分かる。しかし完璧にサッチャー氏に因数分解されてしまっている、と言ったら何となくニュアンスが伝わるかしら。そしてあの80才の老けメイク!あれはスゴイ。「カーネーション」の糸子さんのもお願いしたかった。

認知症を患っているサッチャー氏の妄想が過去と現在の世界とうまく絡まり合い、そしてあえていえば”女性”讃歌で終わらないよう作られている。サッチャー氏の功罪については横に置いておいて、この稀代の女性の「私」を描くことに腐心した監督とM・ストリープの仕事には敬服するばかり。一言言わせてもらえば、邦題に付いちゃった「涙」はいらないわ。

ここで映画の中でサッチャー氏が言った心に留めておきたいセリフを一つ;

"Watch your thoughts, for they become words. Watch your words, for they become actions. Watch your actions, for they become...habits. Watch your habits, for they become your character. And watch your character, for it becomes your destiny! ”

(考えは言葉になり、言葉は行動になり、行動習慣になり、習慣人格になり、人格は運命になる)

サッチャー氏の父上がいつも口にしていた言葉だったそう。とにかく「考えが大事」と。


2012年4月18日水曜日

テディベア

オットとワカサマが母を訪ねてン千里、男二人で里帰りしている最中に、たくさんの友達と会って食べて飲んでつかの間のシングルライフを謳歌した。そんな中、ちょっと私にしては異色だったのがテディベア作り。

まだ、名無しのくまちゃん
中学のときの一番の仲良しのお友達が、テディベア作家になっていた。なっていたというのは約25年振りに再会したから。その友達がテディベア・フェアに出展するからと誘われて見に行ったら、これはスゴイ。大きな会場にぎっしりとブースが並び、結構な熱気。こ、こんな世界があったのね。で、友達のブースに行くと、私の大好きなシュタイフ・スタイルのミニベアが展示してある。体長15センチくらいで、実にカワイイ。生地もちゃんとヨーロッパから仕入れていいて、技法もシュタイフと一緒だと言う。しきりに関心していると、その気だったら教えてくれると言う。

本当は作りたかったけれど、実はちょっと引いていた。というのも忘れもしない中学1年の時の家庭科で「2」を頂戴しているのだ。袖なしブラウスを作らされたのだけれど、当時は興味もないしゼンゼン楽しくなかった。前端と前中心を間違えて、ねじれたまんまで提出したのはよく覚えている。そのまんま、お裁縫には興味が持てず。保育園や小学校で必要なシーツやら、袋やら、そんな四角いものは縫ったけれど、まともな裁縫道具さえ持っていない。もちろんミシンなんて無いわよん。

でも、シングルライフで気も大きくなっていたのだろう、熊の可愛さにもつられて、イッチョ作ってみるか!って。友人を自宅に招いて週末に2回、合計約10時間程、マンツーマンで教えてもらった。型紙は友人のデザインで既に生地は裁断してきてくれた。これを縫い合せて綿を詰めるのだけれど、ちょっとしたところにプロの技有り。手取り足取りでどうにか完成。実に楽しかった。忘れるといけないので、今、2匹目も制作中。

2012年4月16日月曜日

スーパーチューズデー  The Ides of March

実際の選挙に着想を得て書かれた戯曲 「Farragut North」を原作にジョージ・クルーニーが監督、脚本、制作、出演をこなす。原題の 「The Ides of March」はシーザーが暗殺された3月15日を意味するものでJ.クルーニーが名付け親。

まさしく「ブルトゥスお前もか」の世界。政治は難しくて複雑なものであるけれど、究極は人間の根本的な「思い」で動いているのだとつくづく思う。主役ではないけれど、その核の人物である大統領候補モリスをJ.クルーニーが演じていて、これがなかなかいい。魅力的であるが故に、モリスの選挙マネージャーであるスティーブン(ライアン・ゴズリング)がモリスへの信頼をバッサリと切り捨てられず、しかし後に可愛さ余って憎さ百倍になってしまうその流れに大いに納得する。私なぞこんな大統領候補がいたらコロリと騙されてしまうだろう。

その他フィリップ・シーモア・ホフマン、ポール・ジアマッティは絶対ハズさないし、マリサ・トメイの不可思議なジャーナリストは最高だ。特に冒頭モリスに心酔する若いスティーブンに言った「どんな人物であれ、政治家というものには必ず失望させられる」(うろ覚え)には、トメイの説得力ある言い回しに脱帽。モリー役のエヴァン・レイチェル・ウッド(アクロス・ザ・ユニバース」)は美しさと技量を備えている。

もちろん21世紀の映画ではあるけれど、どこか70年代のルメットなどの映画を彷彿とさせる。ノスタルジックで熱すぎない、でも言いたいことがストレートに伝わってくる。政治の善悪を解いているのでは無く、それぞれの譲れない一線を描いている。その琴線に触れたときの力関係の駆け引き、自分の大義のためにどこで一線を譲るか。正義とは「あるかないか」ではなく、「信じるか信じないか」なのだわ・・・。

あのデカプリオが制作に関わっている。

2012年3月27日火曜日

一年

あっという間の一年。確実に風化を続けているあの日の記憶を留めようと、この2週間を過ごした。どんなに胸を痛めても、被災者の方々と思いを共有する事は私にできる訳がない。ただ、心から犠牲者の方々の冥福をお祈りして、自分のためでなく他の人のために働き、日々生活を続けるだけだ。

原発に関してはこれからもうやむやにならないよう、目を光らせて行かなければいけない。政治やメディアの思惑に注意しなくてはいけない。

がれきの問題も、料金値上げの問題も、真っ当な理由やデータがあれば受け入れられる。何が何でも反対なのではなく、それを要求している人たちの言う事が信用できないのだ。適当にあしらわれる事が我慢ならない。

これで、すべての原発が止まる。経済が、とかなんとか言うけれど、企業は電気料金云々の前に、遅かれ速かれグローバル化の波に飲まれて海外に出て行ってしまったであろう。

福島原発は未だに安定していない。もう一年、まだ一年。

2012年3月10日土曜日

シャーロックホームズ/シャドウゲーム  Sherlock Holmes: A Game of Shadows

シャーロック・ホームズ第2作目。全体の流れとワルモノの悪巧みは理解できたけれど、途中幾度かついていけない展開あり。ホームズのおつむの回転の速さについていけないのか、編集で端折ったのか、もともとそれほど意味がないのか。それでも、面白いのだ。

またまたものすごい爆発(砲撃)シーン。もちろんCGではあるだろうけれど、そのままの速さで見ると、ズバババ~、ドッカ~ンでアットいう間、労力の割には一瞬でシーンが終わってしまう。それを前回同様、実はこんなことが起きているのだと(思っているかどうかは解らないけれど)、スローモーションで見せてくれる。サム・ペキンパーもやっていた、と言われればそれはそうなんだけれど。違いはというと、役者の動きが、運動選手のごとく実に美しい。普通の動きというよりも、マーシャルアーツや走っているところやそんな「意識した運動」がゆっくり見られるのだ。映像技術だけでは無く、役者の日頃からの鍛錬もおおいに関係しているだろう。「マトリックス」のように洗礼された動きをポーズとして見る、というより泥臭くって汗臭い動きの流れを継続して見る面白さがある。

水を得た魚のような、ダウニー・Jrとジュード・ロウ。シャーロック・ホームズはとにかくキタナイけれど、色っぽくてかっこいいロバート・ダウニー・Jr。繊細だけれど懐の大きいワトソン君役にぴったりのジュード・ロウ。何といってもスルメのように噛めば噛むほどいい味のでそうな”色気”と、軽妙で絶妙なセリフ回しが見どころ。

シャーロックとゼンゼン似ていないお兄さん役を演じているスティーヴン・フライ。すっかりおじさんになってしまったけれど、いい味出してる。ちょっと話がずれるけれど、彼の出演作「ピーターズ・フレンズ」は大好きな作品の一つ。(冒頭、ティアーズフォーフィアーズのEverybody Wants To Rule The World が流れるとゾクゾク)。彼はエマ・トンプソンやヒュー・ローリーやケネス・ブレナーのお友達だ。

音楽のハンス・ジマー、やっぱりこの人は天才ダワ。

2012年3月5日月曜日

ヒューゴの不思議な発明    HUGO

後ろに「不思議な発明」が付いているもんだから、アカデミー作品賞に子ども向けの3D映画かぁ、大御所スコセッシ監督だからかな?位にしか思ってなかった。しか~し、完全に裏切られた、いい意味で!

終盤のジョルジュ・メリエスの映画のシーンは特に素晴らしい。メリエス以外にも映画の草創期に生まれた”マジック”を、スコセッシ監督はいくつもの仕掛けをして、この”HUGO”の中に重ね合わせて描いている。スコセッシ監督の、先達への真直ぐな敬愛の念は心が洗われるし、ただ映画が好きでひたすら撮り続けているのであろう謙虚な姿には胸が熱くなる。ああ、泣ける。スコセッシの映画は美しくてしっかり見ていたいのだけれど、何しろ名作ト言われる作品は、突然血みどろが始まる。「タクシードライバー」「グッドフェローズ」「カジノ」・・・。思っても見なかった、コワイ思いをせずに、しかも涙で見ることができるとは!

老人と若者、100年前の動く絵画を見た人たちと今の3Dを見る人たち、世代を超えて、時代を超えて、それぞれの立ち位置で同じ感動を共有する、まさしく映画の醍醐味が余すところなく伝わる最高の映画。いつの時代も、見つけ出し、それを育て、送り出し、語り継いでいくのは若い世代なのだ。スコセッシ監督の子どもたちへのなんと優しいメッセージだろう。そういう意味では子ども向けの映画でもある。

私はなぜに映画館に足を運ぶのか。たかが映画、されど映画・・・。
これを見逃したら、損。

2012年3月4日日曜日

世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶 Cave of Forgotten Dreams

とても長い邦題だけれど、まさしく内容はそのままのドキュメンタリー映画。
1994年に南仏で発見されたショーベ洞窟。3万2千年前に描かれた壁画をヴェルナー・ヘルツォークが研究者の話等を交えて3Dで撮影。



冒頭、畑の中を歩いているようだけれど、突然フワフワとカメラが上空に上がる。どうやってとったのだろうと不思議に思っていたら、どうやらリモコンつきの小型飛行機にカメラを乗っけていたようだ。洞窟のなかでは使っていないはずだけれど、ヘルツォーク監督は色々試しているご様子。大切な洞窟が人間の吐く二酸化炭素などで壊れないよう、1日4時間x6日しか撮影が許されていない。与えられた時間を無駄にしないようカメラを回し続け、膨大な編集作業を行なったに違いない。

ヴェンダース監督が舞台を表現するために3Dを使ったように、ヘルツォーク監督も洞窟の立体感を映し出すために3Dを使った。窓から風景を眺めるような奥行を実現した3D、そんな映画の世界が幕を開けたようだ。絵は二次元であるけれど凹凸のある洞窟を利用して描かれている。3D映画はその立体感を実に表情豊かに見せてくれた。

洞窟内の絵はまさしく芸術作品のような壁画の連続。絵画とはどの時代でも画家とそうでない人に別れるものなのだなぁ、とつくづく思う。3万年の文明が今に劣っているということはない。この映画に出てくる研究者も同じことを言っている。今の、常識で物を考えてこの洞窟を見てはいけない、と。

芸術と宗教とサイエンスの根っこは全てひとつである、ということを実感させられる。普通の人が書いた落書きではなく、このような壁画が何万年後の私たちの目の前に現れる、何か大きな意図が働いているような・・・。そして私もその僥倖に巡り合えたのである。

オリジナルのナレーションはヘルツォーク監督が自ら担当しているが、日本ではオダギリジョーの吹き替え版。これが案外いいのだ。

2012年3月2日金曜日

ブレーキング・ドーン Breaking Dawn Part 1

1作目は年甲斐もなく高校生のラブストーリーにトキメイテしまい、2作目をかなりのテンションで待ちわびたものの、鑑賞後、少々トーンダウン。3作目は「やっぱり、ヘン・・・」だったけれど、本作である4作目パート1には実は密かに期待してはおったのだ。
感想は、あ~んぐり。なんでもあり~!とはこのことか。

ベラとエドワードはついに結婚。結婚式前夜のベラが見たヘンな夢から始まる。そしてサプライズ・ハネムーンの行き先はなんと太っ腹にもリオ・デジャネイロだった。リオって、ヴァンパイアにはあんまり合わないような気がする。さすが100歳のエドワードはポルトガル語も習得済み、流暢に操っている。

ハネムーンのホテル、覗き見をしているようで居心地悪し。ロマンチックバイオレンスとでも言おうか、一夜開けると寝室はまるで竜巻にでも襲われたようにめちゃくちゃ。ここで、観客は笑うべきだったのだろうか。部屋中破壊されているのに大きな怪我もせず、ものすごーく嬉しそうに目覚めるベラ、対照的なのは異様に落ち込むエドワード。

それでも幸せいっぱいの2人の世界は一転にわかにかき曇る。これが最大の謎で、ベラがナント妊娠してしまう。なしてヴァンパイアに子どもが出来るのか?! 100才超のエドワードは「不滅の子」の存在をなぜか知らないようだ。しかし狼族は他人のことをよく知っていた。ベラの妊娠を知ったジェイコブの遠吠えを聞いただけで、総てを察知して集まる狼たち。しかし話し合いは必要だったようだ。このまま狼語でガウガウと話が進むのかとおもいきや、CG狼の姿のまま英語で話し合いが始まる。一瞬「ベイブ」を見ているのかと。

胎児にエネルギーを吸い取られ、ベラがどんどん痩せてひょろひょろになっていく様は、なかなか見ごたえがあった。こんなに衰弱しているのに、ドクターもいるのに、点滴をするわけではない。彼らのとった手段は紙コップだ。輸血用の血を紙コップに入れて、マックシェイクみたいに蓋をしてストロー差して、「このほうが飲みやすいから」って。もう何でもいいから口に入れたいベラは、「おいしい・・・」。歯には血が歯垢検査の薬剤ようにくっついて、目もランラン、なかなか真に迫ってはいた。

出産の陣痛では、ベラの背骨がボキッと折れたような音、あれはとっても痛そうだった。それから先はドクターハウスもまっさおの、許可なし医療行為オンパレード。ほとんど虫の息のベラに「可愛いでしょう」と満面の笑顔で赤ちゃんを見せるエドワード。のんびりしていたから息の根が止まってしまった。あわてて吸血鬼の蘇生(?)が始まる。全部が相当ヘンなので軽く受け流してしまったが、エドワードはたしかベラをがぶがぶと噛んでいた。で、何が根拠かわからないけれど、ひとしきり噛み付いたあと「もう大丈夫だ」とエドワードは言うと、寝たままのベラをほっといて、狼と吸血鬼の戦いを見学に言ってしまう。戦いの最中、突然ジェイコブとエネズミの話を始めるんだけど、そんな大事なことは立ち止まって落ち着いて話して欲しい。

そしてトリはマイケル・シーンのコスプレ。

・・・突っ込みはまだまだあるけれど、この程度にしておこう。ここまで来たからには、見るわよ最後まで、パート2、絶対。

2012年3月1日木曜日

Dream Snow    ゆめのゆき


エリック・カールの「ゆめのゆき」。
いつも素敵な絵本をご紹介くださるエリリンさん(紫草のくさまくら)が、図書館でこの絵本を借りられたとのこと。

サンタクロースのような農夫が、子供たちにではなく、日頃お世話している(なっている?)動物たちにプレゼントをして歩くお話。最後のページにボタンがついていて、それを押すと綺麗な音がチロリロリンとなる。

残念ながら、エリリンさんが手にした絵本は電池切れだったということなので、家にある絵本のボタンを久しぶりに押してみた。

iphoneで撮影したので、音が小さいけれど、少しでも伝わるかしら。



絵本の裏表紙には農夫のモデルになったバリー・モーザーさん(右)がエリックカールさん(左)と一緒に載っている。
どちらもほんとにサンタさんのような風貌。優しさオーラに包まれている。

2012年2月27日月曜日

PINA

ピナ・バウシュの舞台を映像化する難しさに頭を悩ませていたヴェンダース監督。それが可能になるのでないかと3Dに取り組んだ。奥行きのあるヴッパータールの町や舞台で繰り広げられる踊りは、見ごたえがある。劇場では座席に座ると観客はその場から動けない、彼のカメラは一番美しアングルで舞台の総てを映し出す。もちろん舞台とは違う、しかし、舞台を映像化するという意欲が満ち溢れた作品だ。

ピナは類い稀なる才能をもったダンサーで振り付け家でもあったけれど、全ての作品がエキサイティングであったとは思わない。ドイツ滞在中、88年から90年までヴッパータールに足を運んで見た舞台は、マンネリ化してしまった作品もあった。本当にダンサーなのか?と思うような人も舞台に出ていた。それに彼女の舞台を見るとなぜか心がざわざわする。・・・これは彼女の作品があまり好キクナイとゆーうことではなく、彼女のダンスが私の何か触れられたくないものをペラリとめくってしまったから、なのかもしれないとも思う。

80年代末、ベジャールも難解な世界に走り、新しいダンスの姿を見せてくれた人たちの作品が、”行き過ぎて勿体ぶっている”ような気がしていた。そしてこの映画でずっと遠のいていたピナの作品、「カフェ・ミュラー」、新しい作品「フルムーン」を見る。そのエッセンスを拾い上げ、映像に織り込んだヴェンダース監督は、ダンスに関しても鋭い慧眼の持ち主と感服。ピナが好きな人にはたまらない映画になっていることだろう。

・・・私は、やっぱり心がザワついてしまった。なんでだろう。あのときから20年も経つのに、私は変わっていないのだ。このざわ付きとしばらく対峙することになるのだろうなぁ。

2012年2月25日土曜日

今月のパン教室

毎月1回、楽しく習って −というか「食べて」という方が正しいか− いる間に、中級も半分くらい終了してしまった。ベンチタイムとかニーディング、などなど聞いたこともなかったような単語が少しずつ頭に収まり、唖然と突っ立っているだけのシーンは少なくなってきているかも。

パンを1人で作るまではまだ行かないけれど、教室で時間や手間をかけてパンを作るうちに、自分の生活にも少し変化があったかな。それまでは料理を手早く済ませようとしていたけれど、最近、手間や時間をかけることが億劫ではなくなってきたような気がする。ま、子どもが小さいうちは、帰宅してこどもの寝る時間から逆算して晩ご飯を食べるには、なんてバタバタしていたからね。

今回も、先生の神業のような手つきに感動を覚えながら作ったパンとお菓子。


香ばしいアーモンドとチョコレート
中には栗も!!

外をパリッと仕上げるため蒸気焼成というのをする
カリッと焼けたタルトの上にカスタードクリーム