2008年12月31日水曜日

浅草

年末の浅草。観光客で混雑、お腹がすいたのにあっちもこっちも行列。しょうがないので時間をはずし2時近くにようやくメトロ道りの”すし栄”さんに。
お腹ぺこぺこで口も聞かずに食べ終わり、ご主人と世間話を始めた。なんとここのご主人サンバカーニバルの発起人の一人とのこと。

その昔、浅草寺の横で盆踊りをしていたのだが、音響装置の性能がよくなりすぎ、病人が静養できないと広場の隣の病院からクレームが付いてしまった。さてどうしたものかと思案中「カーニバルなんてどうだ」、との意見が出、それを耳にした伴淳三郎さんが「お前らブラジル行って来い」と指令を出し、鶴の一声で調査団派遣。ビキニも珍しく照れちゃうような時代に、本場物のサンバを目にした面面はまたも思案。でもやっちゃえ、ってことで始めたものの、「結局盆踊りのノリでサンバ祭りならず、”サン婆祭り”になっちゃったんだよね。」
それからいくつもの改良改案を重ね、現在の姿にたどり着いたとのこと。確かに10年ほど前に見に行ったとき、”サン婆”さんらしき方のお姿も拝見したが、それはそれでなかなか。最近はバージョンアップしてるそうだから来年はちょっと覗きに行ってみようかな。

現在はご主人組織からは引退なさったそうだけど、面白いお話が聞けてとってもうれしかった。おすしが三倍おいしく感じたお昼ご飯だったのだ。

2008年12月26日金曜日

エステ、眠気と戦う

ロングヘアなので美容院にはあんまりお世話になっていない。高級な化粧水はエタノールがはいっているので肌に合わず、無印良品のアルコールフリーでことはすむ。・・・とあれこれ言い訳しているのは、私が使う美容関係の出費はかなり低いということで、1年に1度くらいタルミゆく顔にお金をかけてもバチはあたらないのではないかと自問自答していたわけで・・・。で、ついに迷いながら、弁解しながらエステに行った。

「まずお化粧を落としてください。」
「あ、どうせそうなると思って、すっぴんで裏道を走ってきました。」
「あら、おきれいですね、素肌とは!」

すごい、そこまで言うか・・・・。いくらお世辞とはわかっていても、すっかりうれしくなってしまう私。心まで解きほぐしてくれるのね。そしてマッサージが始まった。

「目の周りとあごの下の老廃物を潰して、リンパの流れを活性化します。」
「いっぱいたまっているので、ガンガンお願いします。」
ごゆっくりおやすみください、さい、さいさい、さい・・・・・」

気持ちがよくって気が遠くなる私。薄れる意識のその奥でかすかに聞える貧乏性の声。
「もしここで寝てしまい、手を抜かれたらどうする~。」
あ、そうか、私は起きているのよ、と手置きなおしてみたり、足を組み直してみたりして、必死にアピール。ああ、しかし抵抗むなしく少なくとも4回は気を失った。

お客様~今日はこれで終わらせていただきます。」
はっと、我に返る私。ああ、本当に気持ちがよかった。でも、なんだかどこか満ち足りないところが・・。なんだろ。そして気が付いた、私の貧乏性・・・。今度は手を抜かれてもいいから、眠たくなったら寝てしまおう、どうせお顔の皮は引力にはさからえないのだから、せめても芯からリラックスして疲れをほぐさなくちゃね。
じゃ、また来年(行けたら、ね)。

2008年12月22日月曜日

アイスダンス

浅田真央選手はすごい。昔NHK杯でカタリーナ・ビットを生で見たときその飛び散るオーラに驚いたものであるが、おそらく浅田選手はその上を行くと思う。またキム・ヨナという望んでも得られないライバルがいるということは、彼女にとってこの上もない幸運なのではないだろうか。

いくつか感激したスケートはあるけれど、アイスダンスについてちょビット。まず何年たっても忘れられない1984年サラエボ、イギリスのトービル&ディーンの”ボレロ”。 覚えている方もたくさんいるに違いない。

それからひと世代後、今、浅田選手が滑った”仮面舞踏会”のCDがにわかに売れているそうだけれど、クリモワ&ポノマレンコの”仮面舞踏会”は一押し、それから”G線上のアリア”。リンクしたものとは違う時に見た可能性が高いのだけれど、運よくYoutubeにアップされていたのでまた見ることができた。ウレシイ。90年代頭の顔した2人、遠目には何となしパトリック・スェイジとデミ・ムーアが踊っているよな・・・。 これを見ると、浅田選手はロシアの系統を、全く素晴らしいほどに受け継いでいると言える。ロシアのバレエに代表される振り付け、そしてそれを踊る彼らの表現力は震えるほど美しい。

2008年12月19日金曜日

かわいすぎる猫

また見つけた。顔といい体型といい猫格といい三拍子そろった子。いるんだよね、こういうオモシロイ子。どうやらアメリカまでこのキュートさが飛び火してるみたい。
とりあえず、滑り込むねこと、特訓する猫。ほかにも笑える動画がてんこもり。ほんとかわいいよ。

2008年12月17日水曜日

ボウリング

ワカの誕生会。もし雨になったとする、子供たちが動き回れるスペースは我が家にない。となるとTVゲームくらいしかない。子供が日中からTVゲームは不健康だし、何より誕生日が記憶に残らない日になってしまう。オットと2人で考え込む。オット曰く、子供のころの誕生会でボウリングに行ってとても楽しかったと言う。今でも覚えているということは、きっとワカが大人になっても思い出してくれるかもしれない、と思いボウリングに決定。

さて近所のボウリング場は、ここ5年ほどですべてなくなってしまった。一番近所は渋谷のシブヤボウリング。週末は混んでそうだから念のため予約の電話してみると、希望の時間帯はすでに満員御礼。気を取り直し、次は品川方面。まず品川プリンス、何度か利用したことがあり子供連れも多かったので誕生会にはよさげ。しかし、なんと年末は大会が入っていてほぼ満杯状態だって。ボウリング場が少ないのか、ボウリングが流行っているのか。なんだか不安になってきた・・。そしてお次は、隣駅の田町、東京ポートボウルと田町ハイレーンがある。田町ハイレーンは20ン年前に行ったとき、すでにレトロな空気が漂っていた。HP(タイトルをクリック)を見ると外観はあのまんま、けっこう老朽化してるだろうなぁ、それに子連れが行くと場違いかも。と思っていると、あら、高校生以下は3ゲーム靴代込で一人1,000円というパックが。お台場で観覧車に乗ると一人900円也と考えると、ケッコウお得ではないか。電話してみると、やっぱり「週末は混んでますね~、来てみてください」。残念なことに予約は受け付けていない。ま、ショウガナイか、背に腹は代えられない。

さて当日、田町ハイレーンに到着。20ン年前と同じ外観。とっても狭いエレベーターで5階へ。肝心のボウリング設備は新しくなっていて、そして満レーン(?)状態で、親子連れが沢山、ゴロゴロ、カーン、カーンと活気に満ち溢れている。心配した待ち時間も20分ほどで順番が回ってきた。ついてる。

ノーガーターレーンはボールが転がりさえすれば、狙いを定めても定めなくても、一投目(10本ピンが立っていれば)絶対一本は倒れる。完全に狙いが外れたボールが柵に当たり、跳ね返り、もう一回反対の柵にあたり、ちょうどいい所にボールが命中しストライク、なんてことがあったりする。ボウリングというよりビリヤード。ここ田町ハイレーンはストライクを取ると、スコアを映す業界初、液晶ハイビジョン画面にスロットマシーンがあらわる。7が3つ揃うと何か貰えるようだけど、絶対揃わない。揃わないとお姉さんが画面に出てきて、”ごめんなさ~い”ってポーズをとって謝る。このおやじ向け演出は小学生にはウケてなかった。

3ゲームは短いかなと思っていたけれど、床に穴が開くのではないかと思うほど全力投球する子供たちは、2ゲームも終わると疲れてガタガタしてくる子も現れ、ちょうどいい塩梅で終了。思い出に残ってくれたらいいなぁ・・。

2008年12月16日火曜日

グエルム

韓国、2006年、ポン・ジュノ監督。何とも面白い映画を見た。

貧困や不衛生はリアルに映され、見ている者の漠然とした不安を煽る。
アメリカの発言を鵜呑み、外面や学歴で人を判断する社会。
しかし小市民は警察も軍隊も頼らず自分の家族を守ろうとし、学生は反政府のデモを行う。
そんな社会をボッシュの絵を彷彿とさせる怪物が、体操選手のようにぬらりぬらりと動く。
とてつもなく強い怪物に、火炎瓶やらアーチェリーやら道路標識やらで立ち向かう人間が、哀れでもあり愛おしくもなる。

無知、いい加減さ、下品さのブラックユーモアに笑わされたと思いきや、容赦なくバッサリと恐怖が襲う。恐怖の真っただ中においてさえ、滑稽さを引きずる人間たち。このアンバランスな世界は、素晴らしい俳優陣による演技があってこそと思う。俳優陣に拍手。

2008年12月13日土曜日

The Rainbow Connection

セサミストリートが出たところで、も一つYouTube。
私の大好きな歌の一つ"The Rainbow Connection"。森の中でかえるのカーミットが歌う。しんみり、ホンワカと聞いてほしいのだ・・。(タイトルをクリック)
よい週末を・・。

2008年12月12日金曜日

ベン・スティラー

"トロピック・サンダ"ーの話ついでに、ベン・スティラーについてちょビット。”リアリティ・バイツ”、”アメリカの災難”から始まってほとんど彼の映画は見た(と、どうでもいいことで胸を張る)。そして彼は好きな俳優(監督)というだけでなく、ある瞬間から愛しの俳優になったのだ。そのある瞬間とは”セサミストリート”でのベン。嬉しいことにYouTubeでアップされている。チャラ~ン "Friends & Neighbours"を歌うベン・スティラー、ああ、素敵。なんとなしに恥ずかしそうに歌う姿、そして着ぐるみがたまらなくキュート・・・(だからって志村けんがお相撲さんの着ぐるみで歌ってもだめなのよ。ちょっと古かったか・・)

2008年12月11日木曜日

あきらめないで

12月9日付、日経夕刊「あすへの話題」、小枝至さんのコラム

「あきらめないで」 
 35歳でその人の将来が見えるという説があるが、本当だろうか。(中略)
 先日、ある会合で「私はどちらかといえば勝ち組に属すると思いますけど」と三十代の人が発言してびっくりした。何を基準に勝ち組とか負け組とか分けるのだろうか。現在の収入や社会的地位で判断しているとしたら、愚かなことである。(中略)
 個々人の考え方が多様化している中で大学卒の資格が将来の成功の必要条件と考えるのは何かおおかしい。人生の目的はもっと種々あってよいし、目的もなしで大学で四年を過ごすのは個人にとっても、国家にとってもムダである。また一般教養の高さと学歴の関係も怪しくなってきている。
 人の潜在能力は努力を積み重ねないと顕在化しないものである。若い層には、「三十五歳で将来が見える」などと言わず、諦めないで、個々人のブランド(特技、経験、他の人からの信頼など)の向上につとめていただきたい。意義ある人生を送れたかは最後に決まるものであるし、その判断基準は人によって異なるものであろう。

抜粋しようと思ったけれど、ほとんど書き写してしまった。当たり前のことを言われているのであるが、人生の先達が書かれる文章はずっしりと心に響く。子育ての指針とするとともに、これからの自分もあきらめずに行きたいとしみじみと思った次第。

2008年12月8日月曜日

甘苦上海 (68)

紅子さんの運転手趙さん、姪の黄蓉さんが夜のお仕事をしていることに胸を痛めているようだ。で、京と周敏のことを妄想して嫉妬の炎を燃やすよりも、趙さんの相談のほうがラクだって思った紅子さんは。

お金を貸して欲しいということなら、お金と一緒に猫を押しつける。
「話してみて」
「・・・昨夜遅く、と申しましても、もう朝方だったんですが、黄蓉が台所でケータイで話しているのを聞いたのです。黄蓉はいつも朝四時頃に戻ってきて、ソファに寝ます。私は黄蓉を起こさないように、一階の台所で2人分の朝食を作ります。黄蓉はどうかすると夕方まで寝ています」
「夜の仕事だものね」
「同僚の小姐と小声で話していました。日本の男からお金を巻き上げる相談のようで・・・黄蓉はその小姐からお金を借りていました・・・それで、言われるまま男の写真を撮ってきたみたいです」
「写真・・・」
「黄蓉が眠ったあと、枕もとののケータイを見ました。ケータイカメラに、日本人の男の裸の寝姿が写っていました・・・他にも何枚か男の部屋の写真が」

さて、頭をよぎるものがあるでしょう、どう出るか紅子さん。でもケータイは黄蓉が持ってるし、趙さんに頼んだまして持ってこさせるか。・・・いや、もしかしたら趙さん何もかもお見通しで、何か画策してるかもしれないし。もっと考えれば京さんと趙さん結託して・・・。あれこれ、あれこれ・・・。
今後の展開を期待してますんで、お願いしますよ~。

2008年12月7日日曜日

WALL・E

人類は廃棄物で汚染された地球に住めなくなり、宇宙船(ノアの方舟)で飛び立つ。その後700年間太陽電池で黙々と仕事を続けるゴミ処理ロボットWall・E、他のロボットもすべて壊れてしまい最後の一台。人間のいない地球に置き去りにされた”ET”(姿が似てます)といったところ。そこに探査ロケットEVE(ちょっとアイボが入ってます)が現れる。前半はほとんどセリフが無く、映像と効果音のみ。しかし、あのマイク・ウォシャウスキーが目玉一個ですべての感情を表現したように、Wall・EもEVEも大変表情豊か。また、CG映像、背景は砂埃から、細かいところではゴキブリ君のひげの動きまで、ますます素晴らしい。今までと違い実写も効果的に取り入れられている。

後半は言ってみれば”2001年宇宙の旅”その後、を行くストーリー。2001年がまだの人はまずこちらを見れば、笑えるツボも増えること間違いなし。船長が立ち上がるところなどは、膝を打ちましたわ。後で調べたら、スタントン監督は「私が最も影響を受けた70年代SF映画へのオマージュなんです」と語っている。御意!

京都議定書にサインしないアメリカもあれば、こういうアメリカもある。と、あきれたり感心したりしながらも、来年にはそのままエプコット・センターあたりにアトラクションができているんだろうな、と思ったりもする。・・・一言で言うと、いい映画なのだ。

2008年12月5日金曜日

ゲルマン魂

会社の同僚がドイツに帰国した。2月に早々と10月帰国の辞令が出てからというもの、延々8ヶ月をかけて引っ越しの手配が始まった。
いくら帰国が嬉しくたって、なんだってそんな早くから準備するのかと思った。家具や家電製品を売却したり、安い運送会社を探すために見積もり取りまくったり、転居先を探すために帰国したり、余った有給使うためにたくさん休暇をとったり、その合間にちょっと仕事したりと綿密なスケジュールを立て、最後はピタッとゴール。その全行程を夫がこなす。財布のひもは大抵の場合、男が握っているのだから、当然と言えば当然なのであるが。

ゲルマン系の方々、たいがいは一度決めると多少の障害物は跳ねのけ、計画通りに突っ走る。よほど自分に自信があるのか、はたまた融通がきかないのか。チャランポラ~ンの私などは見習うべきことが沢山あるが、実際、見ているだけで息切れがする。しかし当人もきつかったらしく、すべての船便を送りだして帰国まであと1週間、というところであえなく発熱。どんなに強靭に見えてもやっぱり生身の人間だものね。ちょっと安心。病気まで計画に入っていたら驚きだけど。

2008年12月4日木曜日

ホテル・バビロン

BSで11月から始まったBBCのドラマ。(HPはタイトルをクリック)
「来るもの帰るが如し」のおもてなしなぞどこ吹く風、いかにお客に金を使わせるかに全神経を注ぐホテルのマネージャー。常連さんであろうともひとたびお邪魔リストに入ると、いびり出そうとあの手この手。しかしそこに人情やら正義感が意外な形で顔を出し、中くらいでハッピーエンド。

登場人物のキャラクターは、はっきり色づけされてブレがない。全員自己中心、上司の顔色やらチームワークより自分の利害が最大の関心事。しかし、見ていて気持ちがいい。だって、この人たちはみな自分の仕事に忠実なのである。ということは向き合っているのは常にお客、理想的な従業員たちなのではないか、と思えるが・・・。お客にはお金持ちという枕詞が付く。
大金持ちをコケにしながらも、やっぱり小金は大事、っていう労働者目線に共感するのかな。

2008年12月3日水曜日

甘苦上海 (63)

京君をモノにすると鼻息荒く始まった連載も早63回目。すっかりモノにされちゃった感のある紅子さん。仕事仲間の”鈍感な”(私じゃなくて紅子さんが言った)日比野さんに、若い恋人のことを自慢したくてしょうがない。ちらっとほのめかして見たものの、冗談としか受け取ってもらえないようだ。さてこの2人の食事風景。

 「殻付きのクマモト牡蠣に、レモンと不思議な香りのするソースをたらして、殻ごとすすった時、京の切れ長な目をおもいだした。わたしを小馬鹿にしたような・・・世界のすべてにタカをくくり、同時に絶望したような鋭くて濁った目が、私の口の中で溶けて、するりと体内に滑り込んだ。
 私は、あ、と声を上げそうになり、あわてて日比野をみた。日比野はいかにも日本のオジサンという姿で、前屈見でフォアグラを救っている。安心した。やはりわたしと京の関係は、まともではない。
 日比野はよく食べる。快楽に忠実なオトコだ。仕事もできるし、誠実でもある。正直に素直に意見をいってくれもする。」

牡蠣を京の目に見立てて飲み込む一文、恐れ入りました。しか~し、生牡蠣食べられなくなりそうだ・・。
日比野さんのこと”鈍感”とか”日本のオジサン”とか言っときながら、よいしょもする紅子。その日比野さんと食事の後散歩に出かける。

「日比野と二人で、新天地を歩いたことなどなかった。家族でもないし、恋人でもないので、会話も歩幅も間が取れない。私は立ち止まる。「・・・、あ、満月だわ、見て?」 ZENという店の上にぼんやりと丸くて白いものが浮かんでいる。日比野に京のことをしゃべってしまいたいのを、ぐっとこらえる。」

その時である、日比野の太短い腕が後ろから私の肩を包み込んだ。突然のことに身動きができない。さっき食べたクマモト牡蠣が胃の辺りからせりあがってくるような感覚を覚える。耳元でフォアグラのにおいがかすかに残る熱い息。「うさぎさんがおモチついてるね。」と囁きが聞こえる。
・・・・な~んて、妄想、妄想、失礼!

2008年12月2日火曜日

リトル・ロマンス

12才のアメリカ人少女ローレン(ダイアン・レイン)とフランス人少年ダニエル(テロニアス・ベルナール)、2人ともIQが高すぎて同年齢に話の合う友達がいない。そんな少年と少女が偶然ベルサイユ宮殿で出会う。はじめてのデートで知り合ったちょっと怪しげで博学の老人ジュリアス(ローレンス・オリビエ)から、ベニスに伝わるロマンチックな伝説を聞く。日没の鐘が鳴る間、ゴンドラに乗り”ため息橋”の下で恋人たちがキスをすると永遠に結ばれる、と云う。ローレンは父親の転勤でパリを去ることになり、ダニエルとベニスへ行こうと思い立つ。子供だけじゃ国境は越えられないので、ジュリアスに付き添いを頼んで家出。あんまし頼りにならないジュリアスとあれこれあって、2人はベニスに辿り着く。ケチなゴンドラの船頭を川にけり落とし、2人は”ため息橋”の下へ…。

ただお互いが好きというだけではなく、感性を共有する2人。大人社会の妥協、迎合、不条理、ちょっとした絶望感などを、それほど深刻ではないけれども、敏感に、あるいは予感のように感じ取っている。そんな子供たちを、一人前の人間として扱ってくれる大人たち。すっかり大人の世界の人間になってしまった私は、はたして自分はこの微妙な年頃の子供たちの”理解者”となっているのだろうか、とふと思う。

監督はジョージ・ロイ・ヒル。既に”明日に向かって撃て”、”スティング”等立て続けに名作を生み出していた1979年。ダニエルとローレンが入った映画館で“ スティング”が上映されている。しかし2人は”名作”を前に居眠り、クライマックス近くの銃声で目覚める。”ため息橋”に向かうため、映画一番の見せ場で席を立ってしまうダ ニエルとローレン。子供は結局映画を見てない、ヒル監督、何が言いたかったのかしらん。映画のラストシーンは記憶に残る。大きく飛び上がったダニエルの姿をとらえ映像がパッと止まる。”明日に向かって撃て”の2人が、飛び出したところで終わったように。

それにしてもダイアン・レインのかわいいこと!今はとっても素敵な女性に成長した彼女。
そして、ローレンス・オリビエ。なんだか見ていて涙が出そうになる、笠智衆さんを見ているとせつなくなるような気分、分かるでしょ?
”小さな恋のメロディー”はずーっとトロッコで行っちゃうところで映画が終わるけれど、子供ながらにあのあとどうしたのだろうかと心配していた。設定はちょっと違うけれどおそらく最後は”リトル・ロマンス”みたいに切なく、でも明るく、終わったかもしれない、と思う。子供の別れはなんて希望に満ちているのだろう。
久し振りに見たけれど、前見たときよりず~っと面白かった。

2008年12月1日月曜日

子供に注意されるとき

土曜日の午後、ダイニングで宿題をしているワカの横で私はみかんを食べていた。

ワカ「・・・あのね、もうちょっと静かに食べてくれる?」
私 絶・・・・句!

ついこの前まで「お口をちゃんと閉じて食べないと恥ずかしいでしょ。」と注意していたのは私。だけど、私、神様に誓って口は開いていなかった。いやしかし、ちょっとのどが渇いていたので、2,3房をまとめて口に入れたのがまずかったのか・・・。しかし何よりもショックなのは私が確実にオバサン化してるということ(別名”おやじ母”とも言う)。そう思うとこれからはお風呂上がりに下着姿でうろうろしたり、ボヤ~っとテレビを見たり、PCでゲームなんてしてる姿、もう見せられまへん。花村の久乃おかあさん見習って今日から襟を正さねば。
どちらかというとワカはポヨヨ~ンとしたタイプで怒ることのない穏やかな性格、それだけに直球を浴びると何ともイタイ・・。

あれこれ親の言うことを素直に聞いていた子供時代が遂に終りを告げつつあるのね、きっと。
ひらひらと舞い落ちる落ち葉のように、なんとなくさみしい母であった。