2009年1月30日金曜日

パイパー

シアターコクーンでの今年の野田マップは”パイパー”。

宮沢りえと松たか子のダブルヒロイン。終盤での2人の長い掛け合いのシーンでは、松たか子さんのセリフのリズム感の良さに感服した。その場面、りえちゃんのセリフはちょっと短めで繰り返しが多いんだけど、合いの手の入れ方がこれまたがうまい。この芝居の一番の見せ場ではないかと思う。

お父さんの橋爪功さんは貫禄。間の取り方が実に絶妙で、こんな言い方をしたら失礼かもしれないけれど若々しい。野田秀樹さんは声をからして全身全霊頑張っていた。自分で書いた本だから自由自在にセリフが操れるのはいいのだか、多少誰かが止めてくれてもよいのではないか、と思うセリフ回しはあったことにはあった。さとえりちゃんはきれいな脚だった。

そして特筆すべきはサラリーマン体操でおなじみの”コンドルズ”。群衆シーンやパイパーの動きは素晴らしいの一言。ダンサーたちはバレエのコールドのような四肢の美しさがあるわけではない。が、人数、配置、塊としての動きは新鮮で完璧、感服した。素晴らしい振り付けだった。

幸せを数値にすることの不毛さ、地球上の資源を食いつぶす浅はかさ、そして考えることなく何かに追随する幼稚さなどに対する怒り。不条理なセリフやおやじのダジャレで笑わされても甘くない現実、舌に残る苦い後味。そんな野田さんの世界がそこにあった。

2009年1月29日木曜日

だんだん

サブライド、ライドブサ、ライブドサ。
ちょっとナマってますが、なかなかです。社長は慶喜将軍でありましたか。”Xハズバンド”とのガチンコは料亭でなく、リンクの上だったらもっと面白かったのに・・・。

2009年1月27日火曜日

007 慰めの報酬

前作のエンディングから1時間後の設定で始まる。恒例のオープニングアクション、とにかく凄い。誰が撃たれて、どの車が敵か、どこから弾が発射されているのか、・・・ゼ~ンゼン分からない。動態視力が衰えているのか、画面が速いのか。ま、ボンドがやられてしまうわけがないのではあるが。そのあとも戦いの場面になると、やっぱりわからない、誰が殴られて誰が蹴られて、どっちがどっちなのか。ただ痛そうな音がバシバシ。あれだけ殴られたり、上から落ちたり、吹き飛ばされたりしたら、バランバランになっていそうなのに。全員タフだ。

さて、今回は最愛の人を失ったボンドは怒りの人。生け捕りなんてめんどくさいことはしない。そして自ら飛んで火にいる夏の虫になり、騒ぎを大きくし、あれこれ必要以上に壊しまくる。”毒には毒を持って制す”のオンパレード。この映画の中では世界の情報を握っているのは、アメリカでも、ロシアでも中国でもなく、何とイギリス=女王陛下なのである。ボンドがいなければ世界はどうなるのだろう。

そして、愛しのダニエル@ジェームス・ボンド。立てばシャクヤク、座ればボタンと、女性の立ち居振る舞いを褒める言葉はあるが、男性の場合は何と言うのだろう。彼はただ立っているだけでも、走っても、ぶら下がっていても、そこから落ちても、ボロボロの服を着ていても、かっこいい。何人ものジェームス・ボンドを見てきてが、初めてボンドに目がハート。すでに次回が楽しみな私。

2009年1月26日月曜日

ザ・ムーン

原題は"In the shadow of the moon"(公式HPはタイトルをクリック)。
12人の月に降り立った宇宙飛行士たちのインタビューと、デジタルリマスターされた当時の映像でつづられるドキュメンタリー映画。米ソ宇宙開発競争の中、ケネディ大統領の音頭で始まったアポロ計画。しかしそんな政治的問題とは別に、アポロを38.4万キロの彼方に打ち上げたものは、人間の純粋な探究心や好奇心、そして宇宙飛行士の勇気だったのではないかと感じてくる。

多くは飛行機のパイロット(映画にもなった“ライト・スタッフ”)であった彼らは、宇宙飛行士としての訓練を受ける。また月に降り立っては未知のものを探す科学者としての役割も担う。そして月での任務を終えた故郷である地球への帰路で、彼らはものの存在やら真実について悟る。さながら哲学者である。

「太陽、月、地球を窓から同時に眺めると不思議な感覚に襲われる。月や地球の分子も、自分の体の分子も、となりに座っている同僚の分子も、すべてはるか昔の宇宙に存在したたった一つの分子からは出来上がっているのだ、ということに気づく。だから私と他人、他の物体はそれぞれ別々に存在しているのではなく、同一のものであるということだ。」というようなことを(うろ覚えであるが)宇宙飛行士の1人が言っていた。別の宇宙飛行士は宗教を超えた霊的なものを感じる、とも。

69年、人類はじめての月面着陸の時、私は白黒テレビの中で、ふわんふわんと月面を歩く宇宙飛行士を見た。巷では”ドッキング”という言葉が流行り、”アポロ”という名前のイチゴとチョコレートがドッキングしたチョコレート菓子(今でもあるよね)を食べた。72年から誰も月には行っていない。この12人に続くのはどんな人たちなのだろう。そこの公園でボール遊びをしているあの子かもしれない。

2009年1月24日土曜日

ワモンアザラシ


北海道根室市の根室港岸壁で22日、ワモンアザラシの子どもが保護され、釧路市動物園に引き渡された。国内でワモンアザラシが見られるのは珍しく、北極圏から来たらしい。子どもは21日に岸壁にいるのが発見された。体長は約80センチ、体重約12キロ。丸々と太り、人間が近付くとヒレで胸をたたき愛嬌(あいきょう)たっぷり。根室海上保安部が港内で母親を探したが見つからず、海に戻したが、22日も岸壁に現れたため、保護することにした。 今の時期の同港は例年なら結氷しているが、今年は暖冬の影響で一部で氷が見える程度。どうして南下して来たかは分からないという。【本間浩昭】 (毎日新聞)
本間記者、ありがとうございます。本当にまん丸、あごの下辺りにコンパスの芯当てて丸を描いたらすっぽり収まりそう。パワーパフガールズのような・・・。どう見ても笑っているようにしか見えないけれど、きっと笑っているのよね。もしかしたら怒っているのか、それともアザラシの世界では困っている顔なのか。戻ってきちゃったのは、もしかしたらこの子を見つけた人が、お母さんそっくりだったのかも。
ワカはウルウルしながら「この子欲しい!」と、写真を眺めていた。わかるなぁ、その気持ち。

2009年1月22日木曜日

だんだん

今日は結構笑った。
まずどうしても円弘志の竹中部長。ヒット曲を出すのは大変なんや、みたいなことを言っていたけど、ものすご~っく説得力がある。最後に一言「俺みたいになるで!」と言うのではないか、とヒソカに期待。飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで、飛んで行ってしまう~ううううう~。

そして、「父が患者の身代わり」の真実が明かされた。詳細は語られていなかったけど、お父さんが看病をしていると”お使い”が現れ、自分の命と患者の命のどちらかを取るかと聞かれて、患者の命を取って、身代わりになったってことね。・・・すみません、しつこくて。でもなんだか身代わりの使い方があまりにも新鮮だったんで、言葉の収まりが悪く、海馬の浅いところで身代わりがうろうろしているの。

最後は康太君の勘違い笑顔。喜びの顔アップが結構長かったので、私のほうがのぞみの新しい恋の始まりかと2、3秒ほどうっかりだまされそうになった。康太くんは、島根の思い出として早晩消えるかと思いきや、酷いこと言われながらも京都で頑張り、すっぱり捨てられ島根に帰るも、どさくさにまぎれて付き人にすべりこむ。外れそうで外れない画面ぎりぎりを行ったり来たり。よく見ると静電気大爆発の髪の毛の下、目もとが涼しげでなかなかかわいい。

2009年1月19日月曜日

インフルエンザ

ワカがインフルエンザにかかった。朝真っ赤な顔をして起きてきたので、熱を測ったら38.6度。予防接種済みだけれど、症状から見てインフルエンザっぽいのでお医者さんに行く。
ビンゴ。検査器のAの下に赤い筋がくっきり。
ワクチンの効果は100%とは言えないことは、毎年の経験からよくわかっている。が、受けておくと軽くすむ。今回も薬なし、1日で熱は下がる。食欲は完全にはもどっていないものの、翌日にはケロリ。

先生曰く、よっぽど目の前でくしゃみや咳をされて飛沫を受けない限り、大抵は自分の手についたウイルスが口や目を通して体内に入ってくるので、マスクと手洗いがとにかく大切とのこと。
しかしワカ曰く、学校では手洗いをしても、汚れた蛇口をひねるので元の黙阿弥だって。確かに。デパートやらホテルに行くと蛇口をひねる必要のない自動給水の設備があるけれど、学校ではそうは行かない。たとえば駅のホームにあるような、足踏み式の蛇口にしてみたらどうだろう。

とにかく子供は病気製造器、免疫がつくまでありとあらゆる病気にかかり、丁寧に家庭に持って帰ってくる。私はノロ、ロタ、トビヒ、その他もろもろ、自分が子供のころにかかったことのないモノにも二次感染してしまったし。一度で免疫ができるものはまだしも、新型インフルエンザの危機が叫ばれる中、この手の病気は学校で防ぐことによって、かなりの広がりを抑えることができるんじゃないだろうかと思う次第。

2009年1月16日金曜日

過酷な経験、自慢大会

会社の人とランチに行った。正月休みに行ったリゾートの話をするFさん。皆さん聞いているんだかいないんだか、反応が鈍い。 たとえるならば歯医者さんの待合室で流れる有線放送のよう。
するとA氏がおもむろに、「時代はかわったよなぁ、そこは70年代は荒れ果てていたのになぁ・・。」
その話を受けてB氏、「荒れていたといえばね、私は75年にキューバに行ったけど、出国させてもらえなくてね一週間もさぁ。」

突然みんなの視線がB氏に。歯医者の待合室から診療室に移ったかのように空気が引き締まるのを感じる。
「私は78年に中国からシベリア鉄道に乗ってヨーロッパに渡ったけどね。機関銃持った兵士がいてさ、どうなるかと思ったよ。」とその場の空気を鋭くキャッチしてC氏。
「私は70年代にソ連にいたことがある。一言では語れないものがあったよ。」たかが旅行と一緒にされちゃ困ると胸を張るD氏。
「皆さん、そうおっしゃいますけどね、私なんてインドで2週間も入院したことがあるんですよ。」とA氏参戦。 韓国でデモに巻き込まれ催涙ガスを浴びたとか、チェックポイントチャーリーで東ドイツに尋問受けたとか、でるは、でるは。

せっかくのランチが真っ暗になりそうになり嫌気が差したか、Eさん「皆さん海外のことばっかりおっしゃいますけどね、私なんて地下鉄で4回もスリに合ってるんですよっ!!」

2009年1月14日水曜日

思春期

ワカの友達に会った(ちなみに5年生)。

私「S君、なんだか声が低くなったみたい・・・、風邪かしら」
ワカ「声変わりじゃないの?」
私「ちょっと早いと思うけどね」
ワカ「S君脚に毛が生えてるんだよ。中学生みたいに」
私「・・・4月生まれなのかもね、ワカよりお兄さんなんだね」
ワカ「Sくんはもう思春期が始まっているんだよ」
私「・・・」(なぜかカタマル)

思春期という言葉が、私とワカの間でポ~ンと思いっきり中に浮いていた。

2009年1月10日土曜日

読み返さない人

定期的にはらわたがよじれるほど笑わせてくれるエライ人が会社にいる。 推定年齢50台後半。

ある女性幹部を紹介するメール
・・・・アメリカのXX大学で経済専攻された菜園で・・
(なぜかNOVAのおばさんが頭に浮かんでしまった)

PCが調子悪かったときの言い訳メール
・・・朝からメール婦長のため・・・
(病院帰りか・・・)

どうやらお礼のメール、らしい
・・・いつもお世話になっております。お心遣い、つかります
(意味不明、漬物でももらったのか?)

涙なくしては読めない。あれこれいろんな場面を思い浮かべてはしばしサラリーマンNEOの世界。
いったい、読み返さないのか、それとも麻生さんの仲間なのか。

2009年1月8日木曜日

蠟梅

暮れも押し迫った30日、遠方からの客人を鎌倉に連れて行った。北鎌倉駅で降りて、円覚寺に入る。お寺の人たちが松飾でお正月の準備をしているが、人もまばらで空気がしんとしている。のんびり歩いていると、庭師さんらしき人がバンの荷台を開けて作業をしているのが目に入った。何気なく見ていると振り向いたその方と目が合った。するとバンの荷台から何やらサササッと手で拾い集め、「これあげます。ロウバイ。」と手を差し出した。あげるという言葉に本能的に反応して手を出す私。私の手にはパラパラと黄色い花。

「いいにおいしますよ。」
確かに何とも上品な甘い香り。
「お正月の飾りつけの枝から落ちたのだけど、お花を水に浮かべておくだけでも香りが楽しめますよ。」
何と素敵な贈り物。お恥ずかしいことにこの花を私はぜ~んぜん知らなかった。注意して見てみると鎌倉のあちこちにこの花が咲いている。

庭師さんから聞いたときは、ロウバイを勝手に”老梅”と頭の中で変換していたが、”蠟梅”と書く。だからかどうかわからないけれど、黄色い花弁は蠟のように透き通っている。土に落ちた落ち葉と蠟梅が、絶妙な冬の香りのハーモニーを醸し出しだす。透き通った空気とほのかな香りを楽しみながら鎌倉の町を歩いた。

2009年1月6日火曜日

習字の鬼

冬休みの宿題の定番、お書初め。

学校では3年生からお習字が始まる。2年前の正月、学校で既に習っていたはずなのに、筆さえもまともにもてないワカを見て唖然。しょうがないから”一”やら”リ”やらを何度も書かせて筆運びを教え始めた。
「ハイ、下ろす、横にっ、そこで縦にっ!そして、はねる!しっかり押さえるっ!・・・」なぜだか熱くなる私、ほとんど運動部の特訓のようになってしまい、迫力の号令に涙ぐむワカ。はっと我に返り、ま、3年生だし来年にはマシになっているだろうと、その場は矛を収めることにした。

さて4年生、すっかり昨年の”ど根性習字”を忘れてしまっていた私とワカ、しかし思い出すのに時間は要らなかった。・・・全然変わってない、一年前と・・・。四苦八苦し、どうにか読めそうな一枚を書き、自分の名前を書いておしまいというところに辿り着いた、が・・・・。およよ。
(ここから私の心の叫び)自分の名前を間違えるか?もう一回書くくらいで、めそめそするな!
せっかくのお正月が台無しになってしまった去年の轍は踏むまいと、のど元まで湧き上がる号令をぐぐっと抑え、どうにかその年も終えた。

で、またまたそんなことはすっかり忘却の彼方の私とワカ、そして今年。・・・変わるわけないよね、そんなに簡単に。”いつか見た風景”がまた始まりそうになる。お題は「希望の朝」、「絶望の朝」になる前に、私はスックとその場を立ち去った。バトル(というか私一人が激高するのだが)回避。

毎年繰り返されるお習字騒ぎで、自らがワカに習字を教えられないことは身にしみてわかった。なぜか習字を教えると熱い体育会系になり、鬼コーチと化してしまう。よくわからない。世の中グローバル化とはいえ、日本に暮らしていながら、こんな素晴らしい文化を身に付けずにいるのはもったいない。中学生になったらクラブやなんだで忙しくなるだろうから、せめて今年一年、近所のお習字教室に通わせようかと、思案中の私である。

2009年1月4日日曜日

なくなった家

元旦、久しぶりに新婚時代にすんでいた近所のお寺へ、初詣に行くことにした。今すんでいるところから3駅、決して遠いところではないのだけれど、ここ数年立ち寄ることもなかった。
せっかくだから初詣の前に、新婚のときに住んでいたアパートを見に行ってみようということに。そこは駅からちょっと、いや、結構離れている静かな住宅街、ほとんど家並みは変わっていない。

・・・が、な、ないっ!私達の住んでいた建物がすっかり消え去っている。そしてその隣にあった大きな大家さんのお家も・・・。人間とは身勝手なもので、長い間立ち寄ってもいなかったくせに、自分の思い出の場所はいつまでもそのままであると思っている。考えてみれば結婚してかれこれ19年、新築だった大家さんの家もアパートもそれだけの月日が経っていたわけで。その敷地に建てられた新しい家を目の前に、ぱらぱらとページをめくるように思い出がよみがえってくる。

世間がバブルで沸き返る中、仕事辞めて勉強してたからビンボーだった私とオット。結婚を決意したものの、高騰する家賃に頭を抱え、あちこち駆けずり回ってやっと見つけた部屋。小さかったけれど一生懸命掃除して、家財道具を少しずつ揃えた。最初は電話線も引けず、10円玉もって公衆電話まで歩いていった。毎日真っ暗になった会社帰りの坂道をスーパーの袋を抱えて家路を急いだっけ。

小さな喪失感と、すっかり記憶の奥にしまわれていたやさしい思い出を胸に、初詣に向かった。

2009年1月1日木曜日

謹賀新年

私の独り言にお付き合いくださった皆様
本年もぼちぼち続けてまいります
どうぞ宜しく。
年女の私
皆様の健康と幸せを
心よりお祈り申し上げます