2011年4月7日木曜日

認知的不協和 cognitive dissonance

人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。 人はこの不快感を解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
疑いなく確信している人、逆になんでも疑ってかかる人は、どこから情報を得ているのか常々不思議に思っていた。そんな時オットから聞いた用語「認知的不協和」。興味を持ち、ちょっと調べてみたことがある。

今まさに、外資系企業では「現地スタッフをほったらかして逃げた、逃げない」で会社の中がぎくしゃくしている。放射能が怖くて東京から離れた人は、だんだんオーバーリアクションだったかもしれないと言う気持ちを持ち始める。しかしその矛盾した考えは当然心の中に不快感として現れる。そして、自分の東京から離れた行為を正当化する情報ばかりを集めるようになる。逆に東京に残った人も、当初は情報の少なさから、心のどこかに「もしかしたら」と不安を抱え、東京の放射能の値が飛行機に乗った時の値とは比べ物にならないくらい低いという記事を見て安心する。私も最初の一週間は被害の大きさと情報の錯綜でかなり慌てており、思考を纏めるのに必死だった。

そんなことを思っていたら、池上彰(ジャーナリスト)のコラムを見つけた。
今回の事故の報道内容を見ていくと、「本当に恐れなければならないこと」と、「それほど心配のいらないこと」が、一緒くたにされているきらいがあります。その2つをしっかり分けて理解すること。この大切さを痛感します。「正しく恐れる」ことが必要なのです。
さすが”お父さん”、悲観的になったり、楽観的になったりする前に、しっかりとした理解と裏付けを持つよう頭を冷やそうと、もう一度肝に銘じた。あくまでも仕事上では。

一方家に帰り仕事が頭を離れると、どうも事情が違う。昨日の夜NHKのSongsで被災者に向けての「桜」を聞いたとき、今まで目頭で止めていた涙がポロポロとめどなく流れてきた。止まらないから声を出して泣いた。冷静さだけではどうにもならないこともある。

2 件のコメント:

  1. あきざくら2011年4月9日 8:12

    海外の「ガンバレ日本」と同時に聴こえる、放射能日本を非難し逃げる報道に、やりきれなさを感じています。

    核実験を繰り返して海や空を汚してきたことは忘れたの・・?

    テレビやマスコミに触れないと、何事も無かったかのような私の周囲。もしも海外の出来事だったら、私も同じ反応しかしていなかったかもしれない。過度に国粋主義にはなるまい。

    今こそ想像力をつけるべし! まずはスーパーで福島、茨城産モノを選んでは買い、テレビをつけては私も叫ぶ。
    「負けるな東北! 負けるな日本!」

    いつものんびりの次男が言いました。
    「これで日本はまた強くなるね」

    フレー フレー 
    あんこさんにも。

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  2. あきざくらさん、
    フレー、フレー、をありがたくいただきます~。政府のいう事に不信感をだくマスコミ、言い換えれば国のいう事に異を唱える自由があるということ。後は私達個人が何を信じるかをしっかり考えればいい。私はあきざくらさんのように考えています。

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