数年前、作者のベルンハルト・ シュリンクが来日した際、話を聞きに行った。その時のテーマは”過去の罪とどう向き合うか”。シュリンク氏の第一印象はまさしくゲルマン、とっても真面目な教授。この人があのパッションにあふれたシーンを書いたとは、あんまり想像できない・・・。
重い重いテーマで話が進む中、参加者の間でこの「朗読者」という小説が、恋愛小説として受け取られていることに疑問が湧いてきた。もちろん主人公のあの若き日の情熱がなければ、これほど深く贖罪に関して考えさせられることもなかっただろう。善悪ではなく法を犯したか否か、自分の仕事に忠実であることの意味、そして本当の”恥”とは。15歳の少年にはそれを判断するには若すぎた。もしマイケルが少しでも大人として成熟していたら、ハンナの中に矛盾や無知をかぎ分けることができていただろう。その若い情熱が物語の発端であったとしても、やはりこの映画の題名には”愛”を付けるべきではなかったと思う。
60年代に入っても、未だナチの罪を法定で裁き続けるドイツ。この事実に日本人として恥ずかしながら驚かされてしまった。私たちはどんな歴史からも目をそむけてはいけないし、時代や国境を超えた普遍的な善の心をもって、ひとりひとりと向き合わなくてはいけない。国としてではなくひとりの人間として。
一言では言えない重い重いテーマ、本を読んだときのような、甘く、悲しく、心を揺さぶるような波が感じられなかった。映画に全てを投影するのは難しかったかもしれない。
ケイト・ウィンスレットとレナ・オリンに、拍手。
この映画がよくわかりません。教えてください。
返信削除裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
わたしは笑いの心を揺さぶられました。
こんにちは。ほんとにおっしゃるとおり、映画ではよくわかりませんでしたね。私にもここのあたりがこの映画の納得できなかった部分です。ドイツナチスの裁判についてはとてもとても難しく、不勉強で何も言える立場ではないのですが、原作を読むと裁判の部分がもう少し詳しく書かれています。本を読むと、冤罪ではないことがわかるのですが、他の被告よりも罪が重かったかどうか、というのは先ほども言いましたが、素人の私には解りません。裁判官も彼女の「私の立場だったらどうしましたか」という質問には答えられなかった。私の稚拙な文章ではわかりにくいですね・・・。
返信削除回答ありがとうございました。
返信削除見解の相違でしょうが、私は本を読んで冤罪であることがはっきりしました。
洋治さんのおっしゃっていること、そこのところがこの本の一番のポイントだと思います。お恥ずかしいことに私は法律に関しては何も分からないので、考えれば考えるほど分からなくなる。そんなことが起きてしまう戦争というものを絶対許さない、そうとしか今は言えません。
返信削除