2011年3月16日水曜日

3月11日 帰宅まで


永田町駅そばの歩道橋から渋谷方面を撮影
 築17年の9階建てビルの5階。激しくなる揺れにさすがにまずい!と思い、机の下にもぐる。観音開きのキャビネットが開いたようで、中のカップが床に落ちぱりんぱりんと割れる音。しかしその音さえ建物の揺れる音にかき消された。揺れが長かったので、いろいろなことが頭に去来。家族、家・・・。

直後、携帯電話は不通、まるでガスの元栓のようだ。固定は繋がったので実家に電話。父は問題なし、母は横浜にいるとのこと。子どもは中学校、夫は会社で連絡が取れなかったが、なぜか絶対大丈夫だろうと確信し、それ以上通信手段を使わず。携帯のない時代に育ったのでその辺はどうってことない。

エレベーターホールは大きな防火扉が閉まっていた。勿論エレベーターは停止、社員は階段で屋外に避難。階段の壁には亀裂が見える。千鳥ヶ淵で避難中も何度か揺れる。九段会館が壊れたとの情報、救急車や消防車がけたたましく内堀通りを走る。ドコモとauはメールがつながりだしたがソフトバンクは不通。

公共交通はバスを除き全て停止。余震が起きる可能性大、会社から自宅までは16,7キロ。道路や建物の破損がなさそうなので、会社に残らず帰る事にした。4時45分千代田区三番町出発。内堀通りから国道246に出る。写真のように車がぎっしり、今ここで大きな地震が来たらと思うと不安になった。渋谷に近づくにつれ歩行者が増え、歩く速度が遅くなる。

渋谷駅前を避け、横道から並木橋経由で駒沢通りに入る。車道は緩々ではあるけれど車は進んでいる。バスを見ると満員。目黒区役所を過ぎたあたりですっかり電池切れして、喫茶店で一服することに。食欲なく甘いミルクティーで少し回復。お店の人に聞くとかなりゆれたものの、前後ではなく左右に揺れたため食器はひとつも落ちてこなかったとのこと。環七を横切って目黒通りに出ると時計は8時を回っていた。

全行程3時間。反省すべきは会社にスニーカーを置いておかなかったこと。

家に着き、ほっとしたのもつかの間、TVでこれ迄の惨事を見て、唖然。言葉なし。この3時間の行程など何の問題にもならない。

2 件のコメント:

  1. 都内の方たちは交通手段が停止しているので大変だったと思います。
    Angelaさんおご家族の皆さんが無事で良かったです。
    うちの長男も自宅に近い新丸子にいたので歩いて帰ることが出来たそうですが、本社にいたら社内泊になるところでした。
    それでも夜中の12時頃に家に着いたそうです。

    昨日九州に住む知人から早く関東を離れるようにとの
    電話が来ました.....出来ればそのほうがいいのでしょうが......

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  2. エリリンさん、
    とても一般人には簡単に判断できるような内容ではなく、不安に思っている人がたくさんいると思います。つぎつぎに出てくるデータを判断する基準が分かりませんね。しかし、現在の数値と過去の数値を比べることは出来ると思い、モニタリングポストのサイトをアップしておきました。

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