2009年2月26日木曜日

ヒース・レジャー

アカデミー賞助演男優賞は下馬評通り、ヒース・レジャー。バットマン・ダークナイトは彼の映画だった。

彼主演の”ブロークバック・マウンテン”を久し振りに見た。作品賞の前評判が一番高かったのに、ふたを開けてみるとオスカーは”クラッシュ”で、アカデミー協会は保守的だからと監督は批判したそうだ。それを聞いたとき、少なからず同調したものだったけど。

しかし、あれからしばらくたってもう一度見て見たら、ヒース・レジャーがいなかったら、はたしてここまでの作品に仕上がったかどうか、とふと思う。俳優の演技が押しつけがましくなりそうな役がらを、あそこまで自然に他人に納得させる人物像を演じた彼に舌を巻く。それもまた監督のなせる技、と言えなくはないものの、やはりこれはヒース・レジャーの映画だった、と私は思う。彼は自分の演じる人物についてどうこう言わせない、その人物を”存在”に変える、「ああ、こういう人もいるのだ」と感じさせる、天賦の才能をもった俳優だった。本当に惜しい人を亡くした。

2009年2月23日月曜日

だんだん

出番が終わりそうで、やっぱり終わらない出世魚、康太君。

万年補欠の柔道部員
路上ライブが趣味の若者
めぐみの病院に入るため患者になろうと思う
父の後を継ぐ
SJのメンバー兼ワイルドダックのバイト
SJ付き人
めぐみとのぞみの接着剤
大手音楽会社のマネージャー
ただのぞみのマネージャー
一条のデザイナー

このままでいくと、めぐみに会いに患者になるどころか、花むらでのぞみのお客になれるかもしれない。

2009年2月20日金曜日

馬耳東風

松田先生の育児哲学に胸を熱くした私であったが・・・。

風呂上がりでご機嫌のワカ「あのね、作文の宿題来週までだと思ってたら、明日までだったんだよ。」
私「・・・」(1週間も前から原稿用紙がカバンに入っていたのを私は知っている。)
ワカ「あ"~っ!、原稿用紙学校に忘れた」
私「・・・」(ずっと入れておけばいいものを、締切間際になってカバンから出すか?)
ワカ「学校の机の引出の右側のお道具箱の上だ!よく覚えてるでしょ」
私 「・・・」(ああ、つける薬がない)

学校のお知らせとか提出物は大抵ワカの手元で止まっている。「明日締切」の連絡網が回ってくる、聞くのも面倒でワカのカバンを開ける、ハリセンのようになったプリントが底に張り付いている。何で出さないの、どうして忘れるの、を100万回繰り返し、耳にタコならずこちらの舌にタコができ、口をすっぱくしすぎて食べたものが口の中で酢の物になりそうだ。彼にはどんな言葉も馬耳東風。
ほとほと疲れた、というのもあるけれど、親が先回りして用意したり、尻拭いするとろくなことはないと思い直し、痛い目に会うのも勉強と思って見て見ぬふりをした時期もあった。皺が増えるので無駄なことに怒るのはよそうとも思った。で、でも、怒鳴りたい、
なぜ、忘れるのだ~!
ああ、すっきりした。

2009年2月18日水曜日

松田道雄

NHK、今日の「私の一冊、日本の百冊」大阪大学総長の鷲田清一 さんが選んだ松田道雄さんの「育児の百科」。=戦後家族の在り方だけでなく、民主主義教育の大切さをも説く“思想の実践の書”と言える1冊= まさにおっしゃる通り・・・。

毎日の生活に追われ、すっかり私の記憶の片隅に追いやられていた一冊。子供が生まれてからの1年365日、ページを開かなかった日はなかった。赤ちゃんの個性は十人十色であるが、
動物としての成長は1歳まではほとんどみな横並び。自分の子供の月齢の章だけを読めばよい。先のことは思い煩うことなかれ、その日その日の子供の様子のみを見ていればいいのだ。まるで生物の観察実験のようだ。病気の発見から事故の予防まで、ありとあらゆる心得が愛情をこめてユーモアを交えながら読みやすく書かれている。

人間の子供は頭が発達しすぎたので、未熟なまま生まれてくると読んだことがある。少なくとも2本の足で歩きだすまでは、母親とは見えないへその緒で繋がっているのは実感できた。母親以外の人が育児ができないというわけではない。自分自身が”動物としての母性”を実感できるのである。入学前までの成長について書かれているが、誕生から1年が大部分。本が終わりに近づく寂しさを感じながら、1歳の誕生日のページを読み、先生の言葉に涙が流れた。

カンガルーの親子のように一緒だった子供を預けて社会復帰をする、これは勇気がいった。いよいよ育児休暇もおしまいというときに、ぺちゃんと陽だまりに座ってニコニコこちらを見ている息子を見ると、うるうるして何とも言えない罪悪感にさいなまれた。しかしここでも、また、松田先生は見守っていてくれる。集団保育の大切さ。両親の深い愛情と集団が、子供を思慮深く他人と協力できる人間に育ててくれるとおっしゃる。決死の覚悟!で会社に戻り、それからは毎日が大騒ぎ。・・・今となって言えることだが、未熟な母親と24時間2人っきりで生活するより、保育園はどれだけ子供を成長させてくれただろう。

これからも迷いながら子供の成長に寄り添っていくのだろうけれど、松田先生にはその勇気を与えていただいたと心から感謝している。
私にとっての聖書のようなものだ。おそらく日本中に私のような親がいるに違いない。鷲田清一さんの一言一言に、朝から膝を打ちまくりの私であった。

2009年2月17日火曜日

American Idol 8

アメリカに遅れること1か月、いよいよシーズン8の放送が始まった。おなじみのサイモン、ポーラ、ランディに加えてカーラ・ディオガルディも審査員を務めている。このカーラ、さすが売れっ子プロデューサーだけあって、他の3人に全然負けてないし、それどころかサイモンに突っかかる。たまに何を言ってるのかよくわからないポーラの存在を補ってか、それともゆくゆくは後継者か。

去年も書いたけど、いろんな人がいるものだと別の意味でうならされる。そういうご仁を選んで放送しているのだろうけれど。逆にスター性というのはすでに何かを感じさせるもので、登場しただけで歌う前から審査員の目つきやら口調が変わる。オーラが出てるんだろうな。
日本での放送はシーズン5からで、今年が4年目。これだけ真剣に見てると、いつの間にやらこちらまで目と耳が肥えてきたような気が。きっとそんな視聴者が世界中でにわか審査員になって、TVの前で好き勝手言っているんだろう。考えてみたらすごい数の人にあれこれ言われちゃうわけで、出場者も勇気がある。

HPを見てみると36人にまで絞られている。ん~、番組をちゃんと見てないと出場者への感情移入が難しいし、面白味も半減。でも早く結果が見たい。日本語版は一か月遅れでもいいから、同時放送してもらえないものかしら、FOX Japanさん。

2009年2月16日月曜日

早坂紗知

Sax奏者の早坂さん。
華奢な体からは想像もできないような力強い音が歌うように鳴り出すと、その場の空気はすっかり早坂さんのもの。まことに演奏に対して真摯であり、そして、心から楽しんでいるのがよくわかる。だから何度聞きに行っても、そのすべてが最高の演奏。

「この曲を聴くと、京都にいきたくなると言う人がいるんですよね」との紹介から始まった”サウンド・オブ・ミュージック”はまさに絶品。メロディーとリズムとジャズの真髄が満載。ブラジル音楽もいい。明るいのにメランコリックで、リズミカルなのに弾けきらない、Saxの音色がぴったし。

今回一緒に演奏していたピアノ:新澤健一郎さん、パーカッション:コスマス・カピッツアさん、ベース:永田利樹さん、その個々の個性は強烈であるのに、控え目でマイルドなJazzの精神がハーモニーを最強にする。つくづく音楽とは人間性なのだ、と感じさせられる。

2009年2月12日木曜日

バージナル


バージナルの演奏会に行ってみた。チェンバロより小さくて長方形の箱型をしている。当時公共の場で聞くものと言えば、教会のオルガン。バージナルは家庭用の楽器だったらしい。フェルメールなどが絵画の題材にしているが、かなり裕福な家庭にしか置かれていなかったそうだ。チェンバロ(ハープシコード、クラブサン)用に作られた曲はたくさんあるのだが、バージナル用はあまりない。パーティや家庭で、民謡や即興曲を弾いて楽しんでいたのではないか、ということらしい。

弦を弾くことで音が出るので、ピアノのように打鍵が強ければ強い音が出る、というのはなく音量は一定、そのために音色に変化を与える技術が発達したそうだ。音域は男声の一番低いところから女声の一番高いところまでの45鍵盤(?うろ覚えで・・・)。音域が広い新しい曲は弾けないが、バッハのメヌエットは大丈夫、なんとも可憐な響き。

その音色たるや、ひとっ飛びでシェークスピアの世界(行ったことないけど)。奥ゆかしくて、繊細で、透明で。演奏会の後フェルメールの絵を見た。あの澄み切った空気の中にバージナルの音が聞こえてくるような気がした。

2009年2月10日火曜日

だんだん

双子に翻弄される康太君。

路上ライブが趣味の若者
めぐみの病院に入るため将来患者になろうという
選択肢尽き父の後を継ぐ
SJのメンバー兼ワイルドダックのバイト
付き人兼めぐみとのぞみの接着剤
大手音楽会社のマネージャー
ただのぞみのマネージャー

主人公よりドラマチックだ。一条に織物販売の提案した時は「今後も意見聞かせてください」なんて言われたし・・・。この勢いで行くと、一条の丁稚いや、番頭見習い、もしくはのぞみにひっついて花むらで徳さんの後任になるかもしれない。

2009年2月9日月曜日

ベンジャミン・バトン

ブラピとケイト・ブランシェットだけでなく、たくさんの俳優が幅広い年齢を演じていて、皆さんすごい。ティルダ・スウィントンはチョイ出ながら存在感抜群。俳優陣には申し訳ないのだけれど、あえて特殊メイクとCGに拍手を送りたい。そんな中、 久しぶりのジュリア・オーモンド、特殊メイクなしに年取っちゃって…、それなりに美しいのだけれど。

映画は長いが”フォレスト・ガンプ”タッチの話の流れで退屈することもなく、しかし、散漫な感じ。理由は明らかで、初めに含みをもって語られる時計のプロローグと本題のベンジャミンの人生が私の中でしっくり結びつかない。過去に戻ることと若返ることは、まったく別の話と思うから。

いずれにせよ人生は、時計を逆さに回そうが、どんどん若くなろうが、生まれて、死んで、出会って、別れて。”ずっと続けばいい”と思う日々は瞬く間に過ぎ去り、運よく続いたとしても飽きてしまうか、不安になって自ら離れてしまう。
いつまでも若くいられるより、年をとっても”ずっと続けばいい”という瞬間に巡り合う回数が多いほうが、幸せな一生と言えるのかもしれない。

ここに来きて遠い世界だった自分の”老い”がなんとなく輪郭を現してきた。自分のこととなると受け入れ方に困る。人類共通のテーマであると同時に、極めて個人的な問題なのだ。これからそんなことに向き合って生きていくのだなぁ。

2009年2月6日金曜日

乳歯

歯磨きをしている私のところに起きたばかりのワカが「タイへ~ン!」と言いながらやってくる。ワカの口角には乾いた血が、ギョッとする。

ワカ「あ~、大変だ、歯、食べちゃった、記念にとっておきたかったのにぃ。」
私(寝てる間に飲み込むかなぁ?)「大丈夫、OんOに出てくるから。吸血鬼みたいだから、お口ちゃんと拭いてね」
ワカ「ものすごい胃液で溶けちゃうかもしれないよ。あ~、シーツにも血が付いてる~!」
私「洗濯場に出しといてね」
シーツを布団から取るワカ
ワカ「あ~!」(今度はなんだ?)「血がお布団まで染みてる~!」
私「大丈夫よ、あとでしみ抜きしとくから。」
ワカ「あ~!」(今度は床まで染みてるって?)「あった、あった、落ちてた、僕の歯!」
・・・子供は朝からテンション高い。

乳歯が抜け始めたころ最初の2,3本は、保育園の先生がピッ、と抜いて、袋に入れて連絡ノートと一緒に渡してくれた。そんなコワイことよくできると関心していた。小学校に上がると学校の先生はそんなことはもちろんしてくれない。しかし生え換わりは小学校からが本番。ぐらぐらの歯が出てくると気になって、「痛い」とか「気持ち悪い」とかうるさくて食事にならない。しょうがないから私が抜くことにした。結構、面白い。ころ合いを見計らって、バシっと迷わずひと思いに引っ張ることが肝心だ。

今回はその楽しみを逃しちゃったが、あと5本。乳歯が生えてきた赤ちゃんのころを思い出して、なんとなくサミシイ私だった。

2009年2月5日木曜日

用心棒

BS黒澤映画トップ5の第3位「用心棒」。「ボディガード」のフランク(=ケビン様、確か23回?)ほどではないけれど、幾度となく見てきた映画。昨日の夜も新たな感激の嵐。

もしこの映画がカラーだったらと想像する。たとえば仲代達矢さん(新田の卯之助)が切られてその血だまりが地面にじわ~っと広がるシーン、・・・白黒だとおびただしい血が広がるのに生々しくない、しかも赤が石炭のような黒に見えることにより迫力も増す。脂の乗り切った監督と俳優たちのみなぎるエネルギーを、白黒のカラー映像(?)が絶妙な塩梅に落ち着かせる役割を果たしている。
一方で、カラーにはない陰影のあでやかさにも目を見張る。空の色だの着物の色だのあれこれ想像を巡らせるのも楽しみの一つ。宿場も人間の心も天気さえも荒む灰色の世の中、その中で妙に色彩を感じさせる司葉子さん(小平の女房ぬい)と仲代達矢さん。色なき世界で色鮮やかに輝いている。

登場人物の中では、あのちょっと頭の弱い眉毛がつながった加東大介さん(新田の亥之吉)が好きだ。そして真っ当な一庶民の東野英次郎さん(居酒屋の権爺)。それにしても三船敏郎さん(桑畑三十郎)のかっこよさと言ったら、ダニエル・ボンド様もびっくり。

2009年2月4日水曜日

牧場で豆まき

我が家は3人共丑、私の母も丑なので4人の年男年女が一緒に豆まきをすることにした。忘れるところだったのだけど、実は猫のミケ子まで丑。せっかくだから、迷惑そうなミケ子の側で「鬼は~外、福は~内!」。本当に迷惑そうだった。

そういえば昔マルちゃんという気のいい猫に、小さな鬼のお面をかぶせて豆まきをした。マルちゃんはとっても心得ていて、嬉しそうに(いやそうに?)走り回り、飽きたころどこかに行ってしまった。翌日、マルちゃんはまだ前日のお面を首から下げて、邪魔そうにご飯を食べていた。一晩つけっぱなしだったのね・・・。ミケ子は神経質だから、お面見せただけでハ~ッて言われそう。

2009年2月1日日曜日

Mamma Mia!

いや~、メリル・ストリープの歌唱力には驚いた。彼女の実年齢は60歳なので、失礼ながらドナ役にはちょっと年が行き過ぎているかと思ったら、なんのなんの、やはり彼女はミラクルだ。ピアース・ブロスナンの歌声はイタくって、そんでもってボンドさまが一生懸命歌っているのを正視するのが恥ずかしかったけど、それはそれでよかった。娘役のアマンダ・セイフライドはとてもいい声で歌もよい。最後の”Thank you for the music”はアレンジがとても美しく、大いに気に入った。大好きなコリン・ファースもギターで弾き語り、うれしい。

映画中盤にあのダンシング・クイーンでおばさんたちが踊るシーンがあるのだけれど、なんと私、ここで思わず涙。うそじゃなく。15の時、いったい何度この曲を聞いたことだろう。曲の中のダンシング・クイーンは17歳。15歳が17歳を想像するのはそんなに簡単なものではない。体も考え方もどんどん成長しているし、何よりも未来は輝いた未知の世界。その時代の自分の若さやら純粋さを思い出すと、愛おしくって、そして同時にそれが2度と戻ってこないと思うと悲しくって、泣けた。

それから3倍以上の年月を生きて、悲しいことも、辛いことも、夢に描いていたような楽しいこともあった。思い返してみるともっといろんな生き方ができたと思う反面、行く道は既に決まっていたような気もする。あのときみたいにこれからも未来を明るく見てみたい、そしてワカにも存分に人生を楽しんでもらいたい。こんな気持ちでもう一度ABBAを聞く事ができるなんて、ン、生きているってやっぱり面白い。