かつて「死の灰」が降り注ぎ、住民が去ってゴーストタウンと化したあの場所が、多くの野生動物が憩う「聖地」に生まれ変わったという話を信じられるだろうか。
ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で「史上最悪の原発事故」が起きたのは86年4月26日。あれから25年、原発から半径30キロ圏内は今も居住禁止区域と定められ、そこは時が止まってしまったかのように当時の日常の痕跡を生々しく残す。
一方で、この一帯は驚くべき変化を遂げてきた。人間と共に自動車や産業が消え、農薬や殺虫剤を便わなくなったせいか、30キロ圏内には「自然の王国」とも言うべき美しい風景が見られるようになった。緑が生い茂り、多様な野生動物が伸び伸び暮らす。多くの家畜が甲状腺に異常を来して亡くなった当時、こうした自然の生命力を誰が想像できただろうか。
30キロ圏から数メートル外側に位置するキエフ貯水池の周辺には、富裕層がよみがえった自然を求めて押し掛ける。「チェルノブイリのリビエラ」と呼ばれるこの場所には別荘が立ち並び、狩りと釣りを楽しむ人々に愛されている。かつてこの貯水池に大量の放射性物質が降り注いだ記憶は、水に流されてしまったのかもしれない。
【6月1日号 Newsweek日本版】
放射性物質はもとより、人間の生息の仕方自体に問題がある、ということが分かる。じゃあどうすればいいのか。テクノロジーや政治のあり方ももちろん大事だけれど、つきつめて考えていくと私たちの「生き方」の問題なのかなぁ、と。過ぎたるは及ばざるがごとし。便利、衛生、効率を後先なくすすめていくと”過ぎて”しまう。とはいいつつも、全ての人や物事が程よいということはあり得ない。そんな世界標準などないのだ。だから物事の陰陽を考える。便利、効率という陽がもたらす陰。そして惨劇という陰の先にある陽。
で、もうひとつFlickerに出ていたPripyatという町の写真も。戦と重ねるのは乱暴かもしれないけれど、「夏草や兵どもが夢のあと」。
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