マクラで噺家さんにかけ声をかけるときの話し。噺家はなぜかみなさんイキな町名に住んでらっしゃる。先代桂文楽は「黒門町」、三遊亭圓生は「柏木」、古今亭志ん生は「日暮里」。 お客さんは名前ではなく町名で噺家を呼ぶ。確かに「よっ、黒門町!」なんてカッコイイ。関係ないけど、中村主水は「八丁堀」。古い町名は無形文化財として残しておいてほしい。
そして下町の近所付き合いの小噺がつづく。
「お前の吊ってくれた棚だけどな。あれ、落ちたぞ」
「落ちた? そんなはずはねえんだが」
「いや、落ちたよ、ゆんべ。スットーンと」
「おめぇさん、何か乗せただろ?」
「落ちた? そんなはずはねえんだが」
「いや、落ちたよ、ゆんべ。スットーンと」
「おめぇさん、何か乗せただろ?」
涙が出た。後で落語好きの父に「ね、ね、おもしろいでしょ?」って詰め寄ったら、有名な小噺らしくって、しかもゼンゼン話の面白くない私がしゃべるから、クスリともしてくれなかった。
師匠曰く、TVは持ち時間がせいぜい長くて15分、「これでは名人など育ちはしない」とおっしゃる。独演会でお客さんの顔を見ながら長い作品で研鑽をつまねばならないと。その日の演目は 『文七元結』。「ぶんしちもっとい」と読む。ならばこの演目は何分だったかと聞かれると、何分だったけ・・・。あんまり面白くって、あっという間に時間がたってしまったからおもいだせないのだ。おそらく45分は軽く過ぎていたと思う。長いものを長く感じさせない、これぞ名人。
こういう瞬間に出会ったとき、日本語が母国語でよかったなぁと、しみじみ。