2009年10月30日金曜日

ノビサド 郊外 ~農家で食事~


ノビサド市内から車で15分ほど行ったところにある農家が経営するレストランに連れて行ってもらった。左の写真にがその農家の入口で、この並木道をずーっと行くと、広々した馬場や、宿泊施設もある。

やはり何の看板もないので、地元民がいないとどこにあるか絶対見つけることは不可能であろう。ベオグラードの友達もひとりでは行けないので、ノビサドの友達にナビゲーションを頼んでいた。
中に進んでいくとこ~んな広い牧場があったり、
お部屋に戻った馬さんに”あかんべー"されたり
 
馬やのよこにタイヤの壊れたバイク

レストランの窓

鳥ぎらいのオットがひるんだ、レストランの壁紙

チーズとコーンブレッドとアイヴァ(パプリカのペースト)


素朴でオーガニックなお菓子

何をいただいても自然丸ごとで新鮮なお味。このまま食べ続けたら”健康な肥満体”になってしまうだろう。

2009年10月29日木曜日

紫色のくさまくら

ずっと前に書いた記事を探していたら、読んでいないコメントを偶然見つけた。あわててお返事をした。そして、頂いた方のブログに行って(タイトルをクリック)、すっかりインスパイア~された。ああ、このコメントに気がついて本当によかった・・・。

こんな出会いも日々の生活に彩りを与えてくれる。私の他愛もない独り言にお付き合いくださって、皆様、ありがとう。

2009年10月28日水曜日

ベオグラード 2

セルビアの夜はゆっくり始まる。日が暮れる速さじゃなくって、外出が始まる時間のこと。友人の友人と9時にレストランに行く待ち合わせをしたけれど、待ち合わせ場所に早くつきすぎてしまったのでカフェに入ることにした。
ベオグラードで一番古いカフェで名前は””。

中はそれほど広くなくて、使い込んだテーブルとイスが雑然と並んでいる。私はセルビアコーヒーを注文。これはクロアチアに行くとクロアチアコーヒー、ボスニアに行くとボスニアコーヒー、モンテネグロに行くとモンテネグロコーヒー。バルカンの方たちに怒られるかもしれないけれどいわゆるトルココーヒーである。コールタールのようなドロドロの上澄みを飲む。残ったドロドロで占いをする。お水とお菓子がついてくるのは日本の喫茶店と同じ。この赤いお菓子フルーツのゼリーで、食感は”ゆべし”。お客の年齢や性別はそれそれで、ゆったり、くつろいだ雰囲気でお茶を飲んでいた。ステキ・・。


2009年10月27日火曜日

スレムスキ セルビアのワイン

ベオグラードの友人を訪ねたとき、ノビサド(Novi Sad)というドナウ川ほとりにあるセルビア第2の都市に連れて行ってもらった。そこからドナウに沿って7,8km行くと、Sremski Karloviciと言う小さな町(村)がある。ワインが有名で、フランス、ドイツ、オーストリアからも訪ねてくる観光客がいるとのこと。

知る人ぞ知るワイナリーということだけれども、看板も地図もないので町の真中できょろきょろ。通りがかりのおじいさんが近寄ってきて、友人に話しかけている。こっちだよと言って(と言ったと思う)、にこにこしながらワイナリーのそばまで連れてきてくれた。門を見て思う、・・・素人には見つけられないなぁ。

中庭をはさんで母屋とワインケラーがある。狭い階段を下りていくと、プ~ンとワインの香り。芳しいとか、ほのかにとか詩的に表現したいのだけれど、もっと土臭くって原始的な匂い。私は全然ワインに詳しくないけれど、どのワインも”地に足のついたソヨイキでない”葡萄の味がした。

地味なワイナリーの入口、表札は”VINO”(ワイン)とだけ。


空気を吸っただけで酔っ払いそうなワインケラーに”どうだ!”と並ぶたる


ワイナリーの母屋の屋根、素敵な瓦、冬は煙突大活躍

2009年10月26日月曜日

ベオグラード 1

今から22年前にドイツで知り合ったベオグラードに住む友人を訪ねた。ユーゴスラビアに行くつもりが、紛争が始まり渡航かなわず、そして、世界地図はすっかり変わっていしまい、やっと訪れることができたときはセルビアになっていた。

モスクワ、イタリア主要都市、ミュンヘン、ウィーン経由といろいろ考え、結果一番お得なBAで行くことにした。行きはロンドンで一泊して、翌日2時間半でベオグラードに到着。
”白い町”という意味を持つ首都ベオグラード。紀元前6000年には人が住んでいたという、ドナウとサヴァ川の合流地点に広がるヨーロッパ最古の都市である。

街の中にはオスマントルコ、ハプスブルグ、ユーゴスラビアと、その時代を反映したいろいろなスタイルの建物が並びその歴史が垣間見れて興味深い。
ただ、いく度もの戦争でどことなく疲れてしまっているようにもみえる。近くは10年前、99年のNATOの爆撃の爪痕が市内のあちこちに残ったまま。東京でいうと霞が関のような街の中心にあるユーゴ国防省・軍参謀本部は未だ崩れたままだ。アメリカ大使館の目と鼻の先で、他の建物は傷つけずピンポイント。もっと驚いたのは田園調布のような住宅街の中にあるミロシェビッチの住居、アメリカ大使公邸の斜め向かいあたり、隣にも普通に家が建っているが、ミロシェビッチの家だけ見事に真っ二つになっている。一方、お台場のような場所に立つ中国大使館も砲撃されて壊れたまま。これが”誤爆だった”というのを聞いて不思議に思う・・・。中心から少し離れた軍の地下施設があったといわれている山は、3ヶ月に及ぶ爆撃で頂上が削られて台形になってしまっていた。私の友人はボスニア出身であるけれど、セルビアで普通に生活を送っている。一般の人はなぜ同じ国の者同士が争わなくてはならなかったのか、とそれを心から嘆いていたようだった。

そんな傷跡が未だ残るベオグラードの町ではあるけれど、今は市内の治安は大変良く(夜中に公園を歩いても平気!)、人々は明るくてとても親切。食べ物がおいしくお手頃なのは「EUに加盟していないので、昔ながらの農家が肉野菜を提供しているからなのよ」と現地の人。公園や街路樹が多く(冬なので木々は葉を落とし少々寒そうだったけれど)、夏はきっと明るく華やいで見えるに違いない。

そして私は全然知らなかったのだけれど、日本の無償資金協力が市民に知れ渡っており、友人やらその友達やらにとても感謝された。街中にはヨーロッパのブランド、中国の雑貨、韓国の電気製品が多く見受けられ、すぐ目につくような形で「日本」が主張しているわけではない。初対面の日本人には資金協力の話しくらいしか接点になる話がなかったかもしれないけれど、そこで出会った人たちがわざわざそのことに言及してくれたことはとても嬉しかったし、ちょっと誇らしくも恥ずかしくもあった。援助のひとつである日本とユーゴスラビアの旗が描かれた黄色い93台のバスが、町中を走っている。半日観光ではバスガイドさんが日本人だと知ると、「日本が援助してくれた病院です」と、ほかの国の人がいるのにわざわざアナウンス。
私たちの税金がこういう地道で謙虚な活動を通して、思いもよらないところで役に立っていることをとてもうれしく思った次第。


本屋さんには平積みされた日本の本
与謝蕪村もある

2009年10月25日日曜日

パイレーツ・ロック

1966年、BBCラジオから流れるロックは週にたったの2時間、政府はロックを快く思っていない。そんな時代に公海に船を浮かべ24時間ロックを流す海賊ラジオのDJたちのお話。

監督はリチャード・カーティス。「ラブ・アクチュアリー」の手法をそのままに、舞台をロンドンから船上に移し、その時代の一こま、日々のエピソードの連続でこれといったストーリがあるわけではない。ロバート・アルトマンが思い浮かぶけれど(「あの頃ペニーレインと」もちょびっと思い出した。)、あれよりも軽く、イギリス人お得意の政治風刺が効いていて、それでいてLOVEと人情にあふれている。誰もが知っているクラッシック・ロックをバックに、底の厚いイギリス人俳優陣が、軽くツボをはずしたジョーク(ボケというべきか)を連発。タイタニックを鼻で笑ったようなアクションも登場。見ているものを悲しませないところが好きだ。

俳優ではケネス・ブレナーのコンサバ政治家が意地悪いのであるが、笑える。しかし、彼の奥さんがもっと面白い。なんという女優さんなんだろう・・・。アメリカ人DJ役のフィリップ・シーモア・ホフマンは、暑苦しくて、熱い中年男を痛快に演じている。ノッティングヒルでは変な人、Jの悲劇では怖い人を演じたリス・エバンスはいつもと同じ顔で登場。役によって顔の変わるカメレオン俳優でなく、同じ顔で幅広い役がこなせる不思議な俳優さん。エマ・トンプソンもちらりと登場。

政治家に頼っているようじゃあ国が傾く、民衆よ愛でつながろうではないか!と、あくまでも明るいのりの映画を見つつ、口だけ達者な一庶民は思った次第。

2009年10月21日水曜日

ウェルかめ

このタイトルを聞いたときは、流石の私もひるんでしまった。ホームページ見たら「おつカメさまです」って書いてある~っ。そんなんだったら私だって言える、「夢をつカメ!波美」「私にカメわないで、山田勝乃新」
・・・ザザザザザ~、引いていく音が聞こえる。

とは言いつつ・・・、海岸の景色はきれいだし、カメはかわいいし、主人公もアッケラカンとしているし、脇がきっちりと固まっていて誰も飛び出てないのがいい。特に徳島の出版社の人たち、面白い。
そして、私、真面目に美波町の海岸に行ってみたい、とHPを眺めている。

2009年10月19日月曜日

整理整頓

ふだんからものを買わないことにしている。
それなのに、それなのに、知らないうちに増えるモノモノモノ・・・。5年前に転居して、その時捨てきれなかったものを倉庫に突っ込んだ。これだけあれば楽勝と思われたスペースも、今では無秩序に置かれたモノでパンパンに膨れ上がっている。棚を付けて高いところを有効に使えばどうにかなることはわかっていたのだけれど、手を付けるタイミングを逃し、最近はその扉を開けるのも憂鬱な気分であった。なんだかおも~い気分がする日は、倉庫に用事があった時だったりする。

遂に重い腰を上げ、無印良品で倉庫用に棚を二つ購入。まずは第一歩。しかしこのままでは棚を置く場所がないので、組み立てずに倉庫の中に2週間置きっぱなし・・・。ますます膨れ上がる倉庫。そしてついに我が家のプロジェクトが動き始めたのが先週末。まず床に積み上げられたものを倉庫から出す。廊下にはまるで地震でもあったかのようにモノが散乱・・・。いるものいらないものを選別し始めたのだが、あああ、決心がつかない。もったいなくって使えないキャンドル、新婚のときウキウキして買ったのに趣味に合わなくなった食器、本人しか分からない正体不明のワカの工作物、ワカが赤ちゃんの時に大人が気に入って買ったおもちゃ、捨てるに捨てられない結婚式の引き出物、絶対吹かないハーモニカ&たたかないカスタネット、etc.etc.... 家族三人三様の思い入れがあるから、事態は膠着状態だ。

どうにか3分の2位にモノを減らす。そして棚を組立て(これは楽しい)、倉庫に設置。無印は収納ケースや棚が標準化されているからとても使いやすい。しかも収納ケースは丈夫で変色もしない。この収納ケースに立体ジクソーパズルよろしくモノを詰め込んでいく。特に凄いのがオットの本とDVD。DVDは倉庫の中だけでたぶん150本越え・・、怖くて数えなかったけど。

奮闘すること2時間半、意外や意外、すべて棚に収まりしかもスペースが余ってるのだ。これを見て気を良くしたオット、「まだまだいける。」・・・・な、なにが?こんなに苦労したスペース、絶対だめ!これ以上。つくづく思うんだけど、広い家に移っても生活スペースではなく、収納スペースを増やしているンじゃないかって。いいもの買って孫子の代まで大切に使う、ミニマリスト目指して頑張るのだ。

2009年10月15日木曜日

Dr. HOUSE シーズン4 最終回

今週で、シーズン4が終わった、サビシイ。アメリカではシーズン6が放映中なので確実にあと2年はハウスにお目にかかれる。

アンバーはまさかの交通事故死で非情な最終回になっちゃった。大好きなウィルソンをハウスとアンバーが取り合い、というヘンな三角関係だったけれどその裏には、

  • 気になるアンバーをウィルソンにとられちゃって悔しいハウス
  • ハウスを意地でも振り向かせたく、ウィルソンに近寄ったアンバー
  • 2人が自分を取り合うのをみて、まんざらでもないウィルソン
という構図もチラホラ見え隠れ。

頭蓋骨骨折してるのにウィルソンの頼みを呑み、もう一つ頭に穴を開けたハウス。カティは反対したけど、ああでもしなくてはあまりにも無責任男だろう。電流をガンガン流されて記憶を呼び覚まし、ウィルソンを裏切るようなことはしてないことは思い出したけど、治療法も見つけられなかった。痙攣起きるまでがんばったけど、そう簡単に許してもらえそうにないわ・・・。

元はといえばハウスがいい加減だったからだし、彼も責任を感じているけれど、嫌いだったらアンバーはハウスを迎えに行かなかっただろうし、2人の戦いを面白そうに眺めてはっきりしない態度のウィルソンもなんだかずるいよな気がする。

ここは私がどうにか仲立ちしなくては。そうだ、あのバーのおっさんだ。バイクのキーを取り上げるくらいの配慮があるんだったら、もちっと気を利かせてでタクシーを呼んであげたらよかったのだ。全然関係ないけど、あのおっさんが悪かったことにしよう!
・・・・ダメか。え~ん。

ウィルソン役のロバート・ショーン・レナード、涙をそそる演技、ほんとに悲しそうだった。うまい、うまい。”いまを生きる”でイーサン・ホークと夢見る演劇少年を演じた彼も、何と40歳。若く純粋な若者を演じた後は、”男”へのイメージ脱皮が難しい。ケネス・ブレナーの”から騒ぎ”を見たときは、全くのおせっかいながら彼の将来を心配したことを思い出す。しかしその後、舞台でも腕を磨き、スマートさを残しながら上手く脱皮したようだ。うん。

2009年10月13日火曜日

MARU

滑り込むねこ”をYoutubeで見たのは、アメリカのサイトで紹介されていたのが始まり。世界で一番有名な日本の猫ちゃんかもしれない。以来MARUウォッチャーの私。最近はMARUをみていろいろ解説している5歳の双子や、ゴロゴロ言いながらMARUを見ているNinaちゃんなど、関連動画も増えてきた。

中でも”大きな箱とねこ”を黙って見ておられず、サッカー観戦のような声でMARUを応援するドイツ人のビデオには、猫を愛する心は世界共通、そのパッションにシンパシーを大いに感じる(なんだかルー語みたいね)。そして、それにレスポンスした、ものまねビデオ”I am not MARU”。言われなくともMARUとは見間違えない、誰も。しかし、そこまでするか・・・。

mugumoguさんのサイトはタイトルをクリックしてね。

2009年10月8日木曜日

台風一過

参った、参った。
8時過ぎ、雨が止み青空がのぞいたので家を出た。風が結構すごい。さて最寄駅に着くと、ポイント故障&台風で間引き運転を行っていて、2階のホームには人が溢れ帰り、階段にはホームにたどりつけない通勤客がびっしり、ずらりと並んでいる。こういうときはジタバタせず静かに待つのが一番なんだけど、なんだかじっとしてられないのよ。遠回りになっちゃうけど別の路線で行くことに。

しかーし、こちら路線もいつもの倍以上の時間をかけてのーろ、のーろと進み、しかーも、車内放送で「地下鉄もJRも運休してます」って。今頃言われても~。地下鉄&JRの乗換駅に到着、改札口のコンコースに上がると、入場制限で改札口は閉鎖されている。駅を出てバスかタクシーに乗ろうと思ったのに、閉鎖された改札口の向こうには、駅に入れない人たちがゾロゾロゾロ~っとこっち向いて列を作って並んでいる。
わ~ん、わ~ん
あまりの人の多さにちょっとした都会の恐怖を感じる。もし改札口出ちゃったらいつまた駅に入れるか分からないし、外に出てもバスもタクシーも振り替えの人たちでいっぱいだろう。で、ほんと、情けないけど、元来た道を戻ることに。コンコースからまた激しい人波の中をホームに降りる。私が降りた後、次の電車から降りた人もいてホームはぱんぱかぱん。ホームドアが付いているからまだいいけれど、もしなかったらかなりコワイ。せっかくここまで来たので戻る気にはならないのだろう、流石に、下りの電車はガラガラ。

これだけ余計な動きをしている間に、出発地点の駅は多少混雑が緩和されていて、それでも超減速満員電車でぐったりしながら、片道45分のところを2時間もかけて会社に到着。
疲  労  困  憊
”急がば回れ”したつもりだったのに。回りすぎたか・・・・。

さて、そんなこんなで、午後は台風一過。ゲンキンなくらい晴れ渡る東京の空。えっと、この”タイフウイッカ”、何歳になっても頭の中では”台風一家”に変換されてしまうんだけど。お父さん台風と、お母さん台風と、お姉さん台風と、ボクが、一緒に手をつないで空を飛んでる、みたいな。

2009年10月7日水曜日

SKY AQUARIUM III

六本木ヒルズの空中水族館に行く。今年で3回目。毎年かわいい子見つけるけど、今年のお気に入りは、金魚。 眼はびっくりしてるのに、口が笑ってて、しかもその口元微妙に左右対称ではない。ぜひお声をかけねば、と餌をつまむふりをして水槽に向けて指を見せると、ふりふりふりとよってくる。
で、お口をパカリ。正確には下あごをカクリと突き出す感じ。
金魚さん以外に、とっても面白いお顔の方もご紹介。



             るるる、ららら、
うふふふ





ご飯、ちょ~だい、うひうひうひ






自称ピグモンと申しますが、なにか?

もうちょっと写真載せたいんだけど、このテンプレート、写真が挿入しにくいし、字もずれる・・。
今年の展示は多少規模が小さくなっているような気がしたけれど、来年もこのイベント、続きますように。

2009年10月5日月曜日

刑事コロンボ

コロンボシリーズが日本で始まったのが1972年(?違ってたらスミマセン)。確か土曜日の夜8時からで、野球シーズン中は天気がいいとナイター優先で、放送が先送りになることがあった。で、友達と学校のトイレで、掃除のモップを片手に、コロンボ見たさで”雨乞いの踊り”をしたことを覚えている。

3日の土曜日に「黒のエチュード」(1972)を見る。
浮気相手のジェニファーに結婚を迫られた、オーケストラの指揮者アレックス。アレックスはマスオさん状態、奥さんのお母さんは厳格で「裏切りは許しませんことよ!」と明言するような彼の仕事場のオーケストラの理事。いつもここで「ごめんなさ~い!と言えば良かったのに」と思うのであるが、そんなことしたらコロンボの出番はなくなる。さて、困ったアレックスは自殺に見せかけてジェニファーをオシャカにしてしまうのだ、ヒエ~~。

アレックス役はあの”ジョン・カサベテス”。コロンボを見始めたころ、私はほんの子供。とにかくどんなに素敵でも理由があっても”犯人はワルモン”、どんなにシツコクてもイヤミでも”コロンボはイイモン”という視点でしか見てないし、ましてやワルモンをどんな凄い人が演じているなんぞ、意識したことなどあるわけもなし。しかし、今は違うわよ!(ま、かなり好みに左右されるけども)、今回は監督にスススス~とフォーカス。凄いよね、さすが、いい役者でもあった。どこが、といわれるとそれほど深い内容のドラマでもないので、ちょっと困るのではあるが・・・。

70年代、ピーター・フォークはカサベテスの映画に出演している。カサベテスの奥さんジーナ・ローランズと共演した「こわれゆく女」が印象に残っている。そして、アレックスの奥さん役はブライス・ダナー。今ではグウィネス・パルトローのお母さんといわれるほうが多いかな。やっぱり親子、表情が似てる。そしてコロンボのピーター・フォークは現在アルツハイマーの治療中。さみしいなぁ・・・。

吹き替えの声優さんにも思い入れがある。基本的に映画、ドラマは字幕版しか見ないけれど、コロンボに関しては吹き替えOK。”奥様は魔女”の北浜晴子さんの声と共に、海外ドラマの原体験に刷り込まれちゃってるから。しかし、私の勝手な趣味でコロンボは小池朝雄さんに限る。あ、ついでにバカボンのパパは雨森 雅司さんなのだ。そして故人である小池朝雄さんの声は、何とも懐かしい響きでン十年前を呼び起こしてくれた。久し振りに見た刑事コロンボは、私の心の中の懐かしい”USA”そのものだったのだ、とノスタルジーに浸ってしまうのであった。