今から22年前にドイツで知り合ったベオグラードに住む友人を訪ねた。ユーゴスラビアに行くつもりが、紛争が始まり渡航かなわず、そして、世界地図はすっかり変わっていしまい、やっと訪れることができたときはセルビアになっていた。
モスクワ、イタリア主要都市、ミュンヘン、ウィーン経由といろいろ考え、結果一番お得なBAで行くことにした。行きはロンドンで一泊して、翌日2時間半でベオグラードに到着。
”白い町”という意味を持つ首都ベオグラード。紀元前6000年には人が住んでいたという、ドナウとサヴァ川の合流地点に広がるヨーロッパ最古の都市である。
街の中にはオスマントルコ、ハプスブルグ、ユーゴスラビアと、その時代を反映したいろいろなスタイルの建物が並びその歴史が垣間見れて興味深い。
ただ、いく度もの戦争でどことなく疲れてしまっているようにもみえる。近くは10年前、99年のNATOの爆撃の爪痕が市内のあちこちに残ったまま。東京でいうと霞が関のような街の中心にあるユーゴ国防省・軍参謀本部は未だ崩れたままだ。アメリカ大使館の目と鼻の先で、他の建物は傷つけずピンポイント。もっと驚いたのは田園調布のような住宅街の中にあるミロシェビッチの住居、アメリカ大使公邸の斜め向かいあたり、隣にも普通に家が建っているが、ミロシェビッチの家だけ見事に真っ二つになっている。一方、お台場のような場所に立つ中国大使館も砲撃されて壊れたまま。これが”誤爆だった”というのを聞いて不思議に思う・・・。中心から少し離れた軍の地下施設があったといわれている山は、3ヶ月に及ぶ爆撃で頂上が削られて台形になってしまっていた。私の友人はボスニア出身であるけれど、セルビアで普通に生活を送っている。一般の人はなぜ同じ国の者同士が争わなくてはならなかったのか、とそれを心から嘆いていたようだった。
そんな傷跡が未だ残るベオグラードの町ではあるけれど、今は市内の治安は大変良く(夜中に公園を歩いても平気!)、人々は明るくてとても親切。食べ物がおいしくお手頃なのは「EUに加盟していないので、昔ながらの農家が肉野菜を提供しているからなのよ」と現地の人。公園や街路樹が多く(冬なので木々は葉を落とし少々寒そうだったけれど)、夏はきっと明るく華やいで見えるに違いない。
そして私は全然知らなかったのだけれど、日本の無償資金協力が市民に知れ渡っており、友人やらその友達やらにとても感謝された。街中にはヨーロッパのブランド、中国の雑貨、韓国の電気製品が多く見受けられ、すぐ目につくような形で「日本」が主張しているわけではない。初対面の日本人には資金協力の話しくらいしか接点になる話がなかったかもしれないけれど、そこで出会った人たちがわざわざそのことに言及してくれたことはとても嬉しかったし、ちょっと誇らしくも恥ずかしくもあった。援助のひとつである日本とユーゴスラビアの旗が描かれた黄色い93台のバスが、町中を走っている。半日観光ではバスガイドさんが日本人だと知ると、「日本が援助してくれた病院です」と、ほかの国の人がいるのにわざわざアナウンス。
私たちの税金がこういう地道で謙虚な活動を通して、思いもよらないところで役に立っていることをとてもうれしく思った次第。
本屋さんには平積みされた日本の本
与謝蕪村もある