2010年5月18日火曜日

マラーホフの贈り物

Aプログラム鑑賞。
マラーホフは現在ベルリン国立歌劇場バレエ団の芸術監督で、自らも現役ダンサーで振付もしている。ベルリン、シュトットガルト、ボリショイから最高のダンサーを連れてきてくれた。
第一部、第三部は全てがゆめの中にいるような舞台ばかり。

どれも素晴らしくて、たくさん言いたいことあるのだけれど、特に ”Jewels Diamonds Scene”のセミオノワの完ぺきな踊りには舌を巻く。マラーホフのエスコートが彼女の踊りを二倍も三倍も引き立てる。ルルべからアテール(つま先立ちからかかとを下ろす)だけでため息。タンジュの動きだけでもため息。足首からつま先はなにやら別の生き物のようだ。ため込んで、しなやかなで、床を包み込むような甲の動き、あんなタンジュができたらいいなぁ(来世で)。アダージオは本当に難しい。ただのポーズの繰り返しになるかその緩やかな動きにオーラを放つか否かは、振付や身体能力だけでなくダンサーの個性(性格や生き方)にかかってくる。

”Alexander the Great”には完全に参った。日本人ダンサーもかなりレベルが上がり素晴らしい技術を持った人もたくさんいる。しかし、こうなると何かが違う。おそらく精神的なものを肉体から解き放つときの表現方法が根本的に違っているのではないか。日本人が同じものを追いかけるならば、肉体的訓練以外になにか別の環境が必要なのではないかと考える。もっと息をのんだのが第2部の”Caravaggio”。こうなるとただ西洋人、というだけでもダメそう。

最後のマラーホフによる”瀕死の白鳥”は圧巻。考えてみれば何も白鳥は雌である必要もないわけで、雄の白鳥がいたってゼンゼン構わない。 マシュー・ボーンの”白鳥の湖”は記憶に新しいが、あのようなドラマチックな振り付けではなく、舞踏を思わせる静かな動き。40を超えたとは思えない鍛え抜かれた柔軟な筋肉と関節が、ひとりの人間を暗闇の中に大きく浮かび上がらせる。東京文化会館の大きな舞台が、半分くらいに感じるほど存在が大きく見える。頭の中で思い出してみると、ズームレンズで拡大したマラーホフの姿が頭に浮かぶ。2階からで結構遠かったにも関わらず、である。


東京バレエ団の男性ダンサーは難しいステップなどではなく、ジャンプの着地や走り方を是非是非見習ってほしい。

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