初公開以来だから、30ン年ぶりに見た。
1977年、家庭ではビデオも普及しておらず、毎日目や耳に入ってくるヴィジュアルはキャンディーズや、ピンクレディ、ジュリーなど。そんなナイーブな私が見たロッキー・・・、
”ボクシングで生きていくために貧乏生活を余儀なくされた好青年が、やっとチャンスをつかんで今まで以上に努力。お友達はこつこつと精肉店で真面目に働く正直者。その妹エイドリアンは、本当はきれいなのにお金がなくっておしゃれができないが、ロッキーのひたむきさが彼女を変身させる。いつでもドリーム・カム・トゥルーのアメリカはすごい!!”こーんな印象で、あのファンファーレに鳥肌立てながら見ておった。
30年はちと長かった。あんなに感動した割には、冒頭から全然覚えてないシーンの連発、そしてナイーブなお年頃に見たもんだから”今更なにいってるの?的”事実(私にとっては新発見)がいろいろ。冒頭、ロッキーは不良少女に一生懸命まっとうな道を説くものの、最後にアッカンベーをされてしまうところなど、当時は、なんて子供だ、ケシカラン!と思っていたけれど、今回あらためてロッキーの英語を聞き、そのあんちゃん言葉にたまげた。彼女の「なんたってあんたからそんなこと言われなくちゃなんないのよ」と言いたくなる気持もワカル。字幕をおってるだけではなかなか分からないものだ。ロッキーやエイドリアン兄のお下品な言葉使いは、ひじょ~にマイルドに翻訳されているし、口癖なども全部省略されている。字幕は好きなんだけど、難しいところである。そして、そんな下層階級の青年をかなり上手に描き、演じたスタローンに驚く(地のままって話もあるけど)。
70年代は”大衆映画”に大きな流れが2つ、ひとつは「ポセイドンアドベンチャー」(69)に始まって「タワーリングインフェルノ」(74)のような新旧大スター総動員でヒーローが頑張る”大作災害映画”、こちらは単純系。もう一つは「俺達に明日はない」(67)くらいから始まる演技派俳優が社会に深く入り込む”ニューシネマ”、こちらはチョイ複雑系。しかし、「ロッキー」はそのどちらにも当てはまらず、いや、どちらにも当てはまっていたというべきか。低予算でパットしない俳優陣が実にうまく役にはまり、しかも白人の貧困層とスポーツビジネスという社会問題をサラリと映像化している。人情があふれ暖かい”ヒーロー”が主人公で、世の中の理不尽さを突き詰める暗~い映画でもない。その上、普段はボクシングを見ない人でも映画を見ただけで、アドレナリンが湧いてくるような作品なのである。絵にかいたような単純なストーリーで、「そっか!この手があったのか」とみんなが思うような作品なんだけどね。付け加えれば、もしかしたらスタローンの苦労話もロッキーのようにプロデューサーが話題作りに仕掛けたんじゃないかと勘繰るくらい。
そんなこんなで、”ジョーズ”が現れ、”ロッキー”現れ、とどめの”スターウォーズ”ですっかり”ニューシネマ”は影をひそめ、災害映画に出ていた往年のミュージカル俳優は”ザッツ・エンターテイメント”に集合した。
スタローンはデビュー作からあの威勢のいいロッキーのテーマにのり、とっとっとーっと社会派筋肉路線に・・・。ロッキー成功の後、少し立ち止まり、タリア・シャイアにくっついてコッポラ路線に転んでいたら、別の映画人生があったのかもしれない。タイプが違うけど、メル・ギブソンが監督作品であちらこちらの境界線を歩いているような、そんな映画人生もあったような気がするのだ。ちょっと残念。因みに”ロッキー”以降このシリーズを私、イッポンも見てない。
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