2012年4月30日月曜日

裏切りのサーカス  Tinker Tailor Soldier Spy

原作は元英諜報部員、ジョン・ル・カレ。ヒタヒタと押し寄せる姿なき敵との戦いが、大英帝国の黄昏を背景に渋く描かれている。携帯もコンピューターもない電話と電報の時代、ノスタルジーを強烈に感じる。ほんの少し前の話なのにまるで時代劇の様相。そりゃ、とっても便利な世の中になったけれど・・、私はアナログ世界の人間だワ、とつくづく思う。

冒頭からシーンがあちこちに飛び、オヨヨと思いながらちょっとがんばって画面を追っていた。しかし、話がすすむにつれ、一見バラバラに見えるシーンの展開、実はとても計算されていることに気付く。話が行き詰まると遅いテンポ、しかし解決となると軽快なリズム、と、エッセンスを上手につなぎ合わせ大変カシコイ編集。何よりも人間が情報媒体の主役であった時代のスパイ活動だ、先端技術でケムにまかれるようなこともなく、これほどわかりやすい話もないと思った。そして硬派なだけではない、奪われてしまったライターのメタファー、リッキー・ターとイリーナの化学反応、最後に流れる「ラ・メール」、実は結構なロマンス映画でもある。

あのシド・チャリスを演じたゲイリーは、本当にオールドマンになってしまった。彼のような顔の筋肉一つ一つが動かせるような役者が、表情を動かさないというのも大変なことだろう。やる気がなさそうでありそうで、ジョワッっと核心に迫るあの意気込みを全身で演じている。私はリッキー・ターを演じたトム・ハーディがよかったかな。いづれにせよ、英国では俳優がヨリドリミドリという感じ。

2012年4月20日金曜日

英雄の証明   Coriolanus

冒頭、廃れた街の中に軍隊と群集、迫力ある顔の俳優がなんだか古めかしい言葉で仰々しくセリフを言う。ちゃんと下調べしていなかったのでなんだろうと思っているうちに、すぐにシェイクスピアであることが分かった。悲劇「コリオレイナス」(ゼンゼン知らなかった)を、レイフ・ファインズ”監督”がローマ時代を現代に置き換えて映画化。

中世の芝居がかったセリフ(芝居だからしょうがないのだけれど)が、今の社会にそのまんま通じるシェイクスピアの普遍性に今更ながら感服。邦題からみて「英雄とはどうあるべきか」がテーマなのだろうけれど、コリオレイナスを取り巻く政治のあり方、政治の事務方や民衆のエゴイズムの描き方に興味が持てた。私自身、無関心であることへの罪を感じる今日このごろだけれど、一方で、衆愚政治も困ったものだなぁ、と。この地味な(?)作品をテーマに、現代の問題を鋭く見つめたレイフ・ファインズの慧眼に拍手。

舞台俳優であるラルフ・ファインズの怪演には驚くばかり。また、老いてなお美しいヴァネッサ・レッドグレイヴの凛とした姿は必見。イギリスの俳優は本当にステキだ。

2012年4月19日木曜日

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙   The Iron Lady

メリル・ストリープを鑑賞しに行ったという感じ。マーガレット・サッチャー氏ご本人はもちろんテレビでしか見たことはないけれど、M・ストリープのサッチャー氏はどこを見てもどこから見ても聞いても”らしい”のである。もちろん一目でストリープだということは分かる。しかし完璧にサッチャー氏に因数分解されてしまっている、と言ったら何となくニュアンスが伝わるかしら。そしてあの80才の老けメイク!あれはスゴイ。「カーネーション」の糸子さんのもお願いしたかった。

認知症を患っているサッチャー氏の妄想が過去と現在の世界とうまく絡まり合い、そしてあえていえば”女性”讃歌で終わらないよう作られている。サッチャー氏の功罪については横に置いておいて、この稀代の女性の「私」を描くことに腐心した監督とM・ストリープの仕事には敬服するばかり。一言言わせてもらえば、邦題に付いちゃった「涙」はいらないわ。

ここで映画の中でサッチャー氏が言った心に留めておきたいセリフを一つ;

"Watch your thoughts, for they become words. Watch your words, for they become actions. Watch your actions, for they become...habits. Watch your habits, for they become your character. And watch your character, for it becomes your destiny! ”

(考えは言葉になり、言葉は行動になり、行動習慣になり、習慣人格になり、人格は運命になる)

サッチャー氏の父上がいつも口にしていた言葉だったそう。とにかく「考えが大事」と。


2012年4月18日水曜日

テディベア

オットとワカサマが母を訪ねてン千里、男二人で里帰りしている最中に、たくさんの友達と会って食べて飲んでつかの間のシングルライフを謳歌した。そんな中、ちょっと私にしては異色だったのがテディベア作り。

まだ、名無しのくまちゃん
中学のときの一番の仲良しのお友達が、テディベア作家になっていた。なっていたというのは約25年振りに再会したから。その友達がテディベア・フェアに出展するからと誘われて見に行ったら、これはスゴイ。大きな会場にぎっしりとブースが並び、結構な熱気。こ、こんな世界があったのね。で、友達のブースに行くと、私の大好きなシュタイフ・スタイルのミニベアが展示してある。体長15センチくらいで、実にカワイイ。生地もちゃんとヨーロッパから仕入れていいて、技法もシュタイフと一緒だと言う。しきりに関心していると、その気だったら教えてくれると言う。

本当は作りたかったけれど、実はちょっと引いていた。というのも忘れもしない中学1年の時の家庭科で「2」を頂戴しているのだ。袖なしブラウスを作らされたのだけれど、当時は興味もないしゼンゼン楽しくなかった。前端と前中心を間違えて、ねじれたまんまで提出したのはよく覚えている。そのまんま、お裁縫には興味が持てず。保育園や小学校で必要なシーツやら、袋やら、そんな四角いものは縫ったけれど、まともな裁縫道具さえ持っていない。もちろんミシンなんて無いわよん。

でも、シングルライフで気も大きくなっていたのだろう、熊の可愛さにもつられて、イッチョ作ってみるか!って。友人を自宅に招いて週末に2回、合計約10時間程、マンツーマンで教えてもらった。型紙は友人のデザインで既に生地は裁断してきてくれた。これを縫い合せて綿を詰めるのだけれど、ちょっとしたところにプロの技有り。手取り足取りでどうにか完成。実に楽しかった。忘れるといけないので、今、2匹目も制作中。

2012年4月16日月曜日

スーパーチューズデー  The Ides of March

実際の選挙に着想を得て書かれた戯曲 「Farragut North」を原作にジョージ・クルーニーが監督、脚本、制作、出演をこなす。原題の 「The Ides of March」はシーザーが暗殺された3月15日を意味するものでJ.クルーニーが名付け親。

まさしく「ブルトゥスお前もか」の世界。政治は難しくて複雑なものであるけれど、究極は人間の根本的な「思い」で動いているのだとつくづく思う。主役ではないけれど、その核の人物である大統領候補モリスをJ.クルーニーが演じていて、これがなかなかいい。魅力的であるが故に、モリスの選挙マネージャーであるスティーブン(ライアン・ゴズリング)がモリスへの信頼をバッサリと切り捨てられず、しかし後に可愛さ余って憎さ百倍になってしまうその流れに大いに納得する。私なぞこんな大統領候補がいたらコロリと騙されてしまうだろう。

その他フィリップ・シーモア・ホフマン、ポール・ジアマッティは絶対ハズさないし、マリサ・トメイの不可思議なジャーナリストは最高だ。特に冒頭モリスに心酔する若いスティーブンに言った「どんな人物であれ、政治家というものには必ず失望させられる」(うろ覚え)には、トメイの説得力ある言い回しに脱帽。モリー役のエヴァン・レイチェル・ウッド(アクロス・ザ・ユニバース」)は美しさと技量を備えている。

もちろん21世紀の映画ではあるけれど、どこか70年代のルメットなどの映画を彷彿とさせる。ノスタルジックで熱すぎない、でも言いたいことがストレートに伝わってくる。政治の善悪を解いているのでは無く、それぞれの譲れない一線を描いている。その琴線に触れたときの力関係の駆け引き、自分の大義のためにどこで一線を譲るか。正義とは「あるかないか」ではなく、「信じるか信じないか」なのだわ・・・。

あのデカプリオが制作に関わっている。