2007年10月30日火曜日

バイリンガル 2 小学生低学年

いよいよ小学生に。ある日、学童の先生から「なんだか日本語がちょっと・・・」。ん~、そうは思ってはいたものの、他人から指摘されるとあせる。「夜、絵本とか読んであげるといいですよ。」「はあ、夜は父親が読んでいるんですが・・。」「だから、日本語で読んであげてください。」「・・・・・。」
何か腑に落ちない。

男の子を4人育てた友人に聞いた。友人曰く「読むのは何語でもいいのよ。要するに読んでもらうことによって、子供の頭の中で言葉のイメージが膨らみ、想像力が発達するわけ。それが大事なのよ。」
いや、溜飲が下がった。読み聞かせは言葉を教えるというよりも、子供の想像力を高めるのにいいというわけだ。それから毎晩のように父親は喜々として読み聞かせを続けた。毎晩30分から長いときは1時間、ほんとに根気があるなと感心しきり。

オリジナルが大事
ワカは起用に日・英を使い分け始めた。映画やTVなどは必ずオリジナルの言葉を選んで見る。たとえばドラえもんが英語で、シンプソンズが日本語で話しているとだめだそうである。こうしてかなりゆっくりした速度で日本語も英語も習得を始めた。

言葉使い
英語は同年齢の友達がいないので、父親曰く、純粋培養でしかもかなり大人びた口調らしい。
とはいえ、ケーブルテレビで若者言葉を真似してみたり、TVの禁止用語も映画から習得してきたり、それなりにスラングも理解している。彼の真面目な性格によるところもあるとは思うが、彼は日本語でも英語でも汚い言葉を口にしない所はえらい。

読み書き
週2回父親と音読している。父親が選んだペーパーバックを一冊@一月のペースで読んでいる。3年生からはディクテーションも始めた。これには難儀しているようである。ラテンやゲルマン系の言語は発音通りにスペルを綴ればいいのだが、英語はそうは行かないので時間がかかる。
日本語はというと、やはり彼にとっては”書き”が難しい。ありがたいことに、学校の宿題で毎日日記を書く。3年生くらいまでは毎回「書けない~。何を書いていいのかわからない~。」の苦やし涙。先生が毎日コメントを書いて戻してくれる。これはありがたい。

亀の歩ではあるが、毎日少しではあるけれど継続した努力がすこしづつ実を結び始めている、と感じる今日この頃。

2007年10月4日木曜日

ミーナの行進


読み終えたあとで、泣きそうになってしまった。 
私がこの少女達と同世代であったことや、その時代に父の仕事で芦屋の隣に住んでいたことだけが理由ではない。

もっと小さい頃の記憶は白黒ビデオのよう、でも子供から少女に代わる頃からの記憶は、だんだん天然色に変わっていく。自分というフィルターを通して世の中が見えてくるのだろう。そんな風にこの本を読んでいる間中頭の中で記憶に色を付けながら、私の72年がゆっくりと思い出されていた。

その時代は自分がそこに居たというのに、本当に遠い世界に行ってしまったこと。そういう意味では、過去の現実は物語となんら変わらないのかもしれない。そして今までそんな大切な思い出を、無造作にほっぽらかしてしまっていたこと。いろいろな記憶を拾って、つなぎ合わせて、自分のことを思い返すと、72年が私の最後の”子供”の時代だったのかな、という気がしてきた。そう思うと胸が締め付けられるようだ。そして私は自分の羽をどこで折ってしまったのだろう、とふと考えた。そんなことを思っていたら、なんだか泣きたくなってきた。挿絵(寺田順三)を見てもっと泣きたくなってきた。

ワカに幸せになってもらいたいばかりに、安全な線路を敷きかけていた私は、ふと気が付いた。大人になってから振り返って、”記憶が天然色になる時”に彼が豊かな人間関係を送ることが出来れば、きっと幸せな少年時代を迎えることができるのではないのかって。