2010年4月16日金曜日

久石譲さん「2001年宇宙の旅」を語る

「わかりやすいということは決して良いことではない。難解な映画や音楽、絵画などに接したとき「これは何?」という畏怖にも似た疑問がおこる。だから頭を働かせる。わかろうとするからだ。あるいは自分の感覚を最大限広げて感じようとする。そこにイマジネーションが湧く。もちろん優れた作品であることが前提だ。何も大衆性を否定しているわけではない。その両方が無い作品に接する時間ほど無駄なものはないと考えるのだが、作る側としてはそのさじ加減が難しい。スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」はその答えの一つである。

・・・謎の物体「モノリス」をめぐる展開だが一貫した主役はなく各シークエンスも関連性に乏しくわかりづらい。・・・・ぼくは最初これは映画ではないとさえ思ったのだが、何度か見ていくうちに映像と音楽の関係性に圧倒され、今ではぼくの「名作中の名作」である。

・・・映画全体の音楽は15曲(メドレーは一曲として)で数は多くはないが一旦なり出すと長く使っている。その関係は映像につけるのではなくてむしろ映画自体を引っ張っていくエンジンのような役割だ。

・・・まず驚くのは宇宙航行にヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」を使っていることだ。無重力の漆黒の宇宙に浮いた宇宙船がワルツのリズムに乗ってあらわれたときは仰天した。・・・なんといっても衝撃を受けるのはジェルジ・リゲティの曲の使用である。20世紀後半のもっとも重要な現代音楽の作曲家だが難解である。・・・圧巻は木星と無限の彼方(異次元への突入)で15分にわたり流れる3曲ほどのメドレー。多くの監督が望む大衆性とはま逆の姿勢をキューブリックは音楽でも貫く。

・・・決してわかりやすい音楽と映像との関係ではないが、そこには新鮮な「何?」が必ずあり、我々のイマジネーションを駆り立てるのである。」

この映画、他の映画とは一線を画しているとはわかるのだけれど、実は私、何べん見てもなんだかよくわからない。久石さんをして「難解な」ものなのだ、私のような凡人にはイマジネーションを駆り立ててくれればよし、としよう。そうと分かれば、ちょっとうれしい。それに、ず~っと考えていたら、ある日突然悟りが開けることだってあるかもしれないし。今回音楽に関しては大変重要な指針をもらったので、そこに注意して見てみよう。

天才は普通の人が畏怖の念を抱くような何かを、絵画で、音楽で、文学で表現する。キューブリックはそんな全てを拾い上げ、作品にしているのだなぁ。凡人の悲しさと気楽さを感じつつ、天才の孤独を想像してみる。

2010年4月14日水曜日

イカとクジラ

監督、ノア・バーム(2005年)。

 1986年、ブルックリン。父はスランプ続きで仕事がないけれどプライドは人一倍高い作家。母はニューヨーカー誌にデビューの奔放な新進作家。16歳の兄ウォルトは父に心酔、母の奔放さに我慢ならない。12歳の弟フランクは父のプライドがうざったく、何があっても母が好き。両親が離婚することになり、兄弟(猫ちゃんも)は共同監護という形で父の家と母の家を行ったり来たりの生活が始まる。やがて弟は学校で奇行を繰り返し、兄も盗作騒ぎを起こしてしまう。ばらんばらんのかみ合わない親子夫婦のブラックほどではないけれど、グレーなユーモア(?)で綴られた、決してカナシイだけではない物語。

父親の意見は至極まっとうで教養にあふれているはずなんだけど、Fワード連発、無職、という具合に現実とかみ合わない。母親もとりあえず思春期のこどもには言わないかな、と思うような浮気や恋人の話を包み隠さず話す。息子2人のことは観ていてつらい。 特に12才の弟の奇行には女系家族に育った私にはあ~んぐり。まだまだアオい兄の母親やガールフレンドに対する態度にも説教したくなる。観ている私の”同情”やら”親近感”やら”嫌悪感”は、4人の間を行ったり来たり定まらない。どこまでもあれれ?の家族だし、正直4人とも好きになれない。ところが、どの登場人物も軽蔑できないどころが、だんだん愛情さえ湧いてくる。脚本の妙。

父親は『愛と追憶の日々』というより『Mr. ダマー』のジェフ・ダニエルズ、母親は『ミスティックリバー』のローラ・リニー。2人とも見事にNYの知的階級の滑稽さを表現。チョイ役でアンナ・パキンとウィリアム・ボールドウィンがとってもいい味。そしてこの手の映画を見るたびにいつも思う「どこからこんなこどもたちを探してくるのだろう」と、実にうまい・・・。
 
決して心地よくない棘のある会話に落ち込んだり、笑ったり、落ち込んだり、落ち込んだり。全てが日常の出来事で、映画の終わりも昼寝で一日が途切れたように終わってしまう。しかし映画全編を何度も反芻させてくれるくらいの印象的なラストシーン。

2010年4月13日火曜日

九品仏浄真寺の桜

浄真寺は小田原の役後、廃城となった奥沢城の跡地に、延宝6年(1678年)開山。本堂の対面に3つの阿弥陀堂(上品堂、中品堂、下品堂)があり、それぞれに3体合計9体の阿弥陀如来像が安置されていることから九品仏と呼ばれている。10年ほど前、いろいろともめ事があって、境内の雰囲気は昔と少々変わってしまった。

九品仏界隈は石原裕次郎、芦川いづみ主演の『乳母車』のロケ地にもなった。昭和31年の映画だから、今の町並みとはま~ったく変わってしまっているけれど、浄真寺はそのまんまとはいわないまでもそれと分かる。4月頭に従兄弟のお墓参りを兼ねて花見に行った。

境内から山門方向を見る。まだ満開ではない。
こーんな立派な木が地上近くまで枝をたらして桜をたくさん咲かせている。
境内は桜でいっぱい。
上品堂の屋根をバックに。
九品仏は秋の銀杏も大変美しい。3年に1度の『お面かぶり』は来年8月16日。

2010年4月12日月曜日

第9地区

監督と脚本、ニール・ブロンカンプ。南アフリカ、ヨハネスブルクに突如宇宙船が出現し、そのまま街の上空に留まってしまう。宇宙船内のエイリアンは人道的手段をもって、難民として地上に移される。しかし人間とエビ(=PRAWN)に似たエイリアンの共存は難しく、宇宙船が停留してから20年が経った今、エイリアンはヨハネスブルグ市内の第9地区に隔離され、MNUと呼ばれる組織によって管理・監視されている。第9地区はスラム化し、ヨハネスブルグ市内の治安は悪化の一途を辿り、困った人間は郊外の難民施設にエイリアンを異動させることにした。MNUの職員であるヴィカスは新しい施設へ移動する同意をエイリアンから取り付ける最高責任者に任命される。同意とはいってもほとんど強制的で、ウムを言わさずサインをさせるか、言うことを聞かなければ暴力に訴え、酷いと撃ち殺してしまう。喜々として業務に励むヴィカスは、エイリアンの作った液体を自ら誤って浴びてしまい”何か”に感染してしまう。感染が広がっていくうちに思いもよらぬ困難が次々と襲ってくる。

この辺までは予告編からでも察しが付くけれど、こっから先はネタばれになるので黙る。1966年、当時の南ア政府がケープタウンの第6地区を白人専用地区に指定し、1982年に約6万人の人々を25km離れたケープフラッツに移動させた出来事がもとになっている。アパルトヘイトだけでなく、人間がエイリアンの居住地で武器を探し回る姿はイラク戦争を思い起こさせる。20年の間じーっと耐えながらその時を待つエイリアンのクリストファーはマンデラ大統領か。

ドキュメンタリータッチな画像と、(私たちにとって)無名な俳優の出演でリアル感が増大。CG技術は駆使されているけれど、演出家のイマジネーションを楽しむタイプの映画ではなく、本当にこんなことが起きるかもしれないと思わせるタイプ。『エイリアン』やクローネンバーグの『フライ』を見た時のあの新鮮な感動を思い起こさせる、正統派SF映画。絶対お勧め。

クリストファー親子、好感度大につき、しばらく大好きなエビが食べられなくなりそうなのは困った・・・。

2010年4月8日木曜日

久石譲さん「グラン・トリノ」を語る

”音楽と映像の微妙な関係”その2。

「・・・・これといった派手な仕掛けはなく淡々としているのだが細部に神経が行き届き、やたら感情を煽るでもないのだが深く感動させる。・・・それはいいのだが、大きな問題がある。音楽がヘタウマなのだ。よく言うと素朴、悪く言うと素人っぽい。白たま(全音符のこと)にピアノがポツポツみたいな薄い音楽が主体だから映像を邪魔するようなことはない。しかも監督自ら作曲することが多いので映像と音楽の呼吸感も見事なものだ。だがそれは両方兼業(特に近年)する彼にしかできないことで、修行を積んで来たプロの作曲家にヘタウマ風に書けといっても無理なのだ。この手の音楽が主流になったら大変・・・。

・・・・冒頭のクレジットに流れるメーンテーマはフレットレスペースのシンプルなメロディーでこの映画の要である。 正直ぼくはこの手の先の読めるメロディーが嫌いだ。・・・その後6シーンにわたって流れるのであるがだんだん良く聞こえてくるのである。とくにラストシーンではイーストウッド自身が1コーラス渋く歌いそのままジェイミー・カラムの歌でエンド・ロールにつながっているところが感動的なのだ。うまい、ちょっと参った。冒頭に流れたものがストーリーの進展とともに成長していくのである。これは誰も意識していないのに確実に感動を煽る。しかもイーストウッドの場合は下品ではない。むしろ抑制をきかしている分、映画全体の品格を上げている。」

ピアノポツポツの曲が、全体を通してどのように進展してエンディングにつながっているなんぞ、素人はゼンゼン気がつかない。言われてみればその通りで、音楽を意識せずに静かに感動が盛り上がっていくのだ。それもお涙ちょうだいの感動の押し売りではなく。最後のイーストウッドの歌声には泣かされた。初めはガラガラ声で歌が始まったのに、グラン・トリノが風景の中を走り去っていくころには声が若くなり、あれれ?。”私でも”この部分はかなり印象に残った。で、映画と美しいメロディーに一目ぼれならぬ”一聞きぼれ”し、iTunesでこの曲を即買った。

それから、映画音楽にも”ヘタウマ”がある、というお話は新鮮な驚きだ。 う~ん、確かに、ジョン・ウイリアムズ(スターウォーズ、シンドラーのリストなど)やジェームズ・ホーナー(タイタニック、アバターなど)は音楽だけでキャラクターとなるくらい完璧で圧倒的だけど、確かにいろんな意味で”コイ”。

久石さんは最後に「基本的には映像を邪魔しないものに主眼が置かれているのは『映像と音楽は対等であるべきだ』と考えているぼくにはやはり物足りない。」とも書かれているけれど、これを読んで、彼の音楽とイーストウッド監督のコラボレーションが実現してほしい!と思ったのは私だけだろうか。

2010年4月7日水曜日

超級星光大道 Whitney Houston

「超級星光大道」は「スーパースターへの道」とでも訳せばいいのかな。見たことないけれど、台湾の「アメリカン・アイドル」みたいな番組だと思う。
Youtubeで見つけたこの男の子。ヴィジュアルと歌がミスマッチなのが(失礼)マイナスに働くどころか、ますます彼の歌を際立たせているのはスーザン・ボイル並み。
タイトルをクリックしてちょっと音量を上げて見て下さいまし。

2010年4月5日月曜日

もうすぐ中学生

明日は入学式。
中学生になるんだなぁ・・。

春休み満喫中のワカ様、
「なんだか実感わかない。明日から小学生じゃないってことに。」

自覚を促すため、ちょっと大げさに言ってみた。
「そうよ、大人への第一歩!自分でいろいろ判断してやってかなくっちゃね。」

ワカ ちょっと考えて。
「・・・制服って着ていかなくちゃいけないの?」

やっぱし、あんま、自覚してないみたい・・・。

2010年4月4日日曜日

久石譲さん「ベニスに死す」を語る

日経夕刊で久石譲さんの「音楽と映像の微妙な関係」が始まった。究極の映画音楽解説である。

「(映画とふつうの音楽の違い)“ふつう”の音楽はそれだけで100%、映画なら映像と音楽を足して100%になるようにしています。理想は映像と音楽が100%ずつ発揮したうえで成立する映画なのだが、そんな不可能なことを可能にした作品をぼくは知っている。 『ベニスに死す』だ。 
(中略) 
もちろんマーラーがこの映画のために書いたのではなく交響曲第5番の第四楽章アダージェットとして書かれた名曲を使用しているので厳密に言えば映画音楽ではない。が、間違いなくここでは映像と音楽がたしあうのではなく、掛け算にしてみせて我々の度肝を抜くのである。
(中略)
冒頭の船のシーンを見るだけでわかるように、マーラーの切々とした孤高の音楽と画面の隅々まで神経を配った無駄のない映像が、晩節を迎えた老作曲家を通し人間というのもを、人が生きるということを描くのではなく深く体感させるのである。
(中略)
原作では主人公グスタフ・アッシェンバッハは老作家なのだが、映画では老作曲家に変更している。しかも風貌を含めて限りなくマーラーのイメージに近づけていて追い打ちはマーラーのアダージェットなのである。この主人公がアダージェットの作曲家であるグスタフ・マーラーだといわんばかりなのだが、このイメージをだぶらせるような演出こそが最大のトリックであり最大の映画的効果なのである。ヴィスコンティ恐るべし。」

音楽と映像に鳥肌が立つくらい心打たれながらも、その気持ちをどうもうまく言い表せなかった。モザイクを組み立てるように、”老い”や”若さ”や”美”やそんな断片を作品の中から拾い集め、私なりにこの映画への思いを考える努力をしたのだけれど・・。そんなときにこの久石さんの一言で納得。説明できないことを”深く体感”させられていたのだ。答えを導いてくれた久石さんも、作曲だけでない、恐るべし。

それにしてもビョルン・アンドレセンは美しかった。当時の少女漫画に出てきた多くの美男子は彼がモデルだったのよ。

2010年4月1日木曜日

4月1日

3月末からのスキーキャンプに参加していたワカが帰ってきた。12月のコースがインフルエンザで中止になってしまい、待ちに待ったスキーだったので、さぞかし楽しかっただろうなぁ~、と土産話を楽しみにしていたら・・・。

ワカ 「(暗い顔)スキーのやり方忘れていて、どうしても思い出せなくって、初心者グループに入れられてゼンゼン面白くなかった。」
私 「えっ?・・・残念だったねぇ。で、ペンションはどうだった?」
ワカ 「それがもっと最悪でね、ゴハンはまずかったし、ペラペラの布団だったし、古かったし。」
私 「・・・・・。」 
・・・ガッカリ・・・
ワカ 「あはは~!エイプリール・フール!」

ほんと~に、だまされた。いつも私やワカをだましては面白がっているオットも、引っ掛かっていた。ウヮッハッハ・・!しかし、あの不満げな顔と言い、セリフの長さといい、絶妙。もう少しウダウダが続いていたら、「自分から行きたいって言ったのに、文句言うな!」と怒られる羽目になっていただろう。よく成長したなぁ。感心しているバヤイではないが。がっかりした分、喜々としてキャンプの話をする姿は”行かせてよかった感”を倍増させてくれた。ここまではさすが計算してかったとは思うけど。

2010年3月30日火曜日

ランチで贅沢


目黒区八雲にある「楳心果(ばいしんか)HIGASHIYA」という、日系二世のような名前の日本食屋さんでランチをした。かんばんが出ていないし、門構えが普通の(というか立派な)家なので(右の写真)、事前にネットでリサーチをしておかなければ見つけるのに苦労しただろう。大きな民家の庭をそのままにして、建物をリノベーションしている。ちょっとやそっとのリノーべーションじゃなくって、とっても直したと思う。
壁、床、梁、窓ガラス、かなりハイセンスで、とにかくいい(写真はタイトルをクリック)。夜は「八雲茶寮」と名を変えるらしく(・・・と思うが)、一見さんお断りのようだ。HPはIDとパスワードが必要で、その他大勢の私はEnterできず詳細不明。

さて、ランチは¥3150。おかずは少ないので若者には物足りないかもしれないけど、がっしり食べたければゴハンはお代わり自由。ゴハンはよく炊けていておいしい。おかずで一杯、お漬物で一杯。これでお腹は満たされるけれど、やっぱり甘いもので〆たい。追加料金で自慢の和菓子を注文。饅頭、練りきり、羊羹がそれぞれ3,4種類あってどれにしようかしばらく悩んで、練り切りにした。中に煮たふきのとうがちょっぴり入っていて、その苦味が餡の甘みと意外とあう。和菓子はお干菓子、生菓子とも持ち帰りができる。

食事の内容からいうとちょっと高めだけれど、とにかくエクステリア、インテリアとも素晴らしいので、プラス美空間でこの値段も納得。朝ご飯も食べられるらしいので、いつか行ってみよう。

2010年3月29日月曜日

ゲゲゲの女房

2003年、日経で水木しげるさんの”私の履歴書”が連載された。1ヶ月間その波乱万丈の人生を読むのが毎朝楽しみだった。特に印象的だったのはニューブリテン島での戦争の話。次から次へと襲う困難を潜り抜けまさに奇跡の連続。悲惨な経験の中で、いつも自身を忘れず、そして次元の高いユーモアをもち続ける(ご本人は真剣かも知れないけれど)水木さん。

しかし、私は「ゲゲゲの鬼太郎」がそんなに好きだったわけではない。なぜかというと妖怪どころか人間そのまんま、笑えるツボ満載のねずみ男(怪奇大学不潔学科卒)が、子供のころ本気で嫌いだった。なんで鬼太郎はあんなに胡散臭い人に、しかも、いっつもだまされるのか、そんでもってもっとなっとくかないのが、鬼太郎がすぐねずみ男を許してしまうこと。だから猫娘が出てくるといつも安心していた。子どもゆえにマンガというよりもっとナマナマしく見てたのかも。妖怪って人間の精神世界をデフォルメしたようなものだもの。

さて「ゲゲゲ・・・」の第一話、お見合いの年が昭和36年とあって、正直たまげた。なんだか街の風景がとっ~ても古く見える。私が生まれたのって、こんなに昔だったか・・・?

2010年3月26日金曜日

ウェルかめ

今日でオシマイ。慌しい出勤前にしばしのんびり化粧をしながら見ている朝ドラ。半年ごとに切り替わるので、季節の変わり目を感じさせてくれる。かめ子は編集、お母さんは民宿、お父さんはサーフィン、おじいちゃんは漁、わたる君はかめ、ガールフレンドはふぐ、山田君はロボット・・・。その他の登場人物も皆、自分の何かを持っていてそのタンジュンさ(?)が面白かった。誰も意地悪しないし、登場人物も死ななかったのもよかった。景色は奇麗で、いつかお遍路さんしてみたいなぁ。

ドラマや小説みたいに残念ながらこれが私の道!なんて私には無縁だけど、胸に手を当ててみると自分の好きなことは簡単に見えてくる。それを細々と続けて、それで毎日が楽しければよし!

来週からは「ゲゲゲの女房」、またまた楽しみ。

2010年3月25日木曜日

卒業式

冬に逆戻りの寒い朝。大きめのハンカチを用意して出かけた。一抹の寂しさもあるけれど、無事卒業できることが自分のことのように嬉しい。 さて、合唱曲も私のころとは違うし、式も”現代的”になっているのかなぁ、と思っていたら・・・。式自体はン十年前とほとんど変わっていなかった。今どきだなと思ったのは女の子の服装。2人をのぞいて、み~んな紺のブレザーにタータンチェックのスカート。私はベイシティローラーズが頭に浮かび、オットは「男の子も着ればスコットランドだ」だって。

いい意味で意外なこともあった。普段は影の薄い副校長先生、司会(式進行係?)がとっても堂に入って、その声も姿もまるで「鈴木史朗さん」のようだった。それからこどもたち。最近の子は体格が良くなっているけれども、その分動きが鈍い。運動会もしかり、だら~りだら~りと動く姿にちょビットイライラしていた。ところが今日は別人、ザザザっと起立、スススッと着席、ピキピキと歩き、カキッとお辞儀をしているではないか。やればできるのね。(副校長先生、こどもたち、ごめんなさい。)

さて、感動の波が来るか、来るかとハンカチを握りしめる私。卒業証書授与にも、期待していた(?)合唱にも一筋の涙どころか、ウルウルも来ない。で、あっけなく終了。ボーボーになるかと思ってたのに~。周りのお母さんたちも、「思ったよりあっけなかったわね~。」

帰り道、ワカがポツリ。「もう二度と小学校の日は戻ってこないんだよね。あんなに当たり前だったのに。それがとっても不思議なんだよね。」
楽しいこども時代を送ることができたかな?大きくなって幸せだったって思える日々だったかな?ちょっとはそのお手伝いができたかな?当たり前の幸せをかみしめながら、全てが終わった帰り道、じんわりと眼がしらが熱くなった。

2010年3月22日月曜日

NINE

ロブ・マーシャル監督。
フェリーニによる自伝的映画『8 1/2』を、1982年ブロードウェイでミュージカル化。主役のグイドを演じたラウル・ジュリアはこの舞台でメジャーになった。

才能豊かな女優達に驚かされる。★ぺネロぺ、難解な振り付けではないものの、柔軟性はもちろん、かなりしっかり踊りをしていないとつかめないポーズをばっちり決める。プラス、歌とあの美しい顔。★ ジュディ・ディンチ、フランス語訛の英語を操り、且つ腹のそこから歌う。いやはや、この人はすごい、ただのお局様ではない、貫禄勝ち。 ★ケイト・ハドソン、なんてキュート。実の父親から歌の才能は受け継いだのだろうけれど、あの踊り・・!★ファーギー、体重を増やしてどっしりと存在感。「キャバレー」の”Mein Herr”のような振り付けと小道具なので、その迫力満点の歌声はライザ・ミネリを髣髴とさせる(方向が違うけど)。そして、★マリオン・コティヤール。グイドとの冷めた関係をしっとりと歌った場面では、思わず泣かされてしまった。★ニコール・キッドマン、見せ場が少なかったかな。

グイド役のダニエル・デイ=ルイス、歌も歌えるのだ。しかし、イタリア語訛の英語を楽しそうに話すし、主役と言っても映画のミュージカル、彼にとってはカル~イ仕事だったかも。 一時期俳優業を休業して、靴屋になるためにイタリアで修行していたというのもイガイ。歌って靴を作れるアカデミー俳優というのは彼だけだろう。

私はマーシャル監督の前ミュージカル作品「シカゴ」よりも好きだ。ミュージカル好きでも、オットにはイマイチだったみたい。舞台だったらいいけれど、映画になってしまうとフェリーニの映画が脳裏をよぎるのか・・。比べちゃだめ、「8 1/2」にインスパイアーされた作品として、あくまでも踊りと歌を楽しむべし。残念なのは一曲終わるたび、劇場みたいに拍手できなかったことかな?

2010年3月21日日曜日

マイレージ・マイライフ

「JUNO」のジェイソン・ライトマン監督

ライアン(ジョージ・クルーニー)は気が弱い経営者の代理として従業員にクビを言い渡す、というリストラを請け負う会社のプロ。彼の人生哲学は、バックパックに入らない荷物はいっさい背負わないこと。故郷の姉妹と連絡も取らず恋人もいない、結婚、子どもに興味なし。年間322日も出張する彼の家はまさしく旅、目標は航空会社のマイレージを1000万マイル貯めること。

自分では身軽だとおもっているライアン、知ってか知らずか仕事、家庭、世代などの問題をかなり抱え込んでいる。そんな現代の姿があちらこちらでぱらぱらと顔を出す。これが原因だ、何がテーマだ、と決め付けないところにこの映画のレンジの広さを感じる。そこがこの映画の何か物足りなさを感じさせる部分でもあるのだけれど。ロバート・アルトマンのように’ちゃんと’ばらばらだったら、見ているほうは一生懸命寄せ集め、何かを見つけようとがんばっちゃうんだけど。

見所は俳優陣。かっこいいけど垢抜けなくって、割り切っているようで暖かくって、頭の古いこどものようなライアンを演ずるジョージ・クルーニー、ハンサムだわ・・・。ナタリー役のアナ・ケンドリックは、「トワイライトシリーズ」での高校生の初々しさそのままに、頭の切れる、おしりの青い、傷つきやすい若者を好演。
アレックス役のヴェラ・ファーミガは、これじゃあクルーニー様でも一目で恋してしまうだろうといういい女っぷり。

アメリカでは本当にこんなふうに雇用を切っていくのだろうか、こんな仕事があるだけでオドロキ。雇用に関しては日本でも対岸の火事ではなくなっている。しかしスッパーンとクビを切られるようにびびったのは、自分に正直になったとたんスットーンと落とされる中年の純情。いろいろな経験から自己防衛をしまくっていたはずが、まさかの落とし穴にはまってしまう。傷つくなぁ、あれは。

映画の中には、あれこれたくさんの人生のかけらが散らばっていて、見る人のバックグラウンドで拾うかけらが違うと思う。「幸せな瞬間は、ひとりでなく誰かと分かち合いたい」、私はこの一言に大きく頷いた。

ダレン・シャン

『ダレン・シャン』(The Saga of Darren Shan)シリーズは、作家ダレン・シャン(自分の名前が主人公の名前)の児童向けのヴァンパイアのお話。ワカもこのシリーズを読んでいるそうで、楽しみにしていた。

ダレンは毒蜘蛛にかまれた親友を助けるために、ヴァンパイアのクレプスリーと半分ヴァンパイア(半分はまだ人間)になる、という取引をする。ヴァンパイアは人間の血は吸うけれど殺さない。仲間の増やし方も首筋にガブリ、では無く指先に傷をつけ。手を合わせて血を混ぜ合わせる、といった具合。一方ヴァンバニーズというグループは人間を殺さないという方法に異を唱え、ヴァンパイアと対立している。半ヴァンパイアになったダレンは、死んだフリをして人間世界から去り、クレプスリーが身をおいているシルク・ド・フリークというサーカスで生活を始める。

シルク・ド・フリークのオーナーであるミスター・トールを演じているのが、ケン・ワタナベ。背をたかーくして、頭をながーくして、迫力満点。ミスター・トールは、ヴァンパイアとバンパニーズの対立の中で100年間中立を保ってきたけれど、ダレンの出現で一団にも荒波が立ち始める。

このシリーズは外伝を入れると全13巻あるらしく、全部映画化するとなるとダレン役少年はトシが取れない・・・・。と、思ったら、なんとこの本ではヴァンパイアは10年に1才、半ヴァンパイアは5年に1才年をとるらしい。棺おけの中で寝る伝統はそのままだけど、十字架は怖がらない。

ワカ様曰く、本の内容と大分違っていて別のお話みたいだそう。でもアクションが(目に見えない速さなのだ、これが)たくさんあって、そこは面白かったって。私はセルマ・ハヤックがシルク・ド・フリーク団員の「美人預言髭女」で、フリーダ・カロの眉毛と口ひげどころではない、剛毛の髭ずらになったのがオモシロかった。それから、ウィリアム・デフォーもヴァンパイア役で出演していて、こちらはメイクしなくっても地で生ける。

2010年3月19日金曜日

ココニイルコト

長澤雅彦監督、2001年。

広告会社で働く相葉志乃(真中瞳)は、上司の奥さんから手切れ金を渡され、さらに大阪に異動の辞令。仕事も生活も投げやり、仕事場では着ぐるみ着せられて広告の撮影、いよいよキレて勤務中抜け出して競艇へ。どこかのおっちゃんの止める手を振り切り、手切れ金全額を一番人気のない番号にかけたら、それが大当たりしてしまう。しかし仕事で競艇場に来ていた同僚の前野悦朗(堺雅人)に見つかり、換金もせずその場を後にする。やる気なしの日々、接待で失言、お得意さんの機嫌を損ねそうになるが、前野が助け舟。それからも彼は志乃を飲みに誘ったり(志乃は怒ってしまうけど)、プラネタリウムに誘ったり(志乃は寝てしまうけど)、仕事では何気に背中を押したり。鋭い洞察力と笑顔で、「ええんとチャイますか」と悟ったように言いながら志乃に寄り添う。
しかし前野は心臓を病んでいて入院。手術を勧める志乃に「君が僕の貯金を全部競艇でかけて勝ったら、そのお金で手術する。」という。もちろん志乃はスッてしまう。
・・・この後はまだ見てない人もいるかもしれないから書かない。

志乃も前野も大人なんだけど、まるで高校生の初恋を見るようだ。いや、友情というのかもしれない。ん~、ちょと違う。確かに職場の中には、恋愛とも友情とも捉えられない、いろいろな関係が存在する。2人が若い男女だからといって、無理やり恋愛映画と見る必要もない。お互いに何も言わずに相手を思いやり、何かに気づき、気付かされる。ソウルメイトの物語としてみるのがいいのかな。

そして、この映画のもう一つの主役は大阪。ひょうひょうと動くカメラは、ウルサイ街を静かに、雑然とした街を整然と映し出す。新しいものにも、古いものにも、どこにでもあるものにも、そこに映る全てのものに大阪のにおいを感じさせる。大阪弁もいい。ドスを効かせるだけじゃなく、人を思いっきり和ませる大阪弁の単刀直入な優しさや面白さが好きだ。主人公の言葉足らずの標準語も、大阪ではいいボケになる。特典映像で笑福亭鶴瓶の演技と言えない名演技が見られる。大阪の上司山田役の中村育二がいい味。

誇張もないし、泣いてくださいというのもなく、かと言って物足りないわけでもない。後味のよい、さらりとした佳作。

2010年3月18日木曜日

旅立ちの日に

こどもを通じていろいろな出会いが生まれる。人や本や遊びやスポーツ、そして歌。私のころの卒業式は「仰げば尊し」、そして今の こどもたちは「旅立ちの日に」や「巣立ちの歌」を歌っている。

ワカが「旅立ちの日に」のピアノ伴奏をすることになって、うちで練習をしている。私も一緒に歌おうと思ったけど知らない歌なのでYoutubeで聞きいてみた。見ず知らずのこ どもたちの合唱を聞いているだけでウルウル。まっすぐに振り返らず飛び立っていくこどもたちに、万感の思いを込めて”若いこと”の美しさ強さを謳った歌詞と、清んだ青空のようなメロディー。

荒れていた中学校を、校長先生(作詞)と音楽の先生(作曲)が粘り強く合唱を通して立て直す。明るく生まれ変わった生徒たちへの贈り物として、この歌を作ったのが1991年。今ではその歌の輪が全国区に広がった。そういえばNTTのコマーシャルでSMAPも歌ってたなぁ。

先生、こどもたちは学校だけでなく親さえも置き去りにしてどんどん歩いて行っちゃうんですよ。来週の卒業式はボーボーかも。マスカラはウォータープルーフね。

作詞:小嶋 登 作曲:坂本 浩美

白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に こころふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず

勇気をつばさに込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して

懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあのとき
心通ったうれしさに 抱き合った日よ
みんなすぎたけれど 思い出強く抱いて

勇気をつばさに込めて希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して

今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に

2010年3月17日水曜日

変換間違い

小学校のお母さんたちとのある会合、となりのお母さんのかたまりから聞こえてきたのは、

母A 「今日、うちのこカイベンなの。」
私 「えっ?カイベンって・・・。」
(私の反応を素早く察知した)母B 「オベント買うことよ!。」
私 「あ~、そうよね、アハハ。」

さて、会が始まり、
母C 「では欠席の方のお手紙をダイベンさせていただきます。」
私 「ダイベン・・・」
母B 「”代読”のことよね。きっと。」

一度カイベンが誤変換されてしまった私には、ダイベンも同じ方向に変換されてしまったことを、母Bは気がついていたに違いない。

2010年3月16日火曜日

大統領の陰謀

アラン・J・パクラ監督、1976年。

リアルタイムで上映されたとき背伸びをして見に行ったけど、はっきり言ってストーリーにゼンゼンついていけなかった。 今見てもお恥ずかしいことに難しい。事件そのものの意味が、というよりも、70年代のアメリカにおいての社会や習慣や考え方が、あまりよく理解できていないからだと思う。

しかし久しぶりに見ると、映画としての素晴らしさにため息。映像技術や音に頼らない、映画という2Dの空間、俳優、光の明暗が巧みに記者たちの心理を映しだす。 山と積まれた貸出カードを一枚ずつめくる記者たちの頭上のカメラはどんどんどんどん上空に引いていき、ガランと広い図書館の全体を映し出す。壁にぶち当たった記者たちを映していたカメラはずずずっと後ろに引き、やがて上空からワシントンの夕闇の街を映し出す。情報源のディープスロートは、いつも無機質なガレージの暗闇の中で目元にだけ薄明かり。ただ一か所明るくしかも風通しの良いのはワシントンポストのオフィス。その中を記者たちは水を得た魚のように走り回る。

ロバート・レッドフォードは、大変頭の切れる上手な俳優だといまさらながらに思う。もう少し顔が悪かったらオスカーをもらっていたかもしれない。ダスティン・ホフマンは弾丸のようにしゃべりながら、指の先まで縦横無尽に動かし、興奮やいら立ちを表す。両者ともロングショットが多いだけに、大変な集中力だろう。この二人の記者に好感が持てるのは、ネットもなくCNNもないころ、足で証拠を取るジャーナリズムに対しての共感と、2人の名優の演技があったからだと思う。

2010年3月15日月曜日

シャーロック・ホームズ


ガイ・リッチー監督。魅力的な悪女は、いつの時代も”マドンナ”。

ロバート・ダウニー・Jrとジュード・ロウが出てるわけだから、私にとっては垂涎もの。薬物依存でとっても心配していたけれど、ロバート・D・Jrはここのところ肉体を張る役で完全復活。

ホームズとワトソンの掛け合い、どこかで見たなぁ、と思っていたらTVの”Dr.ハウス”。 Dr.ハウス自体、病気を事件と捉えてその謎を解くということで、”ホームズ”から名前をとって”ハウス”と名付けたらしいから、あながち関係ないとは言えないかも・・・。ハウスと違うのはホームズがマッチョなとこ。大爆発の中を命からがら逃げまくるホームズのスローモーションは見ごたえばっちり。あんまり迫力あるから、あれでも助かるのか、と感心した。

こどものころポプラ社の本で読んだシャーロック・ホームズとは全くの別物。だけど、あくまでも人間の頭の中のアナログ・コンピューターで事件解決、それがコロンボ世代にはやっぱりしっくり。あ、でも私はルパン派だったけど。

2010年3月9日火曜日

GLEE 第4話

負け続きのフットボールチームが相手を油断させるため、試合中に去年大ヒットしたBeyoncé の ”Single Ladies”で踊り出し(タイトルをクリック)、どうにか勝利を収める。



このSingle Ladies、黒のレオタードを着て腰をくねくね、で誰でもできるかというと大違い。単純な振付をココまで特別なものにもってくるには、筋肉のしなやかさや間接の柔らかさはもちろん、フツーの人がどんなにもがいても手に入らない手足の長さなど全てが揃っていないとならない。

ビヨンセに全く興味のなかったオットでさえ、その面白さについiTUNEsでダウンロードしてしまった。私も今日地下鉄の中で気がついたら「オッオッオッ~」って口づさんでいるのに気がついた。動画の世界ではかなりのパロディーが見られる。ブリトニーやキャメロンのBFだったジャスティン・ティンバーレイクも頑張っている。

というわけで、第3話のBust Your Windowsに続き、今週もまたまた楽しませてもらった。

2010年3月8日月曜日

カラオケ

生まれて初めてカラオケ屋さんというのに行った。さすが世の中は変わっていた。机の上に置いてあるポータブルゲーム機みたいなのに入力すると、画面に歌いたい歌がぱぱぱと現れる。ワカ~いころ、飲み屋にあるカラオケ装置は大かった。しかも電話帳のような歌全集から自分の歌いたい歌を探して、鉛筆で紙かなんかに書いて店員さんにわたしてた記憶がある。

システムにも隔世の感があったけど、何よりも歌!ぜ~んぜん聞いたことのない曲ばかり。試しに松任谷由実を見てみた。当然のことだけど、ユーミンだって新曲出しているので、ああ、知らない曲ばかり。「コブクロ」というのを聞いて、エコバックの話をしているのかと思ったり、「コウダクミ」を聞いて江沢民の話かと思ったり、「嵐」と聞いてさすが勘十郎とは言わないけれど、歌の方は一曲も知らない。新しい歌を知らないとは思っていたけれど、ココまで孤島に追いやられていたとは思わなかった。一緒に行った若いお母さんたちによると、知らないでいる方が難しいらしい。で、どこで曲を覚えるのか聞いてみたらTVで見るという。

そんな中、ひとり、ジュリーの歌で気を吐くお父さん。やっと知ってる曲が出た!と思いきや「ス・ト・リ・ッ・パー」って・・・。そんな曲もあったなぁ、と埃をかぶった記憶の片隅でかすかにメロディーがちらちら。新しい曲を覚えるのと同じくらい、この歌を覚えているお父さんに、びっくりした。今度は同世代で行ってみよっと。

2010年3月5日金曜日

制服の採寸

進学先の中学校で制服の採寸があり、昼間だったのでワカ1人で行かせていいかと聞くと、副校長先生に「お母様とご一緒のほうがよいでしょう。」と言われてしまった。中一のとき家庭科で堂々”2”を取った私が採寸について行っても、何の役にも立たないと思ったのだけれど。

私は中学高校と制服をデパートで注文したので、そんなもんなのかと思っていたら、今回行ったところは『制服屋』とでもいうのだろうか。制服やら関連グッズだけ扱っている。店内には端から端まで様々なサイズの制服のサンプルが、上から下までビッチリぶら下がっている。で、いまどき制服とは言わず「標準服」というらしい。試着のときとなりの中学の標準服を持ってきたので、待ったをかけるとボタンとネクタイが違うだけで他は一緒なんだって。要するに吊の上着を大量生産して、ボタンだけその中学のものをつける。ボタンやらネクタイが一番生産コストが高かったりして。このあたりの学校でガクランはすっかり影をひそめている(達彦さん思い出す)。

さてズボン
店員 「このウエストですと、あっという間にきつくなるかも知れません。」
ワカ (慌てて息を吸ってお腹をへこましながら)「これでも、ゆるゆる!」
店員 「あ、あ、そういうことじゃなくって、どんどん大人の体型になって腰骨ががっちりしてくるんですよ。」
ワカ (大きいのに履き替えて)「ずれそうだ。」
私 「君の想像の及ばない未来があるのよ。大きめのにしよう。」
ワカ 不満顔。

そしてシャツ
店員 「これは綿の割合を多くした新しい素材です。これは従来のもので、綿がすくなく・・・。」
ワカ 「見ているだけじゃわからないから、両方着る。」
私 「えっ?時間かかるし、見ただけで大体分かるから、こっちの新しい方にしよう。」
シャ~っとカーテンを閉めて着替え始めるワカ
ワカ 「新しい素材のほうは腕回りが大きすぎる。こっちの”安い方”が着やすい。」

値札まで見ていたのか・・。大人になったなぁ。なある、副校長先生の言っていることが分かった。小学生と思っていたら、ここにきて自分なりの判断を主張し始める。店員さんとこどもの意見の落とし所を、親が見てろって事だったのね。

てんやわんやで終わった採寸。でも、なんだか嬉しい、なぜだろう。自分が中学に上がるとき母親とデパートに採寸に行ったことやら、今は天国にいる祖母から学生カバンを贈られたことやら、いろいろ誇らしげだった12のころの気分がよみがえってきたからかな。とっても幸せな気分でお店を後にした。

2010年3月4日木曜日

ウェルかめ

勝之新君の教授を見て、なぜか目が釘付けになった。HPのあらすじで見たらなんと、あの赤色エレジーのあがた森魚さんではないか。・・・って個人的に知っているわけでもないんだけど、なんだか懐かしい。

今までもチョイ出ながら、黒島の歌うおばぁ(吉田妙子さん)、お遍路・小竹さん(絵沢萌子さん)、すだち農家のおばあちゃん(河東けいさん)、 座っているだけで演技のできる女優さんが見られて興味深い。
 
で、もうひとつ、道の駅の駅長さん(江良潤さん)って、なんだかマツケン、もちろん松ケンじゃなくって”踊る将軍様”、に似てると思うのは私だけだろうか。

2010年3月3日水曜日

女ざかり

ワカの小学校はとっても小規模でアットホーム。保護者、地域の方々がとても温かく見守ってくれて幸せな小学校生活を送ることができた。大感謝! しかし、アットホームなだけあって、卒業に際してのいろいろな行事、お手伝い、懇親会、PTA役員の仕事が津波のように襲ってくる。引き潮のときにちょろちょろと進学の用意なんぞを片づけたり。そんなときにに限って上司が東京マラソンに出場、応援に来てと懇願されちゃったり。会社で「なんだか忙しいのよ」とポロリと生ツイッターしたら、年上の同僚が一言。

「PTAだなんだって言っているうちが、女ざかりなのよ~!」

・・・・確かに、高齢出産の私はみょ~に納得したのだった。春なのに秋風が・・。

2010年3月1日月曜日

Face Book

さて、いまどきはブログよりもフェイスブックのほうが利用者が増えているそうだ。日本ではネットの世界はハンドルネームが多い(らしい)けど、アメリカでは実名が多い(らしい)。だから「あの人は今?」がフェイスブックでチャチャチャと出来てしまう。

うちのオットも去年から始めたのだけれど、これがすごい。オットは父親の転勤であちこち移動していたので、子どもの頃の友達とはいつの間にか連絡が付かなくなってしまった。しかしフェイスブックを始めてから、ゾクゾクと友人が連絡を取ってくるように。みんなが彼のことを捜し求めていた、というわけではなく、ひとりでも友達を見つけると、その友達のサイトから別の友達がオットのことを見つける、という具合。

私も引越しを繰り返していたので、子どもの頃の友達がほとんどいない。愛校心なんていうのも無いらしく、卒業した学校に住所変更の連絡もしていないから、行方不明者とは私のことだろう。日本人はあんまりしてないみたいだから効果ないかもしれないけど、オットの様子を見ていて、ちょっくら作ってみようかなと思い始めている。国内の友人探しは難しいかもしれないけど、外国にいたときの友達は見つけてくれるかも。さ、後は写真なんだけど、今の顔は載せても誰も認識してくれなさそうだから、20年くらい昔の写真でごまかしちゃおうかな?別にだましているわけじゃなくって、私とわかってもらうために、ね。

2010年2月26日金曜日

テニス

4年生から始めたテニス、たまに見に行くワカのほんわかテニス姿を見て、いつも頭にある曲が・・・。
“テニスコートに秋が来りゃ、イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ ♪”

そんなゆるゆるテニスだったけど、それでも最近はバトルも楽しくなってきたそうだ。子どもと大人のラケットの違いもわかるようになって(そんなものがあったのか・・)、大人のラケットだと玉の強さの調節もできると鼻息荒い。大人用のラケット買って、ってことかな?

ワカ 「テニスはいいよね、大人になっても皆で楽しめるものね」
私 「らしいよね、ゼンゼンできないからわからないけど。」
ワカ 「どこの国に行っても、皆で遊べるものね。」
私 (お、話題が大きくなってきた、か?)
ワカ 「ホントは鬼ごっこのほうが面白いけど、大人になってやったら変だものね。」

アハハ・・・。一瞬、国際交流まで考えてるのかと思ったけど、んなわけないよね~。

2010年2月23日火曜日

How to wrap a cat

朝起きてこんなクリスマスプレゼントがあったら・・・!
いるんだよね~、こういう子。昔飼っていた猫ちゃんも、ネックレスとかリボンとか付けるとすっごく嬉しそうにしてた。
タイトルをクリックしてね。

2010年2月20日土曜日

マザコン

ワカ 「A子ちゃんは外国でひとりで寮に入ってえらい。」
私 「女の子は男の子より早くにしっかりするからね。」
ワカ 「女の子にマザコンっていないモンね。」
私 「マザコンってどういう意味か知ってるんだ。」
ワカ 「まあね、TVでやってた。」
私 「へ~。」
ワカ 「・・・でもね、それまでマザコンって、”一番いいお母さんを選ぶコンペティション”だと思ってたんだよ。」

わははは、と笑いながら、ふとマザコン(マザーコンテストのほう)がミスコンのような映像で頭に浮かぶ。普段と違う格好たとえば水着姿でたまねぎの千切りの速さを競うとか、お化粧でどこまですばやく素顔を隠せるか競うとか、カクテルドレスで幼児と散歩に行きどこまで服を汚さずにいられるかとか。

2010年2月19日金曜日

アカデミー賞

3月7日(現地時間:日本時 間は3月8日)のアカデミー賞についての記事。

アカデミー賞を主催している映画芸術科学協会が、今年の授賞式でオスカーを獲得する可能性のある人々に泣かないよう呼びかけたという。
アドバイスを受けたのはノミネートされているすべての人だが、その中にはベテラン女優のメリル・ストリープやサンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー なども含まれている。WENNによると、ノミネートされた人々が招待されるランチで、プロデューサー側から受賞した場合のアドバイスがされたとのこと。
その内容は、受賞した場合、座席を立ち演壇に到着したら感情を抑えるようということだったらしい。授賞式の共同プロデューサーであるビル・メチャニック とアダム・シャンクマンによると、涙まじりの感謝の言葉は授賞式で最も嫌がられる行動だそうだ。また、2つのスピーチを用意し、観客に向かっては簡単な感 謝のスピーチをし、個人的な感謝などはカメラが待ち受けているバックステージで行うようアドバイスした。(シネマトゥデイ)


至極まっとうなアドバイス、と納得した。誰が受賞してもおかしくない一流の人たちばかり、どんなことをスピーチするか大変興味がある。しかし、スピーチ大半に「ありがとう」の関係者名を列挙し、持ち時間が終わっちゃったりすると何か物足りない。受賞者が感謝の名前の朗読をせず、しっかりと映画に対する気持ちを詩のように的確に言葉にしてくれたりすると、実に感激する。

涙のほうはどうかなぁ。たとえば俳優の場合、この人たちは職業だから自分をどう見せるかなんてさじ加減ひとつだろう。俳優以外の人はどうか。感極まって言葉に詰まる、ぐらいはいいんじゃないか、と思ったりするけど。でも、百戦錬磨で業界を生き抜いている人たち、一流の人たちは何事にも動揺せず、晴れの大舞台でスピーチをこなせて当たり前なのかも。人間的な成熟と仕事の技量はスピーチと正比例するのだ、とつくづく思う。

2010年2月18日木曜日

インフルエンザ その後がまだある

咳は止まった。でも人間ひとつ心配事が治まると、また新たなる心配事を探し出す。今度はのどに違和感があるのだ。髪の毛だか、魚の小骨が引っかかったような感触がする。しかもそれが気になりだすと、どんどんその存在が大きくなってくる。イワシの小骨がぶりの骨に、髪の毛が毛糸にって具合。かなり真剣に、異物を出そうと頑張る私の横で、オットとワカが「猫が毛玉はいてるみたい~!」とか言ってるし。今度は耳鼻科に駆け込んだ。この時期は花粉症もあるのだろうか、待合室はパンパン。でも流れが速い。

診察室に入ると、診察台が離れたところに2つ並んでいて、その間にローラー付きの先生の椅子がある。1人が終わると先生はクルリと向きを変え、椅子をころころころがして別の診察台に行き、次の患者を見る。患者が名前を呼ばれてもボヤボヤボヤしてたり、荷物を置いたりコートを脱いだりする時間が省略できるというわけ。その後ろに風呂屋の番台のような感じで女医さんが座っていて、カルテを書きながら患者にあれこれ質問してチェック、先生の診断を聞きながら、薬をチャチャチャとカルテに書きこんでいる。 患者の動線、業務の迅速化がよく工夫されている。っていうか、結構せっかちなのか?

私 「のどの調子が悪いんです。」
先生 「あ~、結構晴れてますね。」
私 「違和感があるんですよね、何か引っ掛かってるような、髪の毛とか。」
先生 「あ、そう。(リアクション、なし) え~~って言ってみて」
私 (何にも引っ掛かってない?腫れものないわけ?)「え~~~」
先生 「なんだか鼻水が下に落ちてますね」

・・・・は な み ず? タラ~(これははなみずじゃなくって、冷や汗の音)。
それだけでは情けないの一言なんだけど、アレルギーが見つかってそのお薬を処方された。こうして忘れもしない、1月20日から始まった「インフルエンザで大騒ぎ」は1か月をもって無事幕を下ろした。アレルギーの発見で、それまで出ていた背中と首の発疹の原因も解明。ふぅぅぅ~~。

2010年2月17日水曜日

確定申告

別に高給取りなわけじゃなくって、勤務先の組織の形態上、年末調整ではなく確定申告を行っていた。今年から年末調整することになったので、税務署に足を運ぶのも今回で最後。最初は面倒に思えた作業だけれど、税金について知ることができてよかった。源泉徴収だと給与明細書を渡されるだけで、自分の税金がどう計算されているか考えることもなかった。私だけかもしれないけど。

確定申告の作業は、国税庁のHPで申告フォームに必要な金額を記入、控除分にさえ気をつければ、画面で計算してくれるし、後はアウトプットするだけで収入が給与だけであればそれほど複雑なことはない。しかし、世の中にはいろいろ難しい計算(事情?)のある方が税務署を訪れる。声を荒らげている人もいれば、泣きそうな人もいる。もともと真面目な署員の人が一層、コワそうで冷たそうに見えちゃう。そして、どうしても税金って「取られる」って感覚になってしまう。しかし、よく考えてみたらうちのワカ様が1人公立の学校に通っているだけで、地方税なんかは元が取れるどころかお釣りがくるくらいだ。元気で働けて税金を納められることが幸せなのかも。

しかし、税金だけで世の中は動かない。町内会、PTA、民生委員などなど、地域住民が無償で(実費のみ)で、時間を費やして公共サービスを補っていることも事実。中には形骸化して無駄なこともあるけれど、コミュニケーションという大切な部分の代価は計算できない。

考えるといろいろ難しくって全てが平等にってわけにはいかないけど、是非是非、税金を有効に使ってほしいと心から思う。

2010年2月16日火曜日

インフルエンザその後

今ではインフルエンザ検査でA型と出れば、90%が新型だそうだ。去年の春から秋にかけては新型インフルエンザの正体が謎だった。厚生労働大臣が夜間に患者発生の記者会見をしたり、患者の発生が逐一ニュースで流された。ネットにはいろいろと情報が流れ、「45歳以上はほとんど罹らない」とか「お年寄りには免疫がある」とか「下痢や吐き気などを伴う」とか「季節性ワクチンを接種すると新型に罹る率が上昇する」とかとかとか。

さて、私はそのA型判定を受け、90%の確率で新型だったはず。1日で解熱したものの季節性インフルと同じで、筋肉痛だったり咳が出たりで、出場停止が解除されても病み上がりは辛い。さてその咳なんだけど、初めはあんまりひどくなかったので、早晩治るだろうと気にしていなかった。しかし、だんだん呼吸が苦しくなってくる。試しに深~く息を吸おうとしたけど、息が吸いきれない。食べ過ぎて胃が肺を圧迫か?なんて思ったけど、そうじゃない。しかも気管支に何かが詰まっているような感じがする。こうなると気になって気になってしょうがない。気の小さい私は軽い呼吸困難になり、次第にパニック状態。もしかしたらもっとコワイ病気か?!、といよいよ病院に駆け込んだ。

お医者さん微笑みながら曰く、「今回のインフルエンザ、気管に残るのよね。1カ月も咳が止まらない人もいるのよ。」
レントゲン撮りましょうといわれるかと思ってたのに。
しかし軽く言われた割には、お薬、10日分も渡された。「そ、そんなに治るまでかかるんですか?」「ま、ゆっくり養生してください。」

確かに咳が治まり始めるのに3,4日、完全に治まるまでそれから数日。同じくインフルエンザ仲間のお友達、「後2,3年はかからないから、新型ワクチンいらないわよ~!」って得したみたいに言ってる。軽くすむ人もいるらしいけど、やっぱり罹らないのが一番。熱が下がっても咳が出る人は、長引くかもしれないので、忙しくってもぜひ早めにもう一回受診されることをお勧め。

2010年2月15日月曜日

お風呂

ワカはお風呂が大好き。先日、あんまり長湯なのでのぞいてみると、真っ赤な足が4本のゆでダコがゴーグルかけて風呂にもぐり、リモコン付きの潜水艦を観察していた。のぼせるから他のことをすれば?というと、翌日、鼻の穴をふくらまして「防水のDVDプレーヤーがあるんだよ!」と報告してきた。それはイイ、と一瞬乗りかかったけど、プルプル、そんなものがあったら映画一本終わるまで出てこないから、ふやけてしまう。かたや、オットは超がつく暑がり、寒い冬でも熱いお湯に入るのがイヤだそう。その家にもよるのだろうけど、彼の国ではバスタブがシャワー受けになっていて、浸かるという使い方はあんまりされていない。

ところ変わって、ロンドンやベルリンではバスタブの外にじゅうたんが敷いてあるバスルームがあった。風呂桶の外に畳が敷いてあるようなものだ(そういう温泉に行ったことある)。じゅうたんを濡らさないようにそれは緊張した。どうやって入ってるんだろう?
それから日本以外では追い焚き機能なんてないし、都度お湯を落とすのでもったいないなとも思う。そう言われてみれば、日本家屋の断熱には厳しい意見のドイツ人、日本のお風呂の使い方には好意的意見。「水を汚さないように何度も使っているし、蓋でエネルギーを逃がさないようにして、日本人のお風呂の使い方は自然に優しい!」だって。

いずれにせよ、蛇口をひねれば暖かいお湯がジャバジャバ、体にいい入浴剤も豊富、掃除しやすいお風呂とか、ミスト風呂とか・・・。考えてみると水不足だったり、あったかいお湯が出ない国だってある。日本のお風呂事情は実に贅沢だな、と思う。

2010年2月13日土曜日

Glee

今月から始まったFOXJAPANのTV番組。
早稲田大学グリークラブの”ボニージャックス”なんて思い出しちゃうけど(ちょっと古かったか・・)、グリーとは合唱団につけられる名称のひとつで、言葉の意味は”歓喜”とか”愉快”。この番組では男女混声で歌って踊れるミュージカルのようなクラブ。

アメリカの片田舎で高校生活を頂点に、大人たちの人生は緩やかに坂を下りていく。高校教師ウィルは買い物が止まらない奥さんに子作りの使命を受け、廃部寸前のグリークラブの顧問も押し付けられ、悶々とした毎日。かたや今が人生の頂点青春真っ盛りの高校生にも、既に負け犬呼ばわりの若者もいる。彼らの価値観はカッコイイかそうじゃないか。グリークラブは勿論いけてないほうで、生徒だけでなくあろうことか教師からもバカにされ、陽の当たらない場所で細々と練習をしている。しかし、歌が好きなアメフトのスター選手がウィルに半ば脅迫され、グリーに入部してからこの物語が始まる。

全編なつかしのポップスやロックを、情けない部員が元気にかっこよく歌いまくる。主人公グリークラブ顧問、ウィル・ シュースター役のマシュー・ モリソンはミュージカル俳優。第一話ではギター片手に素敵な歌声。クラブでディーバのレイチェル役、リー・ ミシェルは8歳からブロードウェイの舞台に立つバリバリの歌手、いけてなさを出しながら素晴らしい歌声を聞かせてくれる。アメフトスターのフィンも甘いマスクでなかなかの歌声、高感度高し。もし高校生に戻れるとしたら、こんなクラブにはいりたいなぁ。

このドラマ期待出来そう。

2010年2月12日金曜日

背比べ

柱に傷をつける事をオットが許すわけがないので、ワカはいつも私と背比べ。
そしてついに2010年1月私より高くなった。靴のサイズは2年前に、足の長さは去年から追い抜かれ、座高で上回っていた私、我が家の身長No.2をかろうじて維持していた(3人しかいないけど)。私、縮んだか・・・?まだちょっと早いか。

こうなると気になるのは声変わり。変わらなかったら困るけど、なるだけ長い間聞いていたいなぁ、このかわいい声。と、思いつつ、密にIphoneに録音する母であった。

2010年2月10日水曜日

ブロードウェイ ブロードウェイ コーラスラインにかける夢

監督、ジェームズ・D・スターン、アダム・デル・デオ。2008年
去年文化村で見た”コーラスライン”は、残念ながら期待したような舞台ではなかった。しかしこの映画を見てあの時の消化不良がおさまったようだ。

オープニングで”ONE”のピアノのイントロとともに1974年のNYが映しださされ、すでに目が釘付けになる。8か月をかけて、3000人から選ばれるのはたったの19人。選ぶほうも選ばれるほうも必死。物語は”コーラスライン”を作った故マイケル・ベネットとオリジナルメンバーの証言をはさみながら、まさに作品そのもののオーディションが繰り広げられていく。

その中で特に印象に残ったのはポール役のジェイソン。ポールは女装してショーに出演し、一番見られたくない両親にそれを見られ、失意の中全てを両親に受け入れてもらうまでのいきさつを演出家ザックに話す。ポールは歌わず踊らずただ身の上を話し続けるだけ。さて私は、今までなんでこのセリフだけの場面が必要なのだろう?と思ってきた。ようするにこの役はヒジョ~に難しいのである。そしてジェイソンを見て、初めてそのセリフに泣いてしまう(今まで見てきた俳優さんごめんなさい!!)。映画の中の審査員も泣かされてしまう。

そしてシーラ役でオーディションに挑むラシェール。この人は1999年にトニー賞を受賞した”フォッシー”(アン・ラインキング振付)に重要な役どころで出演していた。このDVDは私のお宝で、何度も繰り返し見ているので、一目でラシェールと分かった。こんなキャリアの人でもオーディションを受けるのかとオドロく。ラシェールは最終選考でなぜか役にはまりきらず、審査員から「8か月前の一次予選の演技に戻せ」と言われ混乱。「彼らは8か月前の私の何が好きだったのか、私はその時何を考え、どう演じたのか全く思い出せない。」
そして、結局大本命ながら役を取り逃がしてしまう。・・・本当に厳しい世界である。

"Kiss the day Goodbye"という歌のなかでダンサーは誇らしげに歌う。「悔やまない 選んだ道がどんなにつらく この日々が報われず過ぎ去ろうと。」

では、”コーラスライン”ファンのみなさん(いらっしゃったらだけど)、一緒に歌いましょう!

Kiss the day goodbye
the sweetness and the sorrow
wish me luck the same to you
but I can't regret what I did for love, what I did for love

Look my eyes are dry
The gift was ours to borrow
It's as if we always knew
And I won't forget what I did for love, what I did for love

Gone, love is never gone
And we carry on, love's what we'll remember

Kiss the day goodbye
And point me toward tomorrow
we did what we had to do
Won't forget, can't regret what I did for love

What I did for love
What I did for love

Gone, love is never gone
And we carry on, love's what we'll remember

Kiss the day goodbye
And point me toward tomorrow
we did what we had to do
Won't forget, can't regret what I did for love

What I did for love
What I did for love

2010年2月7日日曜日

インビクタス

クリント・イーストウッド監督。★★★★★!!

ここ数年、彼の作品は頂点に上り詰めた、と作品が発表されるたびに思わされた。頂点に上がったら後は下りが待っているのだけれど、彼はそのまま、次から次へと山脈の頂を縦走し続けている。

実話でなければ、「こんなにうまくいく話があるだろうか?」と鼻白んでしまうほどのストーリー展開。これだけ感動させられる材料がそろっているのに、説教じみていたり、思想の押しつけだっだり、お涙頂戴には絶対ならない。マンデラ役のモーガン・フリーマンは見事。そして、マット・デイモン!いったいこの人は幾つの顔があるのだろう。彼の一連の俳優としての仕事は、控えめで真摯で情熱に満ち溢れ、まっこと素晴らしいの一言。イーストウッド監督の次回作にも出演が決まっている。

終盤のラグビーのシーンは見ごたえ十分、お手本になるような美しいプレーが続出。激しいディフェンスとタックルの連続でトライに結びつかず、南ア、ニュージーランドとも一歩も引かず3点づずの攻防。キャタピラーのようなスクラムの押し合い、スクラムを押す男達の声が猛獣のように低くうなる。体を張ってモールを作り、ボールを出す絵に描いたようなプレー。キックされたボールは高く、高く、弧を書いてゴールに飛び込む。スタジアムの中も外も”ワンフォーオール・オールフォーワン”。ラグビー好きには鳥肌モノ。そして全てが終わった後、ラグビーにはとっておきの言葉がある。”ノーサイド”。

徳と善に満ち溢れた指導者を選んだ後は、国民ひとりひとりが変わらなくてはいけない。・・・何を書いてもこの作品の前には言葉が足りないなぁ。こんなにすがすがしく、そして見る人をも変えてくれる映画には、めったにお目にかかれないと思う。

2010年2月5日金曜日

親

先日NHKで合算年齢165歳でマラソンをして、ギネスに認定されたご夫婦の話題を見た。
一番びっくりしたのはご主人(85歳)が9年前に膝の怪我をして、そのリハビリに付き合って奥さんがマラソンを始められたという話。なんと70歳を越してからのマラソンになる。たまげた。

私の母は70代前半、マラソンこそしないけど、とにかく元気、しかもまだ働いている。口も達者、ゼンゼン勝てない。しかし、先日一緒に電車に乗っていたら、思いもよらないことが起こった。目の前の若者が「どうぞ」と言って母に席を譲るではないか。


一瞬、ひやり。
いやもしかしたら母に向かっていったのではないかもしれない。
いや母だ。
ムッとして座らないか?

「あ~ら、ありがと!」
さっさと座る母。

その間約5秒ほど。
あっという間の出来事のあと、襲ってきた脱力感。母がそんな年に見えるようになってしまったんだ・・・。そんな私の表情を素早く見抜いたのか「最近よく譲られるのよ、ホホホ。座れてうれしいわ!」
けろっとした母の言葉と、しっくりこない私の気持ちを電車に残し、駅に降りた。

2010年2月3日水曜日

にっこり笑う犬

まずは、タイトルをクリック。
ちいちゃんは前世は人間だったに違いない。
口角を一生懸命上げるこの仕草・・・、かわいくて涙がでる。

2010年2月2日火曜日

アメリカン・アイドル シーズン9

日本では、いよいよ今週6日(土)夜9時からスタート。
審査員はポーラが降板して、後任はエレン・デジェネレス。ポーラがいなくなるのはなんとなくさみしいような気がするけど、エレンはきっとオモシロイに違いない。

そして、来年はサイモン・コーウェルも降板するらしい。アメリカン・アイドルはもう一人のサイモン(フラー)が制作権を握っているので、コーウェルは自身がプロデュースする英オーディション番組「Xファクター」の米版に意欲を燃やしている模様。そしてコーウェルのあとを誰が埋めるかというと、なんと”エルトン・ジョン”と交渉が進んでいるといううわさが・・・。にわかに信じがたい。10年前のステージの話になってしまうが、エルトン様は2時間をほとんど一人で歌いきった。その集中力、職人魂に頭が下がったものである。もしあのステージをずっと続けるとなると、段々しんどくなるだろうなぁ・・、と同情もする。

去年はアダムに目が釘づけだったけど、今年はどんな人が現れるだろう。また楽しいシーズンが始まった。 わ~い!!

2010年2月1日月曜日

歩いても歩いても



是枝裕和監督、2008年

横山良多(阿部寛)は妻のゆかり(夏川結衣)とその連れ子のあつしを連れて、15年前に溺れた子供を助けて他界した兄の命日に実家に帰省した。三浦の海岸の静かな風景の中で、引退した町医者の父(原田芳雄)、母(樹木希林)、妹夫婦とのある夏のごく普通の一日のものがたり。

良多は失業中、しかもなくなった兄にコンプレックスをもち両親としっくりこない。その両親もお互いの会話はどことなくすれ違っていてとげとげしい。姑からの鋭い一刺しをツンツンと不意打ちでくらい脱力と忍耐の嫁・ゆかり(良多の妻)。あっけらかんとして母親に話しを合わせながらも、争いを避けるべく気を使う長女(YOU)。そんな大人を愛すべき人々として見るあつし。

良多の母は、妻として母として我慢して我慢して生きてきたのだろう。閉じてしまった天岩戸は簡単には開かない。なぜそんなことをするのか、こんなことを言うのか、彼女の痛みに鈍感な家族はうざったく感じる。けれど、母にはおそらくそういう風にしてしか、昔からの積もり積もった痛みを和らげる方法がないのだ。樹木希林さんは意地悪をユーモアというオブラートで包み、息子を失ったつらさを悲壮感なく深く深く感じさせる。

約束を守る、夢を実現する、できたらそれに越したことはないけれど、約束をした人、夢を持っていた自分、それ自体が大切な思い出。思った通りに時は過ぎて行かないけれど、後悔もさみしさも感じさせない、ただ日々を繰り返す。絶妙なタイミングと会話で胸の奥が理由なくチクリとする、そんな 何気ない日常を描いた詩のような映画である。

2010年1月29日金曜日

三遊亭鳳楽

年末に三遊亭鳳楽師匠の落語を聞きに行った。
マクラで噺家さんにかけ声をかけるときの話し。噺家はなぜかみなさんイキな町名に住んでらっしゃる。先代桂文楽は「黒門町」、三遊亭圓生は「柏木」、古今亭志ん生は「日暮里」。 お客さんは名前ではなく町名で噺家を呼ぶ。確かに「よっ、黒門町!」なんてカッコイイ。関係ないけど、中村主水は「八丁堀」。古い町名は無形文化財として残しておいてほしい。
そして下町の近所付き合いの小噺がつづく。

 「お前の吊ってくれた棚だけどな。あれ、落ちたぞ」
「落ちた? そんなはずはねえんだが」
「いや、落ちたよ、ゆんべ。スットーンと」
「おめぇさん、何か乗せただろ?」

涙が出た。後で落語好きの父に「ね、ね、おもしろいでしょ?」って詰め寄ったら、有名な小噺らしくって、しかもゼンゼン話の面白くない私がしゃべるから、クスリともしてくれなかった。

師匠曰く、TVは持ち時間がせいぜい長くて15分、「これでは名人など育ちはしない」とおっしゃる。独演会でお客さんの顔を見ながら長い作品で研鑽をつまねばならないと。その日の演目は 『文七元結』。「ぶんしちもっとい」と読む。ならばこの演目は何分だったかと聞かれると、何分だったけ・・・。あんまり面白くって、あっという間に時間がたってしまったからおもいだせないのだ。おそらく45分は軽く過ぎていたと思う。長いものを長く感じさせない、これぞ名人。
こういう瞬間に出会ったとき、日本語が母国語でよかったなぁと、しみじみ。

2010年1月28日木曜日

ドリフターズ

病気でケーブルを見まくっているとき、懐かしい「ドリフの大爆笑」の再放送を見た。よい子は見てなかったかしら。はっきりいって、くだらないんだけれど、やっぱりオモシロイ。なんてことないのにじわじわ来たのが、おバカ兄弟の兄・いかりや長介と、弟・中本工事のヒミツの合言葉。兄弟が訪ねてきたのがわかっているのに合言葉を言わなくちゃ、引き戸を開けて中に入れてくれない。

工事弟 「バカは死ななきゃ?」
いかりや兄 「生きている。」

うわっはっは・・・・、あれ?おかしくない?。ま、私は、この合言葉で5分は笑った。で、早速、昔見てなぜかツボにはまったコントを探してみた。
「もしも死にそうな芸者がいたら」
志村けん、若い。 いかりやさん、もう一度会いたい。

2010年1月25日月曜日

鬼の居ぬ間の・・

インフルエンザ中は食欲ないし、味覚もさえないし、買い物も自分で行けなかったから、先週の我が家の食卓は何ともサミシイものだった。

私 「ご飯、作れなくって、ごめんね。」
ワカ 「もう、よくなっちゃったの?」
私 「もう、って、どうして?」
ワカ 「ちょっとね・・・。」
オット 「(にやにやしながら)ゴールデン・ウィーク、終わっちゃったねぇ。」

どうも私がもうろうとしている間、毎晩、大好きなたらみのPUREぜりー(300g)を片手に、ネットで”SIMPSONS”を見ながら、おなかの底から笑い声をあげていたというのだ。自分の世界を満喫。治ってがっかりされるほど、私ってうるさかったのか?それに、ワカは私のことを”バイオ・ハザード”と呼んでいたらしい。ティーンエージャーへの道、ばく進中。

そして週末。ワカ様、ピーチクパーチク、しゃべるしゃべる、ノンストップ、落語の独演会のようだ。途中気を抜いていたら「ちゃんと聞いてる?」と注意され、事あるごとに見解を求められる。国会中継のようでもある。
・・・どうやら4日分の親子の会話が、一気に爆発したらしい。 やっぱり、まだ、12才。

2010年1月23日土曜日

子供はオモシロイ

久しぶりの悪夢のインフルエンザから立ち直る。ワクチンのせいか、日ごろの行いのせいか、憎まれっ子のせいか、熱も1日で下がり軽症だったといえる。しかし、元気になったとは言え、なんとなく体がフワフワ。なんていったらいいか、レゴで作ったロボットがばらばらにされて、もう一回組み立てられたような感覚か?(やっぱり表現が5才児並・・・)

そんな病後は、やっぱりカンラカンラと笑い飛ばすに限る、と、もう既に有名だけれど、何べん見ても心から笑わせてくれる動画をココに。

Laughing Baby
I don't like you Mommy

皆様、くれぐれもご自愛ください。楽しい週末を。

2010年1月22日金曜日

22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語

大林宣彦監督、2007年公開。

インフルエンザで起き上がれず、目だけ開いていたので、たらり~んとケーブルテレビをつけていたら、2日続けて大林監督作品を見ることが出来た。「22才の別れ」とオリジナルの「時をかける少女」(なつかし!)。

「22才の別れ」は1975年の風の同名曲をモチーフにしたお話。子孫が残せないと宣告された40代の主人公、ひとりで気楽に孤独に生きている。しかし、彼には子どもを残すことと同じぐらい大切な出会いがあり、それによって昔の思いが甦る。しかしそこがロマンチストな大林監督、とつとつとつと静かに話が進んでいく。40代を中心に10代から70代までの世代が静かに交差、どの世代もどの登場人物にも、感情移入してしまい胸がパンパンになってしまう。・・・病気になると神経過敏になるのかなぁ。

幾つも印象に残ったシーンはあるけれど、その中のひとつ。主人公のかつての恋人の娘、華鈴(かりん)のボーイフレンドは21歳、年収100万円で食事にも事欠く生活を続けている。バイトで配達に訪れた初老の女性(南田洋子さん)が、彼を見て「息子は安保闘争に奪われてしまった」と、寂しそうに語る。受け取り伝票にまるで重要書類に署名するかのように丁寧にサインし、『若い人たち、がんばってね』と一言(この南田さんのお顔が、また胸に迫る)。かすかに触れ合うものがあるのだけれど、若者の苦悩が、老婦人の寂しさが、平行線を漂う。しかし、映画はこんな世代の隙間を少しづつ何かで埋めていき、だれも見捨てない。

・・・本当にそう。勿論、人間努力や勉強で道が開くことは絶対ある。一方、どうにもならない時代の流れというものがある。でも「22才の別れ」は終わりじゃない。・・・あんまり書くと、お局様の説教みたいになってくるから、この辺でやめておこうと思う。

懐かしい「22歳の別れ」が素敵なアコースチックギターで流れる。(寝言ででも歌えるよね?)それから清水美砂さんがとってもいい。
今は更新されていないようだけれど、この映画についてかかれた監督のブログを見つけた(タイトルをクリック)。

2010年1月18日月曜日

かいじゅうたちのいるところ


スパイク・ジョーンズ監督

ワカが小さかったころ、幾度も繰り返して読んだ絵本。映画を見てちょっと戸惑う。今まで私はモーリス・センダックのこの絵本に、映画とは全く別の世界を見ていたからだ。子供時代は野生(自然)に限りなく近く、夢と現実の境目をいつもらくらくと渡り歩ける素敵な時。Wild Thingsを肯定的にとらえていたのだ。

映画ではマックスの家族や環境が詳しく描かれている。そしてかいじゅうたちは名前をもらい、マックスや彼の家族のメタファーになっている。数々のメタファーの中でも特に、マックス少年がKW(かいじゅうのひとつ)口の中に入って出てくるまでが素晴らしい。マックス少年はかいじゅうを通して自分のWild Thingsを客観的にとらえるようになる。内面に一つの整理がついて、おうちに戻ると、食卓には優しいお母さんとおいしい食べ物が彼を待っている。

・・・しかし、私は映画館で居心地が悪い。わが身を振り返ると、登場するかいじゅうの持つ各々のWild Thingsを、押し並べて全部持っているもんだから・・・。主人公のマックス以上に反省することになる。Wild Things、子供だけの問題ではない、のだ。

たとえばこの世から全ての”怒り”や”諍い”が消えてしまったら、この絵本の意味はなくなるのだろうか?きっとまた別の意味を持って語り継がれていくんだろうと思う。この絵本は、「かいじゅうたちがいるところ」のような誰も知らないところの物語だから。

2010年1月15日金曜日

かわいいおつかれネコちゃん Sweet Tierd Cat

タイトルをクリックしてね。
どこかでみたなぁ・・・、つり革につかまってる酔っぱらったサラリーマン。
この続きが見たい。

あっという間に金曜日。皆さんゆっくり楽しい週末を・・・。

2010年1月13日水曜日

(500)日のサマー

マーク・ウェブ監督。

初めてタイトルを聞いたときは、常夏の島でのラブストーリーかと思ったけど、”サマー”は主人公が恋に落ちる女子の名前。主人公トム(ジョセフ・ゴードン=レヴット)は勤め先でサマー(ズーイ・デシャネル)に一目ぼれして、運命の人だと思い込む。サマーは真実の愛とかなんとかは信じないとはっきり宣言するけれど、はたから見ても2人は完全に恋人同士のような関係。男子から見たら冷たい女子に見えるかもしれないけれど、サマーにしてみれば1人盛り上がるトムがフシギだったのかもしれない。もしかしたらホントに足のにおいで、冷めちゃったのかもしれないし。

この2人の500日の時間をシャッフルさせて映画は進む。時系列で物語が運ばないので、トムのバイオリズムが乱高下して実に面白い。特にこの恋の最大の盛り上がりで、トムが浮かれて踊りだすシーンはマッコト素晴らしい。さすがウェブ監督、ミュージックビデオを撮っていただけある。

こういう映画はあれこれゴタクを並べても、ばっちりと中心に当てはまる言葉が来ない。トムのような経験は男子だけではなくって、もちろん女子もいっぱいしている普遍的なテーマだから、老若男女を問わずウケているのだろう。”夏”が終わっても”秋”が来る。大好きだなぁ、こういう映画。

2010年1月11日月曜日

インフォーマント!

スティーブン・ソダーバーグ監督。
この監督は好きだ。20代で「セックスと嘘とビデオテープ」でカンヌのパルムドール賞を取ったときは、彼を推した審査委員長のヴィム・ベンダース監督までぶつぶついわれちゃったけど、あれから20年、その賞に恥ずかしくない作品を取り続けているのは周知の事実。

主人公のマーク・ウィテカー(マット・デイモン)、次から次へと嘘をつき、頭には関連性なくいろいろな話題が浮かんでくる。「双極性障害」という病気カから来る症状で、冷静に観察すればアノ人おかしい、とわかるのだけれど、周りもまあ、ジコチューのいい加減な人ばかり。嘘が嘘を呼び、たまに出てくる真実がFBI喜ぶ”大悪事”なもので、誰も彼のビョーキに気づくことなく、全てが雪だるま式に大きくなっていく。

彼の告発が護身のためか名誉欲のためか正義のためか、そのあたりは見ていてまったくはっきりしない。おそらくそのどれでもないのだろう。しかし、マット・デイモンは彼をただの病気の人で終わらせず、見る者にこんな人どこかにいるなぁと思わせつつ、実に薄っぺらくしかもコミカルに演じ、カンペキにものにしている。あのボーン様の体型を惜しげもなく捨て去り、着ぐるみ着せたように脂肪をまとい、顔はあのままだけれども(こればっかりはしょうがない)、見た目もすっかりマーク・ウィテカー(実物がどんな顔してるか知らないけれど)。次回はクリント・イーストウッド監督の作品に登場、楽しみだ。

出演している全ての役者、音楽、その完璧なバランスに、古い時代のハリウッド映画を感じながら、「味の素」なんていう聞きなれた社名を小耳にはさみつつ、現代の「から騒ぎ」を堪能できる。彼だけがビョーキじゃなくって、取り巻く社会もかなりいっちゃってる。

2010年1月10日日曜日

ジュリー&ジュリア

ノーラ・エフロン監督。

1950年代をヨーロッパで過ごし、パリのル・コルドン・ブルーで学び、英語でフランス料理の本を出した料理研究家のジュリア・チャイルド(メリル・ストリープ)。人生に悶々としながらも、ジュリアの全レシピを1年で制覇しそれをブログに綴ることを決心したジュリー(エイミー・アダムス)。ふたりとも実在の人物で、ジュリーのブログから生まれた映画。古い時代のやさしさと、それを愛する現代の人、そんな誰もが持っている憧れや、いつの時代も人間が繰り返す成長や失敗を、明るくおいしく描いた映画。これを見たら、誰もがキッチンに直行したくなっちゃうかも。

メリル・ストリープ、いったいこの人はナンなのだろう。すごい人だ・・・。この人の俳優としての仕事をリアルタイムで見られることに喜びを感じる。しかしなんだか彼女、背が伸びたような?ジュリア・チャイルドは188cmあったそうなので、大きく見えるように細工してるのかなぁ。いくら名女優としても背までは伸ばせないから。またまたアカデミー賞候補になるかも、メリル・ストリープ。

食べるってことはとっても原始的。他の生物の命をもらって生きていく、そんなワイルドな営みに『料理』という作業を加えると、とたんにカルチャーの味がする。一日3度の食事、人間に生まれたからにはなるべく手間隙かけてゆっくり楽しみたい。

2010年1月9日土曜日

Surprised Kitty

こ、これは、たまりません。全身を使って大きな物体と遊ぶチビちゃん。その指先がぱーしてるのがかわいすぎる。
タイトルをクリックしてね!
皆様、素敵な連休を・・・。

2010年1月8日金曜日

iphoneにする

仕事では固定電話、メールはPC、家に帰ったら携帯はカバンに入れっぱなしで出番の少ない私の携帯。オットはもっとすごくて、自分が電話をかけるときにしか電源を入れないので、こちらから連絡とりたくてもつながらない。ワカは共働きなので緊急用にメールとネット加入なしの携帯を持たされているけれど、遊びに行くときは携帯なんか持って出ないし、充電するのも忘れるし。公衆電話で用が足りるのではないかと思われる我が家。

そんな私の携帯も、充電器がよろよろになってきたので、新しい機種をひやかしに行った。月々の支払金額は安くなって結構だけど、携帯1台が5,6万円って一体・・・。いまどきネットブックも5万円以下で買えるのにと、携帯を使いこなせない私の頭には疑問符が。どの携帯も「帯に長し、タスキにも長し」なものばかり。もう携帯持つのやめちゃえとも考えるけれど、いまどきもってない人がひとりでもいると、困るのは私よりどうも周りの人らしい。

そんな時、Googleの「ネクサス・ワン」対策なのか、iphoneの大売り出し。電話器代はロハ、基本料は5か月間無料。今までネックだったパケット料金も、最低料金は1,029円からとかなり低くなっている。なんといっても私はあのデザインが好き。で、もともと携帯には興味ないけど、iphoneには興味があったオットの鶴の一声で、家族3人一気にiphoneに乗り換えた。

iphoneスピンオフ商品の販売も頑張るSB。フォトビジョンとかいうサービスに入ったらデジタルフォトフレームがもらえるとか、モバイルデータ通信に加入したらネットブックがもれなく付いてくるとか、ジャパネットタカタのようだ。もちろん通信費の中に機材の費用は盛り込まれているんだろうけれど。海外旅行に便利なネットブックには惹かれたけど、これからはiphoneでWiFiできるからやめた。

さてiphoneの使い心地は実に快適。携帯のテンキーをぽちぽちしなくってもいい。画面だって大きくてPCみたいに操作できる。携帯を使い始めてから10数年、初めて気に入った機種が手に入った。そして、気になるパケット料金、アプリ使いまくってこそiphoneの価値があるのかもしれないけれど、最低料金で抑えたい人、私以外にもたくさんいて、節約方法がネットにたくさん出ている。節約設定だって、アイコンに触ればさささっとできるのでラクちん。

今、私のiphoneには好きな音楽も写真もヤマモリ入っていて、ちょっとしたパーソナルライブラリー。もう普通の携帯にはもどれまへん。

2010年1月6日水曜日

旧芝離宮恩賜庭園

東京タワーだけっていうのもつまらないので、海側に散歩に出ることにした。新年の準備で忙しそうな増上寺を抜け、大門をくぐり、第一京浜を横断して、”金毘羅”で讃岐うどんを食べて、JRのガード下を通り、左手の新しいビルにびっくりしながら、右手の旧芝離宮恩賜庭園に到着。

実はここのコイがとっても食いしん坊なので、それをワカに見せたかった。以前来た時には、まるで西宮のエベッサン状態。我先に集まって来て、後は押すな押すなの大騒ぎ、他のコイの上に乗りあがり、勢い余って地上に体が半分出てしまうのも。あのまま池に戻れなかったら、一夜干しで自分がゴハンになってしまう・・・。

さて、門をくぐると何やら遠くのほうに、


木に咲くピンクの花、まさかこの時期に。
と思って近寄って見ると・・。

桜なんですね、これが。
『正月桜』と名札が立っている。
年も明けぬうちからなんだかめでたい気分。

そして池のふちに行くと、
 
来ました来ました、このコーナーは黒いコイさんばっかり。
「めし?めし?」「おいらも!おいらも!」

「あーん」「あーん」「おい、横入りするな、ひれが顔に当たる」

と、大騒ぎ。冬のせいか暖かい時に比べて勢いがないけれど、食欲は旺盛なようだ。別のコーナーに行くと、赤いのやら金色のコイさんもいる。しかし、もしココが釣り堀だったら、一網打尽だなぁ。
あんまりパクパクされるので、餌は売っていないかと事務所の人に聞くと、なかった。メタボ対策。

2010年1月5日火曜日

東京タワー


ワカにかねがね東京タワー(左は六本木ヒルズから望むタワー)に登りたいと言われていたのだけれど、とっても混んでいるといううわさを聞いていたので、ずっとウヤムヤにしていた。休暇を取った年末の平日、オカンはやっとワカの願いをかなえることに。地下鉄神谷町駅から飯倉交差点に向かって歩くと、ビルの間からタワーのてっぺんがはるか遠くに見える。ワカは「あんなに遠い、神谷町でよかったの?」と上空を指差しながら疑わしい目で私を見る。ははは、タワーの足元部分は近いのだよ。 たとえ足元に立っていたとしてもてっぺんまで300メートル以上あるのだぞ、小学生よ。

チケット売り場も大展望台行きのエレベーターも並ばずにすいすい。エレベーターもすいすい、結構な速さ。大展望台から一番上の特別展望台は、エレベーターが小さくて一台しかないので、20分ぐらい列に並ぶ。特別展望台に到着、すいている。地震が来たらゆれるだろうなぁ、今は来ないで~、と思いながら展望台を一周する。
タワーの影がビロロ~ンと伸びているので写真を撮ってみた。

次は増上寺を上から。
昔は愛宕山あたりからこの風景を見たのだろう。

大展望台に降りるとグラスフロアーが。割れないとわかっていても、皆キャーキャー言いながら乗って写真を撮っている。すごーく上だから見えないとは思うけど、スカートはいてはちょっと乗りたくない。
あ、あ、そこのこども、飛び跳ねるんでない!!大人もそんな大きなズータイで足踏みしないで~。見ているほうがコワイ。

で、大展望台から地上までは、外階段600段を風に吹かれながら、カンカンカンと足音を響かせて降りる。がらがらで貸切、気持ちいい。のんびり歩いても10分弱で3階に到着。
それにしてもすごい朱色。平安神宮のようだ。

たまには超名所に行ってみるのも楽しい。

2010年1月4日月曜日

アバター

ジェームス・キャメロン監督。「タイタニック」は見てない、というかたくさん人が溺れるのを見るのは悲しいので、見ない。「アビス」では映画を見ている私が酸欠になりそうだったけど、今回もパンドラでは人間は息出来ない。スーハー、スーハー。

人類はパンドラという星で鉱物を採掘しようと、基地を作り軍隊を送り込んでいる。その衛星は人間には有害な空気で覆われ、また目指す鉱物が眠る土地の真上には、ナヴィという先住民が住んでいる。女性科学者(シガニー・ウィーバー)は、人間とナヴィのDNAを掛け合わせアバターを作り、アバターでパンドラの生態系を研究している。この科学者は純粋な探究心と、パンドラに対しての畏敬の念を持っているのだけれど、軍隊は戦争が好きだからナヴィを敵と定め戦う意欲満々。鉱物採集のマネージャー(?)は鉱物を手に入れられればそれでいい。この三つ巴の中主人公のジェイクはアバターに変身し、表向きは科学者の部下で研究活動をしながらも、軍隊の言いつけでナヴィに取り入り鉱物採掘のスパイ活動をする。

ストーリーは至極単純でアメリカ風勧善懲悪の世界。メッセージより、モーション・キャプチャー(キャメロン監督はエモーション・キャプチャーと呼んでいる)に注目してみよう。かなりリアルで細部まで繊細。 ボッシュの絵に出てくるような動物のキャラクターや、うっそうと茂る植物の表現がすばらしく、その想像力に脱帽。一歩間違えば中途半端なアニメーションになってしまうところを、その高度な技術が実写部分との違和感を全く感じさせない。

これから時代は3D、MCに一挙に進んでいくんだろう。でも、人間がチューバッカの着ぐるみを着ている映画も嫌いじゃないんだけどなぁ。それにしてもジェームス・キャメロン監督、満を持して「どうよ!」という感じ。「タイタニック」に続いて、"ハリウッド・ミューズ"にインスパイアーされたのかも。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年

今年は、映画と旅と一眼レフで楽しい年にしまっす!
皆様にもいっぱい福が訪れますように。

何があっても明けない夜は来ない、
笑う門には福来り。
今年も宜しく。

ANGELA
たまに
あんこ

2009年12月28日月曜日

パブリック・エネミーズ

マイケル・マン監督。
1933年、治安維持や犯罪捜査の世界では、若きJ・エドガー・フーヴァーがBOI(捜査局)の長官、その捜査局がDOI(捜査部)に改名。州をまたいでの犯罪を裁く法律の足固めが進んだ年でもある。DOIはのち1935年に現在のFBIに改名。一方、犯罪の世界も銀行強盗のようなリスクが高い犯罪から、通信を使った”楽”な方法にシフトし始め、また、広域捜査に関する法律に対してその形を変えつつあった。

画面に映っている俳優、エキストラ全ての人間が振り付けの指導を受けたように動き、またそれを流れるようなカメラが絵画のように切り取っていく。手持ちカメラをふんだんに利用して、中盤デリンジャーが脱獄不可能と思われた刑務所から、ほとんど丸腰で脱獄するシーンの完璧なテンポには思わずうなってしまった。
カメラの美しさと脇役の意外な存在感、又その激しい銃撃シーンに、メインのジョン・デリンジャー(ジョニー・デップ)、ビリー・フレシェット(マリオン・コティヤール)、メルビン・ハーベス(クリスチャン・ベイル)の印象が薄まってしまうほどだ。

マリオン・コティヤールは、ヨーロッパの女優もっている魅力の深さが十二分に発揮されていないような気がして残念だった。素敵な女優なのに、彼女のせいではないと思う。
クリスチャン・ベイルは、勿論べレンジャーが主役であるからして、薄めであるけれども、感情を表に出さない(出せない?・・失礼!)あの顔つきがぴったりはまっていたように思う。
ジョニー・デップはあんなにコイ役柄をコクしない、髪の毛からコートのすそまで計算された動きで美しいギャングである。

2009年12月25日金曜日

クリスマスの朝

『サンタクロースは無し』宣言ではあったが、『サンタクロースの話題は無し』と言ったところ。
24日は毎年、祖父母、叔母が我が家に集まってのクリスマス・イブ。大人は夕食後に大はしゃぎでプレゼント交換をするのだけれど、去年までは、勿論ワカは25日の朝まで待っていた。今年は、と思いきや、暗黙の了解、って感じで結局朝のお楽しみ。

さて、ワカ様、寝る前に「サンタクロースにクッキー置いておかなくちゃ」。イブの夜にサンタクロースにねぎらいのクッキーっと飲み物をツリーのそばに置いておく、あれ。以前はトナカイのために、にんじんも用意しておいた。私達が何にも言わないから、寂しくなっちゃったのか自ら用意を始める。突然、あのやさしい朝を失いたくないよね。ン、私もそうだった。

そうなのだ、何も親が無理やり子どもと大人の境界線の線引きしなくっても、静かに黙って子どもに選ばせればいい。ゆっくり自分のペースで成長してね。

では皆様、
Merry Christmas!


キャンドルと松ぼっくりのデコレーション
@クリスマス・イブ

2009年12月23日水曜日

丸の内のイルミネーション


映画の後に東京フォーラムに行く。こちらはフランスはアルザスのシュトラスブール風のクリスマスマーケット。マーケットの入り口には、「マルシェで、ノエルで、シュトラスブール あっ、東京。」 ますます寒くしてしまったようで・・・。

アルザス地方は歴史的にドイツとフランスの間を行ったり来たり、現在はフランス。でも食べ物や飲み物は、ドイツの影響が色濃く残る(フランスにしてみればドイツの料理にフランスの影響が色濃く残る、ということになるのであるけれども)。屋台の列が長かったので食べなかったけれど、おいしそうなチーズやソーセージの匂い・・・。


 マーケットの真ん中あたりにきれいなツリー

近寄って見てみると、オーナメントがとても上質
フランスから運んできたのかしら?
そしてマーケットを後にしても・・・



中通り、余韻を味わいながら散歩できる。

西洋の人に言わせると、今一つ物足りないところもあるけれども -キリスト教の国じゃないもんね-、 ここ数年それなりにマーケットの雰囲気を味わえる素敵な空間があちこちに出現して、この時期は夜の散歩がとてもたのしい。

2009年12月22日火曜日

オウムのオスカー、でも女の子

中華街の店先でみたような・・・。鳥が嫌いな人は絶対に見ないように。タイトルクリックするとすごい物体登場。

オスカーはウイルスによってこうなっちゃったらしいのだけれど、12才、ごらんの通りに元気。
だけど、やっぱり鳥肌立っちゃう。

2009年12月21日月曜日

Capitalizum : A Love Story

マイケル・ムーア監督。
いつもとても深いテーマを取り上げているのであるが、おどろおどろしくならない。彼が真面目になればなるほど、過激な行動に出れば出るほど、見ているほうは不謹慎にも笑ってしまう。オモシロイことに、笑い=怒りなのだ。

で、怒ってばかりかと言うと、そうではない。資本主義と民主主義が相反するものなのか、社会主義的な民主主義は存在しないのか、キリスト教はどこに位置しているのか。釈然としない彼の心のベクトルはは怒りではなく理解へと進む。ここで私はとっても感心したのだけれど、原点に戻って考え直してみる。一挙にアメリカ独立宣言まで遡ったのだ。そこには『平等』が謳われていて、「これって、なんだか”民主主義”というよりも別の主義のようだ」とこぼす。『デリバティブ』だって、何だかちゃんと知ろうと専門家に聞いてみる。説明を受けているときのムーア監督の"???顔"には笑ってしまった。彼は実はウディ・アレンなみの役者なのではないか、と思ってしまう。

彼は資本主義者ではないけれども、社会主義者かと言われるとそうとも思えない。そんなものあるかどうかわからないけど、資本至上主義でない民主主義ってゆうか。ただ、はっきりしているのは敬謙なキリスト教信者であること。歪んだ民主主義から生まれた支配階級による、市場経済の規制や福祉国家の成立に疑問持っている。そして、制度だけではなく、もっと個人的な、他人に対する思いやりのようなものを大事にしているのではないか、と思う。1人1人が足るを知って、良心に従って行動できる社会があればいい、そんなふうに考えているように、見える。・・・もっとラディカルだとは思うけどね。わたし、政治・経済には疎いし、ましてやアメリカ市民ではないし、よくわからない。

金融機関の人たちがみんな悪人だとも思わないし、政治家も恐怖心をあおっているのではなく本当に怖がりなのかもしれない。でも、わたしもちゃんと考えなくっ ちゃ。彼のような視点で物事を捉え、自らの耳で確かめるという姿勢を見習わなくては。文句を言っているだけでなく、風評に流されず、しっかり自 分の選挙権を行使すること、これが大事なのだ。


>>大真面目なムーア監督

ウォール街に警察が使う『犯罪現場 立ち入り禁止』と書かれた黄色いテープを貼りめぐらし、旧式拡声器で「市民が逮捕しに来た、出てこーい!」と1人で叫ぶ監督。おまけに公的資金を受けた金融機関には、「この袋に税金返せ」と$マーク付きの布袋を持って参上。

2009年12月20日日曜日

サンタクロース

5才のワカ、保育園でクリスマス会があった日。
ワカ 「今日ね、保育園にサンタクロースが来たんだよ」
私 「へ~、遠いのに、よくきてくれたねぇ。飛行機かなぁ。」
ワカ 「そり。お昼寝からおきて園庭を見たら、シュッシュッって線があるのをXXちゃんが見つけてね。そりのあとだね、ってみんなで言ってた。」

・・・ああ、こどもって、ほんとにかわいい。しかし、どんなにサンタクロースを信じたくても、時はザンコク、現実とファンタジーがオーバーラップし始める。オット曰く、「まさかそんなことは無いとは思うけど、あんまり心底信じているのもアブナイ。今年はサンタクロース抜きっ!」。ガーン、となったのは私。なんだか寂しいけど、ま、ワカもうれしそうな両親を前にして、ナイーブな子供を演技しなくっちゃならないのもかわいそうだし、この辺が潮時。

さて、去年サンタクロースは何を持ってきたかというと、リモコンのグライダー。子ども向けにしては高価すぎると私は思っていたけれど、大体オットが一緒に遊びたいもんだから、どっちのおもちゃだか。さて、25日の朝、大好きな飛行機を目の前にコーフンするワカ、しかし、大失敗に気がつく。グライダーは用意したのだけれど、バッテリーとリモコンが無い。
飛ばない。
サンタクロース、困った。結局そのままにして、次のクリスマスまで待つことになった。どちらかと言うとウヤムヤになったというべきか。だから、今年もまだサンタクロースを信じていて、2年越しでプレゼントを持ってきてくれた、って結末で終わったらよかったのに、とちょっと残念。

ワカがサンタクロースなるものを認識したのが4歳くらい。それから7回、子どももおとなもサンタクロースを信じて胸ときめかせた、我が家のクリスマス劇場の第1部が終わろうとしている。

2009年12月19日土曜日

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2009年12月18日金曜日

本人確認

2日続けて本人確認を迫られた私。

その1、ぺけぺけ銀行との電話

ぺけぺけ銀行 「ご本人様確認をしますので、名前と生年月日とあれこれあれこれお願いします。」
私 「あれこれ、あれこれ、あれこれ、あれこれ。」
ぺけぺけ銀行 「はい、ANGELAさんですね。」
私 「はい。」
ぺけぺけ銀行 「失礼ですが、ご本人様でしょうか?」
私 「・・・・・。」
ぺけぺけ銀行 「・・・・・。」
私 「今、全部あれこれ言ったでしょう?」
ぺけぺけ銀行 「奥様がかわりに電話してらっしゃることもあるので・・。」

あのね~!!、100万歩譲って、私が男女どちらでも使える名前だとしても、それはないでしょう。ご本人様確認をしますと言われれば、日本語そのものを理解すればご本人様確認なわけで・・・。


その2、夜間のセールス電話
夜10時をとうに回った時間に電話がなる。 こういう時間に電話が鳴ると結構びくっとする。

電話の向こう 「ANGELAさんのお宅でしょうか?」
私 「はい」
電話の向こう 「とんでも保険会社のものです。」
私(怒、怒、怒・・・) 「それで、何か?」
とんでも保険会社 「今ご契約なさっている保険の件で。新しい商品が・・・」
私(おさえて、おさえて、でも最後まで聞かない) 「何も契約変更なし!」
とんでも保険会社 「失礼ですが、ご本人様ですよね?」
私(爆発) 「いいえ、となりの家の遠い親戚のものですっ!」

いったいぜんたい、あの枕詞のように必ず出てくる「失礼ですが」って・・・。失礼だと思ったら、聞いてもらいたくな~い。本人確認云々の前に、自分の日本語確認とか電話マナーの確認とか、もっと普通にしなければいけないことが、い~っぱいあるような気がするんだけど・・・。
私がふるいのかなぁ。

2009年12月16日水曜日

ダーティー・ダンシング

BSで見始めて止まらなくなり、最後まで見てしまう。主演はパトリック・スウェイジとジェニファー・グレイ。
まずオドロキなのはこの2人、1960年代の若者17歳のベイビーと(多分)20代のジョニーを演じているのだけれど、実年齢はそれぞれ27歳と35歳。なある、ベイビーのラブシーンは17にしては色っぽいなぁと、思ったけどこれで頷ける。パトリック・スウェイジはワカづくりかもしれないけれど、動きは俊敏、肉体も鍛えられて余分なお肉なし。森の中、丸太の上で黒のダンスウエアを身にまといバランスをとったり、湖の中でリフトの練習をするフシギなシーンは、恥ずかしいけど、さすが80年代のアメリカ映画。

さてこの映画の題名を聞くと、すぐ頭に浮かぶお友達がいる。映画が公開されたとき、私はマンハイムというところでドイツ語の勉強をしていた。 学校で同じクラスに、スイスに亡命したアフガニスタンの王族のお姫様がいた。そのお姫様は19歳、この映画にすっかりはまり、私はまだ見ていないと言うと、映画館に連れて行かれ観賞させられた。この映画の何が好きかと尋ねると、答えは「全部!!」。9回も見たって。

そんなわけで、リアルタイムで見させられたこの映画、ファンの口角泡を飛ばす解説にはついていけず。第1に、パトリック・スウェイジのお顔が好きくない。第2に、なんだってリハツな女子高生があんなうじうじ男子を好きになるのか。20年後に見ても、悪いけど、やっぱりそう思う。でも今回、パトリック・スウェイジの踊りが素晴らしいことや、恋愛の結末云々ではなくって、勇気ある女子を称える言葉で締めくくってあることに気がついて、前回みたときよりもポイントが上昇。うじうじ男子が女子に力づけられる話であるならば、ジョニーはカッコよいドンファンでなくてもいいわけで、そう考えたらパトリック・スウェイジは好演していたといえるのかも。

ま、私ごときの好みなどはどうでもいいことで、あの時代パトリック・スウェイジはティーンの王子様だった。その後、38歳で出演したファンタスティック・ロマ ンティック・ホラー・クライム・コメディの“ゴースト”では、年上の女子の心もつかむ。正統派ハンサムではないけれど、人々を虜にする不思議な目力をもつ、身のこなしの美しい男優だったと思う。

映画のエンディングの群舞、映画よりもちょっと大げさな舞台に向いているのではないかと思ったら、ロンドンでは舞台化されているそう。見たいなぁ。舞台は無理だけど、とりあえず映画のファイナルダンスシーンはココで(タイトルをクリック)。パトリック・スウェイジの踊りは必見。

2009年12月14日月曜日

クリスマスツリー


写真は、1週間前に飾り付けたクリスマスツリー。(これはまだコンパクトデジカメ)毎年なじみのお花屋さんに頼んで、もみの木を持ってきてもらう。今年は木の生育が今一つだったということで、例年の予算ではこちらの希望にあった枝ぶりのものはなく、ちょっと予算オーバー。でも期待どうりの形で大きめの木が手に入ってうれしい。

お花屋さんに聞いた話では、”もみの木市”らしきものが11月にあって、その時に一度っきりしか卸売市場に入荷しないそうなのだ。よって、次回訪れたときにまた新しくいい木が入っているというわけではないので、いい枝ぶりのものを見つけた時は即買っておかないといけないらしい。

ヨーロッパではもみの木の畑?に行って「これちょうだい」って言うと、その場でぎこぎこのこぎりで切ってくれる。だから今までお花屋さんはどこか郊外の”もみの木の山”に行って、そこで選んでいるのかなぁ、なんて思ったりしていた。海外からもたくさん輸入されているのだそう。そりゃそうよね。
イケアなんぞは買ったもみの木をクリスマスの後、また買い取ってくれるそう。ちょっとひかれるけど、高さが足りないのと何よりも争奪戦に加わる勇気なし・・・。

さて、土曜日にカメラが届いたけれど、んん~、何とも勝手がわからない。あんましピントが合わないので、もうちょっと練習なくては。下の1枚は、CANONで撮ってみた。

 秋にカイガラムシにやられてべとべとになり、復活したエバちゃん、
せっかくだからサンタさんの飾りをつけてみた。

2009年12月11日金曜日

カメラ、ついに買う

デジカメ超初心者、そしてフィルム一眼も忘却の彼方の私、ついにデジタル一眼を購入。小型軽量で探していて、OLYMPUS PENが出たとき、これだわ!と思っていたのだけれど、いろいろと調べてOLYMPUS E620とCANON KISS X3が候補に残り、まだちょっち心残りはあるもののCANONに決定。アマゾンでレンズキット5万円台。しかもキャノンのキャンペーンで5000円キャッシュバック。いつ届くかなぁ。

OLYMPUSファンなんだけど、キメ手の一つは動画。あれこれ探していてCANON KISS X3で撮った動画を見つけた。きれいよ~、"Tokyo Jugglling Night"、カメラでこんなに動画が取れるとはオドロキ!(オトカンペさんのジャグリングも面白い)。撮影に使われた単焦点レンズを調べてみたら、初心者にはうれしい価格。 来春はワカの卒業式、入学式がある。大活躍してくれそう・・、もとい、してくれるように頑張る。

CANONのまわし者ではないけれど、広告がお気に入り。
寅さんの左手の添え方がお上品。
みみずくさん、それじゃ手品のようだ。シャッター押せるか?

2009年12月10日木曜日

久しぶりに、アセル

小学校の副校長先生から携帯に電話。どうやらワカがけがをしたらしい。
副校長「頭から、血がたくさん出てます」
私「(ドヒャ~!!)意識はあるんですか?ちゃんと話せるんですか?」
副校長「はい、保健室まで自分で歩いてきました。ちゃんと話してます。」
・・・・、よくわからないけれども救急車を呼ぶほどの怪我でもないらしい。が、とにかく仕事おっぽり投げて学校に向かった。

保育園の頃2歳くらいまでは、”お熱がでました”の呼び出しを受けて、携帯が鳴るたびにドキッとしていた。すっかり忘れていたあの頃がよみがえる、久しぶりの『緊急事態』発生。勤め先から学校まではどんなに頑張っても45分。駅の階段を一段ぬかしで駆け上がり、閉まる電車のドアに体を滑り込ませ、老体に鞭打ち小走りで(全力疾走はムリ)学校まで辿りつく。ゼーゼー。

私が到着したときは出血も止まり、ばつの悪そうな顔でわたしのことを見ていた。PTAの校庭当番だったお母さんが、付き添っていてくれたらしい。本当にありがたい。出血した他人の子供の面倒なんて考えただけでも気が遠くなりそだ。学校の近くで自転車に乗っていて、かなり激しく転倒したとのこと。近くにいた人がとりあえず学校の保健室に連れてきてくれたそうだ。・・・ああ、地域の暖かさ。お母さんというのはなんとなく子供の様子でけがの程度がわかるのだけれど、男性の副校長先生、ワカの鼻血と頭部出血にかなり驚かれたようだ。すぐに電話を下さって、家に帰さず保健室で休ませてくれて本当によかった。

さて、ワカを見ると鼻は腫れているけれど、頭は切れたり割れたりしているわけじゃなくって、擦り傷程度。元気だけれど、頭をぶつけているので一応近所の外科に行く。 レントゲンで調べてもらって鼻も骨折なしを確認。本人もそれなりに心配していたようだが、大丈夫と言われ「恥ずかしかったなぁ、転んで鼻血出して」だって。

最後に、ドクターから頭部外傷後の注意事項10項目を聞く。さて、こまった、下記の項目・・・・。
  • 話し方が変になったり、こちらの話が理解できなくなった場合。
  • とんちんかんな事を言ったり、何度も同じ事を聞いたり、忘れっぽくなったりした場合。
(私、頭ぶつけてないのに・・・。)ワカには この逆の現象が起きたら、病院に連絡してみよう。

2009年12月7日月曜日

Up 「カールじいさんの空飛ぶ家」


バージニア・リー・バートンの『The Little House』(邦題『ちいさいおうち』)という絵本、きっとみんな読んだことがあるに違いない。あのうちにはどんな人が住んでいるんだろう、と空想していたけど、その空想にもう1人カールじんさんが加わった。

カールじいさんはなんと78才。歩くのもおぼつかないのに、フウセンで浮かんだ自分の家を引っ張って秘境を歩き、妻との約束の滝を目指す。もっと元気なのは、冒険家チャールズ・F・マンツ(声はクリストファー・プラマー)。カールが子供のころにあこがれていたから、90才は超えてる、きっと。ああなると『地獄の黙示録』のカーツ大佐。この昔気質のおじいさん2人が、ベネズエラあたりの未開の地で大乱闘。カールじいさんのお供は呑気なワンちゃんと、ポケっとした怪鳥、なんとなく日本人っぽい顔立ちのラッセル君、これを『オズの魔法使い』と言っている人もいるけど、私には『桃太郎』のキジ、犬、猿。マンツじいさんのお供は犬語翻訳機をつけたおバカなワンちゃんたち。このお供がさんざん笑わせてくれる。どんなに真面目な顔していても、気取っていても、単純なんだよね、ワンちゃんって。

笑いすぎて涙が出るだけでなく、話には聞いていたけれども、かなしくって泣かされた。それも2度。老人が思う亡き妻、子供が思う離れた両親、人間いくつになっても何かを愛おしく思う気持ちは変わらない。そしてラッセル君は言った「いつも思い出すのは、どうでもいい普通のことばかり・・・」。そうなんだよね、ふと思い出す幸せな過去の記憶って、その時には退屈だった日常の繰り返し、みたいなものが多い。
 
カールじいさんの空に浮かぶ家は日常の形を持たない”記憶”、かなり重たい。そういう私のメモリーもだんだん重くなってきた。あんまり思い出が重くなりすぎたら、引きずるのをやめる。大事なところに閉まっちゃって、新しい思い出を作ればいいのだ。そのためにも、夢は思いっきり大きくて、1人でも追いかけられるものを持とう。思い出に引きずられてさみしくなるのは悲しいもん。 とはいっても私、なんでもすぐ忘れちゃうから、そんな心配いらないのかもしれないけどね。

2009年12月4日金曜日

トワイライター

「トワイライト」で片足ずぶっ、「ニュー・ムーン」で両足ずぶずぶっ、とはまり中の我が家。
さて、オットに火曜日の夜、一緒に「トワイライトを見よう!」と明るく誘われた。わたしもそうおもっていたのよ!と、さっさと家事を済ませて画面の前に。ワカも誘われていたけど、「もう2回見たから」って断わっていた。

さて、このオット、これが何回目だか知らないが、セリフを暗記してるのだ。見ないと言っていたワカも途中から参加してきて、な、な、なんと・・・暗記してる。英語話す人には覚えやすいセリフなののかもしれないけれど、それにしても、たまげた。実は隠れて何回も見てるんじゃ・・?

さて、トワイライトから離れてロバート・パティントン様、アメリカでは3月に「Remember me」が公開。相手役はロズウェルやロストに出ていたオーストラリア出身のEmilie de Ravin。この映画の予告編を見るとなんだかちょっと悲しそうな話。普通だったら日本に来そうな映画じゃないけれど、ロブ様出てるから、1年遅れぐらいで来るかも。

それであんまり毎日ロブ様見ていて、ちょっと心配なことに気がついた。ロブ様、もしかしたらジュード・ロウ様タイプなんじゃ、ハエギワが・・・。や、気のせいか。そうだとしても、まだ若いし、もうちょっと大丈夫かな? 

2009年12月3日木曜日

外苑前のいちょう

六本木で「ニュー・ムーン」を見た後、それぞれ3人(ワカはわからないけど、少なくとも保護者2人)は妄想に浸りながら、青山墓地を抜けて外苑前までロマンチックな”家族散歩”をした。

クリスマス・マーケットやら電飾で、とても華やかな六本木ヒルズから少し歩くと、やがてひっそりとした青山墓地。桜の葉が半分ほど落ちて、寒そうな枝の隙間から空が透けて見える。口々に好きなことを話しながら歩く我が家の男連中の後を、赤や黄色に紅葉した桜の葉っぱを拾いながらのんびり歩く。4時半すぎ、外苑前のイチョウ並木に到着、曇り空でいつもより日暮れが早い。人出は多いけれど、人ごみで歩けない、というほどでもない。せっかくなので、上を見て歩こう。



 暮れかけた曇り空の中でオレンジ色に見えるいちょうの木。ピンと空に突き刺す梢から、大きく手を広げた下の枝まで、満開(?)の紅葉。早めに落葉が始った木が敷いてくれた黄色のじゅうたんの上を、サクサクと踏む感触もまた、よし。


並木道沿いのレストランが裸の木にイルミネーションをつけている。
暗くなったら素敵だろうなぁ。


街灯に灯がともる。
銀杏のてんぷらが食べたくなってきた。

2009年12月2日水曜日

聖ジョルジェ その3

ニュームーンでコーフンして、その3が飛んでしまった。

・・・さてブルーがまばゆい地上から地下に降りると、ブラウンを基調にしたモザイクに変わる。

少ない照明が天井や壁に立体感のある陰影を作りだす。
明かりのないところはまっくら。1人だったらちとコワイ。

 絶妙な色のコントラストと幻想的なデザイン

週末だったにもかかわらず、教会にいたのは私たち一行のみ。
こんな美しい空間を独り占めできる、何とも贅沢なひとときだった。

さ、セルビアまで来たので、いつかルーマニアはトランシルヴァニア「ドラキュラ城」に行ってみよう!

2009年11月30日月曜日

New Moon

前作「Twilight」から待つこと半年(アメリカでは1年)、映画館にいる女子、特にに外国人の女子は始まる前からハイテンション。
長ーい広告が終わり、本編の題名が出た途端、待ってましたとばかりに「ヤッホ~!」の掛け声。お目当ての俳優が登場すると「ウワ~」。ジェイコブがTシャツを脱ぐと「キャ!」。若い二人が近づくキメ台詞にはため息が「ホ~」。さて、我々アラフィフ、密にウケたのは、ベラがイタリアに飛んだ飛行機が”ヴァージン・エア”だったところ。映画と若者の臨場感あふれるリアクションに、ワレを忘れて一緒にテレながら楽しんでしまった。
ベラの相手役を張ったジェイコブ役のテイラー・ロートナー(写真左、髪の毛を切ってさっぱり)は、な、な、なんと1992年生まれ。マーシャルアーツをしていたという話だけど、それにしても16才の体にしては腹筋が割れ過ぎている。これから毎日ワカにトレーニングさせたら、5年後にはあんな体になるのか・・・?
 今回エドワード様は背後霊のような影の薄い役回り。しかし最後はジェイコブに負けじと、白塗り発光の筋肉上半身を見せていた(が、メイクといううわさも・・・)。
ベラは相変わらず憂い顔というよりも、つまらなそ~な顔で、ハリー・ポッターもびっくりな困難に立ち向かう。(この先は真っ白で見たい人は読まないでね。)
  • バンパイアに飛びかかられそうになるところを、エドワードに激しい勢いで突き飛ばされ(エドは助けるつもりだったんだろうけど)裂傷
  •  エドワードからは「君を守るため」と言われるも、家まで送ってもらえず森に置き去り一晩明かす
  • 悪夢にうなされ毎夜叫び、お父さんを不眠症にする
  • 友達をウツで心配させ、復活するも暴力映画に連れていく
  • バイクで転倒、頭部負傷
  • ジェイコブからは「君を悲しませない」と言われるも 、うそつき呼ばわりされて突き放される
  • 人間と思ってビンタした(これも結構突然だった)少年が怒って狼に変身し、襲われそうになる
  • 崖から飛び降り(動機不明)、水の中で意識を失い溺れかかる 
ま、自分でまいた種ばかりだけど(エドワード様が「無茶するなって」最後のお願いしたのに!)、こんなことがいろいろある。あんまりいろんなことがあるから、感覚がマヒしちゃったのか、ジェイコブが狼男だって知った時のベラのコメントには思わず噴き出す。抑揚のないつぶやき声で「こんなことが本当にあるのか・・・」。・・・あるわけないし~!。そういえばアリスの妄想の中で、エドワード様とベラがキラキラしながら森の中をスローモーションで走ってるシーン、あれもなんだか・・・ありえない~だった。


第3部(製作終了)が待ち遠しい。クリスティン・スチュワートはそれなりにトシとってもいいけれど、ロバート・パティンソン様(写真右)、第4部も出演決定したとのめでたいニュースが入ってきたが、まだ17歳をがんばれるか?!ダコタ・ファニングちゃんなんぞ、3か月後には別人になってるかも。早く作らないと皆成長しちゃう、心配だわ。

さて、吸血鬼、狼男とくれば、次はフランケン・シュタインにも登場いただかなくては(半魚人でもよし)。