2012年4月19日木曜日

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙   The Iron Lady

メリル・ストリープを鑑賞しに行ったという感じ。マーガレット・サッチャー氏ご本人はもちろんテレビでしか見たことはないけれど、M・ストリープのサッチャー氏はどこを見てもどこから見ても聞いても”らしい”のである。もちろん一目でストリープだということは分かる。しかし完璧にサッチャー氏に因数分解されてしまっている、と言ったら何となくニュアンスが伝わるかしら。そしてあの80才の老けメイク!あれはスゴイ。「カーネーション」の糸子さんのもお願いしたかった。

認知症を患っているサッチャー氏の妄想が過去と現在の世界とうまく絡まり合い、そしてあえていえば”女性”讃歌で終わらないよう作られている。サッチャー氏の功罪については横に置いておいて、この稀代の女性の「私」を描くことに腐心した監督とM・ストリープの仕事には敬服するばかり。一言言わせてもらえば、邦題に付いちゃった「涙」はいらないわ。

ここで映画の中でサッチャー氏が言った心に留めておきたいセリフを一つ;

"Watch your thoughts, for they become words. Watch your words, for they become actions. Watch your actions, for they become...habits. Watch your habits, for they become your character. And watch your character, for it becomes your destiny! ”

(考えは言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になり、習慣は人格になり、人格は運命になる)

サッチャー氏の父上がいつも口にしていた言葉だったそう。とにかく「考えが大事」と。


2012年4月18日水曜日

テディベア

オットとワカサマが母を訪ねてン千里、男二人で里帰りしている最中に、たくさんの友達と会って食べて飲んでつかの間のシングルライフを謳歌した。そんな中、ちょっと私にしては異色だったのがテディベア作り。

まだ、名無しのくまちゃん
中学のときの一番の仲良しのお友達が、テディベア作家になっていた。なっていたというのは約25年振りに再会したから。その友達がテディベア・フェアに出展するからと誘われて見に行ったら、これはスゴイ。大きな会場にぎっしりとブースが並び、結構な熱気。こ、こんな世界があったのね。で、友達のブースに行くと、私の大好きなシュタイフ・スタイルのミニベアが展示してある。体長15センチくらいで、実にカワイイ。生地もちゃんとヨーロッパから仕入れていいて、技法もシュタイフと一緒だと言う。しきりに関心していると、その気だったら教えてくれると言う。

本当は作りたかったけれど、実はちょっと引いていた。というのも忘れもしない中学1年の時の家庭科で「2」を頂戴しているのだ。袖なしブラウスを作らされたのだけれど、当時は興味もないしゼンゼン楽しくなかった。前端と前中心を間違えて、ねじれたまんまで提出したのはよく覚えている。そのまんま、お裁縫には興味が持てず。保育園や小学校で必要なシーツやら、袋やら、そんな四角いものは縫ったけれど、まともな裁縫道具さえ持っていない。もちろんミシンなんて無いわよん。

でも、シングルライフで気も大きくなっていたのだろう、熊の可愛さにもつられて、イッチョ作ってみるか!って。友人を自宅に招いて週末に2回、合計約10時間程、マンツーマンで教えてもらった。型紙は友人のデザインで既に生地は裁断してきてくれた。これを縫い合せて綿を詰めるのだけれど、ちょっとしたところにプロの技有り。手取り足取りでどうにか完成。実に楽しかった。忘れるといけないので、今、2匹目も制作中。

2012年4月16日月曜日

スーパーチューズデー  The Ides of March

実際の選挙に着想を得て書かれた戯曲 「Farragut North」を原作にジョージ・クルーニーが監督、脚本、制作、出演をこなす。原題の 「The Ides of March」はシーザーが暗殺された3月15日を意味するものでJ.クルーニーが名付け親。

まさしく「ブルトゥスお前もか」の世界。政治は難しくて複雑なものであるけれど、究極は人間の根本的な「思い」で動いているのだとつくづく思う。主役ではないけれど、その核の人物である大統領候補モリスをJ.クルーニーが演じていて、これがなかなかいい。魅力的であるが故に、モリスの選挙マネージャーであるスティーブン(ライアン・ゴズリング)がモリスへの信頼をバッサリと切り捨てられず、しかし後に可愛さ余って憎さ百倍になってしまうその流れに大いに納得する。私なぞこんな大統領候補がいたらコロリと騙されてしまうだろう。

その他フィリップ・シーモア・ホフマン、ポール・ジアマッティは絶対ハズさないし、マリサ・トメイの不可思議なジャーナリストは最高だ。特に冒頭モリスに心酔する若いスティーブンに言った「どんな人物であれ、政治家というものには必ず失望させられる」(うろ覚え)には、トメイの説得力ある言い回しに脱帽。モリー役のエヴァン・レイチェル・ウッド(「アクロス・ザ・ユニバース」)は美しさと技量を備えている。

もちろん21世紀の映画ではあるけれど、どこか70年代のルメットなどの映画を彷彿とさせる。ノスタルジックで熱すぎない、でも言いたいことがストレートに伝わってくる。政治の善悪を解いているのでは無く、それぞれの譲れない一線を描いている。その琴線に触れたときの力関係の駆け引き、自分の大義のためにどこで一線を譲るか。正義とは「あるかないか」ではなく、「信じるか信じないか」なのだわ・・・。

あのデカプリオが制作に関わっている。

2012年3月27日火曜日

一年

あっという間の一年。確実に風化を続けているあの日の記憶を留めようと、この2週間を過ごした。どんなに胸を痛めても、被災者の方々と思いを共有する事は私にできる訳がない。ただ、心から犠牲者の方々の冥福をお祈りして、自分のためでなく他の人のために働き、日々生活を続けるだけだ。

原発に関してはこれからもうやむやにならないよう、目を光らせて行かなければいけない。政治やメディアの思惑に注意しなくてはいけない。

がれきの問題も、料金値上げの問題も、真っ当な理由やデータがあれば受け入れられる。何が何でも反対なのではなく、それを要求している人たちの言う事が信用できないのだ。適当にあしらわれる事が我慢ならない。

これで、すべての原発が止まる。経済が、とかなんとか言うけれど、企業は電気料金云々の前に、遅かれ速かれグローバル化の波に飲まれて海外に出て行ってしまったであろう。

福島原発は未だに安定していない。もう一年、まだ一年。

2012年3月10日土曜日

シャーロックホームズ/シャドウゲーム  Sherlock Holmes: A Game of Shadows

シャーロック・ホームズ第2作目。全体の流れとワルモノの悪巧みは理解できたけれど、途中幾度かついていけない展開あり。ホームズのおつむの回転の速さについていけないのか、編集で端折ったのか、もともとそれほど意味がないのか。それでも、面白いのだ。

またまたものすごい爆発(砲撃)シーン。もちろんCGではあるだろうけれど、そのままの速さで見ると、ズバババ~、ドッカ~ンでアットいう間、労力の割には一瞬でシーンが終わってしまう。それを前回同様、実はこんなことが起きているのだと(思っているかどうかは解らないけれど)、スローモーションで見せてくれる。サム・ペキンパーもやっていた、と言われればそれはそうなんだけれど。違いはというと、役者の動きが、運動選手のごとく実に美しい。普通の動きというよりも、マーシャルアーツや走っているところやそんな「意識した運動」がゆっくり見られるのだ。映像技術だけでは無く、役者の日頃からの鍛錬もおおいに関係しているだろう。「マトリックス」のように洗礼された動きをポーズとして見る、というより泥臭くって汗臭い動きの流れを継続して見る面白さがある。

水を得た魚のような、ダウニー・Jrとジュード・ロウ。シャーロック・ホームズはとにかくキタナイけれど、色っぽくてかっこいいロバート・ダウニー・Jr。繊細だけれど懐の大きいワトソン君役にぴったりのジュード・ロウ。何といってもスルメのように噛めば噛むほどいい味のでそうな”色気”と、軽妙で絶妙なセリフ回しが見どころ。

シャーロックとゼンゼン似ていないお兄さん役を演じているスティーヴン・フライ。すっかりおじさんになってしまったけれど、いい味出してる。ちょっと話がずれるけれど、彼の出演作「ピーターズ・フレンズ」は大好きな作品の一つ。(冒頭、ティアーズフォーフィアーズのEverybody Wants To Rule The World が流れるとゾクゾク)。彼はエマ・トンプソンやヒュー・ローリーやケネス・ブレナーのお友達だ。

音楽のハンス・ジマー、やっぱりこの人は天才ダワ。

2012年3月5日月曜日

ヒューゴの不思議な発明    HUGO

後ろに「不思議な発明」が付いているもんだから、アカデミー作品賞に子ども向けの3D映画かぁ、大御所スコセッシ監督だからかな?位にしか思ってなかった。しか~し、完全に裏切られた、いい意味で!

終盤のジョルジュ・メリエスの映画のシーンは特に素晴らしい。メリエス以外にも映画の草創期に生まれた”マジック”を、スコセッシ監督はいくつもの仕掛けをして、この”HUGO”の中に重ね合わせて描いている。スコセッシ監督の、先達への真直ぐな敬愛の念は心が洗われるし、ただ映画が好きでひたすら撮り続けているのであろう謙虚な姿には胸が熱くなる。ああ、泣ける。スコセッシの映画は美しくてしっかり見ていたいのだけれど、何しろ名作ト言われる作品は、突然血みどろが始まる。「タクシードライバー」「グッドフェローズ」「カジノ」・・・。思っても見なかった、コワイ思いをせずに、しかも涙で見ることができるとは!

老人と若者、100年前の動く絵画を見た人たちと今の3Dを見る人たち、世代を超えて、時代を超えて、それぞれの立ち位置で同じ感動を共有する、まさしく映画の醍醐味が余すところなく伝わる最高の映画。いつの時代も、見つけ出し、それを育て、送り出し、語り継いでいくのは若い世代なのだ。スコセッシ監督の子どもたちへのなんと優しいメッセージだろう。そういう意味では子ども向けの映画でもある。

私はなぜに映画館に足を運ぶのか。たかが映画、されど映画・・・。
これを見逃したら、損。

2012年3月4日日曜日

世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶 Cave of Forgotten Dreams

とても長い邦題だけれど、まさしく内容はそのままのドキュメンタリー映画。
1994年に南仏で発見されたショーベ洞窟。3万2千年前に描かれた壁画をヴェルナー・ヘルツォークが研究者の話等を交えて3Dで撮影。



冒頭、畑の中を歩いているようだけれど、突然フワフワとカメラが上空に上がる。どうやってとったのだろうと不思議に思っていたら、どうやらリモコンつきの小型飛行機にカメラを乗っけていたようだ。洞窟のなかでは使っていないはずだけれど、ヘルツォーク監督は色々試しているご様子。大切な洞窟が人間の吐く二酸化炭素などで壊れないよう、1日4時間x6日しか撮影が許されていない。与えられた時間を無駄にしないようカメラを回し続け、膨大な編集作業を行なったに違いない。

ヴェンダース監督が舞台を表現するために3Dを使ったように、ヘルツォーク監督も洞窟の立体感を映し出すために3Dを使った。窓から風景を眺めるような奥行を実現した3D、そんな映画の世界が幕を開けたようだ。絵は二次元であるけれど凹凸のある洞窟を利用して描かれている。3D映画はその立体感を実に表情豊かに見せてくれた。

洞窟内の絵はまさしく芸術作品のような壁画の連続。絵画とはどの時代でも画家とそうでない人に別れるものなのだなぁ、とつくづく思う。3万年の文明が今に劣っているということはない。この映画に出てくる研究者も同じことを言っている。今の、常識で物を考えてこの洞窟を見てはいけない、と。

芸術と宗教とサイエンスの根っこは全てひとつである、ということを実感させられる。普通の人が書いた落書きではなく、このような壁画が何万年後の私たちの目の前に現れる、何か大きな意図が働いているような・・・。そして私もその僥倖に巡り合えたのである。

オリジナルのナレーションはヘルツォーク監督が自ら担当しているが、日本ではオダギリジョーの吹き替え版。これが案外いいのだ。

2012年3月2日金曜日

ブレーキング・ドーン Breaking Dawn Part 1

1作目は年甲斐もなく高校生のラブストーリーにトキメイテしまい、2作目をかなりのテンションで待ちわびたものの、鑑賞後、少々トーンダウン。3作目は「やっぱり、ヘン・・・」だったけれど、本作である4作目パート1には実は密かに期待してはおったのだ。
感想は、あ~んぐり。なんでもあり~!とはこのことか。

ベラとエドワードはついに結婚。結婚式前夜のベラが見たヘンな夢から始まる。そしてサプライズ・ハネムーンの行き先はなんと太っ腹にもリオ・デジャネイロだった。リオって、ヴァンパイアにはあんまり合わないような気がする。さすが100歳のエドワードはポルトガル語も習得済み、流暢に操っている。

ハネムーンのホテル、覗き見をしているようで居心地悪し。ロマンチックバイオレンスとでも言おうか、一夜開けると寝室はまるで竜巻にでも襲われたようにめちゃくちゃ。ここで、観客は笑うべきだったのだろうか。部屋中破壊されているのに大きな怪我もせず、ものすごーく嬉しそうに目覚めるベラ、対照的なのは異様に落ち込むエドワード。

それでも幸せいっぱいの2人の世界は一転にわかにかき曇る。これが最大の謎で、ベラがナント妊娠してしまう。なしてヴァンパイアに子どもが出来るのか?! 100才超のエドワードは「不滅の子」の存在をなぜか知らないようだ。しかし狼族は他人のことをよく知っていた。ベラの妊娠を知ったジェイコブの遠吠えを聞いただけで、総てを察知して集まる狼たち。しかし話し合いは必要だったようだ。このまま狼語でガウガウと話が進むのかとおもいきや、CG狼の姿のまま英語で話し合いが始まる。一瞬「ベイブ」を見ているのかと。

胎児にエネルギーを吸い取られ、ベラがどんどん痩せてひょろひょろになっていく様は、なかなか見ごたえがあった。こんなに衰弱しているのに、ドクターもいるのに、点滴をするわけではない。彼らのとった手段は紙コップだ。輸血用の血を紙コップに入れて、マックシェイクみたいに蓋をしてストロー差して、「このほうが飲みやすいから」って。もう何でもいいから口に入れたいベラは、「おいしい・・・」。歯には血が歯垢検査の薬剤ようにくっついて、目もランラン、なかなか真に迫ってはいた。

出産の陣痛では、ベラの背骨がボキッと折れたような音、あれはとっても痛そうだった。それから先はドクターハウスもまっさおの、許可なし医療行為オンパレード。ほとんど虫の息のベラに「可愛いでしょう」と満面の笑顔で赤ちゃんを見せるエドワード。のんびりしていたから息の根が止まってしまった。あわてて吸血鬼の蘇生(?)が始まる。全部が相当ヘンなので軽く受け流してしまったが、エドワードはたしかベラをがぶがぶと噛んでいた。で、何が根拠かわからないけれど、ひとしきり噛み付いたあと「もう大丈夫だ」とエドワードは言うと、寝たままのベラをほっといて、狼と吸血鬼の戦いを見学に言ってしまう。戦いの最中、突然ジェイコブとエネズミの話を始めるんだけど、そんな大事なことは立ち止まって落ち着いて話して欲しい。

そしてトリはマイケル・シーンのコスプレ。

・・・突っ込みはまだまだあるけれど、この程度にしておこう。ここまで来たからには、見るわよ最後まで、パート2、絶対。

2012年3月1日木曜日

Dream Snow    ゆめのゆき


エリック・カールの「ゆめのゆき」。
いつも素敵な絵本をご紹介くださるエリリンさん(紫草のくさまくら)が、図書館でこの絵本を借りられたとのこと。

サンタクロースのような農夫が、子供たちにではなく、日頃お世話している(なっている?)動物たちにプレゼントをして歩くお話。最後のページにボタンがついていて、それを押すと綺麗な音がチロリロリンとなる。

残念ながら、エリリンさんが手にした絵本は電池切れだったということなので、家にある絵本のボタンを久しぶりに押してみた。

iphoneで撮影したので、音が小さいけれど、少しでも伝わるかしら。



絵本の裏表紙には農夫のモデルになったバリー・モーザーさん(右)がエリックカールさん(左)と一緒に載っている。
どちらもほんとにサンタさんのような風貌。優しさオーラに包まれている。

2012年2月27日月曜日

PINA

ピナ・バウシュの舞台を映像化する難しさに頭を悩ませていたヴェンダース監督。それが可能になるのでないかと3Dに取り組んだ。奥行きのあるヴッパータールの町や舞台で繰り広げられる踊りは、見ごたえがある。劇場では座席に座ると観客はその場から動けない、彼のカメラは一番美しアングルで舞台の総てを映し出す。もちろん舞台とは違う、しかし、舞台を映像化するという意欲が満ち溢れた作品だ。

ピナは類い稀なる才能をもったダンサーで振り付け家でもあったけれど、全ての作品がエキサイティングであったとは思わない。ドイツ滞在中、88年から90年までヴッパータールに足を運んで見た舞台は、マンネリ化してしまった作品もあった。本当にダンサーなのか?と思うような人も舞台に出ていた。それに彼女の舞台を見るとなぜか心がざわざわする。・・・これは彼女の作品があまり好キクナイとゆーうことではなく、彼女のダンスが私の何か触れられたくないものをペラリとめくってしまったから、なのかもしれないとも思う。

80年代末、ベジャールも難解な世界に走り、新しいダンスの姿を見せてくれた人たちの作品が、”行き過ぎて勿体ぶっている”ような気がしていた。そしてこの映画でずっと遠のいていたピナの作品、「カフェ・ミュラー」、新しい作品「フルムーン」を見る。そのエッセンスを拾い上げ、映像に織り込んだヴェンダース監督は、ダンスに関しても鋭い慧眼の持ち主と感服。ピナが好きな人にはたまらない映画になっていることだろう。

・・・私は、やっぱり心がザワついてしまった。なんでだろう。あのときから20年も経つのに、私は変わっていないのだ。このざわ付きとしばらく対峙することになるのだろうなぁ。

2012年2月25日土曜日

今月のパン教室

毎月1回、楽しく習って −というか「食べて」という方が正しいか− いる間に、中級も半分くらい終了してしまった。ベンチタイムとかニーディング、などなど聞いたこともなかったような単語が少しずつ頭に収まり、唖然と突っ立っているだけのシーンは少なくなってきているかも。

パンを1人で作るまではまだ行かないけれど、教室で時間や手間をかけてパンを作るうちに、自分の生活にも少し変化があったかな。それまでは料理を手早く済ませようとしていたけれど、最近、手間や時間をかけることが億劫ではなくなってきたような気がする。ま、子どもが小さいうちは、帰宅してこどもの寝る時間から逆算して晩ご飯を食べるには、なんてバタバタしていたからね。

今回も、先生の神業のような手つきに感動を覚えながら作ったパンとお菓子。


香ばしいアーモンドとチョコレート
中には栗も!!

外をパリッと仕上げるため蒸気焼成というのをする
カリッと焼けたタルトの上にカスタードクリーム

2012年2月23日木曜日

おとなのけんか   Carnage

舞台で各賞を受賞しているヤスミナ・レザの”Carnage”をロマン・ポランスキーが映画化。原題を直訳すると、殺戮とか、大虐殺とか、ちょっとマイルドにしても修羅場とか。


ナンシー(ケイト・ウィンスレット)  とアラン(クリストフ・ヴァルツ)の11才になる息子ザカリーが同級生のイーサンと「こどものけんか」をして枝で殴ってケガをさせてしまう。二人はイーサンの親ペネロピ(ジョディ・フォススター)とマイケル(ジョン・C・ライリー)から、平和的解決を図るためアパートメントに招かれる。
しかしペネロピは平和を装いながらも毒のある言葉をチクリチクリ。丸く収めようとするマイケルがズルズルとナンシーとアランを引き止め、やがて4人それぞれが自分以外の全員を攻撃し始め修羅場と化していく。


既に完璧なる脚本がある上に、芸達者の4人、これだけそろえばハズレない。子供の喧嘩に大人が顔を出し、本題そっちのけでアサッテ方に話が飛んじゃったように見える。しかし、登場しない2人の「こども」がいるからこそこうなっちゃうのだろう。代理戦争は本質の解決を遠ざけるばかりか、あれこれ色々吸い寄せて問題を膨らませてしまう。


夫婦でも親子でも分かり合えない部分に蓋をして生活をしてきているが、そんなこんながねちねちと頭をもたげやがて大爆発。その爆発への導火線=セリフがなんとも素晴らしい。そしてセリフがないときも、沈黙が語る4人の俳優の顔、動作!!俳優であるということはこういうことなのだろう。俳優と脚本に安心して任せていられる監督の余裕を感じる映画だった。


苦笑いと大笑い、「おとな」におすすめ。クリストファー・ヴァルツはほんとにオモシロイ。

2012年2月21日火曜日

TIME/ タイム In Time

人類は遺伝子操作で25才以上年を取らなくなったかわりに、腕に寿命の時間表示が表れ、それ以降は稼いだ分が時間として加算されていく。通貨のかわりにその時間で物を買い、数字がゼロになると命を落とすことになる。体内にある時間は、貸し借りもできるし、高利ローンだって可能、もちろん盗んだってちゃんと使える。

日雇労働でその日その日をギリギリ生きながらえている貧困層のウィル・サラス(ジャスティン・ティンバーレイク)は、スラム街を訪れたある富裕層の男をギャングから救う。その男から有り余る時間で死ぬ事のできないむなしさを、そして貧困層が時間を搾取されている事を聞かされる。その男は、スラム街においては破格の長さである117年を、ウィルに残し自ら命を絶ってしまう。

人々は経済的なクラスで住む場所を割り当てられ、他のゾーンに行く場合は高い通行料を払わねばならないが、ウィルは手にした時間でスラム街を出て、富裕層の住む地区を訪れる。そこでは生活も時間も全く次元が違っていた。

ウィルは自殺した男から時間を盗んだ罪で、時間を管理するタイムキーパー(キリアン・マーフィー)に時間をとりあげられ、スラム街に送還されそうになる。実際はウィルが盗んだかどうかはどうでもいいことで、スラム街の人間はいくら時間を持っていようが、富裕層には決して上がれないと言うことなのだ。ウィルは彼に興味をもった富裕層の箱入り娘シルビア(アマンダ・サイフリッド)を人質に、タイムキーパーから逃走する。

字幕を見ている限りはそんなに気がつかないけれど、ワカ様曰く「アイデアはいいけれど、セリフが良くないし演技がちょっとねぇ」(うわっ、カラクチ)。オットの感想に至っては、「なぜアマンダ・サイフリッドはあんなに高いヒールの靴で逃げるのだ!」。たしかに逃げているとき、私も転ばないかと足元ばかりが気になった。


アンドリュー・ニコル監督1997年作品の「ガタカ」のように、遺伝子操作、美しい若者、社会のシステムに挑む主人公。そこに経済の問題を絡ませた着目点は面白い。数パーセントの人に富が集中する社会システムへの批判、永遠に生きながらえるよりも今の一瞬を生きろ、という生き方論も見て取れる。でも「ガタカ」を見たときのような、「オオ~」っと言うような印象は残念ながらなし。途中からは「俺たちに明日はない」が頭に浮かぶけど、あれほどのインパクトもなし。いろいろ詰め込みすぎたのだろうか。

2012年2月15日水曜日

CHEMEX まだまだ

コーヒーを入れる道具は揃った、練習もしている、あとはコーヒー豆の研究。

今回はアメリカから輸入されたオーガニック豆を購入。
あら?弾き具合は同じなのに泡が立たない。入れたコーヒーはそれほど悪くはないけれど・・・。早速ワークショップをしてくれたお店で聞いてみた。「(よくわからないけれど)輸入前にアメリカで焙煎しているのではないか」と言う。コーヒーにして飲むのは、焙煎してから早ければ早いほど良いらしい。挽いた後の粉に水分が少ないようだ。それが関係するのかどうかは分からないけれど、確かに焙煎したばかりのコーヒーはもう少し油っぽい(?)ような・・・。近所にその場で焙煎してくれるお店があるので、今度行ってみよう。

私は飲み物だけを飲むのであれば、断然、紅茶か緑茶。だからたまにケーキをいただくときには飲んでも、コーヒー自体を美味しいと思ったことはあんまりない。しかし、こうやって色々と発見して入れ方を工夫し始めると、とても面白い。

2012年2月14日火曜日

原発国民投票のための勉強

この一年、とにかく沢山読んでみた。今更と思わず、とにかく関心を持つこと、自分と違う意見を聞くことを心がけた。東電は責任を取らなくてはいけないけれど、その出来上がったシステムがそっくり国に移行するだけではなんの意味もない。民間であるために戦った電力会社の気概と、自由化のために奔走した経産省の陽の側面が、どうして生かせずに何も進展しないのだろう。

原発国民投票のための勉強 その1

原発異存派は事故風化を待っている、それを許してはいけないと言う記事だ。「通販生活」って私には馴染みのないものだけれど、とてもわかりやすく書かれている。

2012年2月12日日曜日

ドラゴンタトゥーの女 The Girl with the Dragon Tattoo

ジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ)は大物実業家の不正行為を記事にしたカドで訴えられ、敗訴し、そのせいで勤め先の出版会社も経営が行きずまってしまう。しかし、大財閥の元オーナーのヘンリック(クリストファー・プラマー)は彼の調査能力に目を付け、弁護士を通じてミカエルを調査させる。一風変わった23才のリスベット(ルーニー・マーラー)が、その調査を担当する。


ヘンリックはリスベットによる身辺調査結果に満足し、ミカエルにある調査を依頼する。40年前に失踪し、おそらく殺されているだろうと思われている兄の孫娘ハリエットを探して欲しいと言うのだ。その見返りにミカエルが記事にした大実業家が、本当に悪戯を行なっていたと言う証拠を渡すという。失うものもないミカエルは財閥一族だけが住む孤島のコテージに移り調査を始める。一族の誰かが疑わしいこと、また当時起こった連続猟奇殺人事が関係するであろうことなど、次第にミカエルは一人ではとても手に負えないことが分かってくる。そして助手として紹介されたのが、自分の身元調査を行なったリスベットだった。


スェーデンの冷たい冬の風景が、財閥一族の人間関係そのもののようだ。そんな風景の中、私の嫌いな痛そうな場面も出てくる。その映像はこれ以上はちょっと、というところでスン止。しかしその後味の悪さのせいか、登場人物に与えられた肉体の痛みが精神に与える影響を、私がモロに共有してしまう。一緒に怒ってしまう訳だ。そこで貯め込こんだ怒りが、うまい具合に「目には目を」となる。仕返しの場面の方がずっと痛そうなのに、ある種の爽快感。そういう自分も、ちと、コワイ。「羊たちの沈黙」のような誇張されたものとは違った恐怖が漂う。「ソーシャルネットワーク」のような軽快な場面展開が、重苦しくさせないせいかな。


ルーニー・マーラー@ソーシャルネットワーク
カミソリの如く尖ったリスベットがミカエルの魅力にはほだされるシーンは結構唐突なんだけど、不思議とロマンスを感じるのは、主人公をダニエル様にしたキャスティングの成功。リスベット役のルーニー・マーラーは「ソーシャルネットワーク」でマークがお友達になりたいのになれなかった憧れの女の子、エリカちゃんなのだ。ああ、またスゴイ若者が出てきた。今年、アカデミー賞にノミネートされている。


経済会とマフィアの癒着、ナチ信望者、高度な福祉システムを利用する人間の邪悪さなど、推理小説(?)に纏め上げたスティーグ・ラーソン。残念なことに2004年に早世している。


オープニングはレッド・ツェッペリンの”Immigrant Song”をカバー、映像は007風でかなりイケてる。

2012年2月8日水曜日

CHEMEX もう一丁

紀ノ国屋で挽いてもらったコーヒー豆が終わってから、しばらく考えてやっぱり家で挽いてみようと決心し(大げさか)、いよいよメリタの電気式ミルを買った。

ワークショップでは”5秒挽いてシェイクして”を3回くり返し、後は挽き具合を見る、と教わった。3回繰り返すところまでは私でもできる。しかし挽き具合を見ると言われても、それがいいのか悪いのか分からない。この辺に研究の余地があるのだなと思いつつ、あと一秒ずつ3回ほどミルのスイッチを、ツュ~ン(x3)と押してみた。大きなカケラが残らない程度かな。

さて、ドリップポットからの第一投、ここで挽いた豆を少々蒸らす。あらら・・・、全然違うわ、泡がモコモコ立つではないの!コーヒー豆の挽き具合によってこんなにも違うとは!前回粗めに挽いてもらった豆でも、まだ細かすぎたということなのね。

我が家の配分はと言うと、コーヒー用のスプーンで少々多めにコーヒー豆3杯、お湯は月兎印のポット(0.7ℓ)にぎりぎりまで、以上でマグカップ3杯分。コーヒー豆を4杯にすると我が家の舌には苦かった。

2012年2月7日火曜日

ガレキ処理は・・・

原発反対と放射性物質は切っても切り離せない。
前にも書いたけれど、放射性物質に関しては難しすぎてよくわからない。しかし、原発反対の私でも分けて考えることができる問題があるのではないか、と思うことがある。そのひとつは「ガレキの受け入れ」に関してだ。

放射能と一緒にしていいかどうかもわからないけれど、アスベストも何十年と害を知らされないまま「放置」されてきた。タバコだって万病の元だということは周知されているのに未だ野放し。母乳のダイオキシン問題然り。発がん性があることに関してはどれも同じだ。

震災で発生したガレキ問題に関しての河野太郎さんのブログを読み、またまた考えこむ。河野さんが書いているからなおさらだ。私は放射能の計測を行う組織が、全くの独立第3機関であれば受け入れに納得する材料が増えると思う。本当に難しい、放射能の話は。

2012年2月5日日曜日

人生はビギナーズ  Beginners

オリバー(ユアン・マクレガー)は5年前、母に先立たれた父ハル(クリストファー・プラマー)から、自分はゲイなのでこれからゲイとして人生を謳歌したいと告げられる。そしてその父はがんを患っており時間が無いと言うのに、何一つ父のことを理解していなかったことを知る。オリバーは自分の子どもの頃の母や豊かではあるけれどどこか不完全な家庭、人生の最終章をあるべき姿で幸せに暮らす父を回想する。しかしその喪失感であったり、子供の頃からの心のわだかまり等が、38になって恋したアナ(メラニー・ロラン)との関係に縺れてくる。

モヤモヤしたものを抱えたまま大人になったオリバーを、ユアン・マクレガーがもの静かに繊細に演じている。アナ役のメラニー・ロランは香り立つような美しさ。はかなげで、それでいて存在感のある透明な美しさはおとぎ話の主人公のようだ。クリストファー・プラマーの演じるハルの、母性的な愛に宿るあっけらかんとした明るさと儚さが悲しい。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。オリバーの個性的な母親を演じたメアリー・ペイジ・ケラーのどこか諦めきれない表情や、ハルの恋人アンディー役を演じたゴラン・ヴィシュニックの色々と乗り越えて来たのだなと思わせる瞳が印象に残る。

柔らかな光、整然とした室内、主人公が書くシンプルなイラスト、音楽に至るまで、実にセンスのいい佳作。監督のマイク・ミルズは自分の体験をもとに映画を作成。アナとの関係にポツポツ織り込まれる父や母との回想は、オリバーが頭の中で答えを探す方程式のようだ。こうして何かが起きたとき、過去を咀嚼できるひとが羨ましい。私は「点」で生きているような人だからなぁ。

人生はいつまでたっても「初心者」・・・。確かにそう、リハーサルなんてできないものね。そうよ、初心者のつもりで前に進む、いくつになっても。ビギナーと思えば、いいのよね、それで。

2012年2月1日水曜日

The Tsunami and the Cherry Blossom

今年のアカデミー賞、短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。
泣いた、ハラハラと散る桜のように。