2010年11月16日火曜日

パンを焼く

今年の春ごろから、月に1度のペースでパン焼き教室に通い始めた。
気温によってタネの温度を調節したり、材料をピッチリ計量したりと、なんでも目分量でやってしまう私にはハードル高し。

1番好きなのは材料をこねるところ。結構重労働なのだけど、"パンを作っている"っていう感覚が全身で味わえる。それから焼く前の発酵したナマのパン生地の匂いも好きだ。

今回は食パンとメロンパンを作った。今までメロンパンは正直ゼンゼン好きではなかったのだけど、美味しいものだったのだなぁ、ホントは。パン生地にレーズンをいれて、その上にクッキーの生地を薄くしてかぶせて、焦げ目をつけないように低温で焼く。

こ~んなかんじ、立派にメロンパンに見える。でも、1人で焼いてみてと言われたら、あ、あやしい・・・。

2010年11月15日月曜日

ノーウェアー・ボーイ

1950年代のリバプール。青年ジョン・レノン(アーロン・ジョ ンソン)は幼い頃から伯父と伯母ミミに育てられていた。やがて、優しい伯父が心臓発作で急死する。葬儀の後、実の母親ジュリアが歩いて行ける距離に住んでいることを知ったジョンは家を訪ねる。

ジュリアは再婚し新しい家庭を持っていたが、ジョンを大歓迎。ミミは過去のいきさつからジョンがジュリアと会うことをよしとしない。反抗期まっただ中のジョンは厳格なミミに内緒で、根っから自由人の母と時間を過ごすようになる。しかし、ジュリアを慕いつつも、どこか釈然としない。

エルヴィス・プレスリーやジェイ・ホーキンズなどのアメリカン・ロックの影響を受け、同級生をかき集めて”ザ・クオリーメン”結成。そこにたどり着くまでの彼の音楽環境は、これだけ?と驚くくらい何にもない。グループで演奏してもギターのコードを知っていたわけではない、独学というより我流なのだ。若き日のポールが彼に与えた音楽的影響は計り知れない。ジョンはその複雑な家庭環境から若くして人の真髄を突いた美しい詩を数々生みだし、そこに美しいメロディーをポールが紡いでいく。

母は自分を捨て、叔母は母から自分を奪い、父もどこかへ行ってしまったとジョンは思っていた。でも実際は3人の大人の心がばらばらになってしまっただけで、ジョンは誰からも見捨てられていない。全員がジョンのことを心から大切に(異常に?)愛していたのだ。ああ、良かった、ほんとに。

伯母のミミ役、クリスティン・スコット・トーマスはオバサンになってしまった!が、さすがイギリス人女優、年の重ね方にスキなしヌカリなし。どうにかしてほしいのは、副題の「ひとりぼっちのあいつ」・・。

P.S.
映画はジョンがハンブルグへ行くところで終わるのだけれど、その先は「バックビート」(1994年)を見ると面白いかも。ビートルズの初期メンバーのスチュアート・サトクリフ(スティーブン・ドーフ)が主人公で、恋人のアストリットをツインピークスのローラ・パーマーもとい、シェリル・リーが演じている。

2010年11月11日木曜日

投げて、投げて!

まだ子猫かな?
「ポーンして!ポーンして!」と飛びつく姿が何ともかわいい。
1分弱でオネダリも終わったけど、これが人間の子どもだと10倍くらい続くこともある。


2010年11月10日水曜日

THE TWILIGHT SAGA/ECLIPSE

全世界に遅れること約半年、やっと、やっと、見られたのだ~。遅いっ!
映画館に行ってもすぐ見せてくれない。本編が始まる前に日本語で前2作のあらすじが流れるのだ。早く見たいから「全部知ってるもん!」と思いながら見ていたのだけど、「ニュームーン」での”ベラをバンパイアにする”という 約束、・・・すっかり忘れてましたわ。

そして前作「ニュームーン」をしのぐ面白さ。ベラの心はエドワードに軸足を置いたまま、ジェイコブとの間でぐらんぐらん揺れまくる。成長期のジェイコブというより、テイラー・ロートナーがどんどんお兄さんになってきた。クリスティン・スチュワートもトワイライトの時に比べて、もっときれいなお姉さんになってきた。まだ人間だから安心して年とってもいいのだけど。「ニュームーン」ではあんまり出番がなかったエドワードは、あの怪力や、ドスのきいたニラミをたくさん見せてくれる。怒っているエドワードが好きだ。ロブ様快調。

そして、「トワイライト」の時に比べて甘~いキャラクターに進路変更したエドワード、
お花畑の中で「結婚して」を連発。
「だめよ」を繰り返すけどとっても嬉しそうなベラ。
見ているほうがてれる。
 

今回はベラのためにバンパイアと狼族が手を組み、NEW BORN(なりたてのバンパイア)チームと大バトルを繰り広げる。
こちらが、チーム・エドワード。ジャスパーの出番多し。

こちらが、チーム・ジェイコブ。
裸なのはきっと体温が熱いからと、狼になった時に洋服を着ているとマヌケに見えるから、と思う。
因みにガオーっと変身したときはハルクのように洋服がびりびりになる。

すっかり毛深くなったジェイコブ@「ニュームーン」でヴィクトリアを追っかけていた時
上半身裸の人間よりも、ベラにすりすりする狼に変身した時の方が個人的には好きだ。

雪山で薄着なふたり。照り返しで一層白びかりのエドワード。
エドワードはベラを魔の手から救おうと山中に避難所を設置するが、張り切りすぎて標高が少々高かったようだ。ちゃんとテントを用意したまではいいけれど、夜は寒くなることまでは頭が回らなかったのか。寒さで震えるベラを抱きしめたいけど、もっと冷やしてしまうので困るエドワード。不本意ながらジェイコブ湯たんぽを提供することに。ここでも上半身裸になるジェイコブ。


「オダマリ!」
見ているだけで痛くなりそうな、ジェーン女王様

あと映画は2作?。ますますハマります。と言いつつも、日本での盛り上がりはいまひとつ・・・。確かに、しっかり白塗りのエドワードの写真だけをみて、あのトワイライトの世界に入り込むのはなかなか難しい。映画が始まっても、エドワードを初めて見たときはそのおしろいに驚き、「不思議な顔だなぁ・・」と思うわけで。それがいつの間にかのめりこんじゃうのだから。女子だけじゃなくって、うちのオットもワカも好き、アラ還のオジサマでファンの人もいる。

 2010年11月現在、エドワードとベラは第4作をリオ・デジャネイロで撮影しているそうだ。エドワードは太陽をサンサン浴びてキラキラになれば、カーニバルに(ただし昼の部)に参加できる。

2010年11月5日金曜日

Papa、 Please Get the Moon for Me (パパ、お月さまとって!)

「怪盗グルーの月泥棒」を見ていて思い出したのが、エリック・カールの"Papa, please get the moon for me"(邦題「パパ、お月さまとって」)。
縮小ビームは使わず、だんだんお月さまが細くなっていくのを待つ。そして月まではロケットに乗らず、なが~いはしごでどんどん空に昇って行く。

絵本はもちろんのこと、DVDも気に入っている(タイトルをクリックすると動画が見られまっす)。絵本独特の仕掛けや、自分の頭で想像する世界と違うところもあるかもしれないけれど、アニメーションはエリック・カールの絵に忠実で、何よりも音楽が大変美しい。
このビデオには他に"The Very Hungry Caterpillar"  "The Very Quiet Cricket" "The Mixed Up Chameleon"  "I See a Song"が収録されている。

2010年11月4日木曜日

怪盗グルーの月泥棒 Despicable Me

ある日、エジプトのギザのピラミッドがまるごと盗まれるという大事件が起きる。世界一のdespicableな大泥棒を自負するグルーは穏やかではない。もっとデカイ仕事を、と月泥棒を計画する。

そこでグルーは月に行くためのロケットの製作費の融資を「悪の銀行」(Bank of Evil)に頼みに行くが、月を小さくするための縮小ビームがなければ、資金を貸せないと断られてしまう。その銀行頭取の息子がピラミッドを盗んだ真犯人、ヴェクター(Vector、ベクトル)。

そこでグルーはとあるアジアの国に -これがどう見ても日本の北海道なんだけど- 縮小ビームを盗みに行く。 やっと手に入れたと思いきやヴェクターに盗まれてしまう。どうにか取り戻そうとヴェクターの家に侵入を試みるけれど、最新兵器で護衛された”要塞”を前に地団太を踏むばかり。しかし、クッキーを売るためにヴェクターの家に出入りする女の子に気付く。女の子たちは孤児院に住む三姉妹、グルーは女の子たちを養子にして縮小ビーム奪回に成功。人間やら子どものようなものはキライで、めんどくさいグルー。しかし子どもたちはすっかりグルーに懐いてしまう。

グルーのミニオンという手下がかわいい。脂肪酸と変異したDNAバナナで作った黄色い物体。ある時は実験モルモットだったり、あるときは従業員だったりする。複雑な思考を伴わないだけに、ギャグもミニマムで面白い。人間には冷たいグルーであるけども、ミニオンはちゃんとかわいがっている。

グルーが子どもを連れて遊園地でジェットコースターに乗る場面は迫力満点。宇宙にドッカーンと上がるロケットのシーンもすごい。以前は乗り物酔いのようになりそうな3Dもあったけど、奥行きを持たせて広がりのある技法になってから不快感がなくなった。
しかし、眼鏡の上に3D眼鏡なので、画面よりも顔面が3D・・・。


2010年11月3日水曜日

ハーロウィン

ワカは中学生になり、「ハーロウィンパーティはもう卒業」と言うので、毎年近所の子どもを集めてゲームをしたりお菓子を配ったりしていたけれど、今年からはなし・・・。
最近はすっかりハーロウィンが巷に定着してきて、楽しいお菓子がたくさん出回っているので、オットはしっかりチョコレートを買ってきている。




広尾のナショナルスーパーで、毎年作っているジャック・オー・ランタン用のカボチャもちゃんと仕入れてきた。重かった。早くからカービングをすると、彫ったところからかびてくるので、まずはマジックで顔を描いて3週間ほど飾っておく。そのままだとぜんぜん腐ったりしない。とっても美味しそうな色なのに、食用じゃないのが残念だ。

31日当日。スヌーピーのDVD、ライナスの「かぼちゃ大王」の巻を3人で見る。それから、オットがジャック・オー・ランタンを作る。まずヘタのところを丸くくりぬいて、後は中身の種とワタをざっくりと取り出し、最後は目と口にぐさりとナイフを入れて穴を開ける。前もってかぼちゃには顔が書いてあるから、そこに包丁をグサリ、と行くのはちょっとかわいそう。ライナスがランタンを作っているルーシーに”かぼちゃキラー”と叫ぶ気持もよく分かる。
カービングが終わったら、ろうそくを入れて火をともせば出来上がり。なんだか笑っているみたいでしょ?

2010年10月28日木曜日

ハムスターはかわいい

大好きなものをなんでもほっぺに入れてしまうけど、これは無理。どうにか噛み切って持ち去りたいけど・・・。
あんまりおかしくって、涙でる。

 



こちらはその2
耳掻きが大好きなハムスター

2010年10月27日水曜日

朝の連ドラとお好み焼き

大家さん(おばあちゃん)役の藤 純子(ふじ じゅんこ)⇒寺島 純子(てらしま じゅんこ)⇒富司 純子さん(ふじ すみこ)がステキ。現在は”ふじすみこ”さんとなっているのをゼンゼン知らなかった。日本の食材でお料理をして、姿勢よく食事しているシーンが見ていて気持ちいい。

そして、中村玉緒さんの語り。秘密にしていたあかりと大家さんの血縁関係が他の下宿人にばれたとき。「あ”あ”~!」というドスの利いた声。一瞬ふじさんの声かと思ったけれど、口をあけてない。中村さんの声だった。

そして、そして、劇中の音楽がなかなか。メロディーがいいし、効果的に出しゃばらずに大阪弁の世界をマイルドにしている。

さて、あかりのお好み焼きの焼き方はわたしが小さいころ駄菓子屋で食べたのとおんなじ!でも尾道ではなくって、名古屋。祖母が名古屋に住んでいて、行った時は必ず10円持って駄菓子屋に食べに行った。

焼き方は一緒だけど違うのはソース。とろみのないシャビシャビのソース(確か「コーミソース」)。お好み焼きに刷毛で塗るとソースがしっとり生地に浸みていく。名古屋風お好み焼きというのがあるのかどうか知らない。近所に3軒ほどあった駄菓子屋が皆同じ焼き方をしていたので、少なくとも60年代の名古屋の駄菓子屋では尾道とおんなじ焼き方をしていたのではないかなぁ。食べたくなってきた。

2010年10月25日月曜日

夏もち~かづく・・

あ~、かわいい。猫の幼稚園があったらこうやってあそぶんだろうなぁ。
優しいおでこパチン、もかわいい。

2010年10月24日日曜日

長距離恋愛 彼女の決断

原題は『GOING THE DISTANCE』・・・。

いろいろあって30歳のエリン(ドリュー・バリモア)は、大手新聞社で研修するためニューヨークに来ている。そこでレコード会社に務めるギャレット(ジャスティン・ロング)に出会い、2人は軽い気持ちでエリンの研修期間中限定の付き合いを始める。いよいよエリンがサンフランシスコに帰るとなると、今まで恋愛にのらりくらりだったギャレットは彼女とこのまま別れられない。それはエリンも同じ。そして電話やスカイプや行ったり来たりの遠距離恋愛が始まる。エリンはニューヨークでギャレットはサンフランシスコで職を探すけれど、なかなかうまくいかない。 恋愛の間にあるものは距離だけではないようだ。仕事か恋愛か、永遠のテーマ。

ドリュー・バリモアが大好きなオットが、ワカ抜きで見に行こうと2人で出かけた。なある、明るい下ネタ満載、最近で言ったら「40歳の童貞男」みたいな。私生活ではドリューとジャスティンは一度は別れたけれどこのたび復活したらしい。ドリューがプロデュースしてるから、彼女が彼を呼んだのかな?セントラルパークでのエリンとギャレットのデートシーンは、2人がじゃれあっているのを監督がこっそり撮影したとのこと。・・・恋愛と仕事を両方手に入れたのは、ドリュー・バリモアだったのね。

10代から凡人の何倍もの人生を通り過ごしてきた、とは思えない屈託のないドリューの笑顔。35歳の女性には失礼かもしれないけれど、ホントにかわいい。

2010年10月20日水曜日

働き者の犬

「ご主人さま、ご主人さま、お呼びですか?」
「呼んでない」
「ええっ? 空耳ですか?テレビでもつけましょうか、ビデオの方がいいですか?」
「リモコンがあるからいい。」
「いえいえ、わたくしが!ご主人さま、ほかに何かありませんか?」
「(何にもないけどしょうがないから)背中がカユイ」
「ご主人さま~!ではおメシものからまずっ!」

一服もられたか、催眠術かけられたかのような、激しいハリキリ方。
わんちゃんは人間と違って反抗期がないからなぁ。 

2010年10月19日火曜日

よみがえるニオイ

今日、担任の先生の雷が落ちたとワカ様。
清掃時間に当番ではない生徒がずっと教室でふざけていたそうだ。今どきの男子はどんなふざけ方をするのか興味があったので聞いてみた。ファブリーズを教室で放射しまくっていたらしい。新型インフルエンザ対策で消毒液が置かれたのは知っていたけれど、ティーンエイジャーの匂い対策までしているのか?!そんなに教室って臭いの?と聞いたら教室備付けのものではないって。あ~、びっくりした。

では誰の持ち物かと言うと、剣道部員だとか。なある・・。
そういえば私が中学生の時、剣道部員の子が見せてくれた腕は青あざだらけ。びっくりしていると「もっとタイヘン」と言ってかぶせてくれたお面。ホントにすごかった。思いもよらぬ困難に耐え忍ぶ根性に恐れ入った。
忘れていたあの日の教室での匂いがプ~ンとよみがえる。

2010年10月18日月曜日

ブロンド少女は過激に美しく

マノエル・デ・オリヴェイラ監督100歳のときの作品。

冒頭から100歳の時間の流れはすごい。カメラは電車の中の20人ほどの乗客を正面から律儀に映している。車掌さんが検札をしている。一人ひとり丁寧にゆっくりと切符を見て、ぱちんとはさみを入れ、「ボンボヤージ」と挨拶をしている。64分の作品なのに映っている乗客全ての検札風景が続く。
その後も童話の本のページをめくるようにポツポツと物語が進む。

昔々あるところに、働き者で正直な若者がおりました。
ある日、エキゾチックな扇を持った美しい娘に恋をしました。
彼の雇い主である叔父さんに、結婚の許しを求めました。
しかし、叔父さんは結婚するならクビだと、若者を追い出してしまいます。
理由は良く分かりません。
仕事がなくては結婚を申し込むことは出来ません。
若者は仕事を探しましたが、誰も雇ってくれません。
やっと見つけた仕事は遠い土地での過酷な労働、
それでも娘のために故郷を後にします。

人々の会話も街の風景も何10年も前に時が止まったよう。単純で最小限の大真面目な会話は不自然だったけれど、時に唐突でそれにユーモアを感じる。後で調べてみたら、原作となったポルトガルの文豪エサ・デ・ケイロス1873年の小説の言葉を、ひとつも変えずに映画化したそうだ。そのセリフゆえか人間が植物のようだ。

どちらかというとリスボンの街や建物の方が表情豊か。何気ない風景を絵画のように切り取り、光や風で静物がみずみずしく変化する。また静止したアンシンメトリーな映像に、不思議な安心感が漂う。100歳になるとこんなに美しいミニマルな世界が見えるようになるのか。いや、見えるようになるような生き方が必要なのだろう。

若者のすったもんだの恋愛の一部始終が、あっけなくパタンと幕を落とし、最後は走り行く電車をカメラは捕らえる。画面の電車を見送るうちに、冒頭の助長された車掌の検札シーンを思い出した。主人公の心情を映す映像の完成されたリズムにマイスターの仕事を見た。

しかし、あの羽毛のついたウチワ、もうちっと良いものなかったか。これも原作のままなのかしら。

今年102歳になる監督はまだ創作を続けている。

2010年10月17日日曜日

くるみ割り人形 オーストラリアバレエ団

東京文化会館でオーストラリアバレエ団の「くるみ割り人形」を観た。1992年にバレエ団の30周年記念に際してグレアム・マーフィーが振付けた作品で、振り付けは勿論ストーリーも古典とはまったく違う。

第1幕は1950年代のメルボルン、クリスマス・イブ。
年老いたロシア人バレリーナのクララがラジオをつけると、くるみ割り人形の曲が流れ始めかつての舞台での思い出がよみがえる。そのラジオの音にかぶさるようにオーケストラの演奏が始まる。私の座っていた2階席からこのオーケストラの導入がよく見え、舞台裏をみているような面白さ。クララの家には友人が集まり、かつてのクララが映写機で映し出されると、老いた体で踊り出すクララ。疲れて横たわる彼女に、過去の悲劇的な思い出が切れ切れに襲い掛かってくる。

代2幕はクララ(ルシンダ・ダン)のバレエ人生。帝室バレエスクールで学び、バレリーナとして成功したクララは皇帝舞踏会に呼ばれるまでに。「金平糖の踊り」で大喝采を浴び踊り手として成功し、若い将校(ロバート・カラン)との恋で幸せだった日々を、ロシア革命の波が襲う。恋人は戦地で死に、心を閉ざしたクララはバレエ・リュス(パリを中心としたバレエ団)に加わり、思い出を振り切るように故郷ロシアを後にする。公演で世界中を回りオーストラリアに渡ったとき、またもや戦争が始まり異国にとどまらざるを得なくなる。

第1幕に登場するクララの友人達はお年寄りばかり。お年寄りのフリをしたダンサーではなく本当に年取ったダンサー達なのだ。これで1幕が終わるのかしら、とちょっとあれれ・・。しかしだんだんその年をとった肉体に、かつては第一線で活躍していたダンサーのオーラが見えてくる。体力が必要な技を楽しむだけではない、新しいバレエの姿を見たようでなかなか興味深かった。

第2幕での皇帝舞踏会での衣装には目を見張る。ルシンダ・ダンの素晴らしい金平糖。
そしてクララの恋人役、ロバート・カランのなんとしなやかな力強さ!高度で大変そうなリフトの連続にもかかわらず、まるで重力を感じさせない。うなった。スクリーンに映し出されたロシア革命や世界大戦とチャイコフスキーの曲が見事に重なり合い、戦争の場面にはこみ上げるもので涙目になってしまった。

皮肉な面白さを感じたのは「中国の踊り」。古典では跳躍や早いステップでアクロバティックな振り付けが楽しみな場面。しかし、ここでは薄暗い照明の中、大勢のダンサーがただゆったりと太極拳をし、曲だけが明るく忙しく動き回る。終わった後「ブ~」という声が上がったけれど、政治で抑圧された民衆の鬱屈された動きを感じ、振付家の芸術に対する心を垣間見たような気がした。

オーストラリアのバレエは初めて観たが、ダンサーは主役もコールドもヨーロッパと比べて、伸びやかで躍動感がある。振り付けは大胆なパとフォーメーションが大変美しく組み合わされ、かつクラシックバレエに忠実であり古典好きをも裏切らない。そしてロシアの歴史をひとりの踊り手を通して描いた感動的な台本。チャイコフスキーの名曲が遠いオーストラリアと出会う必然と偶然に心を動かされる。

マシュー・ボーンの「白鳥の湖」を観た時と同様、今回もチャイコフスキーという作曲家の偉大さをつくづく思い知らされた。もしチャイコフスキーがいなかったら、バレエとはどんなものになっていたのだろうと思う。

2010年10月15日金曜日

お・も・い~こんだぁら・・

トム・アンド・ジェリーかバックス・バニーでも見ているような・・。



上に引っ張られて太ももから覗く短パンの日焼けの跡がセクシーだけど、ズボンが思いっきり食い込んでるし・・・。しかしこうも頑張って、たとえば背中に乗れたとしても、いったい何をしようとしていたのかしら。
一番冷静なのがぞうさん。動かないように気を使っているけどそのあほらしさを横目で見ながら、「何だって初めからやり直さないの?」としっぽで訴えてる。
後ろで見ている仲間のぞうさんの笑い声が聞こえてきそう。

2010年10月5日火曜日

栗の渋皮煮

栗の渋皮煮は簡単だけど、時間と手間はたっぷりかかる。
美味しく煮えた甘~い栗をほおばりながら、渋皮煮ののんびり料理はまるでロシア民謡の「一週間」のようだと思った。
日曜日に市場に出かけ 
栗を一キロ買ってきた
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー
月曜日は何にもせずに
火曜日に水に浸す
水曜日に鬼皮を剥き
木曜日に何回も煮て
金曜日は味をしみ込ませ
土曜日は食べてばかり
恋人よこれが私の一週間の仕事です
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー

ちょっと字余りだけど。日曜日はスーパーとかじゃなくって市場にでかけた。青山国連大学前のファーマーズマーケット。いい栗だった。もう一回作ってお正月用に冷凍しようかな。

2010年10月4日月曜日

シングルマン

グッチのデザイナーとして有名なトム・フォードの初監督作品。

ジョージ(コリン・ファース)は、8ヶ月前に16年間共に暮らしたパートナーのジムを事故で失った。ジムの両親は彼の死をジョージに伝えず、いとこが独断で連絡してきてくれたものの葬儀にも参列できなかった。1962年11月30日、ジョージは自殺を決意し準備を着々と整えていく。しかし、いざ死を目の前にすると、日常のすべてが違ったものに感じられ戸惑いを覚える。メイドの心こもった家事、秘書のヘアースタイル、ウルサイだけだった近所の少女の愛らしさ、目を上げればすぐそこにいる美しい青年、暮れゆく空の色。そして準備万端いよいよという時に、教え子ケニー(ニコラス・ホルト)がジョージに不思議なアプローチを送ってくる。

ジョージが些細な美しさに目覚めるたびに、モノクロ風の抑えた色から鮮やかな色へと画面が変化する。登場人物の服装、建築や家の中の家具小道具、隅々まで神経が行き届いている。とても美しい映画なのだけど、もう少しざっくり感があった方がその美しさが際立ったのではないかと思う次第。メタファーの捉え方も小じんまりし過ぎていて、かと言ってフランス映画のようなさりげなさもない。

だったらキライかと言われたらそうでもない。登場人物が皆美しい。老若男女、美しく洋服を着こなし、化粧をし、ジュエリーを身につけ、その人々の姿からは場所をわきまえた礼節を感じる。そういう時代だったということなのだろうけれど。Desentな映像からは、角度を変えて見渡せば世界は美しいもので埋め尽くされている、ということが伝わってくる。その”美”は目に見える世界だけにとどまらず、時間の過ごし方、モノの考え方、読書と精神的なところにいたるまで満ち溢れている。

また、ジョージの友人であるチャーリー(ジュリアンナ・ムーア)を通して、老けていく人生の在り方が丁寧に描かれている。同性愛者の悲哀や愛する者を亡くした悲しみに目がいきがちだけれど、そう若くはない人へのまだまだ続く日々の生き方へのメッセージを感じた。

さて、教え子ケニー。その青い目は、ジョージの心の底を何もかも見抜いていそうだ。いや、どっこいゼンゼンわかってないかもしれない。そんな2人のダイアローグと見つめあいが興味深い。彼のイノセン トな美しさはかなり印象に残る、というよりも初めて見たような気がしない。彼がそこにいたら「どこかであったことありますか」ってナンパするみたいなことを聞いてしまいそうな、ケニー役のニコラス・ホルト。家に帰って調べてみたら、な、な、なんと、「アバウト・ア・ボーイ」のマーカス少年なのだ。さえない少年の役柄ということ もあったけれど、こういう化け方もあるのだなぁとうれしい驚きである。若き日のヒューグラントもびっくり。 

左がまだかわいい青虫だった2002年のニコラス君、右が羽化した後。

2010年9月28日火曜日

食べて、祈って、恋をして


仕事で訪れたインドネシア・バリ島で、ある老人がエリザベスに「結婚は2 度。短い結婚と長い結婚。全財産を失い、また取り戻す。いつかバリに戻ってくる」と予言。そこからストーリーは始まる。
エリザベス(ジュリア・ロバーツ)はニューヨークで作家として活躍、しかし幸せの条件である優しい夫や素敵な家は彼女の憂鬱のタネになり、やり場のない不安感に襲われる。ついに薄情にも夫に離縁を言い渡し家を出る。

あっという間に若い俳優デイビッド(素通りするにはもったいないジェームズ・フランコ:↓)と出会い、つかの間の恋に落ちる。美人はこういう離れ業ができる。しかしそれもうまくいかない、もったいない。恋愛依存が自立を阻んでいるのがイカンのではないかと、エリザベスは1人で1年間旅に出ることにする。

まずイタリアで食欲を取り戻し、イタリア語を勉強して、美味しいもので栄養を補給。インドでは瞑想と作務に没頭。そして予言通りにバリ島を再訪。そこでブラジル人実業家のフェリペ(ハビエル・バルデム)と出会う。あのハビエル様から逃げるのは難しそうだ・・・。

ゆるそ~な映画とは想像出来たけど、監督が”GLEE”のライアン・マーフィーということで、興味が出て見に行くことにした(カートのお父さん、出てた!)。想定内の展開だったけど、イタリアの食事、インドの結婚式、バリの自然などは見ているだけで幸せな気分にしてくれる。特に、リズが食べたスパゲティの美味しそうだったこと!早速夕食にトマトソースのパスタを作って食べた。

見ていて心配だったのはエリザベスの懐具合、余計なお世話だけど。 あと、ハビエルの顔は重かった・・(ぺネロぺちゃんごめんね)。

左はインドでぞうさんが1人でいるリズにあいさつしに来たところ。ジュリア・ロバーツの笑顔、ステキ。

2010年9月21日火曜日

終着駅 トルストイ最後の旅

トルストイ(クリストファー・プラマー)はヤースナヤ・ポリャーニャという場所でトルストイ主義者たちとコミュニティを作り暮らしていた。トルストイ主義者とはキリスト教的な人間愛や道徳観で -肉欲やら殺生を極端に否定するわけだけど- トルストイを信望している人たちのこと。トルストイの高弟チェルトコフ(ポール・ジアマッティ)は、政府に軟禁されていてトルストイと会えない。そこでトルストイに心酔している若者、ワレンチン(ジェームズ・マカヴォイ)をトルストイの個人秘書として派遣し、彼にトルストイの身の回りの出来事一切を書きとめるように言い渡す。

チェルトコフたちはトルストイの妻ソフィア(ヘレン・ミレン)が自分たちの思想の実現を阻んでいると考えているのだ。チェルトコフたちはトルストイ主義に基づいて、トルストイの持つ著作権や遺産をロシア国民に委譲させようとしているのである。それに妻は猛反対。帝政ロシア時代の伯爵夫人という裕福な環境にあって、トルストイの著作権による収入は家族のもの!と主張する彼女は悪妻と思われている。妻とのいさかいで堪忍袋の緒が切れたトルストイは82才にして家出、鉄道で旅をするうちに衰弱し、文字通り「終着駅」に辿りつく。

トルストイにはイコンとしてのトルストイと生身のトルストイが混在しているのだけれど、残念ながら体はひとつ。私にはチェルトコフとソフィーが、嫉妬丸出しで単に1人の男を取り合っているだけのように見えた。トルストイ自身は煩悩を持つ自分がだんだん神格化されていくのを、煩わしく滑稽に思いながらも、崇高でありたいと思う。このあたりの行ったり来たりを体現する、クリストファー・プラマーのうまいこと!

ソフィー以外にもう一人興味深い女性が登場する。ワレンチンの恋人マーシャ。彼女はコミュニティで生活を始めるが、自分の中での矛盾を見抜き、すっぱりと生身の自由な人間として生きようとする。その昔ワレンチンとマーシャのようなトルストイとソフィーがあったはずなのだ。ソフィー(もしかしたらヘレン・ミレン演ずるところの)に心から同情する私には、ワレンチンの心の逡巡がせめてもの救いになった。

それにしても妻から逃げるのにあんなに遠くまで行く必要があるのか?大思想家の心を読むのはむずかしい・・・。