「(映画とふつうの音楽の違い)“ふつう”の音楽はそれだけで100%、映画なら映像と音楽を足して100%になるようにしています。理想は映像と音楽が100%ずつ発揮したうえで成立する映画なのだが、そんな不可能なことを可能にした作品をぼくは知っている。 『ベニスに死す』だ。
(中略)
もちろんマーラーがこの映画のために書いたのではなく交響曲第5番の第四楽章アダージェットとして書かれた名曲を使用しているので厳密に言えば映画音楽ではない。が、間違いなくここでは映像と音楽がたしあうのではなく、掛け算にしてみせて我々の度肝を抜くのである。
(中略)
冒頭の船のシーンを見るだけでわかるように、マーラーの切々とした孤高の音楽と画面の隅々まで神経を配った無駄のない映像が、晩節を迎えた老作曲家を通し人間というのもを、人が生きるということを描くのではなく深く体感させるのである。
(中略)
原作では主人公グスタフ・アッシェンバッハは老作家なのだが、映画では老作曲家に変更している。しかも風貌を含めて限りなくマーラーのイメージに近づけていて追い打ちはマーラーのアダージェットなのである。この主人公がアダージェットの作曲家であるグスタフ・マーラーだといわんばかりなのだが、このイメージをだぶらせるような演出こそが最大のトリックであり最大の映画的効果なのである。ヴィスコンティ恐るべし。」音楽と映像に鳥肌が立つくらい心打たれながらも、その気持ちをどうもうまく言い表せなかった。モザイクを組み立てるように、”老い”や”若さ”や”美”やそんな断片を作品の中から拾い集め、私なりにこの映画への思いを考える努力をしたのだけれど・・。そんなときにこの久石さんの一言で納得。説明できないことを”深く体感”させられていたのだ。答えを導いてくれた久石さんも、作曲だけでない、恐るべし。

それにしてもビョルン・アンドレセンは美しかった。当時の少女漫画に出てきた多くの美男子は彼がモデルだったのよ。








