「二人のロッテ」や「エミール」シリーズで、日本でもよく知られているエーリッヒ・ケストナーはドレスデンの新市街で生まれた。彼の生家ではないけれど、子供の頃によく訪れた親戚の家だったところに、生誕101年を祝って可愛い庭に囲まれたこじんまりとした
ミュージアムが建てられた。
私達が訪れた日は、なんとも残念なことにイベントのために閉館。でも優しいお姉さんが、図書館と庭にはどうぞ、と入れてくれた。
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ミュージアムの看板 |
ケストナーは父親がユダヤ系ドイツ人であったが、ナチの時代、自分の本を焚書されても2度逮捕されても、ドイツ人として誇りをもち亡命しなかった。絶大な人気にナチも手出しできなかったという。ドイツ東西分断後は東ドイツになったドレスデンに母を残し、ミュンヘンに移住。母はナチに抵抗し続けたケストナーを称えた東ドイツ政府に手厚く保護されたそうだ。ケストナーはドイツ統一を見ることなく1974年に亡くなる。
「飛ぶ教室」の中に『愚か者の勇気は野蛮なだけであり、勇気のない賢さは屁にもならない』というくだりがある。賢いひとは見ているだけでなく、勇気をもって発言するべきだという、ここにも勇気を貫いた作家の言葉が、時を超えて私の目頭を熱くする。彼の言わんとしていることもさることながら、原文のシンプルな文体そのものにも心底憧れる。
”Mut ohne Klugheit ist Unfug; und Klugheit ohne Mut ist Quatsch ! ”
Mutは勇気、Klugheitは賢さ、ohneは英語でいうところのwithout。「賢さのない勇気」、「勇気のない賢さ」と順番を逆に並べて、「究極の選択」方式で並列している。Unfugは野蛮というネガティブな意味。Quatschは訳すのがちょっと難しいけれど、例えば「信じられない!」とか「バカバカしい!」とか「嘘っぱち!」とか、ネガティブを通り越してそのものの存在を否定するような単語。前の文章<後の文章と、比較級を使わなくても思いが言葉によってクレッシェントされてゆく、この「音感」が大好きだ。
もちろん、日本語訳もさすがである。特に「屁にもならない」これは秀逸。(訳者がわからない・・・)
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ミュージアムの壁に腰掛けて
通りを見渡すケストナーの像 |
良い社会を作るためには、良い教育をしなくてはならないと説いたケストナー。
"Wer an die Zukunft glaubt,
glaubt an die Jugend.
Wer an die Jugend glaubt,
glaubt an die Erziehung.
Wer an die Erziehung glaubt,
glaubt an Sinn und Wert der Vorbilder."
「未来を信じる者は、若者を信じる。若者を信じるものは、教育を信じる。そして教育を信じる者は、垂範者の意義や価値を信じるのだ。」と訳してみた。
この三段論法、親としてしっかり胸に刻まねば。