今日、担任の先生の雷が落ちたとワカ様。
清掃時間に当番ではない生徒がずっと教室でふざけていたそうだ。今どきの男子はどんなふざけ方をするのか興味があったので聞いてみた。ファブリーズを教室で放射しまくっていたらしい。新型インフルエンザ対策で消毒液が置かれたのは知っていたけれど、ティーンエイジャーの匂い対策までしているのか?!そんなに教室って臭いの?と聞いたら教室備付けのものではないって。あ~、びっくりした。
では誰の持ち物かと言うと、剣道部員だとか。なある・・。
そういえば私が中学生の時、剣道部員の子が見せてくれた腕は青あざだらけ。びっくりしていると「もっとタイヘン」と言ってかぶせてくれたお面。ホントにすごかった。思いもよらぬ困難に耐え忍ぶ根性に恐れ入った。
忘れていたあの日の教室での匂いがプ~ンとよみがえる。
2010年10月19日火曜日
2010年10月18日月曜日
ブロンド少女は過激に美しく
冒頭から100歳の時間の流れはすごい。カメラは電車の中の20人ほどの乗客を正面から律儀に映している。車掌さんが検札をしている。一人ひとり丁寧にゆっくりと切符を見て、ぱちんとはさみを入れ、「ボンボヤージ」と挨拶をしている。64分の作品なのに映っている乗客全ての検札風景が続く。
その後も童話の本のページをめくるようにポツポツと物語が進む。
昔々あるところに、働き者で正直な若者がおりました。
ある日、エキゾチックな扇を持った美しい娘に恋をしました。
彼の雇い主である叔父さんに、結婚の許しを求めました。
しかし、叔父さんは結婚するならクビだと、若者を追い出してしまいます。
理由は良く分かりません。
仕事がなくては結婚を申し込むことは出来ません。
若者は仕事を探しましたが、誰も雇ってくれません。
やっと見つけた仕事は遠い土地での過酷な労働、
それでも娘のために故郷を後にします。
人々の会話も街の風景も何10年も前に時が止まったよう。単純で最小限の大真面目な会話は不自然だったけれど、時に唐突でそれにユーモアを感じる。後で調べてみたら、原作となったポルトガルの文豪エサ・デ・ケイロス1873年の小説の言葉を、ひとつも変えずに映画化したそうだ。そのセリフゆえか人間が植物のようだ。
どちらかというとリスボンの街や建物の方が表情豊か。何気ない風景を絵画のように切り取り、光や風で静物がみずみずしく変化する。また静止したアンシンメトリーな映像に、不思議な安心感が漂う。100歳になるとこんなに美しいミニマルな世界が見えるようになるのか。いや、見えるようになるような生き方が必要なのだろう。
若者のすったもんだの恋愛の一部始終が、あっけなくパタンと幕を落とし、最後は走り行く電車をカメラは捕らえる。画面の電車を見送るうちに、冒頭の助長された車掌の検札シーンを思い出した。主人公の心情を映す映像の完成されたリズムにマイスターの仕事を見た。
しかし、あの羽毛のついたウチワ、もうちっと良いものなかったか。これも原作のままなのかしら。
今年102歳になる監督はまだ創作を続けている。
2010年10月17日日曜日
くるみ割り人形 オーストラリアバレエ団
東京文化会館でオーストラリアバレエ団の「くるみ割り人形」を観た。1992年にバレエ団の30周年記念に際してグレアム・マーフィーが振付けた作品で、振り付けは勿論ストーリーも古典とはまったく違う。
第1幕は1950年代のメルボルン、クリスマス・イブ。
年老いたロシア人バレリーナのクララがラジオをつけると、くるみ割り人形の曲が流れ始めかつての舞台での思い出がよみがえる。そのラジオの音にかぶさるようにオーケストラの演奏が始まる。私の座っていた2階席からこのオーケストラの導入がよく見え、舞台裏をみているような面白さ。クララの家には友人が集まり、かつてのクララが映写機で映し出されると、老いた体で踊り出すクララ。疲れて横たわる彼女に、過去の悲劇的な思い出が切れ切れに襲い掛かってくる。
代2幕はクララ(ルシンダ・ダン)のバレエ人生。帝室バレエスクールで学び、バレリーナとして成功したクララは皇帝舞踏会に呼ばれるまでに。「金平糖の踊り」で大喝采を浴び踊り手として成功し、若い将校(ロバート・カラン)との恋で幸せだった日々を、ロシア革命の波が襲う。恋人は戦地で死に、心を閉ざしたクララはバレエ・リュス(パリを中心としたバレエ団)に加わり、思い出を振り切るように故郷ロシアを後にする。公演で世界中を回りオーストラリアに渡ったとき、またもや戦争が始まり異国にとどまらざるを得なくなる。
第1幕に登場するクララの友人達はお年寄りばかり。お年寄りのフリをしたダンサーではなく本当に年取ったダンサー達なのだ。これで1幕が終わるのかしら、とちょっとあれれ・・。しかしだんだんその年をとった肉体に、かつては第一線で活躍していたダンサーのオーラが見えてくる。体力が必要な技を楽しむだけではない、新しいバレエの姿を見たようでなかなか興味深かった。第2幕での皇帝舞踏会での衣装には目を見張る。ルシンダ・ダンの素晴らしい金平糖。
そしてクララの恋人役、ロバート・カランのなんとしなやかな力強さ!高度で大変そうなリフトの連続にもかかわらず、まるで重力を感じさせない。うなった。スクリーンに映し出されたロシア革命や世界大戦とチャイコフスキーの曲が見事に重なり合い、戦争の場面にはこみ上げるもので涙目になってしまった。
そしてクララの恋人役、ロバート・カランのなんとしなやかな力強さ!高度で大変そうなリフトの連続にもかかわらず、まるで重力を感じさせない。うなった。スクリーンに映し出されたロシア革命や世界大戦とチャイコフスキーの曲が見事に重なり合い、戦争の場面にはこみ上げるもので涙目になってしまった。
皮肉な面白さを感じたのは「中国の踊り」。古典では跳躍や早いステップでアクロバティックな振り付けが楽しみな場面。しかし、ここでは薄暗い照明の中、大勢のダンサーがただゆったりと太極拳をし、曲だけが明るく忙しく動き回る。終わった後「ブ~」という声が上がったけれど、政治で抑圧された民衆の鬱屈された動きを感じ、振付家の芸術に対する心を垣間見たような気がした。オーストラリアのバレエは初めて観たが、ダンサーは主役もコールドもヨーロッパと比べて、伸びやかで躍動感がある。振り付けは大胆なパとフォーメーションが大変美しく組み合わされ、かつクラシックバレエに忠実であり古典好きをも裏切らない。そしてロシアの歴史をひとりの踊り手を通して描いた感動的な台本。チャイコフスキーの名曲が遠いオーストラリアと出会う必然と偶然に心を動かされる。
マシュー・ボーンの「白鳥の湖」を観た時と同様、今回もチャイコフスキーという作曲家の偉大さをつくづく思い知らされた。もしチャイコフスキーがいなかったら、バレエとはどんなものになっていたのだろうと思う。
2010年10月15日金曜日
お・も・い~こんだぁら・・
トム・アンド・ジェリーかバックス・バニーでも見ているような・・。
上に引っ張られて太ももから覗く短パンの日焼けの跡がセクシーだけど、ズボンが思いっきり食い込んでるし・・・。しかしこうも頑張って、たとえば背中に乗れたとしても、いったい何をしようとしていたのかしら。
一番冷静なのがぞうさん。動かないように気を使っているけどそのあほらしさを横目で見ながら、「何だって初めからやり直さないの?」としっぽで訴えてる。
後ろで見ている仲間のぞうさんの笑い声が聞こえてきそう。
上に引っ張られて太ももから覗く短パンの日焼けの跡がセクシーだけど、ズボンが思いっきり食い込んでるし・・・。しかしこうも頑張って、たとえば背中に乗れたとしても、いったい何をしようとしていたのかしら。
一番冷静なのがぞうさん。動かないように気を使っているけどそのあほらしさを横目で見ながら、「何だって初めからやり直さないの?」としっぽで訴えてる。
後ろで見ている仲間のぞうさんの笑い声が聞こえてきそう。
2010年10月5日火曜日
栗の渋皮煮
栗の渋皮煮は簡単だけど、時間と手間はたっぷりかかる。
美味しく煮えた甘~い栗をほおばりながら、渋皮煮ののんびり料理はまるでロシア民謡の「一週間」のようだと思った。
ちょっと字余りだけど。日曜日はスーパーとかじゃなくって市場にでかけた。青山国連大学前のファーマーズマーケット。いい栗だった。もう一回作ってお正月用に冷凍しようかな。
美味しく煮えた甘~い栗をほおばりながら、渋皮煮ののんびり料理はまるでロシア民謡の「一週間」のようだと思った。
日曜日に市場に出かけ
栗を一キロ買ってきた
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー
月曜日は何にもせずに
火曜日に水に浸す
水曜日に鬼皮を剥き
木曜日に何回も煮て
金曜日は味をしみ込ませ
土曜日は食べてばかり
恋人よこれが私の一週間の仕事です
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー
ちょっと字余りだけど。日曜日はスーパーとかじゃなくって市場にでかけた。青山国連大学前のファーマーズマーケット。いい栗だった。もう一回作ってお正月用に冷凍しようかな。
2010年10月4日月曜日
シングルマン
グッチのデザイナーとして有名なトム・フォードの初監督作品。
ジョージ(コリン・ファース)は、8ヶ月前に16年間共に暮らしたパートナーのジムを事故で失った。ジムの両親は彼の死をジョージに伝えず、いとこが独断で連絡してきてくれたものの葬儀にも参列できなかった。1962年11月30日、ジョージは自殺を決意し準備を着々と整えていく。しかし、いざ死を目の前にすると、日常のすべてが違ったものに感じられ戸惑いを覚える。メイドの心こもった家事、秘書のヘアースタイル、ウルサイだけだった近所の少女の愛らしさ、目を上げればすぐそこにいる美しい青年、暮れゆく空の色。そして準備万端いよいよという時に、教え子ケニー(ニコラス・ホルト)がジョージに不思議なアプローチを送ってくる。
ジョージが些細な美しさに目覚めるたびに、モノクロ風の抑えた色から鮮やかな色へと画面が変化する。登場人物の服装、建築や家の中の家具小道具、隅々まで神経が行き届いている。とても美しい映画なのだけど、もう少しざっくり感があった方がその美しさが際立ったのではないかと思う次第。メタファーの捉え方も小じんまりし過ぎていて、かと言ってフランス映画のようなさりげなさもない。
だったらキライかと言われたらそうでもない。登場人物が皆美しい。老若男女、美しく洋服を着こなし、化粧をし、ジュエリーを身につけ、その人々の姿からは場所をわきまえた礼節を感じる。そういう時代だったということなのだろうけれど。Desentな映像からは、角度を変えて見渡せば世界は美しいもので埋め尽くされている、ということが伝わってくる。その”美”は目に見える世界だけにとどまらず、時間の過ごし方、モノの考え方、読書と精神的なところにいたるまで満ち溢れている。
また、ジョージの友人であるチャーリー(ジュリアンナ・ムーア)を通して、老けていく人生の在り方が丁寧に描かれている。同性愛者の悲哀や愛する者を亡くした悲しみに目がいきがちだけれど、そう若くはない人へのまだまだ続く日々の生き方へのメッセージを感じた。
さて、教え子ケニー。その青い目は、ジョージの心の底を何もかも見抜いていそうだ。いや、どっこいゼンゼンわかってないかもしれない。そんな2人のダイアローグと見つめあいが興味深い。彼のイノセン トな美しさはかなり印象に残る、というよりも初めて見たような気がしない。彼がそこにいたら「どこかであったことありますか」ってナンパするみたいなことを聞いてしまいそうな、ケニー役のニコラス・ホルト。家に帰って調べてみたら、な、な、なんと、「アバウト・ア・ボーイ」のマーカス少年なのだ。さえない少年の役柄ということ もあったけれど、こういう化け方もあるのだなぁとうれしい驚きである。若き日のヒューグラントもびっくり。
左がまだかわいい青虫だった2002年のニコラス君、右が羽化した後。
ジョージ(コリン・ファース)は、8ヶ月前に16年間共に暮らしたパートナーのジムを事故で失った。ジムの両親は彼の死をジョージに伝えず、いとこが独断で連絡してきてくれたものの葬儀にも参列できなかった。1962年11月30日、ジョージは自殺を決意し準備を着々と整えていく。しかし、いざ死を目の前にすると、日常のすべてが違ったものに感じられ戸惑いを覚える。メイドの心こもった家事、秘書のヘアースタイル、ウルサイだけだった近所の少女の愛らしさ、目を上げればすぐそこにいる美しい青年、暮れゆく空の色。そして準備万端いよいよという時に、教え子ケニー(ニコラス・ホルト)がジョージに不思議なアプローチを送ってくる。
ジョージが些細な美しさに目覚めるたびに、モノクロ風の抑えた色から鮮やかな色へと画面が変化する。登場人物の服装、建築や家の中の家具小道具、隅々まで神経が行き届いている。とても美しい映画なのだけど、もう少しざっくり感があった方がその美しさが際立ったのではないかと思う次第。メタファーの捉え方も小じんまりし過ぎていて、かと言ってフランス映画のようなさりげなさもない。
だったらキライかと言われたらそうでもない。登場人物が皆美しい。老若男女、美しく洋服を着こなし、化粧をし、ジュエリーを身につけ、その人々の姿からは場所をわきまえた礼節を感じる。そういう時代だったということなのだろうけれど。Desentな映像からは、角度を変えて見渡せば世界は美しいもので埋め尽くされている、ということが伝わってくる。その”美”は目に見える世界だけにとどまらず、時間の過ごし方、モノの考え方、読書と精神的なところにいたるまで満ち溢れている。
また、ジョージの友人であるチャーリー(ジュリアンナ・ムーア)を通して、老けていく人生の在り方が丁寧に描かれている。同性愛者の悲哀や愛する者を亡くした悲しみに目がいきがちだけれど、そう若くはない人へのまだまだ続く日々の生き方へのメッセージを感じた。
さて、教え子ケニー。その青い目は、ジョージの心の底を何もかも見抜いていそうだ。いや、どっこいゼンゼンわかってないかもしれない。そんな2人のダイアローグと見つめあいが興味深い。彼のイノセン トな美しさはかなり印象に残る、というよりも初めて見たような気がしない。彼がそこにいたら「どこかであったことありますか」ってナンパするみたいなことを聞いてしまいそうな、ケニー役のニコラス・ホルト。家に帰って調べてみたら、な、な、なんと、「アバウト・ア・ボーイ」のマーカス少年なのだ。さえない少年の役柄ということ もあったけれど、こういう化け方もあるのだなぁとうれしい驚きである。若き日のヒューグラントもびっくり。
左がまだかわいい青虫だった2002年のニコラス君、右が羽化した後。
2010年9月28日火曜日
食べて、祈って、恋をして
仕事で訪れたインドネシア・バリ島で、ある老人がエリザベスに「結婚は2 度。短い結婚と長い結婚。全財産を失い、また取り戻す。いつかバリに戻ってくる」と予言。そこからストーリーは始まる。
エリザベス(ジュリア・ロバーツ)はニューヨークで作家として活躍、しかし幸せの条件である優しい夫や素敵な家は彼女の憂鬱のタネになり、やり場のない不安感に襲われる。ついに薄情にも夫に離縁を言い渡し家を出る。
あっという間に若い俳優デイビッド(素通りするにはもったいないジェームズ・フランコ:↓)と出会い、つかの間の恋に落ちる。美人はこういう離れ業ができる。しかしそれもうまくいかない、もったいない。恋愛依存が自立を阻んでいるのがイカンのではないかと、エリザベスは1人で1年間旅に出ることにする。

まずイタリアで食欲を取り戻し、イタリア語を勉強して、美味しいもので栄養を補給。インドでは瞑想と作務に没頭。そして予言通りにバリ島を再訪。そこでブラジル人実業家のフェリペ(ハビエル・バルデム)と出会う。あのハビエル様から逃げるのは難しそうだ・・・。
ゆるそ~な映画とは想像出来たけど、監督が”GLEE”のライアン・マーフィーということで、興味が出て見に行くことにした(カートのお父さん、出てた!)。想定内の展開だったけど、イタリアの食事、インドの結婚式、バリの自然などは見ているだけで幸せな気分にしてくれる。特に、リズが食べたスパゲティの美味しそうだったこと!早速夕食にトマトソースのパスタを作って食べた。
見ていて心配だったのはエリザベスの懐具合、余計なお世話だけど。 あと、ハビエルの顔は重かった・・(ぺネロぺちゃんごめんね)。
左はインドでぞうさんが1人でいるリズにあいさつしに来たところ。ジュリア・ロバーツの笑顔、ステキ。
2010年9月21日火曜日
終着駅 トルストイ最後の旅
トルストイ(クリストファー・プラマー)はヤースナヤ・ポリャーニャという場所でトルストイ主義者たちとコミュニティを作り暮らしていた。トルストイ主義者とはキリスト教的な人間愛や道徳観で -肉欲やら殺生を極端に否定するわけだけど- トルストイを信望している人たちのこと。トルストイの高弟チェルトコフ(ポール・ジアマッティ)は、政府に軟禁されていてトルストイと会えない。そこでトルストイに心酔している若者、ワレンチン(ジェームズ・マカヴォイ)をトルストイの個人秘書として派遣し、彼にトルストイの身の回りの出来事一切を書きとめるように言い渡す。
チェルトコフたちはトルストイの妻ソフィア(ヘレン・ミレン)が自分たちの思想の実現を阻んでいると考えているのだ。チェルトコフたちはトルストイ主義に基づいて、トルストイの持つ著作権や遺産をロシア国民に委譲させようとしているのである。それに妻は猛反対。帝政ロシア時代の伯爵夫人という裕福な環境にあって、トルストイの著作権による収入は家族のもの!と主張する彼女は悪妻と思われている。妻とのいさかいで堪忍袋の緒が切れたトルストイは82才にして家出、鉄道で旅をするうちに衰弱し、文字通り「終着駅」に辿りつく。
トルストイにはイコンとしてのトルストイと生身のトルストイが混在しているのだけれど、残念ながら体はひとつ。私にはチェルトコフとソフィーが、嫉妬丸出しで単に1人の男を取り合っているだけのように見えた。トルストイ自身は煩悩を持つ自分がだんだん神格化されていくのを、煩わしく滑稽に思いながらも、崇高でありたいと思う。このあたりの行ったり来たりを体現する、クリストファー・プラマーのうまいこと!
ソフィー以外にもう一人興味深い女性が登場する。ワレンチンの恋人マーシャ。彼女はコミュニティで生活を始めるが、自分の中での矛盾を見抜き、すっぱりと生身の自由な人間として生きようとする。その昔ワレンチンとマーシャのようなトルストイとソフィーがあったはずなのだ。ソフィー(もしかしたらヘレン・ミレン演ずるところの)に心から同情する私には、ワレンチンの心の逡巡がせめてもの救いになった。
それにしても妻から逃げるのにあんなに遠くまで行く必要があるのか?大思想家の心を読むのはむずかしい・・・。
チェルトコフたちはトルストイの妻ソフィア(ヘレン・ミレン)が自分たちの思想の実現を阻んでいると考えているのだ。チェルトコフたちはトルストイ主義に基づいて、トルストイの持つ著作権や遺産をロシア国民に委譲させようとしているのである。それに妻は猛反対。帝政ロシア時代の伯爵夫人という裕福な環境にあって、トルストイの著作権による収入は家族のもの!と主張する彼女は悪妻と思われている。妻とのいさかいで堪忍袋の緒が切れたトルストイは82才にして家出、鉄道で旅をするうちに衰弱し、文字通り「終着駅」に辿りつく。
トルストイにはイコンとしてのトルストイと生身のトルストイが混在しているのだけれど、残念ながら体はひとつ。私にはチェルトコフとソフィーが、嫉妬丸出しで単に1人の男を取り合っているだけのように見えた。トルストイ自身は煩悩を持つ自分がだんだん神格化されていくのを、煩わしく滑稽に思いながらも、崇高でありたいと思う。このあたりの行ったり来たりを体現する、クリストファー・プラマーのうまいこと!
ソフィー以外にもう一人興味深い女性が登場する。ワレンチンの恋人マーシャ。彼女はコミュニティで生活を始めるが、自分の中での矛盾を見抜き、すっぱりと生身の自由な人間として生きようとする。その昔ワレンチンとマーシャのようなトルストイとソフィーがあったはずなのだ。ソフィー(もしかしたらヘレン・ミレン演ずるところの)に心から同情する私には、ワレンチンの心の逡巡がせめてもの救いになった。
それにしても妻から逃げるのにあんなに遠くまで行く必要があるのか?大思想家の心を読むのはむずかしい・・・。
2010年9月16日木曜日
太った猫の挑戦
この猫ちゃん、ウケを狙っているのか?
あんなに笑われて(結構シンラツ)、しかも失敗。それにもめげず二度目の挑戦はあっぱれ!
一度目の挑戦
あ、あ、おしりの肉が・・・!
二度目の挑戦
ダイエットしたし~!
「犬(猫)神家の一族」 ・・・。
あんなに笑われて(結構シンラツ)、しかも失敗。それにもめげず二度目の挑戦はあっぱれ!
一度目の挑戦
あ、あ、おしりの肉が・・・!
二度目の挑戦
ダイエットしたし~!
「犬(猫)神家の一族」 ・・・。
2010年9月13日月曜日
2010年9月10日金曜日
歩きたくない犬
引きずられまくり、でもなんだか嬉しそう。
もしかしたら地面で背中をカキカキしてるのかなぁ。手足が緊張しているところにこのワンちゃんの”引きずられテクニック”をみた。
撮影者の笑いが止まらず画面がグラグラ。わかるなぁ。
ではみなさん、 良い週末を。
2010年9月9日木曜日
2010年9月8日水曜日
2010年9月6日月曜日
三人で一人前
ワカ様、床屋さんで短く刈り込んだ後頭部の毛を、手で勢いよくシャカシャカと撫ぜながら、
ワカ 「なんだかこの音、マラスカみたい。」
私 「アハハ、マスカラでしょ、・・あれ?」
オット「みんな、ちが~う!マ・ラ・カ・ス」
一家の大黒柱がしっかりしていて良かった。
ワカ 「なんだかこの音、マラスカみたい。」
私 「アハハ、マスカラでしょ、・・あれ?」
オット「みんな、ちが~う!マ・ラ・カ・ス」
一家の大黒柱がしっかりしていて良かった。
2010年8月23日月曜日
カッコイイ人たち
2日ほど夏バテで家にこもっていたおかげで、「地下室のメロディー」と「シシリアン」をウン十年ぶりに見ることができた。2作品とも監督:アンリ・ベルヌイユ、ジャン・ギャバン、アラン・ドロン。
大まかな話の骨組みは2作品とも似ていて、ジャン・ギャバンが大物老ギャング、アラン・ドロンが血の気の多い駆け出しギャングという設定。1人では大仕事ができなくなってしまった老ギャングが、あまり信用できない若ギャングの手を借りて仕事をするのだが、小さなミスが足を引っ張りやがて・・・、というお話。
40年ほど前のこの時代は、今であれば”まさか”と思うようなアナログ強奪が成功してしまう。経験がものを言う職人(?)の世界が存在しているのだ。難しいIT技術や新兵器を使いこなす現代の犯罪劇と比べると、ジャン・ギャバンの威厳に満ちた老人がチェスのコマのように若者を操る姿が新鮮に目に映る。コンピューターを駆使しなくても、新型兵器を持たずとも大仕事ができるのだ。酸いも甘いも噛み分けたミニマムな顔の表情と低い声が何とも渋い、かっこいい。
一方、ハンサムで軽薄なほとんどチンピラの若者を、美しいアラン・ドロンがニヒルに演じている。いまさらながらに気が付いたのだけど、彼は大変運動神経がいい。ハンサムなだけでなくかなり鍛えられている。パリがまだ日本人の遠い憧れの街であった頃の、日本人女性の王子様だった。
この2人以外もカッコイイ人がいっぱい、「地下室・・」ではジャン・ギャバンが出所してきて、妻(ヴィヴィアンヌ・ロマンス)と久々に再会したときの淡々とした会話が実にいい。じっくりと熟成されたワインのよう、あんな女性にあこがれる。・・・来世で目指そう。
「シシリアン」にはもうひとり忘れてはならない俳優、刑事役のリノ・ヴァンチェラ。考えてみるとリノ・ヴァンチェラなんて、既に名前からしてかっこいい。タバコは嫌いだけれど、もし彼のように吸ってくれたら許す、どころかもう一本!って頼んでしまうだろう。
ミシェル・マーニュ作曲の「地下室のメロディー」は粋な男達を盛り上げ、エンリオ・モリコーネ作曲の「シシリアン」のテーマ曲は胸に沁みる。
大まかな話の骨組みは2作品とも似ていて、ジャン・ギャバンが大物老ギャング、アラン・ドロンが血の気の多い駆け出しギャングという設定。1人では大仕事ができなくなってしまった老ギャングが、あまり信用できない若ギャングの手を借りて仕事をするのだが、小さなミスが足を引っ張りやがて・・・、というお話。
40年ほど前のこの時代は、今であれば”まさか”と思うようなアナログ強奪が成功してしまう。経験がものを言う職人(?)の世界が存在しているのだ。難しいIT技術や新兵器を使いこなす現代の犯罪劇と比べると、ジャン・ギャバンの威厳に満ちた老人がチェスのコマのように若者を操る姿が新鮮に目に映る。コンピューターを駆使しなくても、新型兵器を持たずとも大仕事ができるのだ。酸いも甘いも噛み分けたミニマムな顔の表情と低い声が何とも渋い、かっこいい。
一方、ハンサムで軽薄なほとんどチンピラの若者を、美しいアラン・ドロンがニヒルに演じている。いまさらながらに気が付いたのだけど、彼は大変運動神経がいい。ハンサムなだけでなくかなり鍛えられている。パリがまだ日本人の遠い憧れの街であった頃の、日本人女性の王子様だった。
この2人以外もカッコイイ人がいっぱい、「地下室・・」ではジャン・ギャバンが出所してきて、妻(ヴィヴィアンヌ・ロマンス)と久々に再会したときの淡々とした会話が実にいい。じっくりと熟成されたワインのよう、あんな女性にあこがれる。・・・来世で目指そう。
「シシリアン」にはもうひとり忘れてはならない俳優、刑事役のリノ・ヴァンチェラ。考えてみるとリノ・ヴァンチェラなんて、既に名前からしてかっこいい。タバコは嫌いだけれど、もし彼のように吸ってくれたら許す、どころかもう一本!って頼んでしまうだろう。
ミシェル・マーニュ作曲の「地下室のメロディー」は粋な男達を盛り上げ、エンリオ・モリコーネ作曲の「シシリアン」のテーマ曲は胸に沁みる。
2010年8月19日木曜日
ゾンビランド
監督、ルーベン・フライシャー
感染した者が”人食いゾンビ”と化す謎の新型ウィルスが全世界に蔓延。アメリカはまさに「ゾンビランド」となってい た。主人公は胃腸が弱いオタクで引きこもり気味の青年(ジェシー・アイゼンバーグ)。それでも32のMYルールを厳守することにより、ゾンビの世界で生き残ってきた。ゾンビ退治に血眼になるタラハシー(ウディ・ハレルソン)、 ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)という美人詐欺(鷺じゃない)姉妹と出会い、一緒に旅をすることになる。
コメディーと分かっていても、のっけからゾンビが人間をガブ~っとするシーンはキモチワルく、ちょっと失敗したかなと思った。しかし、その内臓ドバ~ッにも、あっという間に慣れる。その誇張されたゾンビの”食事風景”がサム・ペキンパーばりのスローモーションで映されるのが、おおげさでわざとらしくほどなく笑いのツボに。私でこうだから大抵の人は大丈夫と思う。
さて、主人公が厳守している32のルールには、
手足が飛び散り頭もつぶれゾンビが撃たれまくりのおどろおどろしい世界なのに、見終わった感想は「家族の愛情と友情いっぱいの青春映画」。あの悪趣味とさわやかさが「絶叫計画」(あれはあれで笑えるけど)のように落ちまくらない、映画好きギャクでたくさん笑わせてくれる。
そして、シツコイのに大笑いできるビル・マーレイ。さすが。
感染した者が”人食いゾンビ”と化す謎の新型ウィルスが全世界に蔓延。アメリカはまさに「ゾンビランド」となってい た。主人公は胃腸が弱いオタクで引きこもり気味の青年(ジェシー・アイゼンバーグ)。それでも32のMYルールを厳守することにより、ゾンビの世界で生き残ってきた。ゾンビ退治に血眼になるタラハシー(ウディ・ハレルソン)、 ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)という美人詐欺(鷺じゃない)姉妹と出会い、一緒に旅をすることになる。
コメディーと分かっていても、のっけからゾンビが人間をガブ~っとするシーンはキモチワルく、ちょっと失敗したかなと思った。しかし、その内臓ドバ~ッにも、あっという間に慣れる。その誇張されたゾンビの”食事風景”がサム・ペキンパーばりのスローモーションで映されるのが、おおげさでわざとらしくほどなく笑いのツボに。私でこうだから大抵の人は大丈夫と思う。
さて、主人公が厳守している32のルールには、
- Cardio 有酸素運動(ゾンビが疲れるまで走って逃げる)
- Beware of Bathrooms トイレの中は気をつける(リラックスできるところで気を抜かない)
- Seatbelts シートベルトをする
- Don't/Do Be A Hero ヒーローになるな(いいかっこしてゾンビに立ち向かうな)
- When in Doubt, Know Your Way Out 不審と思ったら出口を確保
- Check the Backseats バックシートを点検
- Enjoy the Little Things ちいさなことを楽しもう
手足が飛び散り頭もつぶれゾンビが撃たれまくりのおどろおどろしい世界なのに、見終わった感想は「家族の愛情と友情いっぱいの青春映画」。あの悪趣味とさわやかさが「絶叫計画」(あれはあれで笑えるけど)のように落ちまくらない、映画好きギャクでたくさん笑わせてくれる。
そして、シツコイのに大笑いできるビル・マーレイ。さすが。
2010年8月10日火曜日
ソルト
監督、フィリップ・ノイス。
スパイとしての英才教育を受けた子どもたちは幼少のころからズ~っとアメリカに潜伏して、教育を受け、真の姿を隠しアメリカ社会にすっかり紛れ込み、ただひたすら真の上司からの指示を待つ。誰が味方か敵かわからない中で始まる、頭脳と肉体を駆使したスパイ合戦。当初『エドウィンA.ソルト』(原題)の主演候補としてクルーズが上がっていたけれど、トムさんが降板してアンジーが主役に。なある、主人公が女性に変わったけれど、激しいアクションは当初の設定のままなのかな。
ついこの前FBIに逮捕されたロシア人スパイのアンナ・チャップマン容疑者が美人過ぎるスパイと噂になっていたけれど、アンジーにはどう逆立ちしても勝てまい。ソルトは逃げる途中いろいろと変装を試みるけれど、足を短くするわけにも、鼻を削るわけにも、目を小さくするわけにもいかず、美人過ぎることにはゼンゼン変わらない。ガンガン殴られても車から振り落とされそうになっても美しすぎるし、オーラ出しまくりで人ごみに隠れるのが難しそうだ。
しかし、アンジーの国を超えて正義のためにイタイ思いをする美しすぎるスパイにため息が・・・。べたな言い方だけれど、「輝いている女優」とはこういう人のことを言うのだろう。
スパイとしての英才教育を受けた子どもたちは幼少のころからズ~っとアメリカに潜伏して、教育を受け、真の姿を隠しアメリカ社会にすっかり紛れ込み、ただひたすら真の上司からの指示を待つ。誰が味方か敵かわからない中で始まる、頭脳と肉体を駆使したスパイ合戦。当初『エドウィンA.ソルト』(原題)の主演候補としてクルーズが上がっていたけれど、トムさんが降板してアンジーが主役に。なある、主人公が女性に変わったけれど、激しいアクションは当初の設定のままなのかな。
ついこの前FBIに逮捕されたロシア人スパイのアンナ・チャップマン容疑者が美人過ぎるスパイと噂になっていたけれど、アンジーにはどう逆立ちしても勝てまい。ソルトは逃げる途中いろいろと変装を試みるけれど、足を短くするわけにも、鼻を削るわけにも、目を小さくするわけにもいかず、美人過ぎることにはゼンゼン変わらない。ガンガン殴られても車から振り落とされそうになっても美しすぎるし、オーラ出しまくりで人ごみに隠れるのが難しそうだ。
しかし、アンジーの国を超えて正義のためにイタイ思いをする美しすぎるスパイにため息が・・・。べたな言い方だけれど、「輝いている女優」とはこういう人のことを言うのだろう。
2010年8月9日月曜日
次のハードル
ワカ様、わたしたちがワインを飲んでいると、うらやましそ~に見ている。そして匂いを嗅がせてと寄ってくる。何歳から飲んでいいのかと何回も聞かれた。そうしょっちゅう法律は変わらないのだよ。そういえば彼の大きなハードルの一つに身長130cm制限のジェットコースターがあった。あのときも110cmくらいのころから、何度もシツコク身長を測ってといわれた。
そんなある日の夕食で、ワインを横目で見るワカ様と。
私 「今度の君のハードルはハタチかな?お酒がのめるよ~!」
ワカ 「違うでしょ、まず高校入試でしょ?」
自分で言った言葉がなんだか酔っ払いのオヤジの発言のように聞こえてしまった夜だった。
そんなある日の夕食で、ワインを横目で見るワカ様と。
私 「今度の君のハードルはハタチかな?お酒がのめるよ~!」
ワカ 「違うでしょ、まず高校入試でしょ?」
自分で言った言葉がなんだか酔っ払いのオヤジの発言のように聞こえてしまった夜だった。
2010年8月6日金曜日
ねじれ餅
新作の「ねじれ餅」を頂いた。晋ちゃんのねじれ餅、やっくんのねじれ餅、太郎ちゃんのねじれ餅のねじられ側から、「再びねじれ餅」で ねじり側に。
左上の消印は先の参議院選の投票日の7月11日。
右上の「みんなでねじれ! これからもっと!」というフレーズはどうだろう?ねじるのはいいけれど、ねじられる側に戻ることはもう諦めたように聞えるけど。
「目指せ一番」、鉢巻してるし、大学入試のようだ。”小・小泉君”が谷垣さんの次に大きくいい場所に立っているところに、不思議な党内バランスを感じる。右横のガンダムは、い・し・ばさん・・・。

肝心のお餅は写真でははっきり見えないけれど、八の字にちゃんとねじれている。ごま風味のぎゅうひで中はこしあん。それなりのお味。
議員会館で販売中だそう。
左上の消印は先の参議院選の投票日の7月11日。
右上の「みんなでねじれ! これからもっと!」というフレーズはどうだろう?ねじるのはいいけれど、ねじられる側に戻ることはもう諦めたように聞えるけど。
「目指せ一番」、鉢巻してるし、大学入試のようだ。”小・小泉君”が谷垣さんの次に大きくいい場所に立っているところに、不思議な党内バランスを感じる。右横のガンダムは、い・し・ばさん・・・。

肝心のお餅は写真でははっきり見えないけれど、八の字にちゃんとねじれている。ごま風味のぎゅうひで中はこしあん。それなりのお味。
議員会館で販売中だそう。
2010年8月2日月曜日
足の爪
ワカ様、運動部の合宿から戻ってきた。 その夜ふと足元を見ると足のツメが伸びきっている。
私 「危ないから足のツメ、切った方がいいよ。」
ワカ 「ああ、ホントだ。なんだかツメが痛いと思ったよ。そういえばXX君、足の小指の爪でフウセンを割って見せてくれたんだよ。シャッキ~ン!すごいよねぇ。」
足の先まで鋭いって?なんでも尊敬(?)のタネになるのだなぁ、中学生の男子は。
私 「危ないから足のツメ、切った方がいいよ。」
ワカ 「ああ、ホントだ。なんだかツメが痛いと思ったよ。そういえばXX君、足の小指の爪でフウセンを割って見せてくれたんだよ。シャッキ~ン!すごいよねぇ。」
足の先まで鋭いって?なんでも尊敬(?)のタネになるのだなぁ、中学生の男子は。
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