2010年1月29日金曜日

三遊亭鳳楽

年末に三遊亭鳳楽師匠の落語を聞きに行った。
マクラで噺家さんにかけ声をかけるときの話し。噺家はなぜかみなさんイキな町名に住んでらっしゃる。先代桂文楽は「黒門町」、三遊亭圓生は「柏木」、古今亭志ん生は「日暮里」。 お客さんは名前ではなく町名で噺家を呼ぶ。確かに「よっ、黒門町!」なんてカッコイイ。関係ないけど、中村主水は「八丁堀」。古い町名は無形文化財として残しておいてほしい。
そして下町の近所付き合いの小噺がつづく。

 「お前の吊ってくれた棚だけどな。あれ、落ちたぞ」
「落ちた? そんなはずはねえんだが」
「いや、落ちたよ、ゆんべ。スットーンと」
「おめぇさん、何か乗せただろ?」

涙が出た。後で落語好きの父に「ね、ね、おもしろいでしょ?」って詰め寄ったら、有名な小噺らしくって、しかもゼンゼン話の面白くない私がしゃべるから、クスリともしてくれなかった。

師匠曰く、TVは持ち時間がせいぜい長くて15分、「これでは名人など育ちはしない」とおっしゃる。独演会でお客さんの顔を見ながら長い作品で研鑽をつまねばならないと。その日の演目は 『文七元結』。「ぶんしちもっとい」と読む。ならばこの演目は何分だったかと聞かれると、何分だったけ・・・。あんまり面白くって、あっという間に時間がたってしまったからおもいだせないのだ。おそらく45分は軽く過ぎていたと思う。長いものを長く感じさせない、これぞ名人。
こういう瞬間に出会ったとき、日本語が母国語でよかったなぁと、しみじみ。

2010年1月28日木曜日

ドリフターズ

病気でケーブルを見まくっているとき、懐かしい「ドリフの大爆笑」の再放送を見た。よい子は見てなかったかしら。はっきりいって、くだらないんだけれど、やっぱりオモシロイ。なんてことないのにじわじわ来たのが、おバカ兄弟の兄・いかりや長介と、弟・中本工事のヒミツの合言葉。兄弟が訪ねてきたのがわかっているのに合言葉を言わなくちゃ、引き戸を開けて中に入れてくれない。

工事弟 「バカは死ななきゃ?」
いかりや兄 「生きている。」

うわっはっは・・・・、あれ?おかしくない?。ま、私は、この合言葉で5分は笑った。で、早速、昔見てなぜかツボにはまったコントを探してみた。
もしも死にそうな芸者がいたら
志村けん、若い。 いかりやさん、もう一度会いたい。

2010年1月25日月曜日

鬼の居ぬ間の・・

インフルエンザ中は食欲ないし、味覚もさえないし、買い物も自分で行けなかったから、先週の我が家の食卓は何ともサミシイものだった。

私 「ご飯、作れなくって、ごめんね。」
ワカ 「もう、よくなっちゃったの?」
私 「もう、って、どうして?」
ワカ 「ちょっとね・・・。」
オット 「(にやにやしながら)ゴールデン・ウィーク、終わっちゃったねぇ。」

どうも私がもうろうとしている間、毎晩、大好きなたらみのPUREぜりー(300g)を片手に、ネットで”SIMPSONS”を見ながら、おなかの底から笑い声をあげていたというのだ。自分の世界を満喫。治ってがっかりされるほど、私ってうるさかったのか?それに、ワカは私のことを”バイオ・ハザード”と呼んでいたらしい。ティーンエージャーへの道、ばく進中。

そして週末。ワカ様、ピーチクパーチク、しゃべるしゃべる、ノンストップ、落語の独演会のようだ。途中気を抜いていたら「ちゃんと聞いてる?」と注意され、事あるごとに見解を求められる。国会中継のようでもある。
・・・どうやら4日分の親子の会話が、一気に爆発したらしい。 やっぱり、まだ、12才。

2010年1月23日土曜日

子供はオモシロイ

久しぶりの悪夢のインフルエンザから立ち直る。ワクチンのせいか、日ごろの行いのせいか、憎まれっ子のせいか、熱も1日で下がり軽症だったといえる。しかし、元気になったとは言え、なんとなく体がフワフワ。なんていったらいいか、レゴで作ったロボットがばらばらにされて、もう一回組み立てられたような感覚か?(やっぱり表現が5才児並・・・)

そんな病後は、やっぱりカンラカンラと笑い飛ばすに限る、と、もう既に有名だけれど、何べん見ても心から笑わせてくれる動画をココに。

Laughing Baby
I don't like you Mommy

皆様、くれぐれもご自愛ください。楽しい週末を。

2010年1月22日金曜日

22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語

大林宣彦監督、2007年公開。

インフルエンザで起き上がれず、目だけ開いていたので、たらり~んとケーブルテレビをつけていたら、2日続けて大林監督作品を見ることが出来た。「22才の別れ」とオリジナルの「時をかける少女」(なつかし!)。

「22才の別れ」は1975年の風の同名曲をモチーフにしたお話。子孫が残せないと宣告された40代の主人公、ひとりで気楽に孤独に生きている。しかし、彼には子どもを残すことと同じぐらい大切な出会いがあり、それによって昔の思いが甦る。しかしそこがロマンチストな大林監督、とつとつとつと静かに話が進んでいく。40代を中心に10代から70代までの世代が静かに交差、どの世代もどの登場人物にも、感情移入してしまい胸がパンパンになってしまう。・・・病気になると神経過敏になるのかなぁ。

幾つも印象に残ったシーンはあるけれど、その中のひとつ。主人公のかつての恋人の娘、華鈴(かりん)のボーイフレンドは21歳、年収100万円で食事にも事欠く生活を続けている。バイトで配達に訪れた初老の女性(南田洋子さん)が、彼を見て「息子は安保闘争に奪われてしまった」と、寂しそうに語る。受け取り伝票にまるで重要書類に署名するかのように丁寧にサインし、『若い人たち、がんばってね』と一言(この南田さんのお顔が、また胸に迫る)。かすかに触れ合うものがあるのだけれど、若者の苦悩が、老婦人の寂しさが、平行線を漂う。しかし、映画はこんな世代の隙間を少しづつ何かで埋めていき、だれも見捨てない。

・・・本当にそう。勿論、人間努力や勉強で道が開くことは絶対ある。一方、どうにもならない時代の流れというものがある。でも「22才の別れ」は終わりじゃない。・・・あんまり書くと、お局様の説教みたいになってくるから、この辺でやめておこうと思う。

懐かしい「22歳の別れ」が素敵なアコースチックギターで流れる。(寝言ででも歌えるよね?)それから清水美砂さんがとってもいい。
今は更新されていないようだけれど、この映画についてかかれた監督のブログを見つけた(タイトルをクリック)。

2010年1月18日月曜日

かいじゅうたちのいるところ


スパイク・ジョーンズ監督

ワカが小さかったころ、幾度も繰り返して読んだ絵本。映画を見てちょっと戸惑う。今まで私はモーリス・センダックのこの絵本に、映画とは全く別の世界を見ていたからだ。子供時代は野生(自然)に限りなく近く、夢と現実の境目をいつもらくらくと渡り歩ける素敵な時。Wild Thingsを肯定的にとらえていたのだ。

映画ではマックスの家族や環境が詳しく描かれている。そしてかいじゅうたちは名前をもらい、マックスや彼の家族のメタファーになっている。数々のメタファーの中でも特に、マックス少年がKW(かいじゅうのひとつ)口の中に入って出てくるまでが素晴らしい。マックス少年はかいじゅうを通して自分のWild Thingsを客観的にとらえるようになる。内面に一つの整理がついて、おうちに戻ると、食卓には優しいお母さんとおいしい食べ物が彼を待っている。

・・・しかし、私は映画館で居心地が悪い。わが身を振り返ると、登場するかいじゅうの持つ各々のWild Thingsを、押し並べて全部持っているもんだから・・・。主人公のマックス以上に反省することになる。Wild Things、子供だけの問題ではない、のだ。

たとえばこの世から全ての”怒り”や”諍い”が消えてしまったら、この絵本の意味はなくなるのだろうか?きっとまた別の意味を持って語り継がれていくんだろうと思う。この絵本は、「かいじゅうたちがいるところ」のような誰も知らないところの物語だから。

2010年1月15日金曜日

かわいいおつかれネコちゃん Sweet Tierd Cat

タイトルをクリックしてね。
どこかでみたなぁ・・・、つり革につかまってる酔っぱらったサラリーマン。
この続きが見たい。

あっという間に金曜日。皆さんゆっくり楽しい週末を・・・。

2010年1月13日水曜日

(500)日のサマー

マーク・ウェブ監督。

初めてタイトルを聞いたときは、常夏の島でのラブストーリーかと思ったけど、”サマー”は主人公が恋に落ちる女子の名前。主人公トム(ジョセフ・ゴードン=レヴット)は勤め先でサマー(ズーイ・デシャネル)に一目ぼれして、運命の人だと思い込む。サマーは真実の愛とかなんとかは信じないとはっきり宣言するけれど、はたから見ても2人は完全に恋人同士のような関係。男子から見たら冷たい女子に見えるかもしれないけれど、サマーにしてみれば1人盛り上がるトムがフシギだったのかもしれない。もしかしたらホントに足のにおいで、冷めちゃったのかもしれないし。

この2人の500日の時間をシャッフルさせて映画は進む。時系列で物語が運ばないので、トムのバイオリズムが乱高下して実に面白い。特にこの恋の最大の盛り上がりで、トムが浮かれて踊りだすシーンはマッコト素晴らしい。さすがウェブ監督、ミュージックビデオを撮っていただけある。

こういう映画はあれこれゴタクを並べても、ばっちりと中心に当てはまる言葉が来ない。トムのような経験は男子だけではなくって、もちろん女子もいっぱいしている普遍的なテーマだから、老若男女を問わずウケているのだろう。”夏”が終わっても”秋”が来る。大好きだなぁ、こういう映画。

2010年1月11日月曜日

インフォーマント!

スティーブン・ソダーバーグ監督。
この監督は好きだ。20代で「セックスと嘘とビデオテープ」でカンヌのパルムドール賞を取ったときは、彼を推した審査委員長のヴィム・ベンダース監督までぶつぶついわれちゃったけど、あれから20年、その賞に恥ずかしくない作品を取り続けているのは周知の事実。

主人公のマーク・ウィテカー(マット・デイモン)、次から次へと嘘をつき、頭には関連性なくいろいろな話題が浮かんでくる。「双極性障害」という病気カから来る症状で、冷静に観察すればアノ人おかしい、とわかるのだけれど、周りもまあ、ジコチューのいい加減な人ばかり。嘘が嘘を呼び、たまに出てくる真実がFBI喜ぶ”大悪事”なもので、誰も彼のビョーキに気づくことなく、全てが雪だるま式に大きくなっていく。

彼の告発が護身のためか名誉欲のためか正義のためか、そのあたりは見ていてまったくはっきりしない。おそらくそのどれでもないのだろう。しかし、マット・デイモンは彼をただの病気の人で終わらせず、見る者にこんな人どこかにいるなぁと思わせつつ、実に薄っぺらくしかもコミカルに演じ、カンペキにものにしている。あのボーン様の体型を惜しげもなく捨て去り、着ぐるみ着せたように脂肪をまとい、顔はあのままだけれども(こればっかりはしょうがない)、見た目もすっかりマーク・ウィテカー(実物がどんな顔してるか知らないけれど)。次回はクリント・イーストウッド監督の作品に登場、楽しみだ。

出演している全ての役者、音楽、その完璧なバランスに、古い時代のハリウッド映画を感じながら、「味の素」なんていう聞きなれた社名を小耳にはさみつつ、現代の「から騒ぎ」を堪能できる。彼だけがビョーキじゃなくって、取り巻く社会もかなりいっちゃってる。

2010年1月10日日曜日

ジュリー&ジュリア

ノーラ・エフロン監督。

1950年代をヨーロッパで過ごし、パリのル・コルドン・ブルーで学び、英語でフランス料理の本を出した料理研究家のジュリア・チャイルド(メリル・ストリープ)。人生に悶々としながらも、ジュリアの全レシピを1年で制覇しそれをブログに綴ることを決心したジュリー(エイミー・アダムス)。ふたりとも実在の人物で、ジュリーのブログから生まれた映画。古い時代のやさしさと、それを愛する現代の人、そんな誰もが持っている憧れや、いつの時代も人間が繰り返す成長や失敗を、明るくおいしく描いた映画。これを見たら、誰もがキッチンに直行したくなっちゃうかも。

メリル・ストリープ、いったいこの人はナンなのだろう。すごい人だ・・・。この人の俳優としての仕事をリアルタイムで見られることに喜びを感じる。しかしなんだか彼女、背が伸びたような?ジュリア・チャイルドは188cmあったそうなので、大きく見えるように細工してるのかなぁ。いくら名女優としても背までは伸ばせないから。またまたアカデミー賞候補になるかも、メリル・ストリープ。

食べるってことはとっても原始的。他の生物の命をもらって生きていく、そんなワイルドな営みに『料理』という作業を加えると、とたんにカルチャーの味がする。一日3度の食事、人間に生まれたからにはなるべく手間隙かけてゆっくり楽しみたい。

2010年1月9日土曜日

Surprised Kitty

こ、これは、たまりません。全身を使って大きな物体と遊ぶチビちゃん。その指先がぱーしてるのがかわいすぎる。
タイトルをクリックしてね!
皆様、素敵な連休を・・・。

2010年1月8日金曜日

iphoneにする

仕事では固定電話、メールはPC、家に帰ったら携帯はカバンに入れっぱなしで出番の少ない私の携帯。オットはもっとすごくて、自分が電話をかけるときにしか電源を入れないので、こちらから連絡とりたくてもつながらない。ワカは共働きなので緊急用にメールとネット加入なしの携帯を持たされているけれど、遊びに行くときは携帯なんか持って出ないし、充電するのも忘れるし。公衆電話で用が足りるのではないかと思われる我が家。

そんな私の携帯も、充電器がよろよろになってきたので、新しい機種をひやかしに行った。月々の支払金額は安くなって結構だけど、携帯1台が5,6万円って一体・・・。いまどきネットブックも5万円以下で買えるのにと、携帯を使いこなせない私の頭には疑問符が。どの携帯も「帯に長し、タスキにも長し」なものばかり。もう携帯持つのやめちゃえとも考えるけれど、いまどきもってない人がひとりでもいると、困るのは私よりどうも周りの人らしい。

そんな時、Googleの「ネクサス・ワン」対策なのか、iphoneの大売り出し。電話器代はロハ、基本料は5か月間無料。今までネックだったパケット料金も、最低料金は1,029円からとかなり低くなっている。なんといっても私はあのデザインが好き。で、もともと携帯には興味ないけど、iphoneには興味があったオットの鶴の一声で、家族3人一気にiphoneに乗り換えた。

iphoneスピンオフ商品の販売も頑張るSB。フォトビジョンとかいうサービスに入ったらデジタルフォトフレームがもらえるとか、モバイルデータ通信に加入したらネットブックがもれなく付いてくるとか、ジャパネットタカタのようだ。もちろん通信費の中に機材の費用は盛り込まれているんだろうけれど。海外旅行に便利なネットブックには惹かれたけど、これからはiphoneでWiFiできるからやめた。

さてiphoneの使い心地は実に快適。携帯のテンキーをぽちぽちしなくってもいい。画面だって大きくてPCみたいに操作できる。携帯を使い始めてから10数年、初めて気に入った機種が手に入った。そして、気になるパケット料金、アプリ使いまくってこそiphoneの価値があるのかもしれないけれど、最低料金で抑えたい人、私以外にもたくさんいて、節約方法がネットにたくさん出ている。節約設定だって、アイコンに触ればさささっとできるのでラクちん。

今、私のiphoneには好きな音楽も写真もヤマモリ入っていて、ちょっとしたパーソナルライブラリー。もう普通の携帯にはもどれまへん。

2010年1月6日水曜日

旧芝離宮恩賜庭園

東京タワーだけっていうのもつまらないので、海側に散歩に出ることにした。新年の準備で忙しそうな増上寺を抜け、大門をくぐり、第一京浜を横断して、”金毘羅”で讃岐うどんを食べて、JRのガード下を通り、左手の新しいビルにびっくりしながら、右手の旧芝離宮恩賜庭園に到着。

実はここのコイがとっても食いしん坊なので、それをワカに見せたかった。以前来た時には、まるで西宮のエベッサン状態。我先に集まって来て、後は押すな押すなの大騒ぎ、他のコイの上に乗りあがり、勢い余って地上に体が半分出てしまうのも。あのまま池に戻れなかったら、一夜干しで自分がゴハンになってしまう・・・。

さて、門をくぐると何やら遠くのほうに、


木に咲くピンクの花、まさかこの時期に。
と思って近寄って見ると・・。

桜なんですね、これが。
『正月桜』と名札が立っている。
年も明けぬうちからなんだかめでたい気分。

そして池のふちに行くと、
 
来ました来ました、このコーナーは黒いコイさんばっかり。
「めし?めし?」「おいらも!おいらも!」

「あーん」「あーん」「おい、横入りするな、ひれが顔に当たる」

と、大騒ぎ。冬のせいか暖かい時に比べて勢いがないけれど、食欲は旺盛なようだ。別のコーナーに行くと、赤いのやら金色のコイさんもいる。しかし、もしココが釣り堀だったら、一網打尽だなぁ。
あんまりパクパクされるので、餌は売っていないかと事務所の人に聞くと、なかった。メタボ対策。

2010年1月5日火曜日

東京タワー


ワカにかねがね東京タワー(左は六本木ヒルズから望むタワー)に登りたいと言われていたのだけれど、とっても混んでいるといううわさを聞いていたので、ずっとウヤムヤにしていた。休暇を取った年末の平日、オカンはやっとワカの願いをかなえることに。地下鉄神谷町駅から飯倉交差点に向かって歩くと、ビルの間からタワーのてっぺんがはるか遠くに見える。ワカは「あんなに遠い、神谷町でよかったの?」と上空を指差しながら疑わしい目で私を見る。ははは、タワーの足元部分は近いのだよ。 たとえ足元に立っていたとしてもてっぺんまで300メートル以上あるのだぞ、小学生よ。

チケット売り場も大展望台行きのエレベーターも並ばずにすいすい。エレベーターもすいすい、結構な速さ。大展望台から一番上の特別展望台は、エレベーターが小さくて一台しかないので、20分ぐらい列に並ぶ。特別展望台に到着、すいている。地震が来たらゆれるだろうなぁ、今は来ないで~、と思いながら展望台を一周する。
タワーの影がビロロ~ンと伸びているので写真を撮ってみた。

次は増上寺を上から。
昔は愛宕山あたりからこの風景を見たのだろう。

大展望台に降りるとグラスフロアーが。割れないとわかっていても、皆キャーキャー言いながら乗って写真を撮っている。すごーく上だから見えないとは思うけど、スカートはいてはちょっと乗りたくない。
あ、あ、そこのこども、飛び跳ねるんでない!!大人もそんな大きなズータイで足踏みしないで~。見ているほうがコワイ。

で、大展望台から地上までは、外階段600段を風に吹かれながら、カンカンカンと足音を響かせて降りる。がらがらで貸切、気持ちいい。のんびり歩いても10分弱で3階に到着。
それにしてもすごい朱色。平安神宮のようだ。

たまには超名所に行ってみるのも楽しい。

2010年1月4日月曜日

アバター

ジェームス・キャメロン監督。「タイタニック」は見てない、というかたくさん人が溺れるのを見るのは悲しいので、見ない。「アビス」では映画を見ている私が酸欠になりそうだったけど、今回もパンドラでは人間は息出来ない。スーハー、スーハー。

人類はパンドラという星で鉱物を採掘しようと、基地を作り軍隊を送り込んでいる。その衛星は人間には有害な空気で覆われ、また目指す鉱物が眠る土地の真上には、ナヴィという先住民が住んでいる。女性科学者(シガニー・ウィーバー)は、人間とナヴィのDNAを掛け合わせアバターを作り、アバターでパンドラの生態系を研究している。この科学者は純粋な探究心と、パンドラに対しての畏敬の念を持っているのだけれど、軍隊は戦争が好きだからナヴィを敵と定め戦う意欲満々。鉱物採集のマネージャー(?)は鉱物を手に入れられればそれでいい。この三つ巴の中主人公のジェイクはアバターに変身し、表向きは科学者の部下で研究活動をしながらも、軍隊の言いつけでナヴィに取り入り鉱物採掘のスパイ活動をする。

ストーリーは至極単純でアメリカ風勧善懲悪の世界。メッセージより、モーション・キャプチャー(キャメロン監督はエモーション・キャプチャーと呼んでいる)に注目してみよう。かなりリアルで細部まで繊細。 ボッシュの絵に出てくるような動物のキャラクターや、うっそうと茂る植物の表現がすばらしく、その想像力に脱帽。一歩間違えば中途半端なアニメーションになってしまうところを、その高度な技術が実写部分との違和感を全く感じさせない。

これから時代は3D、MCに一挙に進んでいくんだろう。でも、人間がチューバッカの着ぐるみを着ている映画も嫌いじゃないんだけどなぁ。それにしてもジェームス・キャメロン監督、満を持して「どうよ!」という感じ。「タイタニック」に続いて、"ハリウッド・ミューズ"にインスパイアーされたのかも。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年

今年は、映画と旅と一眼レフで楽しい年にしまっす!
皆様にもいっぱいが訪れますように。

何があっても明けない夜は来ない、
笑う門には福来り。
今年も宜しく。

ANGELA
たまに
あんこ